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カボチャ頭のランタン  作者: mm
11.Pray For You
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 日に日に問いかけの声は大きくなっていく。

 大海原へ旅立ったあの幽霊船はどこへ行ったのだろうか。

 日記といくつかの宝物と、そして古くなった保存食。ビスケットは重ねた紙のようになっていて、豆は塩漬けにされていたらしく黒いほどに茶色く変色していた。

 腐敗ではなく発酵だった。匂いはほとんどないが、微かな芳ばしさを感じさせる。見た目はよく言って泥の塊、悪く言えば草食動物の糞のようにも見える。

 ランタンはおもむろにそれを口に含んだ。

 それに驚いたのはリリオンだった。いつのもランタンだったら触るのも嫌がっただろう。仮に食べられる物だったとしても、持ち前の警戒心の高さからそれを口にすることはなく、むしろリリオンがそれを口に運ぶのを咎めるのがいつものやり取りのはずだった。

 リリオンは驚き、慌ててランタンの背中を叩いた。喉に詰まったものを吐き出させるみたいに、力一杯ばんばんと何度も叩く。

 ランタンはびくともしなかった。

 小さな大豆を前歯で半分に割り、舌と上顎の間で磨り潰し、それを味わっているようだった。

 大豆はねっとりとしてよく練った粘土のような食感だった。塩辛さよりも、旨味とこくが強く感じられる。

 その味はランタンに強烈な懐かしさを思い出させた。

 懐かしい。そう、それは確かに懐かしかった。

 どこからか。

 問いかけの声は日に日に大きくなっていく。

 それは自分の内なる声か、それとも外の声か。その区別は常に曖昧だった。

 あの幽霊船はどこからやってきたのだろうか。

 お前は、自分は、どこからやってきた、なにものなのか。

 背中を叩かれる痛みと、いっそ涙目で心配そうなリリオンの顔だけが確かなものだ。

 そのまま懐かしさに浸っていたら、リリオンはランタンの口の中に指を突っ込むか、あるいは吸い出そうとしたかもしれない。

 ――うるさいな。

 問い掛けに舌打ちをする。

 ――そんなものは、もうどうでもいいんだ。

 リリオンはランタンに寄り添っている。ランタンが背中に感じていた衝撃は、もう何日も前に感じたものだ。

 リリオンはランタンの背中に手を回し、身体を傾けてランタンの顔を覗き込む。

 心配そうな顔は、今も確かにある。

「わたし、心配だわ。やっぱり」

「なにが?」

 ランタンは夢から覚めたみたいな顔をして、目の前にあるリリオンの頬にそっと手を触れた。

 躊躇いが少しあるのは、自分自身の制御が覚束ないことを自覚しているからだった。

 このままリリオンを押し倒してしまうかもしれない、などと言うことではない。リリオンの頬を焼いてしまうのではないかという不安だった。

 時折、ランタンの内なる炎が意図せずして溢れ出す。

 真夜中にトイレに起きたランタンの燃える瞳にたまたま通りかかったメイドが怯えたり、朝食の冷製スープで舌を火傷したり、風呂に入っていたらリリオンがあっという間に煮えてのぼせてしまったり。

 しかし爆発の威力は上がっている。どれぐらいのものかと庭で試してみたら、それほど力を込めていなかったのに屋敷の外で騒いでいた抗議者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出すほどだった。

 力が漲っている。探索者の力の源は言わずもがな、魔精である。

「ランタン!」

「なに?」

「ぼうっとしてる。本当に大丈夫?」

「ダメってことはないよ。よく寝たし、朝ご飯も食べたし。ああでも、まだ少し寝たりないかも」

 ランタンは大きく欠伸をした。

 瞼を下ろすと、その裏側に妙な光景が映し出される。それは街並みだ。遥か上空から俯瞰したティルナバンの街並みをランタンは見下ろしていた。。

 それは哨戒飛行する飛竜の視界だ。

 雲の中に姿を隠し、その底を這うように飛行している。空気は薄く、凍てつくほど寒く、鱗を白く染める霜が体温に溶け、だが再び霜に変わる。使い込まれた手綱が柔軟性を失い、背に乗せている相棒が他人のように思えて落ち着かない。

