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空は見えない。
見上げても視線を遮る天井と、火台にくべられた炎があるだけだ。
舞台の上で無数の星が瞬いた。長大な星の寿命を、限りなく圧縮したような一瞬の燦めき。
鼓膜を震わせる金属的が轟音と、釘付けになった数多の視線を焼くような火花の数々。
ランタンとハーディが互いの獲物を舞台上で打ち合わせている。
腕に浸透する衝撃は、ハーディの腕力そのものだった。
ランタンはほとんど小手先で戦鎚の角度を変え続ける。最小限の動作と、適切な角度の維持。それができなければ遅れてしまう。一つの過ちが致命的な状況を招き寄せる。
戦鎚は一つ打ち合うごとに、地平の果てまで吹き飛ばされそうな衝撃を受けていた。
体温が伝わるほどの距離。半裸になったハーディは汗を迸らせている。
この距離でさえ打ち合う鋼の音色が遅れて聞こえてくるようだ。
この男ならば巨人をも圧倒するかもしれない。栄誉ある舞台で戦うにきっと相応しいだろう。
ランタンは荒れる呼吸を押さえつけながら思う。心臓が破裂しそうだ。ひたすらに加速し続ける心音は、まさか胸の高まりではあるまい。
押さえつけていた呼吸が一つ暴れる。
ぷ、と場違いな笑い声を一音だけ噴き出してしまった。ランタンは慌てて唇を結んだが、ハーディは怪訝そうにして、攻め手が一瞬だけ鈍った。
しかしその隙は見逃すしかなかった。攻め入るには狭すぎる。
ランタンは更に意味深な視線を投げかける。ハーディの思考を少しでも濁らせようとする。
「はあ!」
迷い、を振り切るような一撃が来た。
ひときわ激しく打ち合った。いんいんと鋼が鳴いて、全身に痺れが走った。踏ん張った足が滑って、舞台の端まで吹き飛ばされる。
わあっと観客が身を乗り出して手を伸ばした。
ランタンを掴んだり、肩や背中を叩いたり、舞台から落っこちないように押し返したりする。馴れ馴れしい。
この心音は、もちろん胸の高まりではない。
だが、もしかしたら感動しているのかもしれなかった。
ハーディの力量に。
伸ばされた手が引っ込められる。
ランタンが頭上に見送った剣が、観客たちの鼻先を掠めていった。何人かは鼻が低くなっただろう。
ハーディの剣技は無骨ながら、華やかだった。太く、重い。たっぷりと墨をつけた筆を走らせるみたいな粘りと滑らかさを持っている。
大らかで、だが遅くはない。
この力。
この剣。
ランタンは何十、何百と打ち合う内にわかってきたことがある。
ハーディのそれは実戦の中で構築された技だった。
そもそも小物を相手にしない。
敵が常に強大であることが宿命づけられているような、そして人前で戦うことが宿命づけられているような身のこなしだった。
身体を大きく開く。剣を高く振り上げる。振り抜いたあとに残心とも違う余韻が残る。
自惚れではなく、自信に満ちており、それらの動作は無駄のように思えて不思議と隙にならなかった。
ハーディが剣を振るう度に、観客たちが声を嗄らして盛り上がる。
意識的にやっていることではないだろう。
どちらにしろ恥ずかしがり屋で、迷宮に引きこもりがちなランタンとはずいぶんと違った。
大股で距離を詰める、その追い詰め方が堂に入っている。
舞台の使い方にも一日の長がある。
剣を戦鎚で受ける度に、ランタンはその刃が次第に命に近付いてくるのを感じた。
ハーディの使う剣にはさしたる特徴がない。
竜皮を巻いた柄に、装飾のない小振りの鍔。両刃の刀身は刃渡りと厚みこそあるものの、それは一般的な両手剣をハーディの体格に合わせて拡大すればそうなるだろうというものだった。
ランタンは微かに懐かしさを感じる。リリオンに最初に買い与えた大剣によく似ていた。
それはありふれた両手剣だ。
だというのにその剣はランタンの戦鎚と打ち合って折れず、欠けず、歪みもしなかった。さぞ名のある職人の造作だろう。そして長く連れ添ったに違いない。
ハーディはそれを肉体の延長としている。
