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陽の下に出れば痛みを思い出す。
出かけに敵が強大であることは想像していたが、ハーディはそれを上回っていた。
英雄狩り狩りなどと嘯いたのに、狩り切れなかったことは恥ずかしい。しかし命を取ったとしても精神は折れなかっただろう。
彼はまだ巨人族と戦うことを望んでいた。どうしたものか、と思う。アシュレイとレティシアの頑張りに期待するしかないのかもしれない。
そして、少し。
ランタンも少し、巨人族と戦いたいという欲求が再び湧いていた。
リリオンが危険な目に遭うのが嫌だから自分が代わりに戦う、ということではない。そういう気持ちはもう通り過ぎていた。
ただ戦ってみたい。その欲求は、まぎれもなくハーディの気風に影響されていた。
「……まったく」
「どうかなさいましたか?」
「いえ」
小さく首を振ると目にゴミが入った。乾いた血だった。
そのまま屋敷に戻る前に、どこかで身体を治療しなければならなかった。見たものが眉を顰め、哀れむ程度には傷ついていた。
目標に向かって一直線なリリオンに無駄な心配をかける必要はない。
ルーはさっとランタンの手を引いた。
「ギルドに向かいましょう。あそこならばギルド医が詰めておりますから」
「いや、そこまでじゃないよ。その辺で適当に」
気遣わしげなルーの視線に、ランタンは首を横に振る。
ルーは数秒黙考した後に、ではこちらに、とランタンを案内した。
人気のない小道に入る。
安宿だった。
男が女を連れ込むたぐいの宿であり、目立たぬ看板と昼間だというのに暗い室内が印象的だった。
店に入って、誰もいない、と決めつけると同時に声を掛けられて飛び上がるほどびっくりした。
店主は人種不詳の老婆であって、ランタンはそれが木彫りの人形のように思えた。なけなしの小遣いで初めて女を買った少年のような反応に、老婆はざらざらと笑う。
老婆の腰が曲がっていて、ランタンよりも視線が低い。
慣れぬランタンとは裏腹にルーは手際よく多めに金を渡して部屋と湯を用意させた。貧相な木鍵を受け取り急な階段を上がる。
ぎしぎしと軋みは宿全体が揺れているのかもしれない。
通された部屋は狭くて、小さなベッド一つに占領されている。
「お湯をもらって参ります。蚤にお気をつけくださいまし」
「のみ」
ルーはそう言って自らの外套をベッドの上に広げる。
ランタンは言われるがままに恐る恐るベッドに腰掛けた。ルーが部屋から出て行くと、そわそわして落ち着かない様子で部屋を見渡す。
湿り気とほこりっぽさにまみれた空気。手垢のついた壁に、卑猥な文言が落書きしてある。他にも客がいるのだろう、宿はずっとぎしぎしと揺れていた。
小鳥も通れぬような格子の嵌められた窓から、細かく寸断された日光が部屋の中に入り込む。ベッドは硬く、その木枠が骨盤に触れる。
「世界は広い……」
ランタンは呟く。
迷宮で様々なものを見てきたつもりだが、こういう雰囲気は初めてだった。
素朴ながら、隠しきれない退廃的な雰囲気がある。綿の潰れた布団は見るからに蚤やダニの住処であり、ベッドから落とそうかと思ったがそれがじっとりと湿っていたので持ち上げる気にもならない。
ルーが桶一杯に湯を貰って帰ってきた。
「さ、ランタンさま。お怪我の治療をいたしましょう。上を脱いで下さいませ」
「えー……」
「その辺で適当に、とおっしゃったのはランタンさまでしょう。ほらほら、お早く。かすり傷ではございませんのよ」
面倒臭そうにしたランタンをルーは急かした。
のそのそとボタンに手を掛けるランタンがもどかしそうに、ルーはさっさと前をはだけさせて腕から袖を抜く。
ランタンが落ちつかなげに前髪を掻き上げると、血がばりばりに固まっている。前髪が一束折れて、ルーが慌てたように湯で湿らせたタオルを当てた。
固まった血が溶け出して、たちまちタオルが赤くなった。頭部の傷はあまり深くなくとも出血が多い。あの石頭め、とランタンは思う。じんじんと頭蓋が痺れたのを思い出す。