 ただ空気が懐かしい。

 ティルナバンの街は霧に包まれている。薄いところと濃いところがあり、もっとも濃いのは領主館だった。台風のように渦巻いて、霧が集まっている。そういう渦が街の中にいくつかあったが、目に付くのは領主館ともう一つぐらいだ。

「――()った!」

「わたしを見て」

 リリオンの額が赤くなっていた。ランタンの額も赤くなっている。

 隣にいたはずのリリオンは、ランタンと向かい合っている。

 リリオンに頭突きをされて、ランタンの視界はリリオンで埋め尽くされた。白日夢を見ていたようだったが、自分は確かにティルナバンを上空から見下ろしていた。

 現在のティルナバン上空には、二十四時間、交代交代に何騎もの飛竜が哨戒飛行している。その内の一頭の視界を覗き込んだのかもしれない。

 不思議と驚きはなかった。人や魔物と戦う時、時折だが相手のことがよくわかることはこれまでもあった。戦場での感覚共有はそう珍しい話ではない。実際に体験した話は兎も角として、そう言う話を聞いたことがあるというものを見つけることは難しくない。

 もっとも遥か遠くにいる竜種の視界を知るなどということは初めてのことだったが、今のティルナバンに蔓延る魔精を思えば、そう言うこともあるだろうとは思えた。

「いつでも見てるよ」

 ランタンは答えた。リリオンは不服そうに頬を膨らませる。ランタンは言葉を付け加えた。

「見てる時は」

「むう」

 額の赤くなったところ同士を重ねて、リリオンはぐりぐりと擦りつける。

「わたし、今でもランタンと一緒に行きたいと思ってるのよ。ううん、ランタンに行ってほしくないと思ってる」

「でも行かないと。こんな格好までして、やっぱりやめたなんてそんな馬鹿な話なんてないよ」

 ぐっと力を込めて、額でリリオンを押し返し、ランタンは座っていたベッドから立ち上がった。スカートがゆらりと揺れる。

 こんな格好というのは女物の衣装だった。地味な暗色のドレスはどこか喪服に似ている。脛まであるゆったりとしたスカートは、その下に纏っている戦装束を覆い隠している。

 そうと知られず領主館に行くためだった。

 まったく膨らみのない胸元も、むしろそれが少女らしかった。

 だが目はやはり男のそれだ。

 ランタンの膝の間で膝立ちになっていたリリオンも立ち上がり、少女は自分の首飾りを外した。ランタンからプレゼントしてもらい、一度壊し、一度壊れ、そしてその度にプレゼントしてもらった水精結晶の首飾りだった。

 リリオンはそれをランタンの首に掛けた。

「いらなくなった?」

「なくしたら怒るからね。貸してあげるだけなんだから」

 ランタンの襟元を引っ張り、結晶を胸元に隠す。銀の鎖が肌に触れてひやりとしたが、先端の結晶は少女の胸の間で温められたらしく、ランタンの肌によく馴染んだ。

「ぜったいに返してね。好きな人からもらったんだから」

「――そういう恥ずかしい言い回し、どこで憶えてくるんだか」

「いひっ」

 リリオンは前歯を見せて笑った。

「返すよ。だからそんな心配しなくていい」

「ああ心配だわ、ああ心配」

「うるさいうるさい。もし壊しても買って返してやるよ」

「壊してもいいけど、ちゃんと帰ってきてね」

「さっさと片付けてくるよ」

 もし、こんな格好をしていなくても行く。

 ブリューズがこれから何をしようと知ったことではないが、やはりリリオンのことをあんな風にばらしたことは許しがたい。いずれその時が来るとしても、悪意を持って公表していい理由なんてない。リリオンは強く、へこたれなかったが、それでも、それでも。

