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蒸し暑く寝苦しい夜だった。
だが静かな夜でもあった。
夏の虫の鳴き声と、遠雷に似たざわめきが窓の外に聞こえる。
それは宿を見つけられぬ移民たちが火を囲んで騒いでいる声だろう。酒盛りをして旅の苦労話でもしているのか、それとも些細なことで喧嘩でもしているのかもしれない。
それとも。
ざわめきは下街からここまで届く。
移民たちがもたらす無秩序の一つ、騒音は元からの住人の悩みの種だったが、遠くの音が聞こえるのはそれだけ周囲が静かな証拠だった。
その静寂が懐かしい。
リリオンのことを知らない住人は一人もいない。昨日やってきた移民たちでさえリリオンのことを知っていた。リリオンのことを知って、ティルナバンにやってきた。
リリオンのことが知られてから、事が起こるまで丸一日かかった。
下街の再開発、ティルナバンの発展、魔物の有効活用。
ブリューズの大言壮語を確実に起こる未来のように聞いていた群衆は、しかしリリオンに巨人族の血が流れているという話にきょとんとした。
探索者は皆、リリオンのことを知っていた。
ランタンの連れている銀の髪の背の高い女だ。ちょっと頭が足らないのか振る舞いは子供っぽいが、かなり腕は立つようだし、身体の方は膨らみには欠けるが綺麗な顔立ちをしているので、そんな女を連れているランタンをぶっ殺したくなる。
概ねそんな認識だった。
確かに背は高い。だが巨人とは到底、信じられない。
その場にはレティシアやエドガーといったランタンの関係者がいた。彼らは嘘をつかなかった。やましいところは何もないし、もしその場しのぎの嘘をついても、それがばれた時、状況がさらに悪化することが目に見えていた。
レティシアやエドガーは誠実に、そして必死に、懇切丁寧に状況を説明したが無駄だった。
二人の声が届く範囲は限られていて、群衆の数は万を超えていて、誠実さも、必死さも、丁寧さも遠くに伝番されるにつれて失われ、歪められていった。
今このティルナバンにはリリオンのことを知っていても、リリオンが人と巨人の半分半分の混血だと勘違いしている住人もいるし、リリオンが巨人族そのものだと信じ込んでいる住人もいる。リリオンがあの巨人をどこからか招き入れたのだと檄を飛ばす住人さえも、少なからずいるのだ。
そしてブリューズが拡声器を使って広めた真実は扇動的だった。
ティルナバンは探索者の街だ。だから探索者の立場は強い。巨人血戦によって多くの探索者が傷つき、戦死していた。
――仲間は無惨にも死んだが、巨人の血が流れているがリリオンは悪くはない。ブリューズの言葉そのようなことで、つまりは逆撫でだった。
膨らんだ巨人への憎悪が、たった一人の少女へ濁流のように襲いかかることは止められなかった。
夜はしばらく騒々しかった。
屋敷は怒れる探索者に取り囲まれて、罵詈雑言は昼夜関係なく何日も、何日も続けられた。屋敷の壁には腐った卵や、豚や魔物の血がぶちまけられ、鼠の死骸が庭に放り込まれたりもした。
変わらぬ生活など、そこに存在しなかった。
人は集まると、まったく別の生き物に変貌する。ランタンはそれを知っていたから、これまでリリオンのことが公になるのを酷く恐れていた。
だが知っているのと、実際にそれを目の当たりにするのではまったく違った。
実際はもっと酷いものだった。
それは魔物を思わせた。人に襲いかかることだけを原理原則として、手加減も何もない、剥き出しの悪感情の化身のようだった。
群衆の望みは巨人の血の排除だ。
固く閉ざされた門が強行的に打ち破られなかったのは、屋敷の上空を旋回する竜種の影があまりにも威圧的だったからだろう。
夜の闇に吐息に混じる炎がちらついた。炎の光にネイリング騎士団の姿が浮かび上がった。
