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カボチャ頭のランタン  作者: mm
10.The Under Dark
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 直径五メートルはあろうかという縦穴の内側に巻き付く緩やかな螺旋階段をゆっくりと降りて行く。

 穴の底から何かが飛び上がってくる。

 三人は足を止める。

 足場は悪い。なにせ手すりも何もない。同じ段に二人並ぶことは可能だが、外側に立たされた人間は落ちる覚悟をしなければならない。

 高所の有利も、あと数秒で失われるだろう。

 それは長い尾を引いて、ゆらゆらと揺れながら滑らかに上昇する。

 蛍のそれかと思わせる小さな光は、やがて拳大になり、人頭大になり、それよりも一回りも二回りも大きくなった。

 それ自体に風切り音はない。

 それは闇の中でぼわりと発光しているが、それの放つ光が何かを照らすことはなかった。

 光の中に濃淡がある。濃い靄の塊のような。

 濃淡に錯覚する陰影は、しかしよく見るとそれが人の顔になっているのを確認することができる。

亡霊(レイス)だ」

 ランタンは戦鎚を抜き、手すりを作るみたいに二人を制した。

「こっちを見てない」

 ランタンが囁く。

 風切り音はないが、奇妙な音がある。念仏のような呪詛のような、三人を通り過ぎる瞬間にだけ、風音とも人語ともつかぬ奇妙な呻き声が鼓膜を揺らした。

 ぶつぶつぶつ、と肌が粟立つ。

 ルーが制されながらも、いつでも飛び出せるように爪先に重心を移した。それはランタンも同じだった。

 だが亡霊は不思議と敵意を示さず、三人を無視して通り過ぎていった。

 亡霊は、複数の魂が重なり合っているみたいだった。幾つもの目と、幾つもの口と、幾つもの鼻があった。

「あっ、わたしがっ、――……見たのに似てるわ。ほんとうよ」

 大きな声を出しそうになったリリオンは、あわてて自分の口を押さえて、小さく呟く。

「うん」

 ランタンは頷き、ルーは最後の最後まで、上昇していった亡霊の尾っぽの先の、細いその先の先がまったく見えなくなるまで視線を切らなかった。

 ふっと息を吐く。

「……死臭でも嗅ぎつけたのでしょうか?」

「だとしたら犬みたいな鼻のよさだ。首を落としてくるんだったな」

 塔内で、不定型生物に寄生されて息絶えた死体はそのまま放置してきた。

 もしそれに亡霊が取り憑き、動く死体になったとしたら、それはどのような行動に出るのだろう。

 まさか工場で仕事の続きをするわけでもないだろう。だが働き続ける同僚たちに襲いかかるとも思えなかった。

「もしかしたら追いかけてくるかもね。肉体を得て」

「そしたらわたしが追い払うよ。けんもほろろに」

「追い払わずにやっつけてよ」

「それもそうね」

 縦穴はかなりの深さがあった。

 階段は百を超えたあたりで数えるのをやめた。

「この下に何があるんだろう。地下工場かな。それとも不定型生物とか亡霊の住処かな」

「亡霊の住処と言えば地下墓地と相場が決まっておりますわね」

「墓地の上に工場を建てたの? 祟られそうだ」

「きっと影の王国があるのよ」

「なにそれ? 初耳」

「亡霊に追い出された、もともと身体の中にいた魂は、帰るところを探すうちに影の王国に辿り着くの。そこで新しい身体を探すのだけど、魂は探すうちに王国の住人になってしまうのよ」

「なんで」

「そういうものなの。それで王国で新しい身体を見つけた魂は、やったーって喜んで地上に戻るの。でも実は、王国の住人になるっていうのは亡霊になるっていうことなのよ」

「じゃあ動く死体じゃん」

「そう! だから地上に戻っても人から苛められちゃうの。それで人のことを嫌いになって、亡霊は人をおそうようになってしまったのよ」

「何の情報? なんかで読んだ?」

「うん。かわいそうだった」

 亡霊を哀れむリリオンの背後で、ルーが微かに苦笑する。

 リリオンが読んだものは何だろう。

 魔物の、それも不死系魔物へ同情の念を抱かせるような内容の書物は、場合によっては検閲されることもある。邪教の集団が密かに頒布している禁書でも目にしたのか、それとも行き過ぎた魔物愛護主義者がばらまいたチラシでも拾ったのか。