 うだうだと考えたが、結局の行動原理はそれだ。

 リリオンはランタンの頭に金髪のかつらを被せた。黒髪と少年らしく鋭い顎の輪郭を隠す。

「あらー、かわいい」

「そりゃどーも」

「こんなに可愛いと誘拐されちゃうかもしれないわ。やっぱり付いていこうかしら」

 リリオンは冗談交じりに言ったが、きっとそれが本心なのだろう。

 飛竜の視界ほど鮮明ではないが、リリオンの心配が自分のもののようにランタンはわかった。

「まゆ毛、やっぱり変じゃない?」

「んー、そうかな。確かに黒いけど」

「剃るか」

 リリオンがちょちょいと前髪をいじってまゆ毛を隠した。目深な前髪は黒いドレスと相まって、ランタンの姿から現実感を喪失させた。どこかこの世のものではないような、稀薄ながらも奇妙に存在感のある雰囲気を醸し出している。

「うん、ランタンだってわからないわ」

「ほんと?」

「わたし以外の人には」

「なら充分だな」

 リリオンはランタンを触った。盲人がものの形を確かめるみたいに。

「心配してもいいけど、信じていてよ」

 リリオンは頷き、二人は手を繋いで部屋を出る。




 二つの世界が重なっている、

 馬車の窓を少し開くと外の空気が流れ込んでくる。

 少し埃っぽく、鉄っぽく、人の営みの匂いが混然一体となっている。それは日常の匂いだ。

 だがそれに混じって特別な臭いもある。例えば火薬っぽく、獣っぽく、暴力と魔精の臭い。それらは非日常、不条理の臭いだ。

 ティルナバンにある活気も、路地を一つ入り込めば静寂に支配される。二つの世界は表裏ですらなく、連続している。もし戦いが起これば不条理は日常となり、穏やかさは非日常へと押しやられるだろう。

 魔精の香り。

 雑多な人の意思に染まった、不確かな匂いがする。

 神経質になっているな、と思う。

 ランタンは窓を閉めて、窓枠に肘をついて目を瞑った。目蓋の裏は真っ黒で、一眠りするにはちょうどよかった。

 そんなランタンを見て、同席しているアシュレイが溜め息を吐く。

「図太い神経をしているな」

「やることないですし。なにかお話でもしますか?」

 ランタンは片目だけちらりと開いた。

 馬車に乗るのはランタンとアシュレイ、そしてテスとルーだった。

 アシュレイは緊張を隠そうとしているが、隠しきれずにいた。

 居住まいは一見落ち着いているが、膝の上で指を何度も組み替えている。爪が白いのは血の巡りが悪いからだろう。

 ルーとテスは大鎧に身を包んでおり、女らしい身体の輪郭はまったく隠されている。なるほどこれならば姿を見られたとしても、中に女が入っているとは思うまい。

 ルーは着慣れぬ鎧に着られている感じがして落ち付かなげにしており、テスも似合わぬ大鎧が不満らしく、育ちすぎた瓜のような兜を憎々しく眺め回している。いつもの犬頭の兜では鎧を身につけている意味が無くなってしまうのでしかたがない。

 テスが兜からランタンに視線を動かした。

「リリオンとはどこまでいったんだ?」

「迷宮最下層まで」

「そういう冗談はよろしい。ちゃんと男になったか?」

「……場末の酒場のおっさんじゃないんだから」

「なに、これから大変な戦いに挑むんだ。命を預ける相手に隠し事はないだろう。なあ、どうなんだ。減るもんじゃあるまいしいいだろう」

「げ、しつこい。ほんとに一杯引っ掛けてきたんじゃないでしょうね」

「もちろん素面だ。それで」

「じゃあ余計たちが悪いですね」

「まあな」

 テスは混ぜっ返すように、くふふと笑った。

 張り詰めていた空気が少し和らぐ。

「しかし口を割らないとなるとつまりはまだなんだな」

 ランタンはそっぽを向いて無視をする。

「それはいかんな。無事にリリオンに返してやらねば。でなければあの子は一生、女の喜びを知らんままだ」

 テスは大真面目な顔をして頷いた。アシュレイも緩み掛けた口元を再び引き締める。

「わかっている。子供らに未来を見せるのが我らの義務だ。義務を放棄した兄を諫めるのは肉親のけじめだろう」

 黙っていたルーが兜を被る。その直前にちらりとランタンを見た。この中でランタンに次いで、あるいは同じぐらいに魔精感度が高いのはルーだろう。領主館に近付くにつれ、ともすれば魔精酔いを起こしかねないほどの魔精に不吉なものを感じているのだ。