歓声を受けて活性化した魔精が、剣に血管や神経が通っているみたいにその鋼をより強固なものにしている。
竜殺しという渾名は、それなりに格のある竜種を討伐しなければそう呼ばれることのない渾名である。
それなりというのは、成熟したと言い換えてもいい。そして成熟した竜種は全身を覆う万枚の鱗の全てが刃を通さぬ無敵の鎧であった。
もし竜殺しのエドガーがこの世に存在しなければ、ハーディこそがそう呼ばれていただろう。
もう何度目になるかの競り合い。
ハーディの肉体が膨らみ、ランタンの肉体は頑なだった。
感動は、もしかしたらハーディもしているかもしれない。
ランタンには鱗は疎か、髭の一本も生えてはいない。
今までハーディが対決してきたどんなものよりも小柄であり、戦鎚を支える腕の細さは自分と比べるといっそ哀れなほどだ。
だというのにもかかわらず、自分の攻撃を尽く受けきってまだ余裕を残しているのがわかる。生意気で、小癪であった。
底が知れない。
底を見たい。そう思わせる。
「よくやる!」
後ろ足に残した重心に気が付くのに、ランタンは遅れた。
受けた一撃の軽さに踵が浮く。ランタンの重心が前掛かりになった瞬間、ハーディは剣に体重を乗せる。
圧。
ハーディが体格差をそのまま有利に使ってランタンを押し込んだ。ランタンの足裏がべったりと接地して、膝が危うく爪先より前に出そうになる。
天井が落ちてきたかという圧力だった。
両手で捧げ持つように戦鎚を掲げ、どうにか剣を止めている。だが腰がじりじりと反り返り、そのまま後ろに倒れてもおかしくはない。
だがランタンは戦意衰えぬ眼差しで睨みつける。
向けられた賞賛は、相手方の余裕の表れだった。
両者武器を手にしてからはハーディの方が戦闘を有利に進めていた。
ランタンは自分よりも体格に優る手合いとの戦闘には慣れている。リリオンやベリレの相手もよくしていた。ランタンの最適な間合いは相手にとっては近すぎで、懐に潜り込んでしまえばこちらのものだった。
だがハーディの懐の深さは並ではない。
無手の時にはまだどうにかなったが、獲物を手にしてからのハーディの懐は一気に遠のいた。
互いに興奮の作用だろうか、割れた額から流出した血はすでに乾きはじめ、傷そのものに薄い膜が張って塞がりかけていた。
ぎりぎりと奥歯が悲鳴を上げて、力を込めるほどに皺の寄った眉間で乾いた血に罅が入る。
ぎりぎり、ぎりぎり。
それは奥歯の鳴る音か。
戦鎚に交差する剣が、超鋼たるそれに僅かながら食い込みを見せ始めていた。
圧し斬られる。
ハーディが鼻息を荒くする。
「見せてみろ。俺に! あの頭上に輝いた――」
目が血走ってぎらつく。
ランタンがこのままでは終わらないと確信していた。
誘いだ。
だがそれが最善であることは間違いがない。四肢を封じられている今、ランタンのとれる手段は少ない。
すでに炎色に染まったランタンの瞳が、より一層明るくなった。
熱気が、破壊の予兆のように互いの肌を焦がした。
ランタンは獣のように唸った。
ランタンは天邪鬼だった。
ここぞという瞬間に、全身を弛緩させる。
受け身の事など考えず、いっそ失神したみたいに後ろに倒れる。剣は食い込むがゆえに戦鎚に追従し、ハーディは力を込めるあまり引き込まれるように前傾する。
裏切られ、慌てた目つきにランタンは笑いそうになる。
そんなランタンは無様なほどに尻餅をつき、ごんと音が鳴るほど後頭部を打ち付け、そして尾骨から頭蓋に浸透する舞台の硬さを背筋で踏み抜いた。
時間が遡ったようにランタンの身体が起き上がりかけ、動揺を殺しながらハーディが圧力を高めた瞬間、それは爆ぜた。
完全に虚を突いた。
発生の瞬間は、ランタンの胸の内に秘匿されていた。
水月のあたりから膨らんだ炎は一瞬でランタンを包み込んで、卵の殻のように無害だった。小躯をすっぽり覆い隠したその瞬間までは。
火球は更に膨らんで、殻が割れた。
生まれたのは荒れ狂う炎だった。
「ぐっ――!」
呻き声は途中で焼けた。
