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リリオンは頬から唇を離したが、ランタンの背に抱きついたままでいた。
頬に残っている柔らかさと温かさが、他人の目に見えてしまうような気がして、ランタンは頬を拭った。リリオンに慰められたという現実が、嬉しくもあったが情けなくもある。
年頃の微妙な男心だった。
かつん、と音が鳴る。ランタンは咎められたような気がして肩をびくりとさせる。
それはジャックが魔道光源に衝撃を与えた音だった。強い光ではなかったが、闇に慣れた視界が白く染まった。
目を細め、何度が瞬きをすると色が戻る。滲んだ景色の輪郭が次第にはっきりしてくる。
周囲を確認する。リリオンが抱擁を強めた。しがみつくといった感じだった。
霧を抜けた先は死体置き場だった。
「これは……」
ジャックが呻く。
闇の中で死臭は感じていたが、まさかこれほどだとは思わなかった。
死体が薪のように積み重ねられていた。十や二十では利かない。百体以上あるだろう。きちんと整頓してあるわけではない。肩に担いで運び込んだそれを、投げ下ろしてそのまま放置したような有様だった。
視覚的にそれを捉えると、より臭いが強くなったような気がした。
リリオンが微かに震えている。この歳にして修羅場は潜り抜けている少女だが、それでも衝撃的な光景だった。
死体はどれも頭部を壁に向け、足の裏をこちらに向けている。素足の足の裏は色を失って生白い。大人の足の、半分にも満たない子供の足も多くある。
「わたし、ちゃんと……」
「大丈夫、大丈夫だよ」
今度はランタンがリリオンを勇気づける番だった。胸の前に交差する少女の手を撫でる。
手の甲が白く、硬く、冷たくなっていた。
ルーを目標として霧をくぐり、そしてこの場所に出たと言うことは、つまりそう言うことだとしか考えられない。
さすがのテスも表情を厳しくし、だが落ち着いた足取りで死体の山に近付いた。
俯せになった死体の一つに手を掛け、仰向かせた。死後硬直はすでに解けている。腐敗はしていなかった。死臭はあれど、腐敗臭はない。
部屋には温度がなかった。温かくなければ、冷たくもない。なのにずっと背筋がぞわぞわする。
死体はどれも服を身につけていなかったが、死因を特定できるような外傷もなかった。ただどの死体も一つ残らず刺青が彫られている。
テスは次から次へと死体を検める。
「ジャック、扉につけ。見張りをしてろ」
手伝おうとしたジャックにテスは指示を飛ばした。ジャックは扉と姉を見比べる。
「どうせ顔を知らないだろ」
言われて、ジャックは光源をその場に置くと扉に近付いた。扉に耳を当て外部を探り、僅かに隙間を開いて顔を覗かせた。そしてすぐに引っ込ませる。
「人の気配はする。だが近くにはない。たぶん地下だ。空気がいやに冷えてる」
「そのまま警戒してろ。人が来ても慌てるな。通り過ぎればよし、入ってくるようならこいつらの仲間入りをさせてやれ」
「わかった」
ランタンとリリオンは動けないでいた。
これまでも死体を目にすること珍しくはなかったし、人のそれであっても見慣れていると言えるほど目にしてきた。この世界では戦場でなくとも、死は日常的だ。環境衛生も医療技術も食糧事情も、人の生命を長らえさせるにはまだまだ未熟だった。
それでも単純に圧倒されるほどの数だったし、なぜ死体となったかを感覚的に理解できないことが無意識的に足を竦ませた。
死体はどれも綺麗なものだった。
どれも外傷はなく、多少痩せていても餓死するほどではないし、老衰するほど老いてもおらず、病を得たような雰囲気もない。顔も何も物語っていない。血の気が失せ、青みがかった肌に張りはなく、蝋で作られた精巧な人形のようだ。
「――手伝います」
