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円形闘技場の空には目にも鮮やかな赤が広がっている。滴り落ちてくるのではないかと言うほど迫真に迫った赤はどことなく不気味でありながら、生命の色そのものだった。
それは迷宮都市ティルナバンでまことしやかに囁かれる噂、石炭を呑んだように燃える目をしたカボチャ頭の幼い死神が現れる時。
黄昏。
赤い空よりなお赤い燃える瞳のランタンが東の入場口から進み出ると、吹き荒れるような歓声が巻き起こった。
ランタンは少しも表情を変えずに、ゆらりと舞台の中央まで進み、不貞不貞しく辺りを睨みつけた。
足元のざらついた金属質が壁の表面までも黴のように被膜している。壁を支える支柱、その一つ一つの上に魔道使いが立ち、魔道のみならず物質さえも防ぐ障壁を発生させている。
観客席には数万の市民が、そして桟敷や上席には王侯貴族、教会やギルドを始めとする様々な有力者が詰めかけていた。桟敷でさえ立ち見の者が出る始末である。
ランタンはゆっくりと息を吐く。
ファビアンの言っていた然るべき場所がこの舞台だった。なるほど確かに探索者として名を売るにはうってつけだろう。
ファビアンと一緒にいるのは鉄道を作ったというウィリアム。駆けつけたエドガーとベリレは最古参の探索者たちと、レティシアはアシュレイと共にあり、ドゥアルテと一緒にいる老人たちは王と教皇だろうか。
なんにせよ世界を意のままに操る重鎮たちである。
普通のじいさんたちだな、とランタンは不敬とも呼べるような雑さで視線を切った。
手慰みに遊ぶみたいに戦鎚を手の中でくるくると回した。
音が消えた。歓声がランタンの登場とは比べものにならないほどの音を生み、音ではなくただの震動としか感じることができない。障壁さえもびりびりと痺れるような歓声だった。
天下にその名を轟かしたヴィクトルの弟。表舞台に姿を現すことの少ないネイリングの秘蔵っ子。それが眼前に現れたのだ。
竜の公子。
その通り名は伊達ではない。
音だけではなく、ランタンから数万の視線が肌に触れる感覚もが失われ、目の前の男と自分だけが世界に存在しているような気分になった。
圧倒的な存在感をもって、シーロが舞台に進み出てきた。
竜革の篭手と胴当て、膝下まで覆う戦闘靴、長刀。
ランタンと似たり寄ったりの軽装備だった。同条件で戦おうと、そういう気概なのかもしれない。
それなら身長を三十、いや二十センチほど切り詰めてくればいいのに、とランタンは思う。
嫉妬だった。
目の前に立つシーロは背も高くて、体格もがっしりしていて、顔つきだって凜々しくて男として完成されているとランタンの目にも映る。
ランタンはくるくる回していた戦鎚をしっかりと握り締めた。
直前までリリオンと繋いでいた右手から、少女の体温が全身に広がり、胸の内で燃え上がった。
心臓が白熱化し、ランタンの肌が炎の揺らめきに似て上気した。
シーロが濡れるような妖しい光を放つ刀を鞘から抜きはなった。
二人の視線が絡む。
心地良くすらある。シーロの緑の視線は、全てが剥き出しになっている。
羨ましい。
ランタンへの敵意、リリオンやレティシアへの愛情、家族への尊敬、その他への無関心。
シーロはリリオンと同じぐらいに、自分の心に素直だった。
リリオンがランタンを好いているのを知っている。だがそれでも関係がない。ランタンを害せばリリオンは怒るだろう。だがそれでも関係ない。
下水道の探索をあらかた終えた後、シーロはランタンの目の前で堂々とデートにも誘った。花束を贈り、想いを伝え、リリオンを困らせてまるで意に介さなかった。