「ふうん。じゃあさっきの亡霊は人に優しくされてたのかね」

 ほんの僅かな足音がひどく大げさに反響した。

 穴の底から時折、風が吹き上がってくる。

 魔精の匂いがする、とランタンは思う。

 どことなく迷宮を思わせる雰囲気が、底へ近付くにつれて感じられるようになった。

 乾いた匂い、冷たい洞窟の匂い、死の匂い、争いの匂い。

 無駄話に口が滑らかだったリリオンが、その気配を感じ取って無口になる。

 見下ろすと闇しかなかった穴底に、ぼんやりとした光を確認できる。亡霊の光ではない。

 吹き上がる風に紛れて、人の声や聞き馴染みのある野蛮な音色が鼓膜を震わせる。

「なんだろう」

 立ち止まったランタンが耳を澄ませて背後を振り返る。

 振り返った少年の表情を見て、二人は顔を見合わせた。

「戦いの音よ。ランタン、これは」

「口角が上がっておりますわよ」

 鼓膜を振るわせたそれは紛れもなく戦闘音だった。

 それも迷宮で奏でられるそれに似ている。

 この縦穴の先には、閉塞的な空間が広がっているのだろう。壁を反響して、叫び声や呻き声が断続的に、そしてランタンのそれによく似た爆発音が散発的に発生している。

 悪戯っ子のような表情をしたランタンは、冗談めかして自分の頬を張って表情を引き締めた。

 先に降りていった不定型生物はすでに底まで辿り着いたようで、光の中にその姿を見つけることはできなかった。だが瓶に半身を捕らえているので急ぐ必要はない。

「誰と誰が戦っているんだろう」

 塔内の静寂が嘘のようだった。早足で螺旋階段を下ると、かなり激しい戦闘であることがわかる。

「この破裂音、まさかランタンさまと同様の魔道使いではありませんよね」

 ルーは最悪の想像をしたらしく顔を歪めた。

「鉄砲の音ですわよね」

 自分に言い聞かせるように囁く。

 塔内で作られていた武器を使用しているのかもしれない。

「僕と同様だとしても、僕ほどじゃないよ」

 ランタンはすかした表情で(うそぶ)いた。

「敵味方の判断がつくまで、全員敵だと思って行動しよう」

 もう床の模様さえはっきりと確認できるほど近くなった。

 倒れ伏す人の手足が、視界に映り込む。大きな声を出さなければ、会話もままならないほど戦闘音がやかましい。銃撃戦だ。

「先に行く。ついておいで」

 ランタンは戦鎚を抜き、身を躍らせた。

 二秒に少し足らず、穴底へ着地する。

 地面には穴の直径よりも二回りほど小さい昇降機の台座があった。

 穴底は半球状に広がっており、掘削された岩肌が剥き出しで洞窟を、そしてまさしく迷宮最下層を思わせた。

 十数の人間が死んでいた。探索者のような、それでいて鉄を装備した数名の男が穴から落下してきたランタンの姿を見て声もなく驚く。

 反射的に照準し、引き金を引く寸前にランタンの戦鎚が銃を払い上げた。

 破裂音が響き、銃口が火を吹く。

 放たれた鉛玉が、天井すれすれを浮遊していた亡霊を貫通し、天井を削る。ぱらぱらと破片が降る。亡霊に空いた小さな穴は、水が流れ込むみたいにすぐに埋まった。効果はない。

 敵か、味方か。

 銃は上の工場で作られたものだろう。だがそれだけでこの男たちがこの施設の一員だとは判断ができなかった。なぜなら戦っている両者ともに銃を装備しているからだ。

 ランタンは戦鎚を男の胸骨に突き入れた。砕くほどの強さではない。胸甲を打った金属音。男は後ろに踏鞴(たたら)を踏み、死体に躓いて激しく尻餅をついた。だが激痛に顔を歪める。