 領主館の近辺は物々しい雰囲気が漂っている。物乞いや陳情者や愛国主義者や革命戦士や銃士隊などで賑わっていた。馬車が近付くと警戒がひどく強まる。

 馬車のまま領主館の内に乗り付けることはできない。制止を受け、中を検められる仕組みになっている。それはアシュレイが同乗していても例外ではなかったし、許可が下りても馬車が近づけるのは門の前までだった。

 そのはずだった。

 だからランタンはこのような格好をしているわけだし、テスとルーも大鎧に身を包んでいるのだ。

 門の前に銃士隊が集まった。物乞いや陳情者や愛国主義者や革命戦士たちを蹴散らして、一本道を作り出す。閉ざされていた門が、開かれた。御者が馬車の内に戸惑いを伝える。

「お見通しというわけだな」

「……このまま進め」

「あーあ、何のためにこんな格好をしたんだか」

「似合っておりますわよ。ランタンさま」

 兜の内からルーのくぐもった声が聞こえた。似合ってどうすんだよ、とランタンは思わなくはない。

 ちゃんと男になれば、こういうのが似合わなくなったり、髭が生えたり、背が伸びたりするのだろうか。

 馬車が門を通り過ぎると、門は再び閉ざされ外への道が塞がれた。

 ランタンが、すん、と鼻を鳴らす。

「魔精が濃いな」

「ええ、そのようですわね。迷宮のような、でも」

 でも何とも言えない違和感がある。

「ルーも脱げ。こんな格好、動きにくくてかなわない」

「はい」

 テスが早々に大鎧を脱ぎ始めた。馬車の中は狭く、ランタンの膝の上に兜が乗せられる。鎧は服のように畳むことができない。四人乗りの馬車があっという間に六人乗ったように、ぎゅうぎゅうになる。おかげでランタンの着替える隙間がない。

「あー……」

「似合っているのだからよいではないか」

 ランタンは取り敢えずスカートの下に隠していた戦鎚と狩猟刀を腰に差し直し、かつらを脱いだ。乱れた髪を手櫛で整える。せっかくリリオンにしてもらったのに、と少し思わなくはないが、アシュレイの見事な金髪と比べると脱いでよかったと強く思う。

 入り口の前にどうにか馬車が到着した。

 馬はひどく怯えている。馬車から降りると、耳が痛くなるほど静かだった。噴水から流れ落ちる水の音だけが聞こえてきて、門の外の騒がしさが嘘のようだった。

 世界は連続している。だがここはどうだろうか。

 まずテスが、次にルーが、そしてランタンが降りて、最後がアシュレイだった。

 ランタンはドレスを脱ごうとしたが、入り口に立っていた戦士が近付いてきて声を掛けてくるので、それを中断せざるをえなかった

 ずいぶんと立派な装備を身に付けているし、彼の象徴的な装備である大剣がなく、長銃を背負っているので一瞬、誰かわからなかった。

 それはトライフェイス副長のギデオンである。

 近衛兵に抜擢されたのも彼の実力ならば頷けるが、それが似合っているかといえばそうではなかった。身のこなしはやはり探索者のそれで無骨である。

「よくき、……た?」

 ギデオンはランタンの姿を見て、鋭い狼の目を丸くしている。

 来ることはやはりわかっていたようだ。だがどのような格好をしてくるかを知りはしなかったようだ。

「お前、女だったのか!?」

「……見てわかりませんか」

 ランタンはやけくそになって無い胸を張った。

 背後で噛み殺しきれぬ笑い声が聞こえる。

 こんな風に笑えるのも、取り敢えずはここが最後だろう。


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