自己の感情を肯定することに躊躇いはなかった。
――やらねばならない。
口上人が朗々と歌い上げるように口上を語った。
――シーロは、そしてランタンも、自分よりも弱い男がリリオンの隣にあることは許せない。
口上は途中だった。だが二人ともそれを無視して、まるで示し合わせたように突如、磁石のように衝突した。
様子見などなかった。
ランタンは爆発加速を用いシーロに肉薄する。横薙ぎの白刃がランタンの眼前に迫り、戦鎚と打ち合って火花を散らした。単純な力比べならば分が悪い。だが爆発によって射出されたランタンの肉体は、同時に魔道によって重みを増し、恐るべき速度と相まってその衝撃力を乗算させた。
打ち合った瞬間に火花が散った。
打ち負けたシーロが後方に吹っ飛び、だがランタンの追撃を雷撃によって牽制する。
火花が消えるよりも早く、ランタンに向かって雷光が降り注ぐ。
三、六、十二、二十四。
数は多いが、恐るべき集弾率を誇ったそれはもはや一塊と言ってよい。ランタンはその場で足を踏み切って、爆発を踏み付けて跳躍した。頭上から襲いかかる豹のような身のこなしで体勢を立て直す寸前のシーロに躍りかかる。
シーロの緑瞳が雷光を反射して宝石のように光った。天を貫くような雷がその身から立ち上った。
攻勢一転、ただ死を待つだけの墜落の最中、ランタンは真横に飛んだ。爆炎を翼のように広げ、二度起こった爆音は鋭角の軌道を描きシーロの側面を奪った。
視界の外。
だが完璧なタイミングで逆袈裟に刀を振り上げられる。先に刀があり、それに引き寄せられるようにシーロが振り返った。
しかし、その刀も視線もランタンを捉えなかった。
滑るように着地をしたランタンは、地面と背中を平行にするほど身体を倒していた。
背に隠した戦鎚が地を薙ぐように振り抜かれた。視界の下、刀の更に下にランタンが居ると察したとき、今度はシーロが飛ぶ番だった。
「ちいっ」
思わず漏れたのだろう舌打ちが耳に触れると同時に、戦鎚が跳ね上がり脹ら脛を狙った。シーロが足首を捻り、靴底に鶴嘴を受けた。革と鋼板の積層に先端がめり込む。貫通に届かない。
「ふっ!」
身体を捻り逃れようとするシーロを、ランタンは逃さなかった。戦鎚を絡め取るような捻身に手首で追従し、そのままシーロを掬い投げた。
足を天に、頭を地に。
空中で逆さまで貼り付けになったシーロの頭部目がけてランタンは蹴りを放つ。金属同士がぶつかり合うような音が響いた。引き戻した肘でシーロは頭部を守った。爪先に張り付けた竜鱗が、まさかひび割れた。
蹴り飛ばされたシーロはランタンのように空中で体勢を立て直す術はない。爪先に小石を踏んだような不快感。それは足を止めるような痛みではない。ランタンは大きく一歩踏み出して、だが慌てて真横に飛び退いた。
人頭大の雷球が行く手、ランタンとシーロの間に設置されていた。ランタンの接近に反応して、それは四散し、強烈な光と雷を辺りに吐き出した。
視界を埋め尽くす閃光の、その中から更に明るい何かが接近する。黒髪の毛先が生物のように戦慄き、頬や首筋を擽った。雷の先触れだ。
閃光を突き破って雷撃がランタンを狙う。
触れれば炭化しかねないほどの雷にランタンは堪らず距離を取った。視力は戻らない。だがその大威力の源である魔精の濃さが、その存在を殺気漲る魔物のようにランタンに察知させた。瞼を強く閉じ、こじ開けるように一気に開く。
僅かに靄の掛かった視界の先で、シーロが体勢を整えるのが見えた。するとシーロはいよいよ横殴りの雨のように雷撃をばらまいた。対ランタンとの戦闘方法として、これは最上の手段である。遠距離大火力を持って、ランタンの接近を封じてこれを叩く。
