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カボチャ頭のランタン  作者: mm
08.In The Deep Haze
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 二人の騎士に案内されて廊下を歩く。

 療養所はそれなりの規模があるようで、廊下の左右に大部屋が幾つも並んでいた。

 部屋には扉がなく、部屋の中は安宿で最も安価な大部屋に似てがらんとしている。だが地べたに雑魚寝している探索者や人足の姿はなく、壁際にずらりと円筒が並んでいる。

 一つの円筒に全裸の人間が一人納められている。

 大半は目を閉じているが、中には開いている者もいた。ただ目蓋が浮いているだけの者もいるが、中には廊下を歩くランタンたちを視線で追いかける者もいる。水中で身を捩り、内側から硝子を叩く者も。

 どのような原理か水中で呼吸をしていた。胸郭が膨らみ、また萎む。断続的にそれは行われている。

 彼らには共通点があった。

 人種や性別、年齢ではない。身体付きだった。

 全員がそれなりに鍛えられている。そして肉体が変形、変色している。

 それらは戦傷による変容だった。それを治療しているのだ。元に戻すのではない。傷口をそのまま保存するような治し方だった。

 軽傷者は一人もいない。だが一人残らず生きている。

 傷跡から人の過去を想像することができる。肉体の変容は戦いの結果だ。その所為か、研究施設で見た異形の肉体と近似した形態でありながら、それに感じたおぞましさは感じなかった。

 純然たる治療施設だった。少なくとも今のランタンにはそのように見えた。

 サラス伯爵の善行は、見せかけだけのものではない。別の側面があまりにも醜悪であることは事実だが、実際に多くの人々が彼に救われているのもまた事実なのである。

 伯爵の裏の面を知っていて、それでも伯爵領へ赴く者もいる。サラス領は姥捨て山の側面をもっていると同時に、ただ死を待つばかりの場所でもなかった。

 そこには希望がある。サラス領ならば病や障害を得た人間でも暮らしていける。

 そして伯爵に選ばれる者よりも、選ばれない者の方が遥かに多い。百人に一人、千人に一人、あるいはもっと、もっと多くの内から生け贄は選ばれる。それに選ばれなければ、それから目を逸らせばサラス領は生きていくのに上等な土地だった。

