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シーロは頬にガーゼを張り付けている。
頬の腫れは、シーロそのものの恐るべき治癒力と、そしてそれを倍加させる魔道の力ですでに引いている。
だが怪我が治ったのは見かけだけだ。
左の奥歯は上下ともに砕けてしまっている。そのため食事を摂るときは、右の歯で噛むしかない。そのため腫れは引いたが、右の頬は膨らんでいる。
がっしがっしと肉を咀嚼してごくんと飲み込む。飲み込んだら、また拳大の肉を口に放り込み、右の頬が冬支度をする鼠のように膨らんだ。
ランタンは額にガーゼを張り付けている。
その下の傷跡は何代か以前のネイリング家の当主が討伐した、蜘蛛の魔物が紡いだという糸を使用して縫われている。その糸は獲物を捕らえ、それ自体が獲物を生かしたまま肉体を溶融するという曰く付きの妖糸であった。
蜘蛛はそうやって溶かした獲物の肉体を体表面に張り付け、死にきれず蜘蛛の一部と化した獲物たちのすすり泣きがまた新たな獲物を呼び寄せたという。
極めて呪わしい話であるが、縫い糸としては特級品でこれによって閉じた傷はその跡を残さぬという代物である。が、やはり自分の肉体の一部となるとあまり気分は良くない。それに妙に痒い。蜘蛛の呪いかもしれない。あるいは汗を掻いたからだ。
ランタンが無意識に手を伸ばすと、リリオンがその手を掴んで止めるのだった。
「だめよ、ランタン」
押さえられた手にはナイフが握られている。それで傷口を掻こうとしたのだった。ガーゼの上から、ナイフの腹を使えばそれほど危なくもない。
シーロがちらとその光景を見た。やけになったように肉の塊を口に詰め込む。そして大して咀嚼もせずに飲み込んだ。
シーロがどんと音を立ててフォークを置いた。
「俺の勝ちだ」
シーロの皿からは綺麗さっぱり肉が消えている。ランタンの皿の上にはまだ二塊ほどの肉塊が残っている。ランタンは唇をへの字に曲げた。黙るランタンの代わりに、リリオンが口を開いた。
「シーロさんもダメよ」
「なにがだ」
「ちゃんと噛んで食べないと健康に悪いのよ。それに喉につまったらどうするの?」
「む、そうだな」
照れてんじゃねえよ、とランタンは怨敵に突き刺すように肉の塊にフォークを突き入れて、唇を脂で汚しながら荒々しくそれに齧り付いた。両の頬を膨らませて、顎をぎしぎし言わせながら肉を噛み締めた。
勝負などはしていない。
ただなぜか、このようなことになっただけで。
例えば傷の治療は同室で受けた。興奮のせいで麻酔は効かず、治療は激烈な痛みを伴ったが互いに、互いが隣にいることを意識して、それにリリオンが付き添っていたので、一声も漏らすことはなかった。
例えば同じ方向に歩いているとき、なぜか曲がり角まで抜きつ抜かれつの全力疾走をすることになった。そして曲がり角に到達した時、後れをとっている方が、諦め悪く次の角まで全力疾走するものだから、もちろんもう一人も全力疾走する。そして子供のように屋敷を駆け回った。
それを見かけたメイドは呆気にとられ、臣下は慌てて端に飛び退き、探索者上がりの騎士は無責任に発破を掛けた。そして二人して亜人族の老臣グラウスに見つかりしこたま怒られたのだった。
昨日の今日だというのに素振り百本を命じられ、危うく命の取り合いになるところだった。だがいつの間にかリリオンが参加し、ベリレが合流することで、耐久素振り大会になってしまった。優勝は空気を読まぬ健康優良児のベリレで、二位は元気百倍のリリオン、前日に死力を尽くした二人は同率三位で力尽きた。
子供のような意地の張り合いだった。
シーロは恐らく本気だが、ランタンはそれが少しだけ面白くなってきている。
ファビアンがわざと二人に竜種の餌やりを頼むと、シーロは返事もせずに竜舎へと駆け出す始末である。ランタンは、いいように使われてるな、と思いながらも全力疾走でシーロを追いかけるのだった。
「うわ、偏食極まりないな、こいつ。ほれ、茎も食べな。出された物は残さず食べろ」