ランタンはシーロを中心に、円を描くように舞台を疾走した。
外れた雷撃が舞台上を蹂躙し、金属が焦げ、赤く熱を宿し、穴を開け、壁を危うく崩壊させ、障壁に眩い波紋を浮かべた。
その度に観客席から女のような悲鳴が上がり、障壁を張る魔道使いの顔が青く、冷や汗をかいた。統率者であるシドの身に纏った宝石が一つ、身代わりになったように砕けた。
恐るべき威力である。
一切の手加減がなかった。
拳大の雷撃が数十、数百と放たれ、それはいつしか竜のうねりにも似た一繋ぎの雷条と化していた。シーロの左腕から伸び、その指先が指揮を執ると獲物を追いかけるようにランタンの背後へと迫ってくる。
雷に焼かれた大気が破裂して音を立てる。まるで竜種が牙を打ち鳴らすかのように。このままでは振り切れない。
駆けるランタンの歩幅が、大きく、また大きく、跳ねるように広がって、ある一瞬それは光を踏み付けた。
シーロが雷龍を切り離し、咄嗟に五指に発生させた雷撃を放った。爆発によって加速し、直線的に向かってきたランタンはその身体に爆炎を纏っていた。ランタン自身が一塊の炎のようで、自ら炎に飛び込んだ雷撃が兎のように焼かれた。
炎の中から、ぬっと白い手が突き出した。それは両手で戦鎚を握っている。炎の舌がシーロの肌を舐った。瞬きする間もなくランタンはシーロに肉薄し、躱す間もなく戦鎚を振り下ろした。
峰に手を添えてシーロは最も刃のぶ厚い鍔元で受けた。宝剣、万物流転を模して作れらた刀である。それでも酷い音を立てて刃が潰れた。
視線が交錯する。
ランタンは歯を食いしばって戦鎚を押し込んだ。身に纏った炎が晴れると、牙を剥くような顔つきが露わになった。
刃とシーロの歯がきりきり鳴った。ランタンの圧力が、粘り着くようにシーロの腕力を蝕んでいく。シーロの膝が、圧力に耐えかねてゆっくりと沈んでいく。濃い色の肌とは異なる白い掌からいっそう血の気が失われていく。
参ったをしても許してやらない。ランタンの赤い瞳が生意気に告げる。
シーロの唇が戦慄くように震えた。
「ふ、ん……軽いっ――」
強がりを、とランタンは思う。だが自分もきっとそう言うだろう。そして言ったからにはそれを証明するはずだ。
ランタンとシーロは、ある部分では正反対だったが、ある部分では極めてよく似ていた。
だからきっとこれほどに意識し合うのだろう。
「――なっ!」
まったく予兆がなくシーロの身体が跳ね、ランタンは不意を突かれて押し返された。
呼吸、眼球運動、筋肉の起こり、あらゆるものに一切の色がなかった。
押し返されたランタンは身に染みついた探索者の習性として、頭に一つ冷気を入れた。
何をしたのか。それを探るように目を細める。
シーロは頬を膨らませて息を吐いた。鋒をこちらに向けている。微かな揺れ、筋肉の痙攣が刀身に浮いている。馬鹿力を出したことでの一時的な疲労だろうか。
いや、まさか。
ランタンは目に見えるものだけに集中してシーロに接近した。シーロは誘い込むように胸を開き、刀を構える。両足を肩幅に広げ、ランタンを睨んでいる。
一歩、二歩、三歩。
刃圏に踏み込んだ瞬間、あらかじめそう定められた機械仕掛けのように、刀が薙ぎ払われた。
睫毛を揺らした鋒を瞬きすることなく見送り、返しの一刀を戦鎚で弾く。
シーロは己の肉体に電流を流し、筋肉を収縮させたのだ。
シーロの軸芯を奪うように両足の間に踏み込むと、体内に残った雷に痛いほどに産毛が逆立つ。膝を抜き、重心を落とす。消し飛べ。鳩尾に肘を叩き込み、臓腑の一切を沸騰させかねない威力の爆発を発生させる。