 世界はそのように成り立っている。

 黒い卵の研究も、例えばある施設が摘発され、その施設の研究が明らかになり、それが使い物になるのならばそれは有効活用される。

 悪であるが、彼らはまぎれもなく有能であり、それを有用だと思っている人々も多い。

 例えばランタンや、例えばテスが生み出した死は、それ以上のものを生み出さない。だが彼らは百万の死体の上に、世のためになるものを確かに生み出している。

 善と悪は入り交じる。この世には純粋悪も、純粋善も存在しないのかもしれない。

 あるのは行動と結果、そして主観的観測だけだ。

 現状、非は押し入ったランタンたちにあった。

 だがテスは探索者ギルド治安維持局の職員で、彼女には探索者に関係する事件への捜査権がある。しかも部隊長となれば、自らの判断でその権利を行使することもできる。

 これはかなり強力な権利が保証されている。

 探索者に関係する、という文言を法典に付け加えるため探索者ギルドの金庫は一度空になったなどと噂されるほどだ。

 押し入ったことは無礼だが、しかし違法ではなかった。

 しかしロザリアたちから積極的な協力を得るためには、もう一押しが必要だった。

 リリオンは炎虎を返してしまったので、手持ち無沙汰なのかランタンの手を握っている。ランタンはその手をちょんと引いた。

「なに?」

「ちょっと貸して欲しいものがあるんだけど」

 それはリリオンのベールだった。縁に縫い取られた金糸の刺繍、その一角をロザリアに見せる。

「……王家の紋章」

「と言うわけです」

 ランタンは堂々としているが、はったりだった。ただ刺繍を見せつけただけで、それ以外に具体性のあることは何一つ言っていなかった。

 不帰の森は王領だ。いくら使用許可が出ているとは言え、あくまでも借りているだけだった。地主の意向には逆らえない。それが王家ともなるとなおさらだ。

 ようやくロザリアから戸惑いが感じられた。部屋を出てからまったく取り付く島がないという感じだった。鏡面のシーリアは小さく肩を竦める。

 そういった些細な仕草の一つ一つに人間味を感じさせる。

「できることなら僕らのことを黙っていて欲しい。あなた方の主にも」

「できない」

 それを言ったのはシーリアだった。

 これまでと違い、非人間的な声のように思えた。鏡面の下にあるはずの、人間の表情を想像することができない。

 テスが鯉口を切った。ランタンはそれを止められなかった。

「私たちは伯爵に嘘を吐けない。そのように命令されている」

 ランタン、リリオン。

 名前を呼ばれた。それが他人の名どころか、何か見知らぬ物質名のように冷たく響いた。

「全てを報告するように義務づけられている。判っているのでしょう」

「……ええ」

 ランタンは呻くように頷き、大きく息を吐いた。

「嘘を吐けるのなら、吐いてくれるんですね」

 それが精一杯の虚勢だった。どうにか場の空気を変えたいと思う。リリオンの手だけが暖かい。

「……ありがとうございます」

 気落ちし、それでもどうにか背を伸ばすランタンは健気だった。

 かちり、と時計の針が進むみたいな音を立てて抜きかけられた刀が納められる。テスとロザリアが同時にそれを行った。二人はある意味気が合いすぎるようだ。視線が重なっただけで、再び斬り合いが始まりかねない気配がまだ残っている。

 空気は重く、張り詰めている。

 それでもランタンはどうにかしようと口を開いた。繋いだ手の指先で、リリオンの手の甲を撫でる。するとリリオンも同じことをランタンにする。

「この森に潜む、黒い卵の噂を知りませんか。探しているんです、奴らに捕らえられた探索者を」

「その探索者は?」

 ランタンは視線でテスに許可を求める。テスは刀の柄に手を掛けたまま頷いた。

「名前はルー・ルゥ。蛙人族で、緑の髪。重力魔道の使い手で、徒手格闘の達人で、魔精欠乏症の治療と研究のために魔道ギルドの施設にいた。けど急に消えた」

 らしいです、とランタンは付け加える。

「ルー・ルゥ」

 シーリアが囁く。きちんと人の名前を呼んだように聞こえ、ランタンは少しほっとする。

「森の噂は魔精とともにある。夜一人で森に出るとさらわれる。優秀な学者の下には勧誘がやってくる。霧の中から現れる」

 ランタンはポーチから結晶を一つ取りだした。

「やはりご存じのようですね」

 鏡面にそれが映り込む。白い結晶が映り込む鏡面は、まるで単眼の化け物ようだった。

「ある研究者から聞いたわ」

「なんという人ですか?」

「ツァイリンガー博士」

 ランタンはまったく知らない名前だった。

「徘徊する知識の倉か」

 テスが声に僅かな驚きを込めて呟く。

「有名な人なんですか?」

「護衛を担当したことがある。研究者界隈では知らない者はいないだろう。――個人的には喚く知識の倉と呼びたくなるような老人だった」

 その護衛仕事は憂鬱なものだったようでテスは露骨に顔を顰めた。

 ツァイリンガー博士は迷宮、魔精研究の第一人者だ。

 人格だか精神だか性格だか、ともかく人間性が破綻しているが、極めて有能な研究者であるらしく、彼の構築した理論や研究は、探索者ギルドのみならず工学や薬学など様々な分野で利用されている。

 かつて若い頃に迷宮研究のために、人工的に迷宮を作り出す実験を行った際には、研究施設一つと多くの研究者、探索者、騎士、少数の商人と貴族の命を跡形もなく吹き飛ばしたが、博士の頭脳を失うことを恐れた魔道ギルドと探索者ギルドが助命嘆願をすることで、縛り首になるのを逃れたという逸話もある。

 法廷での彼の言葉は謝罪ではなく、次は上手くやる、と言うことだったがその機会はまだ訪れてはいない。

「彼は色々なことを語ったわ」

 あまりに多くのことを考えているからか彼は常に常人には理解できない何かを喚いている。研究室を歩き回り、そこだけでは収まらず廊下に出て、そのまま外へ出て行ってしまう。喚きながら徘徊する。

 ゆえに徘徊する知識の倉。

 そしてテス曰く喚く知識の倉なのだった。

 この施設にも博士の研究が利用されている。

 それは魔精の収集の魔道式だった。効率よく、大量の魔精を部屋に集める。そしてその魔精を溶液に溶かし込み、薬湯のような魔精薬を生み出す。それに身を晒すことで、対象そのものの生命力を強化しながら、同時に傷病を癒すようになっている。