観賞用の竜種である。成体となっても全長五メートルほどの小型種で、それは全身を鮮やかな青い鱗で包み、硝子質の嘴が黒く、翼の先が赤い。四足歩行で、木登りが得意。十メートルほどの高さがあれば、そこから滑空することで数百メートル、時に数千メートルも飛ぶことができるという物理法則をねじ曲げかねない存在だった。
草食で花を好んで食べるのだというが、ランタンが餌をやっている個体は特に偏食家だった。他の個体が与えられた雑穀をがつがつ食べているのに対して、これだけは見向きもせず生花の先端だけを食んで嘴を閉ざした。茎で嘴を突くと、拗ねたように横を向いた。
「好き嫌いしたら大きくなれないのよ」
穀物をぱんぱんに詰めた袋を三つも担いだリリオンが告げると、偏食竜は身体を丸めて不貞寝をし始めた。確かにこの竜種は他の個体と比べて二回りも小さい。
その代わり一目でわかるほどに発色が良かった。例えば他の竜種の鱗が単純な青に対して、この竜種は深い色合いをしていた。光を浴びる海の色、紺碧の鱗だった。
飼育員の一人が言った。
「冬に咲く花を集めるのは一苦労でね。この間ようやく花咲く迷宮が発生したが全て毒花だった」
「お腹ぺこぺこなのは辛いものね」
空腹の時代を思い出したのかリリオンが哀れみに満ちた声を出した。
「リリオンちゃんって魔性の女よね。――日帰りですから、時間が来たら引き返してくださいね」
ティルナバンに持ち帰る起重機の試運転をしながらミシャが言う。一通りの操作を試したところで、ランタンとリリオン、そしてシーロとベリレ、運び屋としてドゥイを迷宮に送り出した。
滑らかな降下だった。シーロが少し驚いているのが、白霧に飲み込まれる直前に確認できてランタンは得意気になった。
向かう先はネイリング領に発生した管理外迷宮であり、植物系であるということだけが確認されている。迷宮の規模やその難易度すら不明であった。
シーロの発案で、竜種の餌としての花を集めることになったのである。
迷宮口直下に辿り着つくとランタンやベリレは気付け薬を慣れた様子で噛み砕くが、シーロとリリオンは最後までぐずぐずしていた。
「相変わらず不味いな。でも時間がないんだからぐずぐずしないで」
ランタンが言うとリリオンとシーロが丸薬を噛んだ。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
植物系迷宮は、地上の冬景色とは打って変わって爽やかな夏を思わせた。
探索者を誘い込むように真っ直ぐと奥深くへ延びる道は、百万の獣が移動したように踏み固められて黒々とした土を晒している。
左右に壁はなく一面に腰ほどの高さの草花が茂っていた。濃厚な緑の香りがする。
道を外れたらどんな景色が広がっているのだろうか、と心の底で興味が湧くが、それも迷宮の罠であった。
例えば道を外れても、振り返って元の道が見える間は良い。だがある境を超えた瞬間、振り返れば見えたはずの道は見えなくなり、探索者は迷宮の攻略はおろか、脱出すら不可能になる。
ランタンは遠くに見える色鮮やかな蝶を追いかけようとしたリリオンの髪を掴んだ。
「隣においで」
一言でリリオンはランタンの隣に収まった。
シーロがさっそく万物流転を抜き、道の輪郭を作り出す草花を薙いだ。柔らかな草花の茎は一つも折れることなく、瑞々しい断面も露わに一斉に切り裂かれた。シーロはその中から先端に花をつけたものを選んで拾い上げる。
ランタンの隣からぴゅっとリリオンが飛びだしてそれを手伝い、いそいそと十数の花を摘んで荷台に乗せた。
ふふん、とシーロは自慢げな顔をする。
「よーし、私もがんばるわ」
「じゃあ、俺もはじめようかな」
シーロを手本とするような年下二人を、そしてシーロ本人もランタンは制止した。
「はい、戻って。なにやってんの?」
「花を摘んでいるんじゃないか。それが目的だろう」
急な探索であった。そのため事前準備というものが何もなかった。探索をする前には、その目的を果たすために様々な話し合いが行われることが常である。それを怠った結果がこれだ。