半身を引いた。肘に触れていたシーロの肉体が遠のき、爆破が外れ、爆炎が障壁を炙った。
電流を使用した筋肉の収縮だとか、そういうものではない。爆発のいいところは、紙一重に直撃を避けてもその衝撃波を避けることが敵わないところにある。シーロも内臓を掻き回すほどの衝撃を受けたはずだ。
だがまるで痛みに頓着せず、シーロは半身を引いた体勢で頭上に弾かれた刀をくるりと逆手に持ち替えた。そしてそれを叩き付けるようにランタンに振り下ろした。ランタンは爆炎の中に飛び込むように身を躱した。
耳の付け根から項のあたりまで、浅く切り裂かれた。背中へ流れる血がくすぐったくもある。
ランタンは独楽のように振り返り、シーロの追撃を受けた。シーロも唇の端から血を垂らしていた。さすがに無傷というわけにはいかないようだったが、その苦しみをまるで感じさせないほど瞳が煌めいている。
美しい緑瞳の中で、雷光が散っている。
結ばれているのは視線だけではない。ランタンとシーロは互いに得物を順手に持ち替える。戦鎚と刀は結ばれたままで、互いに上を取り合うように牽制している。
ちか、と瞳の雷が光った。ランタンは戦鎚に爆発を発生させ、鋒を叩き落とす。それでも刀身を伝った雷がランタンの身体を痺れさせた。爆炎の中を突っ切って、シーロが鋭い蹴りを放った。長い脚が後退するランタンの胸骨をしこたま打ちつける。
「くっ」
肺の空気が喉に迫り上がった。後転して起き上がったときに、すでにシーロは迫っていた。戦鎚を立てて受ける。だが弾き飛ばされた。せめてもの反撃で蹴りをくれるが、柄に叩き落とされる。
くそう、もう少し足が長ければ。ランタンは恨めしげに自らへ迫るシーロの足運びを見た。
さらにシーロが畳みかけるように刀を振るった。
刀の鋒は失われている。だが一撃一撃が絶死の威力を有していた。エドガーもかくやという高速の連撃である。耳元で大気が音もなく切り裂かれる。分子の結合が解かれたように、振るった刀の延長線上にある舞台が断ち割れた。シーロの周囲で大気が電離し、放電が発生した。
ランタンにはそれが、シーロ自身を閉じ込める檻のように見えた。
一挙一動に雷が付き従う。
シーロは支配的な存在だった。
雷を孕む雷雲のごとき、嵐を呼び寄せる雷竜のごとき、あるいは天候をも支配する雷神そのものであるのかもしれない。
並の相手なら尻を捲って逃げる暇もないように猛攻を、ランタンは真っ正面から受けて立った。
シーロが雷神の如きならば、ランタンは陽神のようであった。
ランタンの肉体にじゃれつくように陽炎が揺らめき、炎が迸った。
二人の足運びを捉えられる人間は客席に何人も居なかった。火雷が弾け、剣戟が鳴り響き、焦げ付いた靴跡だけが掘り起こされた地層のように舞台上に浮かび上がる。
ランタンの一歩一歩を爆発が加速し、一撃一撃を爆炎が彩った。息の触れるような近距離で乱舞する雷撃の尽くを避け、防ぎ、焼き捨てる。ランタンがそうしたように、シーロもまたそうした。戦鎚を弾き、爆炎を切り裂き、衝撃波を雷鳴に相殺する。
魔精によって生み出された爆炎と雷が互いに打ち消し合って、色を無くした。
辺りに漂うのは互いの意思の残滓である。
呼吸をすると、シーロの思考が身に染みるような気がした。自分のことも知られているのかもしれない、とランタンは思う。
シーロの孤独が、胸の内に共鳴する。
戦り合うシーロは、背筋が凍るほどの戦闘能力を有している。誰もが次期党首であると認めたヴィクトルがどれほどの傑物か、ランタンは話にしか知らない。だがシーロはきっとそれを上回るのだろうと思う。