わざわざ宣言したのは、自分を奮い立たせるためだった。ルーの容姿はうろ覚えだが、顔を見れば思い出す。ランタンはリリオンの腕を解き、ほのかに温かさの残った甲に頬ずりをした。
「リリオンはジャックさんのお手伝い」
「……ううん、わたしも探す」
声は少し震えた。死体と同じような青い顔をしていた。
「無理しなくていいよ」
リリオンは頑なに首を横に振った。
自分がこの場に連れて来たのだという責任をリリオンは感じていた。この状況を作り出したのが自分で、まるで自分がルーを殺してしまったのだというような。
「わかった。きっとここにはいないよ。だから探そう」
ランタンもリリオンも、あるいはテスも、ルーが見つからないことを確かめるために死体の山からルーを探すのだった。
近付くと身体付きがはっきりとする。男女の肉体の差も一目でわかるようになり、亜人族が少ないこともわかる。少なくとも全身を毛で覆われている亜人族は一人もいない。きっと全ての死体に施された刺青を入れるためだ。
ルーは蛙人族の女で、成人している。あからさまに男、子供、頭上の耳や尻尾の生えている亜人族の身体を省き、次々に死体を仰向かせる。
掴むと肉は弾力を失って、指の形にへこんだまま戻らなかった。ひんやりとしていて、死臭の下から微かな薬品臭がする。
髪がかさかさしていて、その毛先や眉や睫毛に、塩の結晶に似た半透明の塊が付着している。身体に彫られた刺青の模様は、どれも似通っている。基本となる模様があり、個々の身体に合わせて少しずつ変化させている感じだった。
ルーは見つからない。
「……ん?」
ランタンは一つ一つ顔を確かめていると、不意に手を止めて眉根を寄せた。訝しむように。
死体の顔を見つめる。二十歳ぐらいの人族の女だった。ルーではない。かといって知っている顔でもない。だが既視感があった。どこかで見ている。特徴のある顔ではないから、どこかですれ違った顔を憶えているわけでもないだろう。
「ランタン、どうしたの? もしかして……」
手を止めたランタンに、リリオンが恐る恐る声をかけた。
「いや、違う。なんでもない」
ランタンは慌てて作業を再開する。
「――おい、ランタン。死体に見惚れてるなよ。さすがの私もその趣味はどうかと思うぞ」
「気味が悪いことを言わないで下さい」
ランタンはうんざりして言い返した。
「ははっ、節操ないからな。お前」
ジャックが扉から耳を離して、姉の冗談に乗っかった。
「あの女騎士たちにも色目使ってただろ。なんでもありだな」
「使ってないし、ありでもないです。下らないこと言ってないで、ちゃんと見張っててください」
「見張ってるよ」
「見てないでしょ」
「耳で見てるんだよ、お前の毛も生えてない貧弱な耳と一緒にするな」
毛が生えてる生えてないは関係ないじゃん、とランタンは不満そうにする。
延々と死体の顔を確認するという気の滅入るような状況にあって、小さく笑い声が溢れた。それまで黙々と確認作業をしていたが、それをきっかけに口を開くようになった。
「この死体、なんなんでしょうね」
「刺青に薬漬け。奴らのすることはよくわからんな」
「刺青は魔道式ですよね。どんな効果なんでしょう」
「さてな、薬で洗脳して魔道戦士でも作っていたのか。それとも迷宮崩壊薬化か。なんにしろ碌なことではあるまい」
「――姉ちゃんってさ、姉ちゃんの仕事って毎回こんなことやってるのか?」
「馬鹿を言うな。そんなわけあるか。私の基本的な仕事は制圧と殲滅だ。こんな面倒なこと毎回やってられん」
「……面倒ってそんな正直な」
「自分を偽ってなんになる。死体漁りなど私の趣味ではない」
テスは気軽な口調で言いながら、死体をごろんと仰向かせた。
「……いた」
不意な言葉だった。雑談によって誤魔化されていた不安が生々しく背中にのし掛かる。耳が痛いほどの静寂が満ちた。
そしてそれを打ち破ったのはリリオンだった。
「こっちにも」
「……――はあ?」