ランタンは額の傷が痛み出したように頭を抱えた。
「探索者としての経験は僕が一番上なので、ここからは僕の命令に従ってもらいます。従えない人間は迷宮口で待機です。返事」
久し振りの迷宮で、ランタンは調子を取り戻しつつあった。
「はい!」
「は、はい」
返事をしたのはリリオンとドゥイだけだった。残りの二人は微妙な顔をしているが、ベリレに視線を送るとしぶしぶ返事をした。
「……はい。ああ、ええっと、何か間違えたか」
残るはシーロだ。
「今回の探索の目的はなんですか。はい、ベリレ」
「竜種の餌集め」
正解の褒美に、足元を這っていた紙切り虫をベリレにやった。魔物ではない。だが迷宮の産みだした生物だった。男の子ならば昆虫が好きだと思っていたが、ベリレは変わらず微妙な顔をしている。
迷宮探索の最大の目的はこれの攻略であるが、これは二つの目的を達成するための結果に過ぎない。
一つは魔物の狩猟。鱗に皮、角に牙、爪に内臓、血肉、装備、そして魔精結晶、迷宮核。魔物から得ることのできるこれらを獲得するために探索者は迷宮を攻略する。
そしてもう一つが迷宮の構成材の採掘だった。迷宮を形作る構成材は、その迷宮によって様々だ。既知の物質もあるが未知の物質であることもままある。基本は建材や鋼材であり、ごく稀に金鉱や銀鉱、宝石が取れることも、化石燃料が取れることもある。
今回のランタンたちの目的は後者だった。
「たとえば鉱石だった場合、普通の探索者は帰り道にこれを採掘する。さて理由なぜでしょう。はい、リリオン」
「重たいから」
「よくできました」
ランタンはシーロの刃から逃れた花を、慣れた手つきで摘み取った。狩猟刀で茎の長さを整え、葉を落とし、花粉を払ってリリオンの髪に飾った。
「さて次の問題です。この花の髪飾りは帰り道ではどうなっているでしょう。はい、シーロさん」
ぱっと笑ったリリオンが、一転しょんぼりと項垂れた。日帰り探索とは言え、活けるわけでもない摘んだ花の未来を想像したのだ。
シーロが難しい顔をして答えない。
「あ」
リリオンは髪に飾られた花が、するりと抜かれて顔を上げた。
ランタンはその花と荷台に横たえられた花をあわせて束を作り、逆さまにして荷台に括り付けた。
「それなりに風も吹いているし。止まらずに進めば折り返しぐらいにはドライフラワーになってるかもね」
ランタンはリリオンの頭を撫でて、シーロを見た。
「まずは折り返し時間まで魔物を排除して進む。文句は?」
「――ない」
絞り出すようにシーロが呟いて頷く。
「絶対服従ね」
「……まるで迷宮王女じゃないか」
そして探索が再開された。
ランタンの経験から考えて、この迷宮の攻略難易度は低難易度だと考えられた。
魔物との遭遇頻度はそれなりに高い。通常の迷宮では前方からしか魔物が出現しないが、壁のない草原の形態であるためあらゆる方向から魔物が襲いかかってくるのだ。
食人花や首吊り蔦、地中から飛び出す串刺し根、近付くと爆発する仙人掌、木剣を構える木人。
魔物の強さはそれなりだ。
だが、なにせ探索班が一騎当千の強者揃いである。
シーロの雷撃は視認距離がそのまま攻撃距離であったし、ベリレの竜骨槍は一度振り回せばあたり一面を薙ぎ払った。二人とも近距離戦闘でも一流だったし、近距離ではさらにランタンとリリオンがいる。
リリオンの二刀は絶好調であったし、植物系魔物は中には炎熱に耐性を持つものもいるがランタンの爆発の敵ではなかった。
なるほどギルドが迷宮に下す評価の難しさはここにあるのか、とランタンは一人納得する。
基準は常に自分にある。ランタンたちにとっては低難易度だが、ギルドが評価を下せば中難易度になるかもしれない。
「ランタン、なんかいっぱい来る!」
リリオンが背伸びをして、迷宮の遠くへ目を凝らした。
まるで雨雲が立ちこめるようにゆっくりと暗い影が忍び寄ってくる。
「なんだあれ。ベリレ」
「おう」
ランタンが命じると、ベリレが釣り竿のように槍を撓らせて、その穂先を影に投擲した。柄を回転させると、伸びた竜の髭にその回転が伝わり、影の内に飛び込んだ穂先が生き物のように跳ね暴れた。