この超高熱波の中で、恐るべきことにハーディは目を見開いている。毛の一筋、血の一滴、神経の一本、細胞の一粒に至るまで魔精が浸透しきっている。
白く灼ける光の中で、ハーディはまぎれもなくランタンの姿を追っていた。
刃はすでにランタンを捉え損なっている。剣は炎を切り裂き、鋒が溶融した舞台に埋まっていた。それを杖のようにして支えていた身体を、ハーディは左回りに旋転させる。
「よくやる」
今度はランタンが言った。
ランタンは最小半径を回り込む。だというのに視線を振り切れなかった。ハーディの灰色の瞳の中に、自分の姿が反射している。
ランタンは踏み込む。ハーディが反応した。
鋒は届かない。だがランタンになにかが迫った。
溶岩だった。
鋒で溶けた舞台を引っ掛けたのだ。
眼前に迫る。ランタンは地を這い、頭上に躱す。戦鎚を左に突き出す。斬り返しの斬撃を弾いた。溶岩の次は、蹴り足が眼前に。
それはランタンを捉えなかった。
蹴りは炎を吹き消して、ランタンの姿も消えていた。ハーディの口元に笑みが。
それは頭上に輝く。
ハーディは知っていた。見ていた。
その光はハーディの灰色の瞳に焼き付いていた。
彼もまたあの戦争に身を投じていた。だが彼の外見にはまったくの変化がない。似合わぬ髭も、自分の意志で生やしたものだ。
それもまた英雄の資質だろう。
他者の意識を受け取って揺るがぬ、強固な自我。
剣は戦鎚に弾かれた衝撃を残している。裸になった上半身が黒ずんでいるのは、汗が熱されて塩になり、焦げ付いたからだ。
蹴り足を舞台に下ろすが速いか、ハーディは頭上に剣を振り上げる。
英雄の剣が光を切り裂いた。
手応えは。
ない。
問答無用に、選択の余地もなく誰もが目を奪われる。
それもまた英雄の資質だろう。
誰もが目を奪われる光を置き去りにして、ランタンはすでに舞台を踏み締めている。
それでも虚を突けたのは一瞬で、ハーディは剣を振り下ろす。柄頭でランタンの頭蓋を打つように。
そういう距離だった。
ランタンの距離だった。
戦鎚が跳ねた。ハーディが左の素手で戦鎚を受ける。ぱきんと手の甲が割れる音がする。片手を犠牲に戦鎚を捕まえようとするが、それはするりと逃げてゆく。
轟。
ランタンの攻撃の全てに爆炎が付随した。
爆発によって加速して、爆発によって切り返す。あらゆるものを置き去りにして、あらゆるものを破壊する攻撃だった。
ハーディは辛うじてそれを受けるが、受ける度に剣は弾かれて巨躯の正中線がその度に開かれる。全身に張り付いた塩の結晶が、ばらばらと散らばった。崩れゆく石像のように。
ランタンが真っ直ぐ縦に戦鎚を振り下ろした。
ハーディは両手で柄を握る。そうしなければ中心を抜かれる。
「ぐぐぐぐっ」
ハーディは片膝をついて、驚愕の眼差しでランタンを見つめる。あまりにも重すぎた。
すでに速度は失われて、鍔迫り合いになっている。両手にかかる負担はランタンの体重を倍にして足らず、竜種に踏みつけにされた時を思い出す。
「化け物め……!」
すでに賞賛ではなく、感動だった。
「それの方が、聞き馴染みが、ある」
ランタンは更に力を込めた。
ハーディは全身を赤くする。血管が太く、筋肉が膨脹して強い力で押し返してくる。
力比べでは負けるだろう。ランタンは自分をかなりやる方だと認識していたが、世界は広いとあらためて思う。色んな人間がいる。
だが負かす。
きっと参ったとは言わないだろう。この強い男は。
だからこのまま地べたに這いつくばらせて、半分焦げたその髭を全部引っこ抜いてやる。
人前に出られない姿にしてやればいい。
爆炎を。
「ランタンさま!」
歓声の中ではっきりとルーの声が聞こえた。
いいところだったのに、と水を差される。
なんだなんだと振り向く余裕もなく、首筋迫る冷ややかな気配にランタンは舌打ち一つ。
押し潰そうとしていたハーディを身代わりにするように体を入れ替える。
二筋の剣線。
「どぅえい!」
ハーディが変な声を上げて剣を掲げた。振り抜かれた二刀を受け止める。
「お前は」
それにランタンほどの圧はないのだろう、だが慎重に、ゆっくりと立ち上がる。