ルーは丁寧に血で固まった髪を解し、洗い流した。
「傷に触りますわ」
「どーぞ」
ランタンはされるがままにしている。単独探索者であったランタンは、自己の怪我を他者に頼らずに処置する術を心得ている。
だが、他人にやってもらえるならば、それにこしたことはない。
ルーの応急処置の腕はなかなかだった。一つの探索班に属さぬ傭兵探索者という在り方は、単独探索者のそれに似ているところがある。探索班の方針一つで、傭兵探索者の扱い方はずいぶんと変化する。
一つの迷宮を攻略するまでの間柄ではあるが、仲間として同列に扱ってもらえることもあれば、その場限りの使い捨ての道具のように扱われることもある。攻略の最中に負傷したとて、治して使うまでもないと思われれば、班からの治療を得ることもかなわない。
ルーは額の傷口に薬を塗り込んで、粉をはたき、軽くそこに息を吹きかけた。それですっかり傷は目立たなくなる。軟膏の白さと、ランタンの肌の白さはよく似ていた。
「問題はこちらですわね。あまり無茶をなさらないで下さいませ」
「あれを相手にですか? 無茶をするなという方が無茶ですよ」
「それもそうですが、ご自愛なさいませ」
ひどいのは前腕の怪我だった。ハーディの剣を逸らすために、ランタンは骨で受けた。
当然、肉は削がれてしまう。削ぎ落とされてこそいないが、果物の皮を剥いたようにべろんと捲れている。
「とりあえず血を落としましょう」
ルーはまずランタンの二の腕をきつく縛って血の流れを止める。そしてせっせと肌を磨いた。
濡れたルーの手はぬるりとしている。それは蛙人族の特性らしい。ルーの体液と混じった湯は、とろりとした粘性を帯びつつあった。血で汚れた湯を新しいものに交換して、とろみのなくなった湯は傷に染みた。
「合わせますわよ」
ルーはランタンが適当にくっつけた肉を一度剥がし、しっかりと血を流して薬を薄く塗った。そして目を凝らした。精緻な溝堀のしてある蓋を合わせるみたいに、血管や神経の上下をぴたりと貼り合わせる。
ランタンは半端に開かれたルーの口元を見つめる。下の歯列の裏側を舌先がなぞっている。集中する時の癖なのかもしれない。
「はいっ。はい、合わさりましたわ」
それはむしろ独り言のようだった。
ランタンが小さく笑うとルーは何を笑われたのかわからぬと恥ずかしげにする。
「ありがとうございます」
貼り合わせた傷の隙間を別の薬で塗り固め、その上から包帯をきつめに巻いた。
ルーの腕は確かだったが、しばらくは争い事を避けた方がいいだろう。しかし、とは言っても避けようのない争い事は多い。その時はその時だった。
ベッドの上では血の臭いを嗅ぎつけた蚤どもが集まりはじめていた。外套の上を、血を吸う醜悪な虫がぴょんぴょんと跳ねている。ランタンは立ち上がり、尻に敷いていたルーの外套をばさばさと振り回して、彼女に返す。代わりにルーからは脱いだ服を受け取った。
「これ、お土産にもらったらどう思います?」
ランタンは服を着て、ベッドの上にいた一匹の大きな蚤を指差す。出かけの約束を思い出した。それは大きく飛び跳ねて、遠目に見る分には面白い。ローサならばけたけた笑いそうだ。
ルーは曖昧に微笑んだ。口に出すのも憚れる、ということらしい。
ランタンは少し考えて、毛皮と蚤の相性に思い至る。
宿を出る時に、老婆がまたざらざらと笑った。怪我の治療にすっきりとしたランタンの表情を、別の意味に捉えたのかもしれない。
お早いことで、こういうのは慣れだからね、またいらっしゃい、と下世話な口調で告げる。別な女とでも初めての顔をするよ、と。
「はあ、どうも」
ランタンは気のない返事を返して、ルーに背中を押されて外に出た。
宿の中が暗かったからか、外が妙に明るく思える。地下闘技場から出た時よりもずっと明るい。
そのまま大きな通りに戻って、街並みを見ながら帰路を歩く。
地下ではあのようなことが行われていたというのに、街の中は平和そのものだった。もちろん探そうと思えば悪事の一つ二つは容易に見つけることもできるが、それは日常の景色の一つに過ぎない。