「ぐっ」

「僕らに手を出すなら殺す」

 リリオンとルーがランタンの背後に着地する。まるで何もないところから急に湧き出たみたいに、少年の守護精霊のように。

「そうじゃないなら、こいつらを排除する手伝いをしてやる」

「ケヴィン!」

 幾つかの銃口がランタンに向く。リリオンの二刀が抜き放たれた。巨大な肉食獣が大きく顎門を開くような獰猛さに、男たちが無意識にじりりと後退する。

 ケヴィンと呼ばれた男が素早く短刀を抜き、頭を振って上体を起こした。そのまま頭部の重さを利用して、腕を振った。

 探索者っぽい身体の使い方だな、とランタンは思う。打突によって身体の芯が痺れているから、そういう身体の使い方になったのだろう。

 ぶ厚い刃が肉を抉る。躓いた死体を床に縫い止める。

 亡霊に取り付かれた死体が、動く死体となって身を起こそうとするがじたばたと藻掻くことしかできない。ケヴィンは素早く身を起こすと、動く死体の頭部を撃った。

 銃を杖のように使い身体を支え、咳き込むように息を吐く。

 ランタン。

 男の口が声なく名を呟いた。

「なんで?」

「……お前は有名だ」

 もう一度、咳き込み、掠れた声で続ける。

「古道の闇の中にさえ聞こえている」

「嬉しくないね」

「ふん。――噂に聞くよりも子供だな。そんななりだが男なのだろう。口にしたからには、手伝ってもらうぞ」

 ランタンは鼻で笑った。

「リリオン!」

「はあい、まかせて!」

 巨大な顎門が閉ざされて、動く死体を貪欲に咀嚼する。むくりむくりと起き上がる死体が、死霊も宿れぬ三つ以上の肉の塊に分断される。

 空間にむわっとして不愉快な熱気と臭気が充満する。

 空気を掻き混ぜるようにルーが死体と刃の間を疾駆する。一秒に満たない接触の間に、関節が尽く破壊される。亡霊は身動きの取れない肉体の檻に閉じ込められ、動く死体は地を藻掻くばかりだ。

「僕が手伝うまでもないかもね」

 男たちは通路からやってくる増員に銃口を向けて、代わる代わる断続的な射撃を繰り返し、進行を食い止めている、

「こっちだけ知られてるのは気分があまりよくないな。あなたたちはいったいなに?」

「俺はケヴィン。地に満ちる七色の主宰者だ」

「へえ、知らない」

「――有名じゃなくて悪かったな」

 リリオンとルーが動く死体を圧倒し、地に満ちる七色の団員たちの牽制射撃と交換するような、相手側の散発的な反撃の銃弾と応戦している。

「ケヴィン、魔犬が来た――炎精結晶!」

 無数の足音、唸り声が通路の奥から重なり合う。団員の悲鳴がそれを塗り潰す。

 ランタンたちが貧民街で見た、そして塔内で飼育されていた犬豚、あるいは豚犬が放たれたのだろう。

 最大でも二連射しかできない銃では、的の小さな魔犬を相手をするのは難しいのだろうかなり焦った声だった。

 そしてそんな焦りの中に、今にも破裂しそうな炎精結晶が投げ込まれた。

 拳大で、熟した果実のように真っ赤に染まっている。そこに秘められた炎が解放されたら、この空間内の生物を焼き尽くすまではゆかずとも、表面はこんがりとした生焼けぐらいにはされるだろう。