ランタンはそんな隙だらけの巨大な背中を見て、やりたい放題にできるなあ、と思うのだが、こうも無防備に背中を晒させると攻める気も起きない。
ランタンはゆっくりと後退って間合いを外した。
「邪魔だって、言ったように思うのだけど」
ランタンに、そして今はハーディと斬り結んでいるのはガーランドだった。ルーに任せていたが、どうやら体力も回復したらしく、舞台に舞い戻ってきたようだ。
最初にランタンを狙ったところを見るとかなり怒っているらしかった。
フードの影から鋭い眼光が飛んでくる。
「礼は言わん。しかし、そうか、お前との決着もまだだったな」
ハーディは呼吸を整えながら、そう言った。ハーディの腕力ならばそのまま圧し斬れるだろうに、わざわざ仕切り直すようにガーランドを突き放す。
いや、それをしなければならなかったのかもしれない。
ハーディは腹部を撫でる。火傷とも違う、赤い蚯蚓腫れができていた。ガーランドは何か暗器を使用するのかもしれない。
三人はそれぞれ間合いを取って、三竦みのような状態になっていた。
「乱入ってありなの? やめてよ、もうそろそろで終わりそうだったのに」
ランタンが溜め息交じりに文句を言うと、二人揃って激昂する。
「はああ!? 馬鹿を言うな、あそこから俺ぁ大逆転するんだよ!」
「どの口が言うか! そもそもお前こそがっ!」
「やっぱりお姉さんで合ってたか」
フードの下から吐き出されたガーランドの声はまぎれもなく女のものだ。少し枯れたような響きがあるが、老いているわけではない。
「こまったな」
ランタンは手遊びするように戦鎚を回転させる。戦場に不釣り合いな冷気が肌を撫でた。
それはガーランドから放射される殺気であり、また実際の冷気でもあった。
「まさか女には手を上げないとでも言う気じゃないだろうな」
「残念だけど、僕はそんなに優しくはないよ。――ただ、ちょっとね」
互いに牽制をし合っていた。
共闘してまず誰か一人を下そうなどという考えは誰一人として持っていないようだった。一方に襲いかかれば、他の一人がその隙を突くだろう。
「お姉さんも、巨人と戦いたいの? どうしてそんな面倒なことをしたいの?」
「……認めさせるためだ」
「認めさせるため。そこのお髭と同じ? そんなに有名になりたいもんかな」
ランタンはちらりとハーディに視線を向ける。
「そんな奴と同じにするなっ!」
不愉快さを隠そうともせずにガーランドが吐き捨て、まず初めに動き出した。
二振りの海賊刀。鱗の剥がれた外套が翻り、足よりも速く地面を這ったのは液体だった。
水の魔道だ。舞台上の格子模様に流れを作り、浸食するように広がってゆく。そしてそれはランタンたちの爪先に触れて凍り付く。
氷縛。
ランタンは爆発でその氷を溶かし、ハーディは力任せに引き千切っている。
二刀の連撃を防ぎ、ランタンは二人から間合いを外す。ガーランドはそのままランタンを追おうとするが、ハーディは手近な彼女に斬りかかった。外套が裂け、まだ残っていた鱗が再び弾ける。
隠されていた女の肢体が裂けた外套から零れて見えた。
「ふん、おかしな身体を持っているんだな」
無遠慮にハーディが言う。
ガーランドはとっさに外套の前を合わせ、凍り付かせることでそれを閉じた。
「見たなっ!」
「見たとも。なるほどそれを認めさせるのか。それは難儀なことかもしれん。が、見られることを嫌がっているようじゃあ難しいだろう」
それは人にして、人ならざるものの身体だ。しかし戦争で発生した変化とはまた違う。
ランタンはそれに近しいものを見たことがあった。
サラス伯爵の蒐集品。それと同じ雰囲気を携えていた。
ガーランドの肉体は透けるようだった。半透明で、だが不思議と骨格や内臓が見えるわけではない。もしかしたらそれはないのかもしれない。ただガーランドの腹が透けて、外套の裏地がぼやけて見えたのは確かだった。
「それ、なんで?」
サラス伯爵の蒐集から逃げ出したのか、それともまた別口で作られたのか。
「知るかっ!」