「土産か、何を喜ぶだろう?」
何であっても蚤よりは喜ばれるだろう。
「あれぐらいの年の頃ですとやはり甘味がよろしいのでは?」
「ルーもそうだった?」
「ええ、まあ、そうでしたわね。甘いものはめったに食べられませんでしたから」
「めったにか」
ランタンは呟く。出会った頃のリリオンに対してもそうだったが、どうやらランタンはとても甘い保護者のようだった。飢えさせることはまずしないし、衣服はもとより探索者装備の一式さえ与えた。よほどの贅沢でなければ財布の紐は緩い。
「あんまり甘すぎてもいけないかな」
「あら? ではあのようなものはいかがですか」
ランタンの言う甘いは味覚としてのものではなかったが、ルーが示した先にあるものは焼き栗だった。ランタンは半分笑いながら、ああいいかも、と芳ばしさに誘われるように近付いてゆく。
まだ少なかったが、サラス伯爵領が戦火に呑まれた影響が垣間見られた。
栗を売っているのはパン屋で、小麦の供給が減ったので窯で焼くパンの数が足らないらしい。しかし釜を遊ばせておくのももったいないので、栗やら芋やらを焼いているのだ。
ランタンは煎ったばかりの栗を袋にいっぱい買った。胸に抱えると赤子を抱いたように重たく温かい。
「食べていいよ」
袋を揺らすとルーがひょいと栗を一つ取り出して、指先に挟んで茶色の硬い皮を割った。ふわりと湯気と甘みが香る。そして指先で器用に薄皮を剥いでゆく。淡く黄みがかった可食部がようやく出てきて、ルーはそれを半分にした。一つをランタンに。
両手で袋を抱えるランタンは口元に差し出されたそれを鳥のように啄む。
「甘い」
ほんのりとした甘さに頬が緩む。
ルーも勧めた甲斐があったというように微笑んだ。
ローサはきっと喜ぶだろう。
リリオンもきっと、喜ぶだろうと思う。
例えば応急処置を施したが、ランタンは怪我をしている。
帰ればそれなりに心配をしてもらえたが、リリオンはといえば、あらそうなの、といった具合だった。
もちろんランタンが痛がる素振りを見せなかったというのもあるし、むしろその無関心さを誘導したふしもある。
そしてさらにランタンが怪我をしているのは珍しい話ではない。リリオンの心配を買うには、ランタンはこれまでの行動を反省するところから始めなければならない。
それなのにランタンは少しばかり不満が胸の内に湧くのを感じて、自己嫌悪に陥る。
リリオンは目標に向かって没頭している。
土産の焼き栗をローサは初見こそ、なにこれ、といった表情を示した。
なるほど見た目は石ころのようなものだ。がっかりした様子のローサの目の前で、皮を剥いてやり食べさせると、それからは夢中になった。
魔道の訓練に戻そうとするリリララを無視して、薄皮取りに集中するようになった。
放っておいたら一袋をその日の内に食べ尽くしかねないので、一日五粒まで、訓練を一生懸命頑張ったらさらに三粒という約束を結んだ。
妖毛を糸にするのもそうだが、ローサは細かい作業が好きなのかもしれない。
リリオンはローサが剥いた栗を二、三粒つまんで、すぐに訓練に戻っていった。
訓練と食事と風呂と睡眠。それだけがリリオンの毎日だった。
リリオンは朝から晩まで、自らをいじめるみたいに身体を動かしている。付き合わされる騎士たちの反応は半々で、半分はうんざりしているが、半分はどこか尊敬の念を抱くような所がある。
そのひたむきさは、きっとランタンが少女に惚れた理由の一つだろう。
それは眩しい。
騎士たちがリリオンに惚れるのは一向に構わない。
なぜならリリオンが自分以外の男に思いを寄せるなどと、ランタンは少しも思っていないからだ。しかしだが、それでも嫉妬心のようなものはある。
口に出すとみっともないので、ランタンはそれを口にはしない。
その眩しさの邪魔をすることは、どうしたってできない。
リリオンは日に日に仕上がってゆく。鋭く研ぎ澄まされてゆく。
リリオンがそうやって剣を振っている間に、ランタンはアシュレイやレティシアに誘われて、貴族の淑女たちが集まる茶会に参加させられた。