「反応無し」
影は切り裂かれるがままで、一切の抵抗を見せなかった。その代わり少しも数を減らしたようにも見えなかった。膨大な数である。
ベリレが穂先を引き戻した。その先は汚れていたが、青い血やあるいは樹液などの汚れではなかった。鉄粉のような黒い粉が付着している。花粉だろうか。
「なにかな、これ」
「こら、不用意に触るな」
手を伸ばそうとしたリリオンを諫める。場合によっては毒の可能性もある。見たかぎり金属に対する腐食性などは見られない。だが気をつけるに越したことはないはずだ。
ランタンは穂先を端布で拭き取る。微細な黒い粉で、それ自体に意思は感じられない。粉自体を吸い込まないように気をつけながら臭いを嗅ぐと、酸味のある刺激臭がする。
「どっかで嗅いだことがある臭いだな」
ランタンがいうと、シーロはもどかしげにした。ゆっくりとたが、確実に接近してくる敵を前にじっとしていることが堪えられないのだろう。
「ええい、まどろっこしい」
ぱち、と指先に紫電が起こる。
「どうせやらねばならんのだろう」
「まあ確かに、距離がある方がいいね。ベリレ、ドゥイさんの防御」
どうぞ、とランタンが言うのと、リリオンが粉の匂いを嗅いだのがほとんど同時だった。
犬のように鼻が良いリリオンが、ランタンに告げた。
「これ鉄砲の臭いよ」
火薬の臭いか、とランタンが理解したときには雷光はすでに放たれていた。
伏せる間もなく雷撃は進行方向を埋め尽くす火薬の群に直撃し、それはランタンを凌ぐほどの火力を解放した。オレンジ色の火球が膨らんだかと思うと破裂し、高熱の衝撃波が叩き付けられ、聴覚が埋め尽くされ、一足遅れて吹き飛んできた石塊が身体を打った。
「――無事か?」
衝撃と吹き戻しが去って、ランタンは顔を上げる。後方の二人は無事だ、
「わたしは平気。シーロさんは」
「……余裕だ」
少し呆気にとられたように立ち上る黒煙を見つめたかと思うと、薄汚れたシーロが咳き込みを堪えながら強がった。一番先頭に居たぶん、被害が大きい。
「蝶だったみたいだな」
ベリレが石塊と一緒に飛んできた羽を拾い上げて言う。
半ば焼けてしまっていたが、それは確かに蝶の羽のようだった。
黒色火薬の鱗粉を撒き散らす蝶。植物系魔物と共生する魔物なのかもしれない。上手く狩猟することができれば大量の火薬を手に入れることができたはずだが、それには繊細な剣技か、もしくは有能な魔道使いが不可欠だろう。
「自爆系の魔物っぽい。接近してたら危なかったな」
自爆の鍵が距離だけか、それともやはり火種がいるのかによるが、なかなか厄介な相手だった。
爆心地は地獄の様相を呈していた。植生は回復不能なほどに蹂躙され、道は深く抉れて陥没し、また所々硝子化さえしている。一匹一匹はそれほどの火力はないが、千を有に超えるのではないかという数がもたらした威力だった。
肌が焼けるほどの熱がその場にしばらく溜まっていた。
「こういうのが出てくるなら、もしかしたら最下層が近いのかも。どうする?」
目的は花を摘むことだった。ここらで引き返せば、ゆっくりと散歩をするように花を摘むことができる。
全員の答えは一致していた。
「よし、じゃあ進もうか」
目の前に戦うべき敵があるとき、戦わずにはいられない。
戦士としての性だった。
火薬蝶の大爆発の後、三〇分も歩かぬうちに、草原が立ち枯れを起こした。
薄茶とも金茶とも呼べるような褪せた色合いの草花は秋の景色である。そしてその先にはまるで冬に繋がるかのような、真っ白い霧が立ちこめている、
魔精の濃さを透視する魔精鏡で、その中を覗いてみた。
「雪だるまかな」
そう言ったのはリリオンだ。しかしここは植物系迷宮である。まさか雪だるまの魔物と言うことはないだろう。
「へちまの魔物じゃないか?」
ベリレはそう言う。へちま、と言う響きは何となく間抜けだ。最終目標には相応しくない。
「いや、瓢箪だな。倉で見たことがある」