暴徒たちに最後の一線を、死線を踏み越えさせなかったのは明確な死の気配だけだった。
もしもの時、すべてを敵に回すことをレティシアは覚悟をしてくれていた。
それでも彼らはリリオンの身柄を要求し続けた。
リリオンはその呪詛にも似た叫び声を白い顔で聞いていた。横顔は氷を削り出したように表情を変えず、ランタンは奥歯の削れる音を聞いた。
リリオンは我慢強かった。
ランタンの方が子供だった。
言葉の一つも残さず、屋敷の前にあるものを焼き払ってしまおうと思った。下街に集まった群衆は万を超えたが、屋敷の前に集まって暴徒たちは千を超えるか超えないか。大半は探索者だったが、関係なかった。
数も、もし万を超えていたとしても、関係のないことだった。
止めたのはリリオンだった。
ランタンは自分の炎で火傷をした。怒りは身を焦がす炎だった。
リリオンはランタンに縋り付いて、わたしは大丈夫だ、と繰り返した。ランタンはそれでも、リリオンを振り払ってでも屋敷を出ようとした。
ベリレに力尽くで床に引き倒された。巨人を拘束した時よりも強い力で。
その場の暴徒たちを沈静化させたのは時間と、エドガーの我慢強い説得だった。
彼らは諦めたわけではなかった。
初日の激しさこそ形を潜めたが、数を変え、顔ぶれを変え、その後も何度も屋敷の前に集まってはリリオンを出せと喚いた。
今夜は、そういった声が聞こえなかった。
完全になくなることはなかったが、暴動が発生する頻度は減っていた。エドガーの説得のおかげもあったが、移民のおかげでもあった。
巨人血戦とブリューズの宣言は各地に広められた。
下街開発に伴う労働需要の増加に労働者たちが、新たに整備される迷宮特区の噂に探索者たちが、そういった人の流れには付きものの商機に商人たちが、続々とティルナバンに集まってきていた、
けれど彼らの第一の目的は、一目リリオンを見ることにあった。
もちろん彼らの中にもリリオン排除運動に参加する者はいたが、多くの者はリリオンを見て拍子抜けした。噂に尾鰭は付きもので、遠くに広まった噂話の中のリリオンは巨大な化け物同然だった。
そんな噂話に、それぞれ好き勝手に想像の翼を広げたリリオンの姿と、本物のリリオンは似ても似つかなかった。
人とは意識だ。湖のように澄みもすれば、腐って沼のようになることもある。ブリューズによって投入された憎悪という毒は、移民によって薄まったが、浄化されたわけではない。
リリオンに対する憎悪は燃えていて、予断を許す状況ではない。
だが議論が巻き起こる程度には、ましになっている。リリオンは人か巨人か、リリオンを追放するか居住を許すか、リリオンを生かすか殺すか。
それとも。
それともざわめきはそういった議論の声だろうか。結論が出たのだろうか。
静かな夜だったが、ざわめきの内容を聞くことはできない。
遠くで犬が鳴いている。ランタンは眠ることができない。リリオンは珍しく背を向けている。背中は薄く、髪の隙間に覗く項は細い。
呼吸は眠っていないことを告げている。
抱きしめよう。
ランタンが手を伸ばすのとまったく同時に、リリオンが立ち上がってベッドから下りた。
偶然、行動が重なっただけだった。だが避けられたように感じたランタンは声を掛けるのを一瞬、躊躇ってしまった。
リリオンは窓に近付くと、おもむろに開け放った。夏の匂いの濃い、蒸し暑い風が流れ込んでくる。月の色は薄く、夜の底が白んでいる。朝を待ちきれないというようにリリオンは靴も履かず、窓を乗り越えて庭に出た。
呆気に取られるとはこの事だった。
これまでも寝ぼけたリリオンはランタンに色々な驚きをもたらすことがあった。抱きついてくるのは日常で、噛み付いてきたり、歌ってみたり、裸になろうとしたり、しかしランタンから離れることなどただの一度もありはしなかったのだ。