偉大な父よりも、尊敬する兄よりも、愛した姉よりも、始祖から今日に至るまでの誰よりもシーロは強い。彼の先に立つものはない。
雷光渦巻く緑瞳が、竜種の瞳のような獰猛さに染まった。黒く艶めく肌が炎に炙られて鱗のごとき火膨れを浮かび上がらせる。折れた刀を牙として爪として、その雷を翼として、シーロは一頭の竜種のようにランタンに襲いかかる。
孤独と絶望。
ただ兄のようになりたかった。人に囲まれ幸せそうに笑い、強いことを褒められる兄のように。強い兄を愛した姉は、強い自分を兄のように愛さなかった。
シーロの強さは暴かれたことのない迷宮深部のような、底の知れ無さを感じさせる恐ろしい強さだった。そしてシーロは人を求めつつ、人の中にあって他人と自分の違いを嫌と言うほどに思い知らされたのだ。
ランタンが足繁く迷宮に通ったのは、そこが自らの故郷であるからか、あるいはそこに比べるべき他人がいなかったからかもしれない。
――人の世はリリオンを受け入れない。
孤独とは一人の時に感じるのではない。多くの人に囲まれるとき、それを強く実感するのだ。
巨人族の血はすぐに隠しきれなくなる。いつかリリオンをさらし者にし、傷つける。
「しゃあっ!」
シーロが吠えた。ランタンの戦鎚ごと腕が撥ね上げられ、顔面に叩き付けるように刀が振るわれた。
乳歯のように小さく、柔らかそうな半透明の白い歯が刀の先端を食い止めた。口腔に鉄の味がする。舌先が失われた鋒に触れ、雷撃を放てば、ランタンの口腔から肺までを蹂躙しただろう。
だがあまりのことに、さすがのシーロも目を剥いて驚いた。ランタンは刃を万力のように噛み締め、弾かれた戦鎚の重さを限りなく零まで落とし、それを目にも止まらぬ速さで引き戻した。
触れる直前、質量を増大させる。歯が軋み、刃が硝子のように砕けた。
雷を掻き分け、身を焼き、痺れさせるその中を突き進む。
戦鎚を脇に構える。光に踏み込み、腰を切った。リリオンの体温が、戦鎚を白熱化させる。
それはシーロの求めたものだ。
雷と爆炎のその内側から、眩いほどの戦鎚が振るわれた。
無手のシーロは、しかしそれを刀で受けた。
受けたシーロでさえ、信じられないというように自らの握るそれに目を奪われた。
緑に濡れる、妖しくも美しい刀身。
世にあるものは全て移り変わる。不変の法則を名に冠したネイリングの宝剣。
万物流転が時と場所を流転し、シーロの右手に握られていた。
上等。
ただでさえ支配的な存在であるはずのシーロが、より恐ろしい存在になった。だからこそランタンは後退の二文字を思考から焼き消し、一挙に攻め込んだ。
ど、と音が一つ響く内に爆発が三つ巻き起こり、ランタンは戦鎚を三度振るった。爆発を用いた高速の斬り返しに、ランタンの身体がねじ切れるように軋みをあげる。一つ目と、三つ目をシーロは刀で受けた。
欠けたのは戦鎚の方だった。鎚頭を囲む不壊の円状結晶からきらきらと欠片が飛び、だが鎚頭それ自体が発生させる重力に引き寄せられて、元通りになるように圧着した。
ランタンはひたすらに攻め続ける。
足払い、上段振り、肘打ち、袈裟懸け、三日月蹴り、斬り上げ。
平突きが斬り上げた戦鎚の環の内側を通った。戦鎚を絡め取り、ランタンの体勢を崩そうとする。戦鎚を引き、入れ替わるようにランタンが前進する。爆発。それすら切り裂く一刀を皮一枚で躱し、視界の外、頭上真上から注ぐ雷の背面に回り込む。
燃えるような赤い雲が、いつしか重々しい黒色に染まっている。遠くから風が吹き、ごうごうと嵐の気配が耳に聞こえる。