男娼の真似事でもさせられるのかと思ったが、もちろんそんなことはなかったし、冗談のようにそう言ったらまじめに怒られた。
簡単に言えば票集めだ。
それは戦闘よりもひどく気を使う行為だった。
たとえばアシュレイとレティシアは貴族社会の中で圧倒的な上位者であるが、しかしそれは傲慢に振る舞っていいというわけではない。
結局のところは市井で行われる相互扶助のようなものが、きらびやかな世界にもあるということだった。
淑女たちは存外、血生臭い話に飢えているようで、ランタンの探索譚はひどく喜ばれた。
その時、ハーディに与えられた傷は話に現実感を持たせるために大いに役に立ったし、女たちの同情を買うのにこれ以上無いほどだった。
中には本当に哀れみの涙を流す女までいて、ランタンは手慣れた様子でその涙を拭ってやった。
貴族の仮面をかぶったレティシアが、その仮面の下で妙な表情を作ったのがわかった。
貴族の女たちにはその手の趣味を持つものが少なからずいる。いわゆる少年愛というもので、それは母性の発露であったり、嗜虐心の発露であったりするのだが、ランタンはその手合いに好まれた。
あまりやりすぎるな、とレティシアが事前に釘を刺したのは、単なる嫉妬心ではない。
夫に口利きをするので一夜を伴に、などという誘いを躱すのはとても面倒なことだった。
ランタンは帰りの馬車でぐったりしている。
「こんなことならハーディに止めを刺すべきだった」
しかしハーディに止めを刺す機会はなかなか訪れなかった。
英雄狩りの話はあの日以降とんと途絶えて、ランタンとリリオン、ハーディとガーランドの四者が相変わらず議題に並べられているだけだ。ランタンが辞退をしていないのは、ランタンが退いた時の票がリリオンに集まらないからだった。
屋敷の裏庭からは、雨が降ろうと雪が降ろうとリリオンの愛らしい気合いの叫び声が聞こえてくる。
最近はめっきりリリオンの相手をしてくれる騎士の数も少なくなったが、その分だけ質が高まった。リリオンが研ぎ澄まされるほどに、それに付き合っている彼らの腕も向上しているようだった。リリオン親衛隊と影で呼ばれているらしい。
自主的に引きこもっているリリオンと違い、ほとんど軟禁されているローサは、外に出られない不満を訓練にぶつけている。ある意味、似たもの姉妹と言えなくもない。
庭は所々焦げて、冬に葉を落とした木々に危うく燃え移りかねなかった。
「おにーちゃんみて」
「見てるよ。ずっと見てる」
ランタンはローサの背中で煎った栗を剥いて口に運ぶ。ローサはその毛並みに炎を宿す。
「いくよ」
ローサは大きく息を吸い込んだ。胸の膨らみ。肋骨を広げ、上半身が柔らかな逆三角形を作る。そして師匠であるリリララに目配せをする。
充実した内息の巡り。
四肢が地面を踏み締め、肋骨の収縮に合わせて頬が膨らむ。
尖らせた唇からローサは炎を吐いた。
「ふしゅるるるるるるっ――!」
炎の色は勢いを増すほどに白くなり、ローサから離れるほどに解けて広がる。
だが射程距離は一メートルほどで、息が続いたのはせいぜい三秒だった。ランタンは炎の中に剥いた皮を投げ込んだが、多少焦げ付いた程度で原形を留めている。
「やったぁ! どうだった?」
ランタンの胸元に鼻先を埋めて、ローサは自慢げな顔で尋ねる。
実際の戦闘ではせいぜい目眩ましか牽制程度にしかならないだろう。
ランタンは大げさに頭を撫でてやった。
「すごいじゃん、竜種みたいだったよ」
「いひひっ」
ローサは頬を赤くして笑った。
「師匠がいいからな」
「ごくろう」
「何をえらそうに。リリオンにかまってもらえないからってよ」
リリララに痛いところを突かれてランタンを顔を顰めた。
「ねー、くりたべてもいい?」
「いいよ。一粒ね」
言うが早いかローサはランタンが剥いた栗を口に放り込んだ。
「ローサもっとすごいことできるよ。みたい?」
「どうしようかな。見たら栗取られそうだからな」
「みたいっていって!」
「――見たい。もっとすごいの見せてくれるんだ?」