抱きしめ損ねた体温。
ランタンは哀れなほど不安げな顔をした。
「リリオン……、リリオンっ」
ランタンはベッドから飛び降りて、後を追って窓をくぐった。
じとっとして肌にまとわりつくような蒸し暑さは、ランタンに背筋の冷たさを自覚させる。
素足が芝生を踏み付ける。葉先がちくちくと足の裏を突き刺す。リリオンの背中はすでに見えなかった。
緑の匂いが濃い。リリオンに踏み潰された芝生が香っているのかも知れない。
リリオンを追う。何かを踏んだ。投げ込まれた鼠の死骸だ。腹の中に血文字の脅迫文が詰め込まれている。芝生が所々禿げているのは、魔道結晶が投げ込まれたからだ。
リリオンが向かったのは厩舎らしかった。
このところ屋敷の外に出られてはいない。
当初は部屋の中に閉じこもっていることも多かったが、暴徒たちがいない時は庭に出ることがあった。屋敷の裏手にある厩舎で馬や竜種に餌をやったり、水を替えたり、世話をするのが気分転換になるようだった。その背中を撫でている時は少しだけ安らかな顔をする。
蹄の音。
影が空に。
優美な鬣に、月明かりに青ざめた巨体。リリオンの身体が普通に見える。
それはベリレが騎士叙任の際に給わった魔馬で、彼の相棒となったディオだった。
屋敷の塀は高く、門は閉ざされている。
鬣に顔を埋めるように太い首に抱きつく少女を背に乗せて、たいした助走もつけずディオは塀を、最も低いところであったが、軽々と跳び越えた。
不寝番の騎士が驚きの声を上げる。
また間に合わなかった。
――巨人血戦に間に合えば、状況は変わっただろうか。
「ランタンさま――」
巨大な幽霊とすれ違ったみたいに、何が出ていったのか理解できていない若い騎士が振り返る。
「リリオンが出てった!」
「――! 門を」
「いらないっ!」
ランタンは塀を垂直に駆け登る。石の壁に小さな足跡が三つ。
塀の上から目を凝らした。ディオは風のように駆けて、遠ざかっていく蹄の音が微かに聞き取れるばかりだ。
向かったのは東だった。ランタンは即座に飛び降りて走った。
屋敷の周りには高級住宅街に似つかわしくない風体の男がちらほらうろついている。屋敷そのものを、そしてリリオンを監視しているのだ。強行的な排除主義者の一員だ。
リリオンの姿を見られただろうか。
石畳に足の裏が削れる。痛みは芝生の上を走るのとはわけが違った。長く探索者をしていると、おのずと足の裏が石のように硬く角質化する。だと言うのにランタンのそれは赤子も同然だった。
ふっくらとして柔らかな足裏は容易く裂けた。地面の固さと、自らの速度に。
ランタンは更に速度を上げた。
ディオは東門へ向かって走っている。ティルナバンの外に出ようとしていた。
今、ティルナバンには多くの移民が集まっており、門の外には街へ入る許可を待つ移民が一時的な集落を形成していた。
なにやら騒がしいのはディオが体格にものを言わせて、そこを突っ切ったかららしかった。
空を覆うような大きな影。
突如吹き下ろした風に、ランタンは速度を緩めず空を見上げる。
「カーリー!」
赤い巻き毛の、レティシアの愛竜だった。屋敷の屋根で睨みを利かせる竜種の一匹であるカーリーが心配して追いかけてきてくれたようだった。主に似た美しい赤毛を風に靡かせ、きゅるる、と促すように喉を震わせた。
低く飛び、尻尾を釣り糸のように垂らす。ランタンがそれを掴むと、尾を一気に跳ね上げた。首の付け根に跨がる。
「リリオンを、――お願い」
カーリーは一つ羽ばたき、一気に高度を上げた。
外には危険が沢山あった。
移民たちの中には巨人を討ち取って名を上げようという者もいたし、商人に付き添う護衛傭兵の中には真っ当な仕事がない時は盗賊をしている者も多く混じっていたし、そもそも護衛を雇わなければならないのは旅人たちが野盗を引き寄せる蜜のようなものだからだ。