ガーランドが斬りかかってくる。高速の二刀流。制圧するように前進して、ハーディほどの重さはないがとにかく速い。
海賊刀ばかりに気を取られると、魔道が牙を剥く。水と氷。ランタンが爆発を使うと、大量の水蒸気になって視界が霞む。
だからこそ見えた。だが戦鎚は間に合わない。接近するそれを。左手で弾いた。ぶにょぶにょした感触とちくりとした痛み。
ガーランドの袖口から、なにかが伸びていた。
ガーランドは透明人間かと思ったがそうではない。
透明触手人間だ。
ランタンは距離を空ける。刺された部位を口に含み。噛みながら毒を吸い出した。
「認めさせるために、か。なるほど、もっと困ったな。切実だ」
リリオンやローサ。
認められずに苦しむ姿はよく知っている。そのためにガーランドは足掻いている。
「お前の理由は何だ」
ハーディが不意に尋ねる。
ランタンは曖昧な表情を作る。
「別に、なんだっていいじゃん」
「なんだその態度は。あの巨人族と戦おうというのだ。まさか人に言えぬ理由などあるまい!」
「……べっつに、僕は巨人と戦おうなんて思っちゃいないよ。どうでもいいだろ、理由なんて」
「よくはない! 理由なき戦いなど不毛だ! 理由を持たぬくせに、これほどの力を発揮するなど信じられん! お前とは初めてやり合うが、もうそこらの奴よりは理解したさ。何を隠している。恥ずかしがることもなかろうよ」
ランタンはむしろ追い詰められるように、踏み込んだ。
爆発を使ってガーランドを牽制し、ハーディを戦鎚で横殴りにする。
ハーディは一足で間合いを外しながら、引き胴でランタンを迎撃する。手首を回して剣を巻き取り、そのままハーディの重心を崩して投げ転がす。
爆炎の消え際を狙ってガーランドが水弾を発射した。躱したランタンの外套に穴が空き、見えぬ触手が首筋を撫でた。
灼熱感。
「あの舞台に上がるのは私だっ」
「ちがう」
ランタンは首を傾け、触手を首筋に挟み込む。灼熱感が冷気に変わる。挟んだまま身体を反転させてガーランドを引き寄せ、返しの戦鎚で水月を抜いた。吐瀉物を撒き散らしながら、舞台の端まで転げてゆく。
「おうともよ、舞台に上がるのは俺だ!」
「ちがうっ」
上段の切り落とし。ランタンはそれを腕で受けた。肉を断たれ、骨に当たり、骨から肉を削ぐようにして剣筋を逸らす。前腕がべろんと捲れ、さすがのハーディもぞっとしたように目を見開く。
その目に映ったのは硬く握られた拳だった。
鉄鎚。
追撃の爆発がハーディを吹き飛ばす。鞠のように舞台を跳ねて、潰れた鼻から行き場を失って逆流した鼻血を口から吐き出す。髭どころか眉や睫毛も焼けてなくなった。
「ちがう。舞台に上がるのはリリオンだ」
ランタンは舞台の中心にあり、二人は端まで追い詰められ一種の畏れと不理解によって表情を強張らせる。
「リリ」
「オン?」
ガーランドが口の中で転がし、ハーディがはっとする。
「ランタンの相棒、半巨人の女リリオン」
「半じゃない」
ランタンは捲れた肉を腕に張り付け、ぎゅうぎゅうに縛る。
「四分の一だけだ」
「……女のため?」
まさかまさかというように、ハーディが呟く。
ランタンはしばらく黙っていたが、ちがう、と否定した。
「――ただの女じゃない」
大好きな女の子だ。
「だから悪いが巨人と戦うのは諦めてもらう。英雄になるのも、認めてもらうのも別のやり方でやってもらう。諦められないなら死んでもらう」
ランタンはそう宣言して、少年が身に纏った熱気には恥ずかしさからくるものも混じっていただろう。顔が耳まで赤く、今までよりも容赦のない感じがした。恥じらいとはそういうものだ。
決意とはそういうものだ。
ガーランドはその馬鹿みたいな事実にむしろ気分を害したようだったが、ハーディは大いに笑った。
「なるほど、命を張る価値がある! すかした奴かと思ったが、なんだなんだ、そういう奴だったのか!」
だからといって引く気はなさそうだった。
再び剣を構え。
しかし決着はつかなかった。
「手入れだっ!」
誰かが叫んだ。
ハーディはあからさまに焦った表情をし、ガーランドは舌打ちをした。