「ほら、――焦るんじゃない。探索者でしょ、あなたたち」

 破裂寸前の結晶を無造作に拾い上げたランタンが、転がってきた鞠を幼子に投げ返すみたいに結晶を通路に投げ返した。

 崩落した岩盤のように、赤々とした炎が広がって通路を塞いだ。炎の舌先がちらちらとこちら側を舐めるほど勢いが激しい。

 魔犬の苦悶の叫びと、暴れ回る黒い影が炎の中に見え隠れした。

 燃えたまま、数匹が飛び出してくる。

 ランタンに言われたからか、炎の加護か呪いを受けたかのような燃える魔犬を、団員たちは銃の柄で撲殺した。探索者のように野蛮に、勇ましく。

「探索者でも焦りますわよ。ランタンさま」

「あっちっち。指ちょっと焼けたな」

「まあ大変」

 リリオンが素早く人差し指と中指の指先を口に咥えた。舌先が患部の熱を丁寧に、執拗に舐めとる。

 ランタンは咥えられたまま、自由な親指でリリオンの頬に散った血を拭った。頬紅のように薄赤が広がる。

「――()られたのは?」

「ワース、ドニ、フランツの三人。取り憑かれはしなかった。ディリは重傷だ。けど不定型生物は押さえた。炎が弱まってきた。攻め込むか?」

「いや、一度退こう」

 彼らの会話を聞きながら、ランタンは少女の口から指を抜き、こっそりと不定型生物を捕らえた瓶を外套の下に隠した。

「説明してくれる? あなた方が戦っている相手は誰で、目的は何で、ここは何? ちなみに上も気になるし、あなた方そのものも気になる。今もかは知らないけど、探索者でしょ?」

「気になるのならついてこい」

「いいのか?」

 ケヴィンが顎をしゃくった。団員の一人が咎めるような目付きでケヴィンとランタンの顔を見比べる。

「敵に回したくはない。皆を連れて帰るぞ」

「僕らは背負わないよ」

「頼みはしない。そのほうがいい」

 団員はすでに死んでしまった者も、動けぬほどの重傷者も分け隔てなく背中に担いだ。これで戦闘を行うことは無理だろう。

 ランタンたちに護衛を任せてしまうつもりらしかった。

「ちっ、炎が消え――」

 ランタンが炎の弱まってきた通路に戦鎚の先を向けた。闇の中から鉛玉が飛んでくる。

 だが急激に膨らみ、そして破裂した火球にその射線が見るも無惨に歪んだ。卵でも投げ付けたみたいに、溶けた鉛が壁にへばり付いた。

「足止めはこれぐらいで充分? どこに連れて行ってくれるのかは知らないけど」

「……充分だ」

 地に満ちる七色なる集団に先導され、三人は古道を駆ける。




 迷宮という存在の放つ魔力の所為か、迷宮に対する様々な思想集団が存在する。

 過激な戦闘集団である迷宮解放同盟や、反探索者ギルド同盟、穏健派である迷宮共存同盟や迷宮信教者たち、もっと言ってしまえば探索者ギルドもそういった集団の一つに数えられるかもしれない。

 地に満ちる七色は迷宮崇拝者集団の一つで、迷宮環境を地上へ広げる活動をする探索者からなる集団であるらしかった。

 彼らは探索者として迷宮と触れ合ううちに、迷宮の魔力に取り憑かれたのだ。

 迷宮それぞれの個性ある環境や生態系、弱肉強食の公平さ、そこからもたらされる豊富な資源に。

「俺たちは育てているんだ、迷宮を」

「お水をあげたりするの?」

「それに似ている。食料(ませい)を与え、探索者(がいちゅう)を排除し、実りの時を待つのだ」

 水やりは魔精薬を迷宮口に注ぐのではない。高濃度の魔精保有者、つまり探索者を生け贄として迷宮に放り込み、あるいは自らを迷宮口に投げ出すのだ。

 実りの時というのは、どうやら迷宮の崩壊のことらしかった。迷宮崩壊とともに地上に放たれた魔精や魔物たちによって、この地上が迷宮環境に近付くと信じているのだった。

「探索はしないの?」

「するさ。だが完全攻略はしない。迷宮の恵みをほんの少し分けてもらう。人の手の入らない迷宮は、崩壊が早い。それに魔物の数も少ない。上手く間引きをしてやれば、驚くほど魔物の数は増える」