シーロが妙に自信満々に言った。この男の言うことは、何だか妙に説得力がある。迷いなく断言するからだろう。そう言うところは見習うべきかもしれない。だが瓢箪の魔物ってなんだろう、とランタンは思う。ヘチマ以上に間抜けだ。
魔精鏡の浮かび上がらせた青影は、それが相応の魔精を秘めていること、そして不思議なくびれを持った形をしていることを示していた。大きさはランタンよりも少しばかり小さいだろうか。
「ランタンはなんだと思う?」
「さあ、なんだろうね」
こればっかりは出たとこ勝負だ。想像を膨らませて事前に準備をすることは大切だが、頭の中に思い浮かんだ姿と現実の乖離に思考が停止する可能性もあるのでほどほどにしなければならない。
「植物系で注意することは、臭気と毒。地下からの攻撃と寄生」
最低限の確認だけをして、四人は霧の中に入った。
その魔物を目の当たりにした時に妙な感慨があった。
辺り一面は草木一つ生えない荒涼とした大地が広がっている。空は雲もないのに暗く、風は乾いて肌寒い。
その中心に、最終目標は佇んでいた。
面の皮の厚い、炎の色をしたカボチャの頭部。くり抜かれた眼窩と口腔から炎の舌が伸びている。真っ黒な外套は枯れた花びらか、あるいはがく片なのかもしれない。首の所を蔦で結んでおり、それは着飾っているようにも、首吊りのようにも見える。
外套の中は空洞だった。だが外套が膨らみ、外套越しに鎌を握っている。長柄の大鎌ではなく、小ぶりな草刈り鎌だった。
ランタンの異名、その元となった魔物だ。
四人が霧から抜けた瞬間に、それは襲いかかってきた。本体を持たぬがゆえに浮遊している。三六〇度に回転するカボチャ頭は肉体に前後を持たない。
小鎌がリリオンの首を狙った。銀刀で受けたが、リリオンの身体が大きく後ろに泳いだ。小鎌の重さではない。ランタンがその間に割って入って、戦鎚を振るった。空を斬る。
ぶわりと外套が翻り、虚無が露わになった。
鬼火は、けけけ、と無邪気なほどに笑った。
「このおっ!」
「がおっ!」
ランタンが感慨に足を踏み入れていると、シーロとベリレが妙に生き生きと鬼火へと向かっていった。
それは探索者としては至極正しい行いなのだが、ランタンは微妙な気分になる。シーロは兎も角として、ベリレまで単純な敵と戦う以上の歓喜を鬼火に見出しているようだった。
出遅れたランタンとリリオンは、戦いに参加するタイミングを逸してしまった。
鬼火は最終目標としては最小サイズである。これにシーロとベリレが接近戦を挑んでいるところに、ランタンたちの入り込む余地はなかった。
シーロの万物流転が小鎌と打ち合い火花を立てる。ベリレの槍が外套を切り裂き、その穂先がカボチャの皮に触れたが、どれほどの硬度を有しているのだろうか、表面を滑る甲高い擦過音が響くばかりだ。
「なんだか、楽しそう」
二人の内どちらかが引くのを見計らっていたリリオンが、さすがに気を張り詰めることが難しくなってきたのかそんな風に呟いた。
なるほど確かに鬼火は楽しそうだった。
迷宮の最下層にただ一人佇んでいたそれは、ランタンの孤独に近しいものを感じさせた。飛び掛かってきたとき火を吹いた眼窩は、ついに一人遊びが終わることへの喜びだったのかもしれない。
「馬鹿なこと言ってないで」
ランタンは咄嗟に浮かんだ妄想を振り払った。魔物に感情移入してどうする。
「でも、だって。――うん」
リリオンは言い淀んだが、ランタンに尻を叩かれてはっとしたように頷いた。眠気を振り払うように顔を振った。
「……寝てた?」
「ねてないよ! ……ねてないけど、おかしいな。ランタン、わたしのことつねって」
ランタンはリリオンの尻を抓る。リリオンが悩ましげな声を上げて、それを放した。
「もう大丈夫」
植物系魔物で気をつけることは臭いと毒。だが臭い自体が毒であることもあり、臭いに臭いがないこともある。
花が虫を引き寄せるような、迷宮が探索者を惹きつけるような、そんな誘引物質を鬼火が出しているとしたら。
「二人を止める。リリオンは一撃で仕留めろ」
ランタンは言うが早いか、駆け出した。リリオンが鎖で繋がれたように、追従した。