空の高さに夏の暑さが失せる。風は容赦なく身体を打ち、目を凝らすのもやっとだったが一筋の土埃ははっきりと見えた。
土埃を巻き起こし激走するディオと、その背にしがみつくリリオンが。
ランタンはカーリーの首筋を叩いた。鱗の硬い感触と、答えるような喉の震えが掌に伝わる。
カーリーは襲いかかるように急降下をする。
ディオがそれに気が付き、速度を上げる。魔物の血を掛け合わせているだけのことはある。恐ろしく速かった。
だが竜種はそれを上回る。ディオが地面を削り急旋回した。
リリオンが悲鳴を上げる。いや、リリオンはずっと何かを叫び続けていた。
カーリーが右の翼にだけ風をはらみ、最小半径で旋回し、前に回り込む。ランタンの内臓が片側に片寄る。
リリオンの目が赤かった。泣いていたのだ。
たまらずランタンはカーリーの背中から飛びだした。立ちはだかるみたいにディオが跳ねて前脚を高く上げる。その脇をすり抜けて、ランタンはリリオンに抱きついた。
リリオンはディオの背中から転げ落ちる。二人は一塊になって、ランタンは無意識に受け身を取り、地面をごろごろと転がってリリオンを下に組み敷いた。
「なぁ――……ぁ」
しゃくりあげるように、リリオンの喉が動く。
「なんでぇ、わたしがっ、……なにをしたっていうのよっ!」
叫び、リリオンは暴れた。弱音も吐かず、耐え続けてきたリリオンの感情がついに爆発してしまったのだ。
癇癪を起こしたみたいに四肢をばたばたと振り回してわあわあと泣き叫ぶ様子はランタンを苦しく、哀しくさせた。
息を切らしたみたいに浅く跳ねる呼吸の合間に、言葉が途切れ途切れ吐き出される。
「わたしが、わたしがっ、……いるからっ。みんなに、めいわくを」
ランタンはリリオンを地面に押さえつける。空が白む。ディオが二人の周囲をゆっくりと歩く。カーリーがゆっくりと羽を畳む。
「どこに、いこうと」
「わかんない、わかんないよ。でも、わたし」
リリオンが鼻を啜った。
「ひとり、なれてるもん」
「うそだ」
ランタンも何だか泣きそうだった。目の奥が熱い。無力感に苛まれる。
「ひとりでどこかに、いなくなってしまおうって」
リリオンは頷いたような、首を横に振ったような、身体を震わせる
「……ランタンと、ずっといっしょにいたい。めいわくだっておもうのに、いやなの。わたし、わるいこ」
「どこかに」
あの夜の覚悟なんて、さっさと捨ててしまってどこか誰も知らないところに逃げ出そうか。
弱り切ったリリオンの顔を見ていると、そういった考えも浮かんでくる。
ティルナバンの街は気に入っているが、リリオンをこんな目に遭わせてまで固執する必要はあるか。
こうなった理由は何だろう。
「だめ、だめよ、ランタン」
リリオンが嗚咽を呑み込む。鼻を啜って、縋るような視線をランタンに向ける。
「王子さまは悪い人よ」
あの日、不定型生物の口を借りたブリューズは何を言いたかったのか。
力を貸せ、と言ったのではなかったか。ランタンの力を。
ランタンは自分が他人よりも優れていることは暴力を振るうことぐらいだと思っている。そんな自分の力を一体、何に使おうというのか。
だが自らの力を渡せば状況が変わるかも知れない。今、ティルナバンにおけるブリューズには、それぐらいの影響力がある。
例えば魔物という存在への見方が、探索者ですら少し変わったのだ。殺すべき敵、利用すべき素材だったそれが、もう少し違う接し方があるのではないかというような。
しかしそれは悪魔の契約だろう。貧民街にいた人々は、少なく見積もっても千人以上はいたはずだ。その全てが巨人を生み出すための材料となっている。
リリオンの立場を悪くし、それを改善する交換条件がランタンの力だ。
自らの目的のためならば、他者を顧みない。
それは、まるで。
「でも」
夏草の匂い。
寝衣は朝露と汗に濡れている。