「こっちにも、いる」
心を黒く染めるような動揺が、あからさまな戸惑いを含んだ少女の声と反応し、奇妙な可笑しさに変化して心を染め直した。ランタンだけではなく、テスまでもが気の抜けた声を出した。
「え、いや、ええ……」
「だって、これ、そうよ」
何を言ってるんだ、とリリオンに近付く。リリオンは恐れるような、不思議がるような、不安げな表情でランタンを待っていた。ランタンは少し茶化すみたいに、リリオンに肩をぶつけて少女を押し退け、死体の顔を覗き込む。
ああ、こんな顔だった。
肩口ほどに伸びた髪。たしか最後に目にした時は髪をもっと短く切っていたはずだ。閉ざされた目蓋には化粧をしているわけではないのに整脈が透けるような色味がある。血の気の失った肌合いもまた、青というよりは緑がかっているのは蛙人族だからだろう。
筋肉は少し落ちているだろうか、けれども探索者らしく引き締まった、そして女らしい豊かなら身体付きをしていた。
ルー・ルゥの死体だった。
だがあっちにもこっちにもいるのはどういうことだろうか。
「テスさん」
ランタンはその死体を肩に担ぎ、少し離れたところに丁寧に横たえた。テスも見つけた死体を運び、その隣に寝かせる。
瓜二つの死体だった。髪の長さ、肉付き、施された刺青に誤差程度の違いがある。だがそれだけだった。一卵性双生児だとしてもこれほど似ることはないだろうと言うほど、顔の作りも身体そのものの作りも似ている。いや、同じだった。
テスは難しい顔つきで二つの死体を見比べる。
「これは、ルーさんですよね」
「だな」
「どっちが?」
「どちらも、そう見える。なんだこれは」
テスさえも戸惑いを露わにしていた。ルーの死を認識した時の衝撃はすでに失せていた。それどころかルーの死という事実すら疑い始めていた。二つの死体がある。どちらかが本人かもしれない。だがどちらも本人ではないかもしれない。
「あ」
ランタンが不意に声を上げると、死体の山に戻った。
「どうしたの?」
リリオンの声を背中に受けながら、確認し終えた死体の中から二体を引きずり出した。
一方はランタンが既視感を憶えた死体で、もう一方はそれ以前に確認した死体だ。
「この人とも同じ顔だ」
死体の顔を確認している際に感じた既視感は、その所為だった。髪の長さががらりと違うし、髪色も少し違うために、その時ははっきりと気付かなかった。だが並べてみると同じ顔をしていることがわかる。
「ほんとだ」
髪色は薬の影響だろう。
「髪と、刺青だけが違う」
ランタンはひっくり返して背中の刺青を確認する。似た刺青だが一部分だけが、僅かに違う。
「こっちもそうだな」
テスはルーの死体の脇に座り込み、その身体を検める。目蓋を持ち上げ、口腔を覗き込み、刺青を指でなぞる。
テスはおもむろに立ち上がり、再び死体の山に歩み寄った。先程までは死体に敬意を払うように、急ぎながらも丁寧に扱っていたのを一変させて、塵の山から誤って捨てた宝石を探すみたいに死体を退かし始めた。
「あった。これもだ」
テスは林檎でも放るみたいに死体を背後に放り投げた。ランタンとリリオンは慌ててそれを受け止める。意識のない人間の重さたるや、不意を突かれた二人は揃って踏鞴を踏んだ。受け止めたそれは三体目のルーの死体だった。
同じ顔が幾つも並んでいる光景には気味悪さよりも、不可解さが強く感じられる。
「――おおい、なんだよ。どういうことだ?」
「あとで教えてやる」
健気に見張りを続けているジャックを、テスは冷淡にあしらった。
死体の山をひっくり返すとルーの死体は七つも見つかった。
七つの同じ顔の死体が並んでいる様子は圧巻を通り越して現実感がない。
「複製か」
テスは冷静な眼差しでそれらを見下ろし、ぽつりと呟く。
人体の複製は黒い卵の研究内容の一つだ。それを用いて複数のルー・ルゥを創り出したとしか考えられない。