 本来は死ぬような傷であっても、生き残る。

 そしてその魔道式は、魔精欠乏症の治療にも応用されている。身体から失われる以上の魔精を、肉体に効率よく集めるのだ。

「博士は、この森に滞在していたわ。ここではないけれど、どこかの施設に。そして消息を断っている。一年以上前の事よ」

「つまり、博士を探せば、ルーさんに辿り着く?」

「知らないわ」

「さらわれたのか、それとも自分でどこかに消えたのかも怪しいところではあるな。目を離すとすぐどこかに消える」

 護衛時のことを思い出したのか、テスはうんざりと言った。

 ランタンは舌打ちを噛み殺し、頬に笑みを浮かべる努力をした。リリオンから手を離す。

「お話ありがとうございます。助かります」

 言って、勇気を出してシーリアの手を取った。

 魔道使いの手は手袋に包まれている。手袋そのものが皮膚や肉のように思える痩せた手だった。人間の手だった。ランタンは逃がさぬようにそれを両手で挟み込み、上下に振った。

「おまけにその博士の顔を詳しく教えてもらえませんか?」

 いい根性してるわ、と鏡面の下で呟く。シーリアはランタンの手を力無く振り解いた。

 掌を上に向ける。

 そこに氷塊が生み出された。

「わ、わわわ、わあ!」

 リリオンが感嘆の声を上げる。

 米粒ほどだった氷の粒はみるみる膨らみ人頭大にまで大きくなると、部分的に出っ張ったりへこんだりして、ただの氷塊が人の顔へと変わっていった。

 額は頭頂近くまで広がり、無造作に広がった蓬髪、ざらざらの無精髭、眉間の深い皺、神経質そうな目元、傲慢そうな鷲鼻、歪む口元は何かを喚いているのだろうか。

 いかにも偏屈な老学者という風貌だった。




 魔精は繋がっている。

 海が川に繋がり、川を遡ると小さな湧き水に辿り着くように。その湧き水は山に降り注いだ雨が元であり、その雨は雲から降り注ぎ、その雲を発生させるのが海であるように。

 それは普通に生活していると意識することはできない、極めて薄い繋がりである。海や川のような、目に見える繋がりはない。

 だが世界中に繋がっている。

 そんな中で不帰の森は特殊な環境だった。

 迷宮と同等か、あるいはそれ以上に魔精が濃いと言われている。

 森林を覆い尽くす濃い魔精は、その濃さの分だけ人の意識を濃く反映する。

 不帰の森はすでに人の意思に染まっていた。

 不帰の森という名称は、魔精が蔓延する以前からの通称だった。正確な由來は不明だが、元々が霧深い森であり、人を惑わせることが常だったからだといわれている。

 魔精は意思の溶媒だ。

 例えば探索者が魔道に目覚める時、それは土壇場に追い詰められている場合が多い。

 眼前に迫り来る魔物、あるいは大きな怪我。命の危機によって願う、強烈な生への執着が自らに宿る、あるいは迷宮に漂う魔精と反応する。

 前者であれば攻撃魔道を、後者であれば治癒魔道が顕現する。

 一心不乱に願ったそれは往々にして暴走する。

 自前の魔精を消費し尽くして衰弱死してしまうこともあれば、放たれた攻撃魔道の余波で死んでしまうこともあり、怪我の治癒ではなく恒久的な痛覚の喪失という例もある。

 森に迷った人々は、一体何を願ったのか。

 家に帰ること、目的地へ辿り着くこと。

 それを考えながら迷った不安で、ここが不帰の森であることも同時に強く考えたはずだ。

 森にこだまする幾千幾百の願いと絶望。

 相反する二つの意思はやがて森に発生した魔精に溶け込み、数を増やすにつれて同一性のみが強化され、具体性を失った。

 結果、どこかへ行く、だが森からは出られない、という呪いにも似た魔道となり森に根付いた。

 かくて不帰の森は真実、不帰の森となったのである。

 人工的な霧の門は、森が内包するこの魔道に介入することで距離を省略する。

 森から出られないという制限によって森林外の似て非なる場所へ移動する可能性を減少させ、失われた具体性を補完することで目的地を決定する。

 シーリアの説明にランタンは頷く。

「危ういな」

「何がですか」

「そういう態度だ」

 テスがランタンにだけ聞き取れるような小さな声で囁く。

 視線は前を歩く二人の騎士に油断無く据えられていた。二人は反応しないが、ひそひそ話ももしかしたら聞こえているかもしれない。

「簡単に信用しすぎる。赤ん坊のようだな」

 テスは皮肉げに言う。

「意味不明です」

「人そのものではなく、行動に左右される。引っぱたかれれば泣き喚くが、乳を与えられれば笑う」