ランタンもシーロも歯を食いしばっていた。それはどこか不思議と、二人とも笑みを浮かべているようにすら見える。食いしばった歯の隙間から、荒々しい息が堪えきれず漏れて、二人の肩がタイミングを図るように上下している。
互いの目を見つめて、同時に呼吸を止めた。
地を蹴る。こちらからは五歩、シーロからは四歩。どちらも相手にあわせようとはしなかった。迎え撃つのではない。攻め超えなければならない。
シーロの腕が雷のように落空した。ランタンの腕が吹き上がる紅炎のように翻る。
鉄の臭い。
するり、と。
ランタンの右の眉上に万物流転が滑り込んだ。しかしそれでもランタンは後退もしなければ、止まりもしない。鋒が頭蓋に触れ、真横に滑り、こめかみに抜けた。視界の半分が真紅に染まり、痛みは熱のような冷気のような、慣れた感覚だった。
ランタンは強くなった。背も伸びなければ、毛も生えない。
だが迷宮で、この世界で成長した。
額を割られながらも腕を伸ばし、戦鎚がシーロの顔を直撃した。首が回り、後方に跳んだ。それでも殺しきれぬ衝撃がシーロの頬肉を押し潰し、頬骨と奥歯を砕く。片目が真っ赤に充血し、耳から血が溢れる。
一瞬の攻防で痛手を負ったのはランタンの方だった。
だが前進し続けたのもランタンだった。
シーロの目が見開かれる。
顔面を真っ赤に染めたランタンが陽光のような直向きさで跳びかかってきた。
戦鎚を手放しており、全身全霊でシーロを押し倒した。左手で刀を封じ、右の膝で逆腕を封じた。そして固めた拳をシーロの顔面に叩き付けた。鼻骨が砕け、血が溢れる。
ありがとう。
ランタンはそれでもなお力を失わないシーロの眼差しを見下ろす。
シーロはランタンの希望だった。
自分のことを認めず、嫌っていて、それでいてリリオンのことを好きになってくれた。
ミシャも、レティシアも、リリララも、あるいはグランやテス、ドゥアルテたちはまず初めにランタンがいた。ランタンの大切にする少女であることが、リリオンを見る目に影響を与えた。
だがシーロは違う。ランタンなんてまるで関係なく、リリオンという存在を好きになった。
拳が解けた。
シーロに馬乗りになり、ランタンは三度、深呼吸をした。
シーロは希望だ。
だがリリオンは。
リリオンは。
それは愛よりも、もっと原始的な、荒々しく、雄々しい、剥き出しの感情。
「リリオンは、僕のだ」
ランタンは割れた額をシーロの顔面に叩き付けた。いや、シーロもそれを額で迎え撃った。
シーロの後頭部が地面にぶつかって音を立て、ランタンの上体が仰け反った。電撃。シーロの肉体が痙攣して、ランタンを振り落とした。
二人して、互いに顔を血に染めてゆらりと立ち上がった。
「あは、はははは、あははははははっ!」
「ぐがおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ランタンは幼神のようにあどけない笑い声を上げると散歩でもするように円を描いて歩き、シーロはその場、世界を揺るがすような咆哮一声、奥歯と一緒に血の塊を吐き出した。
互いに血に染まり、得物も持たず、拳を固めた。
互いの全身を覆う炎と雷が、流れ出た血を焦がす。黒々と焦げ付いた血の塊が、卵の殻のようにぱらぱらと皮膚から剥離した。
雷から、炎から、生まれたように。
障壁内に満ちる魔精が飽和し、二人の意思を貪欲に飲み込んで辺り一面に火雷の渦を発生させる。
天国が地獄か、はたまた迷宮か、異世界と言うほかない光景が満ちていた。
耐えきれず障壁が砕け、解放された力の奔流に天の雲がもろとも吹き飛び、目の覚めるような星空が広がった。
「――双方っ、そこまでっ!」
