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カボチャ頭のランタン  作者: mm
11.Pray For You
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231

短い。

231


 ティルナバン全土を震わせた、あの衝撃が夏のはじまりだった。

 それは貧民街を木っ端微塵に粉砕する一撃だった。

 それは貧民街の内側にあった命と魔精のすべてを呑み込んで生み出されたのかもしれず、あるいは転移結晶によってどこからか召喚されたのかもしれず、けれどランタンのようにごく一部の人間だけはそれが自然に発生したものではなく、人為的に発生させた現象であることを知っていた。

 しかし発生した現実を前にして手段を考える余裕など誰にもありはしなかった。

 貧民街が巨大な卵であったかのように、太古の化け物を封印する地獄の蓋であったかのように。

 あの日、あの瞬間、現世に顕現したそれは誰の目にも明らかに一人の、一匹の巨人であった。

 その巨大さはどれほどだっただろうか。

 その骸がどこかへと運び去られた今となっては正確なことはわからない。

 判明していることは極北にある巨人族の国に住まう本物の巨人よりも遥かに巨大であったと言うこと。だが本物の巨人を見たことがある人など、ほんの一握りの少数だ。違いなどわかりはしなかった。

 その大きさは上街と下街を分断する隔壁の頭上を越えて、上街側からでさえその威容を目にすることができるほどだった。

 しかし畏怖と衝撃によって人々の口に伝えられ、吟遊詩人の弦の音によって遠くまで運ばれる戦詩の中では、その一歩が山脈を跨ぎ、振り上げた斧の先端によって陽が欠けたとさえ伝えられている。

 突如現れた巨人という存在は、あからさまに誇張されたそれが一種の真実味を帯びるほどの衝撃を人々に与えたのだ。

 本物の巨人ではなくとも。

 だがそれでも太古から連綿と受け継がれる遺伝子に刻み込まれた記憶が、その存在を恐怖した。

 誰もが見上げ、それを世界の終わりだと思ったのも冗談ではなく、青ざめた顔に絶望が広がった。

 だがそんな人々の中で、もっとも素早く正気を取り戻したのはやはり探索者であった。

 遺伝的恐怖は巨人を見たからか、それとも圧倒的な魔物を見たからか。

 ――おそらく一部の探索者や、貴族はそれを、巨人が出現することを知らされていた。

 巨人へと最初に立ち向かったのはギデオン率いるトライフェイスの一団であった。

 近接戦闘員は選び抜かれた精鋭の一握り、他の者たちの装備は最新式の弩に長銃、鯨漁もかくやという投げ槍部隊、そして虎の子の魔道使いたちを惜しげもなく動員していた。

 対超大型魔物戦闘を想定した部隊編成だった。

 探索者がいくら常在戦場の戦士の集まりだったとしても、あまりにもできすぎていた。後に調べれば、トライフェイス所属の探索者の大半がたまたま偶然にも休暇中であったという。

 トライフェイスの奮戦が始まると同時に、巨人の首を取った者に莫大な報償が出ることが広報された。怖気を忘れるほどの、自らの命に何の価値もなくなるほどの報償だ。これによって身の振り方を見極めようと静観していた探索者がこぞって対巨人戦闘に参加することになった。

 これについては後に賛否が巻き起こった。

 その結果、多くの探索者が命を落としたからだ。巨人を前にして数など何の手助けにもならなかった。報償がなければ失われなかった命である。

 だが報償があったからこそ多くの探索者が参戦し、数の中に使える探索者の割合が増え、その結果として巨人の早期討伐がなされたという見方もできる。

 報償がなくとも戦える者は戦っただろう。結果死ぬのならば一矢報いてやろうと思うのは探索者ならば当然のとこだ。たまたま地上で多くの命が失われただけで、それは日頃、迷宮で失われている命である。

 その死は可視化したか否かの違いでしかなく。そもそも迷宮崩壊戦でも似たようなものだ。哀しみはもっともだが、いちいち騒ぎ立てるほどのことではない。

 議論の中で繰り返される言葉はそういうものだった。

 賛否はあったが、ブリューズの対応の早さを認める意見の方が圧倒的に多いのだ。まるで知っていたかのような迅速さだ。ブリューズさまには千里眼があるに違いない。そういった賞賛の言葉は揶揄ではなく、本気だった。

 巨人を見て心臓発作を起こしたとか、絶望のあまり自刃したとか、逃げる際に転んで頭をしこたま打ち付けたとか、そういった間接的な死はあったが、一般市民が巨人の直接攻撃に巻き込まれて命を落とすことはなかったからだ。