 サラス伯爵の支配下にある二人の騎士を、果たしてどこまで信用していいのか。いや、信用するべきではないと、テスは言っているのだった。

 ランタンは悩む。

 サラス伯爵の騎士であること、彼の命令を聞いていることは、けれど彼女たちがサラス伯爵と同一の脅威であることにはならない。

 現状、ランタンたちと出会ったのは彼女たちにとっても予想外のことだ。

 例えばこの場にサラス伯爵が存在するのならば、伯爵は状況に即した命令を下し、彼女たちもそれに従うだろう。

 だがここにはその命令がなかった。

 自由意思によって彼女たちは行動していた。そしてその行動はランタンに悪印象を与えるものは少なかった。

 この場で見たものだけが、ランタンにとって最大の判断材料だった。

 もしかしたらロザリアはサラス伯爵の命令によって、闘技場でしたようなことを罪のない幼子相手にしたことがあるかもしれない。

 もしかしたらシーリアは人間に凍傷を負わせ、伯爵好みの身体を作ったことがあるかもしれない。彼女たちは口でいうのも憚られるようなことをしたかもしれない。

 だがそれは想像に過ぎない。伯爵の家来であるのならば、という偏見によった。

 巨人族ならば邪悪であるはずだ、と考えるのとまったく同一の。

「……彼女たちはリリオンの命を取れない。リリオンがいる限り、僕らに対する行動は制限されると思います」

 ランタンはテスを振り返らずに言った。

「それにテスさんもいるし、この状態でリリオン以外を排除して、リリオンだけを生け捕りにするのは無理です」

「――ふむ、世辞を言ってもどうにもならんぞ。私は博士を目標として飛ぶよりも、やはりルーそのものを目指すべきだと思う」

「……俺も。顔わかんねえけど」

 ジャックが小声で姉に同意を示した。

「わたし、……わたしはわかんない。どっちがいいかなんて。でもルーさんの顔はだんだん思い出したわ。わたし、戦ったもの」

「そっか」

 例えばルーを目的に飛ぶ場合は、先頭をテスにしなければならないとランタンは考えていた。テスしかルーの顔を憶えていないからだ。しかしその場合、テスを失った状況が一瞬生まれる。

 その状況にロザリアとシーリアはどう出るか。

 テスの有無は状況を激変させる。ランタン側の戦力は大幅に低下する。

 そうなると偏見が云々と入っていられない。二人がサラス伯爵の騎士であるという要素は重要になってくる。伯爵の騎士として最良の行動を取るのではないかとも思う。

「なるほどな。その心配はあるか。ではリリオンに先頭をいかせようじゃないか、殿は私が受け持つ」

「――なにランタン、そのお顔。わたしじゃ駄目だって言うの?」

「言ってないよ」

「顔が言ってるわ。あの子だってできたんだから、わたしだって平気よ」

「でも敵地に出るわけでしょ。危ないよ」

「大丈夫、わたしにまかせて!」

 リリオンが胸をどんと叩いた。マーカム姉弟が、過保護だな、ああ過保護だ、とわざと聞こえるように囁き合っている。ランタンはその外圧に屈し不承不承、わかった、と告げた。

 一つ溜め息を吐き、気を取り直してロザリアに声を掛ける。

「聞いていいですか?」

「……」

 無視されたがランタンは構わずに続けた。

「その炎虎ってどうするんですか?」

「……」

「それティルナバンにいたんですよ。孤児院の子が、餌を上げて可愛がっていたみたいなんです。急にいなくなって探し回ってました。見つけたら教えてくれって」

「……」

「機会があれば、その炎虎を見せに行ってあげてくれないですか? 無理にとは言いませんけど、できれば。喜ぶと思うし」

 ロザリアは答えなかった。

「ここだ」

 二人に案内されたのは、ロザリアの妹と同様の魔道式が記述された部屋だったが、極めて簡素なものだった。

 中央に硝子の円筒が一つ、中には両腕のない男が浮かんでいる。先天的な欠損だ。腕の付け根にあたる部分は磨かれたようにつるりとしている。

 しかし両腕がないのに、あるいはだからこそなのか、上半身も鍛えられていた。細く引き締まった戦士の身体付きだ。

 腕に連動するような胸や肩、背中の筋肉も立派に発達している。脊柱起立筋は太い鉄柱を二本、背骨沿いに埋めたかのようだ。

 部屋の隅に鎧があり、それには腕が備え付けられていた。エドガーのそれと同じ魔道義手だろうか。しかし普通の腕よりもずいぶんと長く、肩肘手首の関節はなく、蛇腹状になっている。異形の腕だった。