ハーディの英雄狩りは、第一王子の計略かと思ったが、完全にハーディの趣味事であるようだった。
そして英雄たちは誘い込まれたのではなく、引き寄せられたのだ。
当局の手入れだった。この場所への通路はいくつかあったが、その全てから蟻の群のように騎士たちが流れ込んできた。
「大人しくしろ! 抵抗はするな!」
そう言われて大人しくするような奴は舞台の内外含めて誰もいない。すでに抗戦と逃走が始められている。
「逃げないとやばいな。捕まったら叱られるだけでは済まんぞ。そもそもの話がなくなってしまうかもしれん」
「へえ、そりゃいいや」
「なんでだよ!」
「僕を含めた三人が落選なら、僕の願ったり叶ったりだし」
「……まさかお前が呼んだのか」
ガーランドが忌々しげに言い、ランタンは首を横に振る。
「そう言う頭が働くなら、もっと上手くやってる。僕は結構、強引な方だよ。お姉さん」
ランタンはそう言って、ルーを呼び寄せた。ルーは混乱する人混みの中をするりと抜け出してくる。
「ランタンさま、どういたしましょう?」
「逃げよう」
「よろしいので?」
ルーはちらちらとハーディとガーランドを見た。決着をつけないのか、とそう言うことらしい。
「まあ、しかたがない。彼らはレティのお父さまの管轄だからね。全員ぶっ殺して口封じって訳にはいかないよ。冗談だよ。どちらにしろそんなことはしない。僕は平和主義者なんだ」
三人から疑惑の目を向けられ、ランタンは肩を竦めた。
「けれど、いくらかばかりは排除しなければ、逃げ出すことは難しいのではありませんこと?」
「そこらから出ようと思うとそうだね。リリララつれてこりゃよかったな。穴掘り得意だし」
観客の中にいた何人かの土の魔道使いが逃走経路をいくつか構築していたが、すでに渋滞が巻き起こっていた。
ランタンは天井を指差した。
「あっちから出よう。たぶんそんなに深くないし」
ランタンはルーに身を寄せた。ルーはいくらかも傷ついたランタンの身体を抱きかかえる。汗と血の臭い。戦いの熱気が伝わってくる。
ハーディが、おい、と声を掛ける。
「決着はまた今度だ」
「八割方決してたと思うけど?」
「勝負は最後までわからないものだ。今この状況も全てをひっくるめて戦いだ。――今度は、ただ戦おう」
「理由のない戦いは不毛なんでしょ?」
「上下を決める。男に生まれたからにはこれに優る理由はない」
「じゃあ巨人と戦うのは諦めて、そしたら考えてあげる」
「考えておく」
ハーディは身を翻した。あの巨体はどのようにも隠しようがないが、きっとどうにかするのだろう。
同時に背中を向けたガーランドに声を掛けずにはいられなかった。
「お姉さん、ティルナバンに行ったことは?」
「……ない」
「あそこは結構なんでもありだよ。最近は特に。お姉さんのそれも、珍しいで済むかもね」
「……信じられるか。お前も、リリオンというのも私の邪魔をするなら斬る」
ガーランドはその場で突如、外套を脱ぎ捨てた。
それは半透明どころではない。
ある程度、透明度を変化させることができるのだろう。
一見すると二振りの海賊刀が宙に浮いているように見える。意識すれば人型をした陽炎のような揺らぎを見つけることは難しくはないが、この人混みならば身を隠すのに充分だろう。
おそらく背を向けていて、そして振り向きざまの一撃をランタンに放った。
「怒らせちゃったかな」
ルーが重力を逆転させた。跳び上がるのではなく、天井に向かって落下する。その不可思議な動作を初見で追える者は少ない。ガーランドの一撃は空を斬った。
天井に着地してルーはほっと一息吐く。
「恐るべき使い手というのは、まだまだたくさん居りますわね」
「うんざりするね」
ランタンは天井にしゃがみ込むと、その中心に掌を押し当てた。
指向性を持たせた爆発が天井を穿つ。爆破は不要な破壊を発生させず、管を通したような穴を天井に開けた。
ルーはランタンを抱えたままその発破抗に身を躍らせて、見下ろす青空に向かって落下してゆく。
「世界は広いな」