 それに多くの探索者は死んだが、死者の数は苛烈な戦いを思えば少ないと表現することもできた。

 後にティルナバン巨人血戦と呼ばれるこの戦いで大きく名を上げたものは三つ。

 一つは第一に巨人に立ち向かい、ついにはその首を刎ねたギデオン率いるトライフェイス。

 二つは上街を目指した巨人の足止めを果たした探索者ギルド治安維持局の精鋭たち。

 そして三つは伝説の再臨、竜殺しエドガーだった。

 ネイリング騎士団とともに出陣したエドガーは片目片腕を失ったその老体で巨人の片膝を両断し、誰の刃も届かなかった巨人の首を、誰もが掻き取れる位置まで引き倒したのだ。

 その一刀の鋭さと言ったら、百戦錬磨の探索者たちを棒きれを振り回して古今東西の英雄になりきっていたちゃんばら小僧に戻してしまうほどだった。

 もしエドガーが全盛期であったら、あるいは五体が完全であったらば返す刀で倒れる巨人の首を落としていただろう。きっとそうだ。誰一人としてそのもしもの話に異論を唱えることはない。

 エドガー自身は集団戦闘とはそういうものだと(うそぶ)いていたが、竜骨槍によって巨人の足首を拘束し、膝切りの手助けをしたベリレはエドガーが首を取れなかったのは怪我でも老いの所為でもなく、首を狙ったエドガーの行く手を遮るように、あるいはその背に向かって銃弾が放たれたせいだと憤っていた。

 今も方々で口に上る巨人血戦の話を拾い集め、酒場の片隅で管巻く愚痴を選り分けて一つ一つを丁寧に調べると、実力のある有力探索者の何名かが背後から撃たれていることを知ることができる。当人たちはそれを恥だと大っぴらに口にはしないが。

 だがエドガーの言う通り、同士討ちはそう珍しいことではない。大混戦であったことは間違いないし、探索者たちは一個の団体ではなく、それぞれ好き勝手に動いていたし、大規模な集団戦闘になればなるほど同士討ちの数増えるのは当然のことだった。

 だがこれはやはり妨害だろう。

 ギデオンないし、トライフェイスの某かに巨人の首を取らせるための。

 ネイリング騎士団の部隊長たちも自らを狙う殺意に気を取られたと口を揃えて証言したし、シドに至ってはレティシアに銃口を向けた者を殺傷し罰金刑を受けている。

 こういった戦闘でいの一番に駆けつけそうな治安維持局の狂犬テス・マーカムは巨人そっちのけで、サラス伯爵の四騎士の一人である虎人族の女戦士ロザリアと斬り結んでいたという。

 そしてランタンはと言うと、あの夏のはじまりの戦いに参加することはなかった。

 四騎士の一人である巨躯の重装戦士、後に知った名はガウルテリオが去った後、巨人顕現の揺れもおさまらぬうちにアシュレイの館はどこからともなく現れた魔物と暗殺者の襲撃を受けた。

 目的は殺しではなく、足止めだった。そういう戦い方をしていた、と後になってわかる。

 完全に嵌められたのだ。

 裏を返せば、それだけランタンは評価をされていた。

 巨人血戦に参戦すれば、エドガーもギデオンも差し置いて、ランタンこそが巨人に止めを刺しただろう。報償なんてそっちのけ、首を取るなんてまどろっこしい真似をせず頭をぶっ飛ばしただろう。

 襲撃者たちはランタン、リリオン、ルーの敵ではなかったが、これによって三人は館から迂闊に離れることができなくなった。襲撃は三度続いたし、四度目がいつ来るとも知れなかった。かといってアシュレイを連れて下街に駆けつけることも不可能だった。

 逃げ惑う市民の流れは下街に進むこと許さなかったし、混乱の極みにある群衆は暗殺者が潜むにはいかにもうってつけだった。暗殺者の正体が革命戦士であると知れたのは、事が終わって一段落付いてからだ。

 それに巨人はこの世に受肉してから、一時間にも満たない間に討伐された。

 巨人による被害は下街のみに限定された。もともと荒れ果てた土地であった下街だが、それでもまだましだったと思えるほど戦闘の痕跡は激しいものだった。

 泥沼のような血溜まり。

 太古よりの仇敵を打ち倒した歓喜と、負傷者の呻き声と、呻き声に引き寄せられる巨人への憎悪と。

 逃げ出した市民たちが勝利に引き寄せられるように下街に集まりだし、混沌とした感情のうねりは制御不能になったかのように思えた。物言わぬ巨人の死体に石が投げ付けられた。