慌てるような制止の大喝が鳴り響いた。このまま戦えば観客数万の命を呑み込んで足らない。二人から立ち上る気配は天災もかくやというほど純粋で強大だった。
王命に等しい制止もお構いなしにシーロが雷を発生させ、ランタンはぶん殴ってそれを弾いた。拳が真っ赤に焼けただれる。
弾かれた雷の向かった先にはサラス伯爵が居た。三騎士が身を挺してそれを防いだ。シド級の魔道使いが一人、それでも防ぎきれなかった威力を、残りの二人が肉体で受けた。十の威力を十のまま弾くことができなかった。
ランタンとサラス伯爵の視線が重なった。さすがに呆気にとられ、そして身体中に付着した脂肪を震わせた。恐怖に震えるように、笑いを堪えきれぬように。
拳を強く握ると、熟した果実のように皮膚が弾けて血が滴った。右の拳を炎が飲み込み、血と傷を焼き消した。
「仕留め損なった」
「……」
「仕留め損なったんだけど」
「知らん」
ランタンが文句を付けるように言うと、シーロはその身に纏わり付かせた雷を霧散させた。
「あれがサラスか」
「うん」
ランタンが頷くと、シーロは一度目を瞑った。溜め息のような息を吐く。
「あの子がお前のものだろうと」
極めて言いたくなさそうにシーロはそう口にした。そして堂々と続ける。
「――俺は、俺のやりたいようにやる。お前はお前のやりたいようにやれ」
「言われなくても」
二人は、ふん、と顔を背け、鳴り止まない歓声も拍手も、王からの労いや賞賛も無視して舞台上から下がった。
入場口をくぐると、石造りの通路にリリオンが待っている。
嬉しさと、ちょっとだけシーロに悪いことをしているような気持ちがあった。不意にわき起こった感情をなしにするように、ざまあみろ、と子供のような悪態を胸の内で呟く。
その馬鹿馬鹿しさに思わずランタンが笑うと、リリオンが心配そうにして顔を覗き込んできた。
「ランタン、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
言ったものの、リリオンの声を聞いて安心したのか、かくんと膝が抜けた。シーロは恐るべき相手だった。ランタンが全力をもって仕留められなかった生き物は彼が初めてだった。
リリオンがランタンを抱きとめる。たいして重くもないランタンの身体を支えきれず、リリオンはその場に座り込んでしまった。
石畳は凍えるほど冷たい。主役が去ってなお収まらない歓声が、過去の記憶のように微かに響いている。
薄暗い通路の中で、リリオンの眩さや暖かさが際立った。
リリオンは赤ん坊を抱くようにランタンを横様に上体を支え、不思議そうな目付きでランタンの顔をじろじろと眺めた。
「なに?」
「ランタン、シーロさんとちゅうしてた?」
ランタンはうんざりしたように顔を顰めた。額を割られたときよりも頭が痛い。
「するわけないだろ」
「でも、ちゅうして血がいっぱい出た」
あの頭突きは、確かに位置によってはキスをしたように見えたかもしれない。だがそれにしたってあんまりな質問だ。ランタンは苦笑し、しかしリリオンは妙に真剣な顔をしていることに気が付いた。
たしかにあり得ないとわかっていても、好きな人が自分ではない人とそうしているかもしれないと思ったら不安になる。
「キスしてないし、キスしても血なんかでないよ、ほら」
ランタンは身体を起こし、少女の項に左手を添えると、その唇をついばんだ。
まん丸く目が開かれた。
「ん、……あっ」
「ほら、ね」
「――ランタン」
リリオンは危うく鼻血を出しそうな程に顔を真っ赤にして、ランタンはあまりの愛おしさにもう一度、唇を重ねる。
リリオンが目を閉じて、ランタンの背中に腕を回した。




