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最下層に辿り着くまでに予定では二日かかる。
そして一日目は予定通りに距離を稼ぐことが出来た。時間は少しだけ押しているが許容範囲内である。
全行程のおよそ三分の二を進んだことになる。
直線距離ならば、最下層たる宮殿までそれこそ歩いて数時間の距離であるが転移のせいで余計に歩かされる。安全かつ、ほぼ最短距離となるように経路を選択しても一日で辿り着くことは到底出来ない。
休憩地点の目印は神殿だった。
この迷宮の悪しきところは言わずもがなであるが、いいところはと言えば寝るところが沢山あることだった。
迷宮内にある全ての建物が、研究者や探索者の借宿となりうる。
寝台の有無、台所の有無、そして魔物の有無など暮らしやすさに違いはあれど、これは探索においてかなりありがたいことだった。
人は壁があり屋根があるだけでずいぶんと心が落ち着く。迷宮内での違和感である人工物も、この時ばかりは癒しとなっているようだった。
神殿は魔物の出現確率が極めて低い。探索当初ではかなり手強い不死系の魔物が出現したようだが、無事に討伐されて、それ以後の出現は確認されていない。
そのため安全地帯であると認識されており、ランタンたちが辿り着いた時には内部で他の研究者集団の生活が営まれていた。
いわゆる前線基地だった。
礼拝堂では神像にもたれ掛かるように薄汚れた研究者が筆記具片手に眠りこけており、祭壇には膨大な数の資料が生け贄のように山積みにされている。そこかしこに民家からの収奪品である家具や食器が散乱しており、程なく来る迷宮崩壊に備えて人足たちが荷造りを行っていた。
「なんというか、略奪者みたいだ」
神殿内には妙な熱気がこもっている。人の多さもさることながら、奥の院で火が焚かれているようだった。魔物除けかもしれないし、もとから迷宮内で盛っていた炎を絶やさずに保っているのかもれない。
ランタンが正直な感想を漏らすと、ジャックが笑う。
「迷宮からしてみればその通りだろう。生きとし生けるものを見逃さず、金目の物は根こそぎだから質が悪い」
「僕は根こそぎはしないですけど」
「それはそれでどうよって話だな。せっかく攻略したんだから、可能な限り持ち帰るのが礼儀ってものじゃないか。迷宮だって攻略のされがいがない。そんなんだからつまみ食い野郎とか言われるんだぞ」
「その悪口、初めて聞きましたけどジャックさんが考えたんじゃないんでしょうね」
ランタンは舌打ち混じりの溜め息とともに言う。
「それに迷宮に意思なんてありませんよ」
「俺は悪意に満ちてるように思うけどな」
ジャックはランタンと同じく探索者の最上位、甲種探索者である。
幾許かの戦闘を経たとはいえ疲労は表面化するほどではない。リリオンはその一つ下の位である乙種探索者であるが、ランタンと行動をともにしていることもあり、ここまでの道のり程度でへばるようなことはない。
だがバロータたちはかなりぐったりとしていた。戦士と比べて体力に劣る魔道使いコリンなどは途中から荷車に乗車している。疲れた彼女を労って、と言うわけではない。文字通りお荷物だったからだ。
ジャックは若手の指導も兼ねていると言ったが、しかしもちろんこの探索の主体はランタンである。ランタンの実力に合わせての迷宮攻略は、その進行速度が他の探索者に比べて速いのだ。
他者と共に探索することで、ランタンはそれをようやく自覚した。
「取り敢えず四人は休んでろ」
「――……はい」
返事をするのもやっとというように、四人が頷いた。
道中、少しだけ仲良くなったらしくリリオンがコリンを荷車から抱え下ろした。
「だいじょうぶ?」
「平気よ。子供扱いしないで」
コリンはそれが毛に包まれてない人族ならば、はっきりと眉間の皺を確認できただろう、仏頂面で答えた。子供扱いされる悔しさを、ランタンはよくわかる。
一瞬の戸惑いを見せたリリオンを、おいで、と手招きする。リリオンにある優しさをランタンは好んでいるが、時にそれが過多であるように思うこともあった。駆け寄ってきたリリオンを屈ませて、ぐしゃぐしゃに髪を掻き回してやった。
「どーして?」
リリオンはそうされることへの困惑と抑えきれぬ笑みを混ぜた表情になる。