 場を収めたのはブリューズだった。

 不用意な発言をすれば一発で暴動に発展しかねない空気が漂っていた。

 ――はたしてどこからどこまでがブリューズの描いた絵図だったのか。

 はじまりはどこか。

 下街から離れた郊外にあるアシュレイの館を訪ねたランタン、それとも古道の探索、そのきっかけとなった脳食いの発見、あるいは不帰の森での巨人の顕現すらもがこの日の予行演習だったのではないか。

 王都での不定型生物は、迷宮崩壊戦は。

 リリオンがこの地にやってきたのは、ランタンの存在でさえ。

 そう勘ぐってしまうほど、すべてができすぎていた。

 荒れ狂う海原同然の群衆を前にしてブリューズの振る舞いはさすが王族と言ったところだった。

 傲慢ともいえる圧倒的な自信、百万の視線を前にして目を逸らさない胆力、そして群衆の操り方。

 この世界には過激な思想集団や宗教団体が山とあり、しかもそれらがそれなりに信者を獲得しているのにはわけがあった。魔道の存在である。

 魔道という技術として確立される以前、思うがまま風を吹かせ、雷を呼び、水を操り、炎を生み出すそれは奇跡に等しい力であった。

 その影響力は依然として衰えてはいない。見せ方一つで魔道は奇跡になりうる。

 魔道は強大な力だ。大きな力に人は畏敬の念を抱く。

 圧倒的な、そして不可思議な力。

 だが魔道で探索者を騙すことはできない。探索者にとってそれは仕事道具だからだ。

 ブリューズが用いたのは不定型生物だった。

 ――恐れることはない。

 それは王族であるがゆえに許される強制力だった。

 ブリューズは瀕死者の一人に不定型生物を飲ませた。するとどうだろうか。

 青ざめた顔はみるみる血色を取り戻し、止めどなく流れ出ていた出血は逆巻くように止血され、傷口は蕾のように閉じてゆく。

 それはまさに奇跡である。

 いやしかし治癒魔道ならば、最上位の魔道薬ならば似たようなことも可能だろう。

 ブリューズが腕を高らかに掲げると、聖なる泉の如く不定型生物が湧き出てくるではないか。そして次々に傷ついた者たちを癒していく。

 誰一人区別なく、平等に。

 奇跡である。

 探索者は魔物の生態をよく知っている。知っていると自認している。

 それは決して人に懐くことのない存在である。傷ついたものを見ればこれ幸いと襲いかかってくる。しかも不定型生物など、その極地のような存在だ。意思の疎通などあの透明な身体を前にしてしようとも思わない。魔物を殺すことはできても、それを使役するなどまったく想像の埒外の出来事だ。

 ブリューズはそれを手懐けている。支配している。

 そして不定型生物の役目はそればかりではなかった。

 ――魔物を恐れることはない。見よ。

 目にしたものは津波のような不定型生物であった。それは硬化性の不定型生物である。

 それらは泥田のような巨人の血を吸い尽くし、戦闘の痕跡を埋め、大地をならし、粉砕された貧民街を包み込んで別の存在として蘇らせた。

 それはランタンたちが探索したあの貧民街の屋根を取り払った姿そのものだったのかも知れない。

 それは迷宮特区に極めて似た構造をしていた。強固な外壁と、魔物の進行を食い止める迷路状に複雑化された内壁。

 二度目の衝撃だった。もしかしたら巨人の出現を上回る驚きだったかも知れない。

 人知を超えている。どれほどの地の魔道使いを集めたって、これほどのことは不可能だろう。

 だがブリューズはそれを成した。ならば王権代行官ブリューズとは一体何か。

 王権、神により認められた王の資質、その代行者、神に認められた者そのものではないか。

 祈る者さえいた。神を見上げるようにブリューズを仰ぎ見たのも仕方のないことだろう。

 ブリューズが腕を上げると、群衆は赤子までもが口を噤んだ。ざわめきは水を打ったように静かになった。

 口を開く。

 圧倒されて停止した思考に、ブリューズの言葉は染み渡った。

 戦いに対する労い、死者の弔い、二つ目の迷宮特区と二つ目の探索者ギルドの開設を主軸にした下街の再開発と、ティルナバンの更なる発展の約束、そのための魔物の有効活用の必要性、差別の歴史への批判と団結の呼びかけ、それから。

 リリオンのこと。

 はじまりはどこか。

 ならば、おわりは。


悩み中。

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