「ちょっと手伝え」
テスはランタンに指示をして、死体を並び替える。すると見えてくるものがあった。
肉体に彫り込まれた入れ墨の魔道式が、次第に洗練されていくのが素人目に見ても理解できた。ある魔道式を完成させるためにルーは使われていたのだ。
魔道式は本来紙の上で試行錯誤を繰り返し、基本形を固め、式を刻む対象ごとに少しずつ式を変化させる。
その変化は記述者の経験と感性に基づいて行われ、それによって驚くほど強力な魔道を発現させることもあれば、線一本の違いでがっかりする結果に終わることもある。
物に式を刻むのならば、似せたもので事前に試すこともできるし、失敗しても替えが利く。
だが人体ではそうはいかないし、他人の身体で試すことなどできないし、意味もない。
ある人とは相性のいい魔道式でも、別の人にはただの刺青となる可能性すらあるからだ。
しかしだからといって特定の個人に特化した魔道式を完成させるために、その人体を複製するなど狂気の沙汰である。
いや、人体の複製そのものすら。
いいや、なにもかもが。
「人体の複製技術が、完成に至ったとは聞いていない」
テスは独り言のように呟く。
「劣った複製で試し、完成したものをルーに刻んだはずだ」
そして魔道式を死者に刻む理由はない。魔道式は当人の意思によって発動する。
「だがルーでなければならなかった理由はなんだ」
ルー・ルゥには特筆すべき特徴が二つある。一つは魔精欠乏症。もう一つは重力の魔道。どちらも望んで手に入れることは難しい特徴だった。
単純にまったく無関係の魔道式を刻むのなら、魔道欠乏症の個体を選ぶ必要はないはずだ。そして黒い卵が重力魔道という珍しい魔道の所有者を、無駄に消費するとも思えない。
「じゃあルーさんは」
ランタンがテスに問い掛ける。
テスは急に刀を走らせた。
「何をっ!」
ランタンは驚いて目を見張り、リリオンは咄嗟に顔を背けた。
テスはいきなり死体の顔を削いだのだ。テスは切り離した頬肉を捲り上げ、露出した真っ白な骨を覗き込む。
「ここにルーはいない。リリオンに砕かれた痕がない。これは新しく作られた物だ」
テスは頬肉を元に戻した。傷口をぴたりと合わせると一度、削がれたようには思えない。リリオンは恐る恐る視線を戻し、目をぱちぱちさせた。見間違いをしかたのように、その顔を見つめる。
それからぽろりと呟く。
「ルーさんは生きてるのね」
「ああ」
「じゃあ、早く助けに行かなきゃ!」
「ああ、そうだとも」
テスが力強く頷くと、リリオンは奮い立った。
「俺にも教えてくれねえかな」
扉にもたれ掛かって、ジャックがやるせなく呟く。
行動方針はテスの基本業務に準ずることにした。
つまり制圧と殲滅だ。
もちろん最優先目標はルーの保護だが、保護したら終わりではなく、その道中であっても、この施設を制圧し、歯向かう者は殲滅する。手加減はしない。
ざっくばらんにそれだけを決定して、ランタンたちは死体置き場から出た。
なるほど確かに地下特有の気配がある。空気がひんやりしていて、圧迫感があった。空気には少し薬品臭がするが、ほとんど気にならなかった。死臭よりも余程ましだ。
「こっちが下りだな」
テスが左方を指差した。低い風鳴りが聞こえる。空気を送り込んでいるのだ。僅かな風の流れがあった。
テスが先頭に立って殺風景な通路を進む。ランタンとリリオンを間に挟み、ジャックが殿に付いた。ぴんと立った三角耳が忙しなく外転したり内転したりして、背後の音を探っている。
テスは角で立ち止まり、リリオンが所持していた手鏡を使って角の先を確かめる。角を二つ曲がったところまで、人と出会うことはなかった。
「人だ。二人。部屋もある」
テスが小声で囁く。
「私が仕留める。部屋からの出入りを見てくれ」
「情報は?」
「二人斬ったところで、まだ部屋の中にたっぷり残ってる」