「うん! するからみてて」
ローサはランタンに背を向けて、塀の方を向いた。そこには的が描かれていて、その周辺は焦げ付いている。ローサはもう一度振り返って、みててね、と念を押した。
塀までの距離は三メートルほどだろうか。リリララが心配そうな顔をしているのが面白い。ローサは先程と同様にたくさん息を吸い込んで、それからその息を三つに分けて鋭く吐き出した。
「ふっ、ふっ、ふうっ!」
拳大の火球が三つ、的に向かって飛んでいった。緩やかな放物線を描いたそれは、どれもが的よりもずいぶんと手前で地面に落ちて、しょげかえるみたいに萎んで消える。
「初めての距離だったもんな。でも今までで一番飛んだな」
背中を見てみてもわかるほど落ち込んでいた。
リリララが慰めの言葉をかけて、ランタンをせっつく。
「あー、ええっと。よかったよ。方向はばっちりだから、あとは距離だけだね。ほら、なんだ。栗食べるか?」
ランタンが尾の付け根を撫でると、尻尾がその手を払いのけた。振り向きもせずにとぼとぼと塀の角っこに行って、肩を落としている。
その時だった。
「ローサ離れろ!」
リリララが突如怒鳴った。ローサを守るように地面が隆起して、塀の角に狙いを定めるように棘が生み出される。ランタンは遅まきながら臨戦態勢を取って、目を凝らした。
そこになにかがいた。
淡い肉体の輪郭を捉えることができる。透明度の高い液体を透かしたように塀が揺らいでいる。
ガーランドだった。
この距離までリリララに存在を悟らせないその技術はさすがだった。
ローサはリリララの怒声よりも、むしろ目に見えぬそれに抱いた好奇心が勝ったようだ。棘と棘の間に顔を突っ込んで、ふんふんとしきりに匂いを嗅いで目に見えぬそれを感じ取る。
「猫というより犬だな」
「何を言ってんだお前は」
「たぶん大丈夫。ガーランドだ。あの人がやる気ならもうやってる」
もしかしたら鼻先はすでにガーランドに触れているかもしれない。ローサは鶏みたいに首を前後させて、音がしそうな大きな瞬きを繰り返す。見ることのできないガーランドの表情が目に浮かぶようだった。
「もしもし、だれですか? おばけですか?」
「……」
「そうだね、お化けかもしれないよ。ちょっと火を吐いてみようか」
「おにーちゃん、おばけがかわいそう」
「そうか。何か用があるのかもしれないよ。お化けに聞いてみようか」
「うん。……ローサにようじですか? でもローサはいいこにしてたから、おばけはこないでほしいです。だめですか?」
いよいよ戸惑いの反応が大きくなった。
ガーランドが何をしに来たのかはわからない。
ただ様子を見に来ただけかもしれないし、もしかしたらランタンやリリオンを暗殺しに来たのかもしれない。だが、もしそうだったとしても、今はもう大丈夫だろうという確信があった。
ガーランドは出会った。その有り様はまったく違うが、自分と似た境遇のものと。
身を蝕むような孤独は、けれど突如、失われることもあるとランタンは知っていた。そして喪失に気が付くのは難しく、容易に喜びとはならず、それは長く戸惑いとなることも。
悪い方に転がりはしないだろうと思う。
ローサは良く育っている。
「たのもう!」
太い男の声である。
「千客万来。僕らは似たもの同士なのかもね。同時に思い立ったからこそ、あの日に地下で出会った」
ランタンは塀の角に健気に声をかけ続けるローサを一撫でして、門の方へと向かった。
そこにはすでに人が集まっており、一人の偉丈夫が剣一本携えて仁王立ちになっている。
予想通り、それはハーディだった。
潰した鼻はすでにほとんど元通りになっているが、髭は斑だった。一面の焼け野原に、ぽつぽつと芽が出たような無精髭で、変に伸ばして整えた髭よりは似合っている。
ランタンを見つけるとハーディはにっと歯を剥いて笑った。旧知に出会ったように大きく手を振って呼びかける。
「おおい、ランタン。入れてくれ。通してくれなくて困っている」
「知らない人です。追い返して」
「おいおい、待て待て。つまらん冗談を言うな。ほら、言った通り知り合いだろう。入るぞ」