 ケヴィンはどこか誇らしげに語った。リリオンがまったく純粋な好奇心による相槌を打つものだから、気分をよくしていた。

 変な勧誘に引っ掛かりそうだな、とランタンは少女のことが心配になる。

 走りながら話を聞いていると、頭が痛くなってくる。

 彼らの話の筋道は一応理解できるが、共感することはできない。それに黒い卵にも似た狂気の熱量を有している。

 ルーは完全に警戒している。

 ケヴィンは自分のことを迷宮農家(ファーマー)と自称したが、探索者としては襲撃者(レイダー)以外の何ものでもない。

 ランタンは視線でルーに堪えるように合図をした。わかっております、と頷き返す。

「あなたたちのことは、まあ、わかった。それで奴らは、なんで戦ってた?」

「俺たちは、もともと貧民街(うえ)とここをねぐらに暮らしていた。ここは古道と呼ばれている。おそらく古い時代の隠し通路だ。巨人と戦っていた頃か、それともいつかの戦国時代だかは知らないが」

 そう言われるとなるほどそう思えてくる。古道は曲がりくねり、時に広く、時に細く、分岐している。逃げるためか、攻め込むためか、あるいはその両方のためかもしれなかった。

 そして今も拡張されているのだろう新しく掘られたような穴もある。

「蟻の巣みたいに複雑で、街の方へも繋がってるし、郊外へも繋がってる。便利な抜け道として貧民街では昔から知られてる。もっとも誰でも自由にって訳じゃないが」

「奴らが出るから?」

「それは最近のことだ、ここ五年。その前は色んな魔物が出現した。迷宮みたいに。それに縄張りもあった。影の教団、雷角(ブリッツ)生肉喰い(フレッシュイーター)。変わったのは奴らが現れてからだ。消失者」

 消失者(イレイザー)と呼称したケヴィンの表情は憎しみによって歪んでいる。

「どの時点で貧民街に紛れていたのか。もしかしたら五年以上、もっと前からかもしれん。貧民街の奴らはいつでも飢えてるからな、それを狙ったんだ。奴ら配給をよそおって卵をばらまいたんだ」

 それは脳食いの卵である。それに気が付いた時にはもう遅かった。

「俺たちの仲間もかなりやられた。奴らの口車に乗せられたんだ。魔物になれるって」

「……」

 それは自業自得だろう、とランタンは思う。地上の迷宮環境化だけに飽きたらず、何を考えているんだ。魔物になりたいだなんて、と表情に出さずに思う。

 ランタンはたまたまぶつかったみたいに、ルーの手を叩いた。ルーはそれで冷静さを取り戻す。

「貧民街の半数は寄生されたんじゃないか。なにが魔物になれるだ。上から来たってことは、お前らは見たんだろう。あれじゃあただの歯車じゃないか。工場機械の一部じゃないか。それに見ただろう、亡霊を。歯車として使い物にならなくなったら、奴ら亡霊を取り憑かせて今度は兵士にするんだ。それが人間のすることか! 人間を何だと思ってるんだ!」

「無駄なく使い潰そうって考えか。脳食いを寄生させて自我を奪う。その上で不定型生物を寄生させて工場で働かせる。死んでしまったら今度は亡霊を取り憑かせる」

 理に適っていると言えば理に適っている。

 人の自我というものは強力だ。かつてリリオンの意識を縛っていた奴隷の首輪(スレイブチョーカー)は強力な魔道具であるが、それでも装備者の拒否反応を抑え込んで命令を実行させることはできない。

 あの不定型生物は、ある一定の行動原理を宿主に実行させるように創造されているのだ。亡霊も。あるいは脳食いさえ。

 消失者たちはかなり魔物に対しての研究や調教を進めているらしい。やはり黒い卵の一集団なのだろうか。

「ケヴィン、ディリが――」

 重傷者の一人が、危篤状態に陥ったようだった。出血がかなり酷く、ぐったりとして青白い顔をしている。

「飲ませてやれ」

「ああ、ディリ。すぐ楽になるからな」

 団員はディリの顎を持ち上げて口を開かせると、こともあろうに不定型生物を喉奥に流し込んだ。核を一つ喉奥に突っ込み、鼻も口も押さえる。ディリの喉がごくんと上下した。

 あまりの出来事に三人が言葉を失っていると、ケヴィンは真面目くさった顔で言う。

「不定型生物は、宿主を最大限生かすために改良されている。言っただろう歯車だって。歯車は飯を食わない。自らの肉体を吸収させて栄養を与えるのだ」

「のだ、じゃない。そんなことして危険はないのか」

「身体が労働に耐えうるようになれば、働きに出ようとするだろう。だが核を吐き出させれば大丈夫だ。宿主を害するようにできていない。まったくの無害だ。我々に仲間は少ない。少しでも生き長らえさせることができるのなら、何だってするさ」