地面を転がったから二人とも泥だらけだった。
ランタンはリリオンに口付けをした。
深く、強く、めちゃくちゃにするみたいに。リリオンが驚いている。息が苦しくなるまで、苦しくなっても唇を離さなかった。
「僕は、リリオンのことが好きなんだ。とても」
今、衝動に身を委ねて王子をこの街から、この世から排除すればティルナバンは混乱の渦に巻き込まれるだろう。リリオンのせいにされて、状況がより悪化するかもしれない。
リリオンのために、と言えばリリオンを言い訳に使っているような気がしてならない。
ランタンはリリオンを失うのが恐ろしい。自分自身のために、邪魔なものを何もかも破壊したい。
「牢屋に入れられちゃうわ」
「かまうもんか」
「じゃあ、わたしが」
「だめ」
「かまわないわ」
ちょっとだけ笑えた。リリオンの目が細められ、滴が一つこぼれる。
ランタンは再びリリオンに口付けをする。あるいはリリオンの方から。
いつもは抱きしめるだけの手が、自然に少女の身体を弄った。寝衣の裾をめくり上げて、汗に湿った太股の内側に触れる。僅かに残った理性が、いけないことをしていると忠告をする。
「ん、あっ」
リリオンの腕が腰に回った。ランタンの体重を感じようとするように腰を引き寄せる。指先が危ういところに近付く。
唇を重ねたまま名前を呟き、舌先に載せて交換する。
窮屈な痛みは下着の中にあった。
地平の果てに陽が顔を出す。温められた大気が膨脹し、押し出された夜が風になる。吹き飛ばされまいとするようにリリオンの身体を地面に押しつける。
朝と夜と緑の匂い。
リリオンの匂いと体温。
外。
リリオンが身体を揺らした。足の付け根に触れている躊躇いがちな少年の指先を、もっと奥へ導くように。
かまうもんか。理性をどこかにほっぽり出す。
そう思った矢先のことだった。
ディオとカーリーが高く嘶いた。ランタンとリリオンは一度、無視したが、ディオはランタンの黒髪に噛み付いて毟るみたいに引っ張るし、カーリーも色のない炎のような熱い吐息を浴びせてくるので、興を削がれた二人はあからさまに不機嫌そうな顔をした。
「……くそっ」
ランタンはいかにも悔しそうに吐き捨て立ち上がった。リリオンがちょっと笑ったのが恥ずかしい。
ズボンの上から下着を引っ張り、大人になり損ねた奴の位置を変えて痛みを和らげる。
そしてリリオンに手を伸ばし、立ち上がらせた。泥よりも夏草の緑が色移りしている。スカートの裾がすとんと落ちて、露わになっていて真白い脚を覆った。しっとりと湿った夏の寝衣は、ほんのり透けながら身体の輪郭を強調する。
「隠れてて」
「でも」
「他の奴に見せたくない。僕のリリオン、言うことを聞いて」
ランタンはリリオンの鳩尾のあたりの布を抓んで引っ張った。丸っこい小さな大きさも、先端の柔らかな硬さも露わになっていた。肌から剥がれた布が弛み、身体の線を覆い隠す。
リリオンは恥じらいの表情を浮かべて、二頭の影に隠れる。
それはディオの蹄の跡を追ってきた集団だった。
馬に乗っており、武装している。ネイリングの屋敷は暴徒が集まっていない時でも、数名の監視が常時張り付いている。リリオンが屋敷を出たのを目撃して招集をかけて追跡してきたのだろう。
馬の数は五、相乗りをしているので人数は九。まだ距離はあったがカーリーの存在に馬が怖じけずいたので降りて走ってくるさまは少し滑稽だったが、いいところを邪魔されたランタンは少しも笑えなかった。
九人はおそらく探索者だった。ぞわぞわした足取りで半円に広がり、ランタンを囲む。
剣の先や槍の穂先をこちらに向けているが、もっとも警戒しているのはカーリーだ。カーリーは低く喉を鳴らしている。今にも火を吹きそうだったが、ランタンが手を上げると唸り声を小さくする。