 ランタンはそれを横目に、部屋の中を確かめた。おかしな所はないように見える。

「この部屋を使うといい。我々はここで見させてもらう」

 扉の前に二人の騎士は並んだ。見送りと言うよりは監視だった。

「ロザリアさん、シーリアさん。ありがとうございました。お世話になりました」

「ました。――ばいばい」

 リリオンは炎虎に手を振ったが、炎虎はまったくリリオンに無関心だった。ロザリアが床に降ろしても、彼女の足元から離れようとはしなかった。ずいぶんな懐きようだ。リリオンは不満気に頬を膨らませた。

「妹さん、よくなるといいですね」

「ああ」

 ロザリアはようやく頷く。

 ランタンは二人への警戒をテスとジャックに任せて、リリオンに結晶を握らせた。

「ちゃんとできる?」

「大丈夫よ! ……でもランタン、わたしのこと触って」

「――どこを」

「どこでも、ランタンの触りたいところを」

 言われて、ランタンはリリオンの頬に触れた。

 柔らかさを確かめるように撫でて、抓って、もう一度撫でる。そして唇を指でなぞった。リリオンは気が抜けたように、にへらと笑う。

 かと思えば、急に表情を引き締める。

「いけない、いけない。ランタンのことばかり考えちゃう」

 リリオンはぎゅっと目を瞑り、どうにかして思考からランタンを追いだし、ルーの顔を思い出そうとした。緑の髪、黄色の目とぶつぶつ呟き、恐る恐る目蓋を開いてランタンから顔を背ける。

 結晶を掲げた。

「投げるからね!」

「どうぞ」

「いくわ!」

「行ってらっしゃい」

「いくからね!」

 早くしろ。

 ランタンがリリオンの尻を引っぱたくと、リリオンは勢いよく結晶を壁に投げ付けた。濛々たる霧が発生し、リリオンが飛び込んだ、ランタンもそれを追う。

 視界が染まる寸前、視界の端で何かが動いたような気がした。金属音が鼓膜にこびり付く。

 余計なことを考える暇さえなかった。

 リリオン、リリオン、リリオンと心の中で三回唱える。戦鎚を引き抜くと同時に、リリオンと同一の場所に出た。辺りは真っ暗で、不快な臭気がした。死臭だった。しかし人の気配はない。

 手を伸ばしリリオンに身を寄せる。

「ランタン!」

「移動は成功みたい」

 背後に二つ気配が増える。ランタンは念のため身体を反転させ戦鎚を向けた。

 金属音が残響のように耳の置くに残っている。

「俺だ。姉ちゃんは?」

「いる」

 テスの声は冷たかった。

「大丈夫だったか? なんか最後、変だったぞ」

「――やられた。部屋の隅の鎧、恐らくあれだ。動いた。遠隔操作だ。鏡面か、腕無しの仕業かはわからんが。あの女に意識を割きすぎた、不意を突かれた」

「喰らったのか?」

「刀で受けたさ。だが一振り駄目になった。視界もなかったしな。小賢しい真似をする。受け損なえば虎女が止めを刺しにきただろうな」

 そしてテスの代わりに、ロザリアが霧に続いたのだろうか。

 そしてランタンたちを、リリオンを。

 ランタンはそう考えて心が軋むのを感じた。テスへの罪悪感や、騎士たちに裏切られたようなやりきれない気持ちが膨らむ。やはり人間は信用に値しないのだろうか。

 ごめんなさい、と闇の中でランタンの声が響く。声の切なさにたまらずリリオンがランタンを抱きしめる。見えないから、と耳元で囁き、頬に何度も口付けした。

 テスが事も無げに呟く。

「ランタン、気にしなくていい」

「すみません」

「いらん。だが次にあの女と会った時は止めてくれるなよ」

 美しい漆黒の毛並みは、闇の中で影が浮かぶほど濃い色をしている。

 リリオンの口付けが頬と唇の境目に触れた。

「灯りつけるぞ」

 ジャックがそう宣言するまで、リリオンはずっと唇を押しつけていた。


一日が三十六時間になーれ!

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