鬼火よりも体勢を低く、ランタンは後方から二人の足を一振りで刈り取った。まったく意識のしていない方向からの攻撃に二人が盛大に素っ転び、意図せぬ転倒を読み切れなかった鬼火の鎌が空を斬った。
ランタンと視線があった。遊び相手が増えた、と笑うように口腔に炎が溢れる。カボチャの内側に満たされた炎が眩しいほどに火力を増した。口腔から、眼窩から溢れたそれが光線となって放射された。
ランタンはその身に爆発を纏う。
同種の熱量だった。互いに溶け合い、区別がなくって、その炎を分け合った。ランタンは鎌を戦鎚で押さえつける。こうして鍔迫り合いになると、肉体を持たぬとはとうてい思えない。見えない子供がその内にいる。
「やれ、リリオン!」
ランタンを跳び越えてリリオンが鬼火へと躍りかかった。
振り下ろされた銀刀がカボチャ頭に食い込んで、リリオンは銀刀の峰に竜牙刀を叩き付けた。
「あ」
そう、言葉を溢したのはリリオンだった。やりすぎてしまった、と言うような声だった。
カボチャ頭を両断して、命が溢れるように炎が流れ出した。それは外套を、カボチャの頭を巡って、見間違いでなければ子供の形に燃え上がった。豊穣の生け贄にされた、幼子のようだった。
ぼっと燃えて、ぱちぱちと音を立てて、やがて火が収まると、その場には一握りの灰と使い手を失った小鎌だけが残されていた。
シーロとベリレは起き上がり、ランタンに文句を言うでもなく、自らの身に起きた違和感を探っているようだった。
鬼火の真の能力は、相手を永遠の戦いに相引きずり込むことだったのかもしれない。戦い続けることだけが、鬼火の孤独を癒すのだ。迷宮に挑み続けたランタンのように。
ほどなく鬼火の内にあった魔精が吹き荒れた。
それは青い光となって一瞬、四人の視力を奪った
迷宮核が顕現する。
それは灰の中にあった。
ランタンはいち早く魔精酔いから脱し、それを拾い上げる。
種の形をした小さな迷宮核だった。小さくとも魔精量が濃いことを告げる青よりも濃い、黒に近い色をしている。埋めたら鬼火が育つかもしれない、と思う。
「わあっ、わああ、すごーい!」
リリオンが無邪気な声を出し、ランタンは視線を上げた。
気が付けば荒涼としていた大地に春が訪れていた。色取り取りの花々が咲き乱れ、迷宮の空には太陽さえもが輝いている。ざあざあと風が吹き、手を振るように花が揺れた。
ランタンは残された小鎌を手にとって、大きく伸び上がった。
「さあ、探索の目的を果たそうか」
「おー!」
勢いよく返事をしたリリオンが銀刀を振り回し、それに続いてシーロやベリレも各々の獲物を振り回し、花を刈り込んだ。どれだけ摘んでも摘みきれぬ花をリリオンは胸一杯に抱える。そして幸せそうに、にこにこして言った。
「これであの子もお腹いっぱいになるね」
「そうだね。ああ、しかし竜種のためになぜこんなことをしなければならないのか」
「ここまで来て、そういうこと言うんだから。いいじゃない」
「まあ、そうなんだけどさ。久し振りの迷宮攻略もできたし」
ランタンは草刈り鎌で、ちまちまと花を摘みながら応える。
するとリリオンが笑った。
「ランタンは、まだまだお腹ぺこぺこって顔してるね」
「そんなこと――」
あるかも。
「ああ、さっさと地上に戻って、それで、――年明けにはティルナバンに帰ろうか。去年はあんまり迷宮攻略できなかったし」
「うん!」
リリオンが荷台に抱えた花を放り投げ、鞠が跳ね返るような勢いでランタンの背中に抱きついて、黒髪に頬を押し当てた。
シーロが山ほど摘んだ花を、思わず取り落とした。吹いた風に巻き上げられた花びらが迷宮の青空に吸い込まれていく。そしてベリレがシーロの肩を叩いて慰めた。地上では見られない光景である。
地上に戻れば、もう少し冬が続く。
だが人は絶えず変化を続けていた。
「わ、あったかい。ランタンはやっぱりお日さまの匂いがするね」
そんなことを言うリリオンからは、たくさんの春の香りがした。
この話を六章の終わりにするか
七章の始まりにするか、未だに迷う