「ちなみにお味はどんなのなの?」

 信じられないものを見るような顔で、ルーが質問したリリオンを見た。少女はまったく好奇心でいっぱいだった。

「微かな塩気と酸味。美味いものではない」

 それは以前寄生していた宿主の胃液の味ではないのだろうか。

「リリオン、絶対に飲んだらだめだ。ちょっとでも舐めたら、もう二度としない」

 何を、と言わなくても伝わったようだった。リリオンはランタンの唇を見つめて、何度も頷いた。

「絶対にしないわ。絶対」

 ディリを背負い直して、再び走り出した。追跡は撒いたようだった。

「俺たちは、復讐のために遊撃戦を仕掛けているんだ。地の利はこっちにある。奴ら複雑な動きへの対応は後手後手だ」

「奴らの狙いは?」

「わからないし、わかりたくもない。尋問しようにも前線に出てくるのは大抵が動く死体だ。たまに動く氷の死体もある。冷凍保存さ。そのままだと腐るからな。あとは上でしこたま武器、弾薬を作ってる。馬鹿みたいに。これは奴らからかっぱらった」

「あんたから、かっぱらってもいい?」

「あまってるのをやる」

「それはどうも。ありがとうございます」

「必要ないように思うが」

「地上で同じのが売られてるかもしれないじゃん」

「なるほど」

 もうこれ以上有益な情報は引き出せそうにないな、とランタンは思う。次は消失者、自我を消し去る者たちの話を聞ければいいのだが、もうそろそろ退き時かもしれない。

 追っ手を撒くため、そしてランタンたちに道を憶えさせないためもあるのだろう、かなり複雑な経路を走ってきた。最悪、二度と太陽を拝めないかもしれない。

「一つ、お伺いをしてもよろしいかしら?」

「なんだ?」

 ルーが柔らかくも冷たい声を出した。

襲撃者(レイダー)にして狂信者(カルティスト)のあなたたちが、いくら復讐のためと言ってもわたくしたちと共闘するとはとても思えませんわ。わたくしたちをどこへ連れて行こうというのです?」

 探索者として、襲撃者を信用しないのは当たり前のことだった。

「ひどい言われようだ。まあ否定はしないが。おっと待て、だが戦いはしない。実力差ぐらい、嫌でもわかる。どれを選んでも勝てないことぐらいは。それほど馬鹿じゃない。――共闘はなりゆき、そう、興味があったんだ。少し、ランタンに」

 ケヴィンはちらとランタンを見た。

 ぞわっと肌が粟立つ。舐め回すみたいな目だ。リリオンとルーがランタンとケヴィンの間に入り、視線を遮る壁になった。

 ケヴィンは気にせず続ける。

「俺たちの仲間に。爺がいた。ものすげえ爺だ。五十年前から爺をやってたような爺だ。その爺が言うんだ。自分は七度、迷宮の崩壊を体験したと。迷宮の崩壊の時、迷宮の中にいて生き残ったって。ほんとか嘘かはわからない。だが爺だからな。爺の言うことはよく聞かなきゃならん。戯言でも。爺は地上に放りされたこともあるし、別の迷宮で目覚めたこともあると言っていた。色んなものを見たといっていた。巨大な鋼の竜種、駆け巡る鋼の大蛇に、その腹の中で笑う人々、天を突くような建物の林立する大都市。すげえ景色をいっぱい見たっていうのに、一番興奮したのは子供を見たことだって言うんだ。黒髪の子供だ。人にして魔物、魔物にして人。そういう夢みたいな存在だ。お前みたいな。まだ判断がつかない。餌にするべき探索者か、それとも――」

 ケヴィンは熱っぽく息を吐いた。口角に付着した涎の泡をぐいと拭う。

「そのお爺さんは?」

 ランタンがまったく他人事のように聞く。

「八度目はなかった」

 ふうん、と相槌を打つ。


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[一言] 爺さんが見たのは現代だったりするのかな……?
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