テスはそう言い残すと、角から飛び出した。ランタンは糸で結ばれたようにその背を追って、悲鳴を上げさせることなく二人を絶命させたテスを追い越して、廊下の真ん中に一つだけ設けられた扉の脇に背中をつけた。
リリオンがおっかなびっくり顔を出し、忍び足でランタンに駆け寄る。
「ここで見てて」
ランタンはリリオンを残し、次の角の先を確認し、すぐにリリオンの側に戻った。テスもジャックも扉の前に陣取っている。
「警備兵みたいのがいました。四人」
「なるほど。どういうことか中の奴らに聞こうか。ジャック」
「はいはい、見張りだろ。わかってるよ」
「――僕とリリオンが見てましょうか? これ、静かに物事を進めるのが苦手ですし」
ランタンは戦鎚を叩いた。ジャックはちらとそれを見て頷く。
「それもそうか。じゃあ、ここで待ってろ。すぐ中に入れてやる」
すぐ中に、と思いやりがあるんだか、冷酷なんだかわからないこと言うジャックは、見張りばかりやらされて不満でも溜まっていたのか早々にナイフを抜いた。
ランタンが僅かに扉を開くと、姉弟は液体のように扉の隙間から部屋の中に滑り込んだ。
ランタンはすぐに、音もなく扉を閉める。
「取り敢えずあれを運ぼう」
「うん」
二人がテスの切り伏せた死体二つを部屋の前に移動させた時、テスたちはすでに事を終わらせていた。
「お、気が利くな」
扉を開けてランタンに声を掛けると、テスは紳士然と扉を押さえて二人を中に招き入れた。死体を中に運び込み、担いだそれを角に座らせた。
そこは手術室のようだった。まな板みたいな手術台が六つ並んでいる。壁際にはすでに見慣れた硝子の円筒が並び、だが中は空っぽだった。手術台の上に、二人、寝かされている。
一人は少年で、一人は青年だった。全裸でやや半身の俯せにされている。
背部に、背中だけではなく項から臀部、裏腿や脹ら脛にまで刺青が彫られている。だが完成はしていないようだった。半分ほど筋彫りの状態だった。
白い肌にインクと血が滲んでいる。
麻酔によって眠らされているのか、微動だにしない。
ランタンは少年の顔を覗き込む。目を閉じていなかった。目の前で手を振るが反応はしない。頸動脈に触れると、弱々しいが脈拍はあった。体温は低い。
床に六人の研究者、いや彫り師が転がされている。抵抗した形跡はみられなかった。
ジャックが手早く身体検査し、足首と手首を拘束する。そしてまず一人、襟首を引っ掴んで空いている手術台の上に乗せた。
「起こすぞ」
「ああ」
ナイフの柄で眉間を打つと、彫り師は電気を流されたように手脚をぴんとさせて目を覚ました。拘束具が軋み、肉に食い込む。
覗き込むテスとジャックに驚いて何かを言おうとしたが、口内に刃先を突き入れられて言葉を失った。じわりと額に脂汗が浮かぶ。
「私の問いに正直に答えろ。口答えは許さん」
テスが宣言し、ジャックはゆっくりとナイフを引き抜いた。
「なんだ、お前ら――」
声は掠れた。ジャックが彫り師の耳を削いだ。悲鳴を上げようとしたが、テスに顎を鷲掴みにされる。ぎしぎしと骨が軋む音がランタンの耳にまで聞こえる。
「許さないと言ったはずだ。次はない。まだ向こうに五人残ってるからな。一人ぐらいどうと言うことはない。ああ、そうだ。もちろん答え合わせもする。偽証はためにならんぞ。ジャック」
テスは手を離し、ジャックは男の鼻を削いだ。
男は白くなるほど唇を噛み締めた。
テスは頷く。
「それでいい。やればできるじゃないか」
どちらが悪人かわからなくなるような光景だった。
テスは淡々と情報を搾り取る。手慣れたものだった。
組織名、施設の場所、内部構造、人数、研究内容、そしてルーの在処。
六人中五人に同じ質問をした結果、四人の内容はほとんど合致した。一人は半分は合致したが、半分は回答できなかった。質問をしなかった一人は、抵抗が激しく質問を諦めた。