それをどのように勘違いしたのか、カーリーへの注意が微かに薄れる。それで相手の腕の程度が知れた。
「――なんの用だ」
「うっせっ! 夜逃げでもするつもりか、落とし前もつけずによおっ! つべこべ言わずに、その巨人女をこっちに渡しなっ」
どこかで見た顔だった。
それがリリオンの苦しみを増加させた一因だった。顔は知っている。だが名を知らない。探索者ギルドですれ違えば挨拶程度はする。それが今はリリオンを憎んでいる。命を欲するほどに。そういう手合いが数えきれぬほどいるのだ。
暴力的な衝動が、むくむくと湧き上がってくる。
だがそれに身を委ねてはいけない。
最大限、効果的に使わなければならない。
「はぁ―――、ふっ」
溜め息を吐き、余った息で鼻を鳴らした。
「ぁんだっおらぁっ! てめえこの状況がわかってんのかっ! さっさとその女よこせっつてんだろうがっ!」
「うるせえな。三下は黙ってろ」
口の悪いのが感染したみたいにランタンが吐き捨てる。
九人の内の一人を指差した。
探索者らしく柄の悪い八人の中にあると、少し優男のようにも見えるのは比較的顔の作りがいいからだろうが、単純な二枚目ではなく擦れた雰囲気もある。最初から徹頭徹尾、ランタンにだけ注意を払っている。
「お前が頭か」
「と、言うわけではないが。俺たちは話し合いをしに来たわけではない。いいからこっちに渡してもらおうか、その嘘吐きを」
「嘘? いつ嘘を言った。いつどこで、何時何分何秒、月が何度沈み、太陽が何度上った時だ?」
「とぼけるのもいい加減にしろ! 俺たちのことを騙していたじゃないか。野蛮で汚らわしい巨人がさも人間のように振る舞って! あげくどれだけの探索者が死んだと思ってる!」
「リリオンは嘘を言ったことは一度もないし、巨人の件とはまったくの無関係だ。それにそもそも巨人じゃない。ただの女の子だ。人と半巨人の間に生まれた」
「知ったことか! いいか、これが最後だ。貴様には後悔と反省する機会をくれてやる。だが、そいつはダメだ。生かしておけん。言ったはずだぞ、話し合いをしに来たわけではないと! でなければ貴様も死ぬことになる。これは脅しではない!」
「――よろこべ。ころしはしない」
ランタンは酷く平坦な声で言った。あまりにも無感情で、意味のある言葉のように思えなかった。
そしてそれを九人が理解した時、小さな笑いが起こった。
「寝ぼけてんのか、ああん? その格好、自分の状況がわかってねえのか?」
ランタンは寸鉄一つ帯びていなかった。血を流す泥だらけの素足。肌も透けるような夏の寝衣に身を包んでいるだけだ。一目で非武装だと知れる。
亜人たちのように身を守る毛皮も、相手に向かう爪や牙もない。
「僕と、お前らの差が、ただ装備の差だとでも思っているのか?」
リリオンに向いていた憎悪や、カーリーに向いていた注意がランタンに収束して明確な殺意になる。
そういったものにランタンは抗いがたく引き寄せられる。
自分にできることは暴力を用いることだけだ。これを使って自分はリリオンのために何ができるだろうか。
夏草を蹂躙する。
ランタンは最も手近にあった槍の穂先の付け根をおもむろに右手で握ると、一気に引き寄せ前蹴りで水月を貫く。少しの反応も許さず反吐を吐きながら吹っ飛んでいく。
奪い取った槍。左手に柄の半ばを掴み、即座に手首を返す。引っ掛かった右指を引き剥がすみたいに穂先がしなって足を払った。
「安物だな」
右端の男の足首を砕いて槍も半分に折れてしまった。裂けるように折れた槍の柄を近くにいたという理由だけで、剣を持っていた男に突き刺した。
「やるよ」
そう言って、槍と剣を交換する。
「てめええっ!」
鋭い横振りを適当に避け、最低限の踏み込みだけで後を制する。剣の腹の部分で男の顔を容赦なく引っぱたく。奥から上下三本、歯と顎がごちゃ混ぜになる。鉄板で殴りつけられたに等しいのにそれだけで済むとはさすがに探索者だが、戦意はさっぱり失われている。