地下には人足たちの休泊所が用意されており、大広間が探索者用の空間となっていた。
二十名ほどの探索者が好き勝手に陣取りをして、思い思いに身体を休めたり、次の探索の準備を行っている。
まだ若い四人はそこに隙間を見つけて遠慮がちに陣地を確保する。
コリンを壁側にやったのは、男性陣が最後に残した気遣いだろう。三人で囲むようにして小さな身体を隠す。
男たちはさっそく鎧を脱いで、下着一枚になり針鼠に空けられた怪我の様子を確かめ始める。出血が獣毛に絡んでいる。バロータの縄状の毛は天然の鎧であるが、血を吸うとなかなか洗い流すのが難しそうだった。
鎧の内側に付着した血をコリンが削り落とす。そして武器の研ぎも彼女の仕事のようだ。
長剣を受け取ると柄巻を締め直す。そこに自らの体毛を巻き込むのは、カートとケールの手にあるそれを遠隔変形させるための手助けとなるからだろう。
「ジャックさん、ここに来たことあります?」
「お前を案内するために経路は一度、踏破済みだ」
「あ、すごい。まじめだ」
「俺は護衛だぞ。依頼を受けたからにはそれぐらいする」
侮るなかれと言わんばかりにジャックは腕組みをする。
「じゃあ護衛さんに案内でも頼もうかな」
「それはあっちの仕事だ」
ジャックは腕を組んだまま、人差し指だけをぴんと立てる。神殿の管理者と話をしているヤナとアデルの方を指差した。
「うーん」
「なんだ、苦手なのか?」
「ジャックさんが変なこと言うからですよ。なんとなく聞き耳立てられてるみたいで」
「こんな話、聞かれて困ることもないだろ。さて今日の俺の仕事はここまでだ。ご苦労さん」
ジャックは四人の方へ行き、ひと言ふた言声を掛けて離れていった。
ジャックは依頼を受けた護衛であるから、どうやら個室が用意されているらしかった。
ジャックはギルドに選ばれ、四人はジャックに選ばれたのだ。そしてギルドに選ばれたランタンとリリオンにはもちろん個室が用意されている。
「苦手なの?」
リリオンが手櫛で髪を整えながら、何の気なしにランタンに尋ねる。
「苦手って言うか。うーん」
ランタンは腕組みをし、言葉を探しあぐねるように首を傾げた。
答えが返ってこない、あるいはその態度こそが答えだと思ったリリオンは、大きく手を振って二人に呼びかける。
気付いた二人が姉妹のようにこちらを振り向き、ヤナの方は小さく頭を下げて管理者との会話に戻り、アデルだけが小走りに駆け寄ってくる。
「どうかなさいましたか?」
「お部屋の場所を教えてもらえませんか?」
「お待たせをして申し訳ありません」
「何かありましたか?」
「いえ、ランタンさまにご心配いただくようなことではございません。ではご案内いたします」
リリオンがランタンの顔を見る。言葉も交わさずに、納得したように頷く。
「じゃあお願いします」
リリオンはにこりと微笑みながら答えた。
それから思い出したように、行き場を失っているアダムスを振り返った。
「アダムスさんはどうしますか?」
気を使ってくれるジャックはもうおらず、周囲は見知らぬ探索者ばかりである。
迷宮の孤独が身に染みているのか、声を掛けてくれたリリオンに縋るしかないというように転げ落ちるみたいに荷台から飛び降りた。
最後尾にくっつきながら、物珍しそうに神殿内部を見ている。
タイルによって幾何学模様が描かれた内部は、都市内とは違った独特の雰囲気がある。
青色を基調とした色彩は、同じ青でも数百の濃淡があり何だか水中を思わせる。美しいは美しいのだが、華やかではなくむしろ寂しげな感じがする。
足音の残響がやけに長い。
「ここも迷宮なのか……?」
あまりにもな独り言にランタンは思わず笑ってしまいそうになる。
喉につまった笑い声を咳払いで誤魔化した。
「そうだよ。地上と繋がってるのは、降りてきた時のあの穴だけだ」
「なにかしら、これ?」
リリオンがふと立ち止まって壁を見る。壁の一部が窪んでおり、そこにぴったりと額縁が嵌め込まれていた。漫然と見ているとタイルの一部のようだが、そこには絵が飾られている。
「タイルが足りなくなったんじゃない?」
ランタンが軽口を叩くと、アデルが軽やかに笑った。
「もしそうでしたら、研究者もこれほど悩まずに済むのですけどね」
「ここに絵がある理由ね、それってそんなに重要?」