「強引な」
「この前のお前には負けるよ」
ランタンは溜め息一つ、ハーディの巨体をどうにか押し止める衛兵に告げる。
「いいです、入れて下さい。何の用? お茶の用意してもらおうか?」
「いや、それには及ばん。すぐ帰る」
「この前の続きでもしようっていうの?」
「ああ、そうだな。似たようなものだ」
ハーディは不敵な笑みを浮かべ、どんと胸を叩いた。
「我が名はハーディ! リリオン殿をお目にかかりたく参上した! リリオン殿はおられるか!」
王都の端まで届きそうな馬鹿でかい声だった。もちろん裏庭にいるリリオンに声が届かぬはずがない。
「何を考えて――」
「貴様が惚れた女を見たいと思ってな」
ランタンが何かを言い返すよりも早く、リリオンが顔を覗かせた。
きつく編んだ三つ編みに、薄手の稽古着を身につけている。肌は汗に濡れて、いくつか解れた髪が張り付く頬は赤味を帯びている。左手に携えるは抜き身の銀刀だ。
手下のようにぞろぞろと騎士が随従している。
ほう、とハーディが瞠目した。
「なるほど、命を張る価値はありそうだ」
「――なにかご用ですか?」
リリオンはまずランタンを見て、それから怪訝そうにハーディに視線を向けた。少しの気怠さが見られるのは、訓練の邪魔をされたからだろう。
「俺はハーディ。リリオン、で間違いはないだろうか」
「そうですけど、何ですか?」
「三度の名乗り失礼する」
ハーディはおもむろに鞘を払った。
「我が名ハーディ。戦いを求める者。強きを求める者。戦士リリオンに力比べを申し入れる」
「……ランタン」
リリオンに困ったように名を呼ばれて、ランタンは場違いにも少し嬉しい。ランタンはハーディを指差して、リリオンに告げる。
「巨人と戦うに相応しいとされる選別の一位。実際強い、すごく」
「あなたが」
リリオンは少し目を見開くだけで、あくまでも冷静だった。そう、と一つ呟く。
冷静のように見えた。
「あなたがランタンに怪我をさせた人ね」
リリオンに事実は告げなかったが、なぜだか少女はそれを知っているようだった。ランタンは驚き、リリオンを見つめるが、少女の視線はハーディに向けられている。
「力比べ。かまわないわ」
「ありがたい」
ハーディはあの時と同様に。肉体に気を巡らせる。喝采など不要と言わんばかりに闘気を練り上げ、両手に握った柄を絞るように構える。
リリオンは銀刀を左肩に担いで、右半身にやや腰を落として構えた。
ランタンの知るリリオンとは少しばかり雰囲気が違った。
「行くわ」
リリオンはわざわざ宣言をした。だというのにあらゆる気配を身の内に封じて、初動の気配をまったく読めない。厚みこそ違うが背の高さは似ていて、互いの距離は四歩程度だろう。
それは無いに等しい。
時間が止まったみたいに両者が動かず、それは一瞬の出来事だった。
何の前触れもなくリリオンが踏み込んだ。庭の石敷きが三つ同時に捲れ上がり、リリオンはすでに腰を切っている。
左肩から浮き上がった銀刀は鋭い弧を描く。
ハーディは最初から受けを意識していた。後の先を取ろうという考えではない。ただ力比べをするために意識の一切を受けに回している。
ゆえに間に合った。でなければ間に合わなかった。
それほどの速度で銀刀が斬って下ろされる。
ランタンの戦鎚を受けて不壊。ハーディの剣が高い音を立てて切断される。
一撃は鎖骨を割って、真っ直ぐ振り抜かれた。
誰もが息を呑む。
「すごい……!」
リリオンが呟く。
「それはこっちの台詞だ」
並の戦士ならば上体を縦に二分割されていただろう。ハーディは鎖骨を割られた瞬間に、体を引いた。
鋒は胸板を舐めたが、傷は肋骨にさえ至っていないだろう。ハーディは血を流す胸元を押さえ、苦々しく折れた剣を見つめる。
「――一つ聞く。なぜ巨人と戦おうと思ったのか。自らの内に流れるその血を憎むがゆえだろうか?」
「そんなときもあったけど。憎んでなんか、今はいないわ」
「ならばなぜ?」
「するべきことをするだけよ」
営み、とリリオンは言う。