彼らは黒い卵の一員であるが、研究者ではなかった。肉体への魔道式の記述を専門とする職人だった。
抵抗した一人は自身の肉体にも魔道式を記述しており、抵抗する際に腕から炎を発生させ、拘束を解いた。だがその瞬間に肘から先と命を失った。生焼けの腕は床に転がっている。
施設は不帰の森の深部にあるらしいが、彼らも転移によって連れて来られ、外に出ることも許されていない立場であり、正確な場所は認識していなかった。
ある意味、軟禁されていたに近く、黒い卵に所属しているという意識が薄い者もいた。
興味本位や給金に惹かれて足を踏み入れたものの研究内容に怖じ気づき、だが制裁が怖くて抜け出せなくなっているのだ。もちろん自らの欲求に忠実な者もいる。
施設は地上二階、地下は螺旋状に通路が下に伸びているようだ。地上二階部分が居住区で、一階以下は研究施設となっている。地下深くへ進めば進むほど、研究の重要度は上がり、この手術室が一般の研究者が出入りできる最も深い部分である。
この先にいる警備兵は手練れであるそうだ。
施設内には百名以上の人が暮らしており、使用人と警備兵で約四十名ずつ、少数の研究者とその手伝いが六十名ほどらしいが、研究材料を含めるとその倍では足らないようだ。
研究内容は多岐に渡るが彼らが知らされている中での主な研究は三つ。
生命の複製。
人格の操作。
魔精の運用。
しかしこれらが最終的な研究かといえば、そうではないようだ。これらを統合し、何かをなそうとしている。
彫り師たちの作業は魔精の運用にかかわるものだった。
複製された人間を定期的に寄越され、与えられた魔道式を肉体に彫るだけだと、口裏を合わせたように語った。手術台にいる二人に魔道式を刻むのは、もう三度目だと。
彼らは詳しい研究内容を教えられていないが、それでも黒い卵に認められた職人であり、来る日も来る日も魔道式を彫り続けていれば、教えられずとも式の内容を読み取れるようになる。
これまで彫った魔道式の内容はどれも魔精の吸収と放出を基本としたもの。
だがこれには彼らも首を捻った。
魔精の吸収、放出を補助する魔道式は自体はそれほど珍しいものではない。失敗すると慢性的な魔精酔いや、あるいは欠乏症を発症してしまうが、前者は自己強化として、後者は魔道権限の補助として探索者も刻んでいる。
だがそれを同時に刻むことはまずない。
これでは底を抜いた鍋に水を注ぐようなものだ。
そしてルーも確かにここで、彼らに魔道式を彫られていた。彼らはルーのことをよく憶えていた。
他の肉体は無地であったが、ルーだけは元もと魔精欠乏症治療を兼ねた魔道式が刺青があったこと、そしてルーに魔道式を彫った回数は十や二十では済まず、もうすっかり顔見知りなのだと言った。
最後に刺青を彫ったのは三日前で六人がかりの大仕事だったこと、そしてその魔道式の複雑かつ洗練された美しさたるや、職人人生で最も優れていたこと、そしてそれさえも複製の最後の試しであったことを、職人に残された最後の矜恃か悔しそうに語った。
本物はきっと下だろう。どんな彫り師がいるのか見てみたい、と彼らは口を揃えて言った。
「なるほど、充分だ」
そしてテスはあっさりと全員を始末した。命乞いを言う暇も与えなかった。
ランタンとリリオンは最初から最後まで、何もすることがなかった。せいぜい刺激の強い光景を、今さらではあるがリリオンに見せないようにするぐらいだ。
「――この二人はどうする?」
ジャックが手術台の二人を見た。
ぼんやりとい開かれた眼は何も見ていなかった。
「魂まで複製することはできない。これは空だ」
テスは言うが早いか、恐るべき早業で頸部を破壊した。そしてそっと瞼を下ろし、手術着を被せた。そうするとただ眠っているように見える。
「ルーは近い。取り返すぞ」
テスは振り返らず、手術室から出た。
手練れの警備兵とらやも、テスの前には無力だった。