「理を知ることは、私たちの命題でございますから。なぜ山があるのか、なぜ風が吹くのか、雨はどうして降るのか、海の発生はいつか、太陽はなぜ赤いのか、星はなぜ輝くのか」
「神さまが作ったんでしょ。教会に喧嘩を売って大丈夫?」
「ええ、うまくお付き合いをさせていただいております。ここに飾られる絵も、あるいはこの神殿も、迷宮も我々の知りたいことの一つでございます。神が本当に居られるのかどうかも」
「大変な仕事だ」
「七度生まれ変わっても時間は足りないでしょうね」
なるほどこの迷宮に多くの研究者が入っているわけだ、とランタンは納得する。七人いれば、人生七回分の研究が出来る。
リリオンは首を右に左に傾けたり、しゃがんだり爪先立ちになって、さまざまな角度から絵を見ている。
「なにしてんの?」
「角度で色が変わるのよ。きらきらして不思議ね」
「ふうん、気に入ったんなら持って帰る?」
「いらなーい。だってわたしのお部屋の雰囲気に合わないんだもの。そもそも、これなんの絵なの?」
「これは、そりゃあれだよ――なんの絵だろ? なんだこれ」
風景画だとか動物画だとか、ランタンとリリオンがごちゃごちゃ言っている脇でアダムスがそれに目を奪われている。
「絵描きの目には、これはなんの絵に見える?」
埒があかないので助言を求めると、アダムスは寝言のように答える。
「ひと」
ランタンとリリオン、それぞれ別に部屋が用意されていたが、一方をアダムスに譲りランタンとリリオンは二人で一つの部屋を使うことにした。
そう断りを入れた際にアデルの表情が一瞬だけ曇ったように思えるのは、ランタンの気のせいなのかもしれない。
アダムスが不安そうな顔をしたのはきっと気のせいではなかったが、彼を入れて三人一部屋で寝る気はないのでもちろん無視をする。
食事はみんなで摂ることにした。アダムスだけは部屋にこもって出てこなかった。
神殿には食料が備蓄されているし、ここまで運んできた荷物にも積み込まれている。後者だけであっても到底二人で食べ尽くせる量ではない。いや、きっと食べようと思えば食べられるが、迷宮に食事を取りに来たわけではないのだ。
神殿には厨房もあった。厨房を利用可能な権限を持つ人の中で料理をしようなどと考えるものは一人もいなかったのだろう、調べられた形跡こそあれど使われた形跡はなかった。
料理をするのはリリオンとコリンだった。男性陣はランタンがかまどに火を入れたぐらいで、何一つ手伝おうとはしなかった。
男は厨房内の邪魔にならないところで固まって喉を潤している。
「ちょっといけ好かないかと思ったけど、飯食わしてくれるなんていい奴だったんだな」
既に酒を手にしたカールが機嫌も良さそうにそんなことを言った。空元気かもしれないし、本当に機嫌がいいのかもしれない。
「でも落ち込むなあ。年なんてほとんど変わらないだろ? はあ……」
ケールは茶で唇を湿らせて、頭を抱える。酒も呑んでいないのに落ち込んでいる。
「俺たちはこれからだろ。出発点が違うんだから」
「そりゃそうだけどさ」
バロータの慰めに、口をひん曲げて頷いた。バロータは縄状の前髪を掻き分けて、黒目の大きい円らな瞳をランタンに向けた。
「何か助言をくれないか?」
「助言? 急に言われてもな、邪魔な前髪切ればってことじゃないだろうし」
ランタンの冗談に少しだけ笑う。
「ジャックさんを頼りなよ」
「頼った上で、ランタンに話聞ける機会なんて滅多にないから是非。戦闘でも、探索でも、それこそ前髪だって本当に切った方がいいなら切る」
ランタンは頭を抱える。
「まあ、前髪は好きにしたらいいけど。助言か、――そうだな全体的な実力不足ってのはある。状況判断の遅さとか、選択肢の少なさとか。でもそれって経験に基づくものだから一朝一夕では」
変に取り繕うことなく、ランタンは思ったことを口にした。
「……ランタンってさ」
ケールが恐る恐る尋ねる。
「どれくらいの数の迷宮を攻略したんだ?」
「数えてないから知らないけど、たぶん百以上は攻略していると思う。小迷宮で結構数を稼いでるけど――」
カールはコップを口に咥えたまま凍り付き、ケールは絶句し、バロータは白目を剥いている。
「――あれ、気絶してる?」
ジャックさえ呆れていた。