次、次、次。
踏み潰される夏草と等しく、探索者が打ち倒される。
鎧の上から強引に剣で殴りつけたので、剣が砕けた。短剣ほども残っていない刀身を鎧の肘関節にねじ込む。足払い。伸びきった肘を更に伸ばす。倒れると同時に砕けたのは肩関節だった。追加で顔面を蹴っ飛ばす。兜がへこみ、脱ぐのに苦労するだろう。しかし素足で蹴るもんじゃない。
残ったのは優男だけだった。ランタンは返り血を汗と一緒に拭う。
「……巨人にどうして肩入れするんだっ!」
「巨人じゃねえっつってんだろ」
巨人か否か、そんなことは些末なことだ。ただリリオンのことが大好きなだけだ。
それ以上の理由はない。
「あいつが巨人だって知っていたら俺は――、……あの女は俺を裏切ったんだよっ!」
やっぱり殺してしまおうか。
勝手に期待して、勝手に裏切られて、挙げ句この様だ。
転がし、両肩を外した。優男が怯えた表情を向ける。髪を掴んで引き上げる。
ランタンは冷たく男を見下ろした。
「リリオンに手出しはさせない。まず僕だ」
「なにを――?」
「まず僕、リリオンはその次だ。理解したか? したなら繰り返せ」
リリオンに向けられる憎悪は、荒れ狂う炎のように不規則で、混沌としている。その炎を消すことは、今はまだ難しい。ならばどうするか。
ランタンはぐらぐらと煮える溶岩のような眼差しで男の目を見る。
「まず僕、リリオンはその次」
見つめられた男は、熱病にうなされるように額に汗をしている。大きな玉となった汗が流れて目に入り、しかし瞬きをしない。
「……まずランタン、リリオンはその次」
うわごとのように繰り返した。
「そうだ」
自ら炎の中に飛び込んで、憎悪の矛先を変える。リリオンの前に立ちはだかる存在となる。
ブリューズによって構築されるティルナバンの新たな秩序。それを完全に防ぐことはできない。だが好き勝手にはさせない。
かつての下街、自らの身を守ったのは夕暮れ時に現れるそれはそれは恐ろしいカボチャ頭の噂であった。
「ころしはしない。そのかわり、せいぜい喚くといい。それがお前が生かされる理由だ」
ランタンの右の掌に炎が生まれる。
カーリーが翼でもってリリオンの視線を遮り、ディオとともに夜明けを告げる鶏のように盛大に嘶いた。
「――あーあ、泥だらけになっちゃった」
「ディオは大丈夫かしら?」
ランタンとリリオンは、カーリーの背に乗って屋敷に帰るところだった。
「平気だよ。頭いいもん、あいつ。……あいつらよりよほど」
カーリーが飛び立った時、ディオは九人の探索者が騎乗してきた馬をすっかり支配していた。ディオは馬たちを先導して、あの九人を引きずってでもティルナバンに連れて帰るだろう。
「あの人たちは、放っておいていいの?」
「いい。ころしてないし、帰れる程度にしか痛めつけない」
「……ほんと?」
「あんな奴らの心配なんてしなくていい。……帰ったら風呂入らないとな」
リリオンが欠伸をする。
「お風呂でねちゃうかも」
「いま、寝ちゃいな。着いたら起こすから」
「うん。一緒にお風呂入ってくれる?」
「お風呂も入るし、身体も洗ってあげるし、着替えも手伝うし、一緒に寝るよ。して欲しいことは全部する」
「わあ、どうしましょ。じゃあ、じゃあ、いっぱいぎゅって、ぎゅーってして」
リリオンはランタンに体重を預ける。
ランタンはリリオンをしっかりと抱きしめた。痛いぐらいに抱きしめたのに、リリオンはほどなく寝息を立てた。悪戯をしても起きないかも知れないが、外でそんなことをしてはいけないので我慢をする。
ランタンはすっかり冷静だった。その瞳に宿る炎がむしろ冷たく見えるほどだった。
ティルナバンの郊外に九人の男が倒れている。
顔を焼かれ、何度も同じ言葉を繰り返している。