「普通の探索者なら百は吹かしだけどな。百か、さすがに俺でもちょっとびびるな。月に三つ、四つ」
指折り数えて、うんざりしたような表情になる。そりゃ金も貯まるな、と呟く。ひと月に三つも迷宮を攻略すれば、そこに金を浪費する余裕どころか、探索者にだってあるはずの日常さえないはずだ。
ランタンは生活の全てが探索だった。
「四人はいつから探索者なの?」
ランタンが尋ねると、三人はようやく意識を取り戻した、遠慮していたケールとバロータさえ酒に手を伸ばす。
向こうから料理のいい匂いがする。焼けた肉の匂いはどうしてこうも食欲をそそるのか。
「一年と半年ぐらいかな」
「へー」
「なんだよ、へー、って。そりゃランタンからすりゃへーかもしれないけど」
「一年生にしては、いい方? 生き残ってるからいい方か。運び屋は経てないの?」
ランタンはジャックに目配せをする。ジャックは肩を竦めた。
「バロータが半年ぐらいだな。ま、悪かないけど、……俺に聞くなよ。正直者なんだから」
「……ジャック先輩」
「本気で落ち込みますよ」
斑の二人はあからさまに肩を落とした。悪くはないけど、良くもない。今のところ普通の新米探索者であるが、この普通という評価がもしかしたら一番堪えるのかもしれない。
「でも四人の中じゃ、あの子だけが突出してるね」
「だろ! やっぱりランタンもそう思うか!?」
カールは自分が褒められたように声を大にする。ランタンは冷ややかな視線を向けた。
「なのになんであの子を働かせて、自分は酒飲んでんの?」
「うぐっ」
腹でも刺されたようにカールは俯く。
「ちょっと、うちのいじめないでよ」
「おまたせ」
リリオンが大皿を机の上においた。
骨付きの肋肉がメイン料理だった。牛一頭分の肋がそのまま皿の上に乗せられている。甘辛いたれに絡められており、そのたれの端々が焦げて香ばしい。
「いじめちゃいないけど。お、美味そうだ」
リリオンがランタンの隣に着席し、コリンはジャックの横に着いた。
「助言を貰ってたんだよ。ちょっと実力が違いすぎて、あれだけど」
バロータが苦笑する。コリンはきっと目を剥いた。
「そんな弱気でどうするのよ!」
「怒鳴るな。せっかくの飯がまずくなる」
ジャックにたしなめられて、コリンは荒々しく鼻を鳴らした。
「コリンのことは褒めてたよ。突出してるって」
「あっそ。でもこいつらだって頑張ってるわ。それを」
ランタンは話を聞き流しながら肉を頬張る。骨から肉がばらりと剥がれ、しっかりとした繊維の入った肉質はたれがよく絡む。
「そりゃ誰だって頑張るよ。迷宮なんだから。――そうだな、結局足りないのは個人個人の覚悟じゃない? 自分一人でどうにかするっていう」
「私たちは仲間で今までやってきたの」
「頼るなって訳じゃないよ。頼ってもいいけど、自分で出来ることは自分でする。じゃないといざという時困る」
「ま、ランタンの言うことも一理ある。犬人族は他に比べて集団の狩りが得意だという自負もあるが、そこに寄りすぎるのはよくないな」
「――リリオンはどうなのよ?」
コリンはまだ納得がゆかぬようで、リリオンに話を振った。リリオンは指を汚したたれを舐め取ると、そうね、とさらに舌舐めずりをする。
「わたしは、ランタンのことを全部してあげたいわ」
はっきりと断言した。笑ったり、囃し立てたりできない覚悟がそこにある。
「おはようからおやすみまで、全部。迷宮探索だってランタンの出番を全部なくしちゃいたいぐらいよ」
ランタンだって似たようなことを思っていた。
リリオンと一緒に探索をするが、戦闘にかかわるその全ては自分一人でこなしたいと、心のどこかでは今も思っている。
「四人いれば何かを成すことが出来るって、それって一人ではなんにもできないのと同じだよ。地上ならそれでもいいかもしれないけど迷宮ではよくない、力を合わせてどうやるかと同じぐらい、一人でどうやるかを考えるといいんじゃない?」
ランタンの場合は彼らとは逆だった。独力でやって来たからこそ、他者と何かをするとき色々なことを考えなければならない。
ランタンは綺麗に食べきった後に残った骨を幻のように灰にした。
「結局は、誰も彼も自分が出来ることしかできないんだから、それぐらいはいつでも出来るようにしておくべきだ」




