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カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
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 まだシーロとは戦っていない。

 一触即発の状態だったがファビアンに諫められ、然るべき場所を用意してやると言われて引き下がったのだ。

 今年も残すところあと三日となり、王都は慌ただしい日々を送っている。

 下水道探索は一段落がつき、貧民街一帯の下水には許可の無いものは鼠一匹入れないように、下水口の一つ一つに厳重な封印が施されることになった。

 魔道というのは便利なもので破壊された下水も一応の補強が済み、貧民街の住人も帰還の許可を受けたが、下水道という職場を失った一部の住人はドゥアルテの予想通り、都市部に流入し治安を悪化させた。年の瀬に賑わう市では掏摸やかっぱらいが例年よりも増加することになった。

 また教会からの施しに縋り、なかなか教会前から帰らない者も現れる始末である。

 人間は堕落しようと思えば、容易に堕落する生き物である。

 ランタンはリリオンを連れて宗教区を訪れた。

 宗教区は配給を求める人々が屯したり、また物乞いをする一団もあったり、与えられないことに不満を漏らす集団があったり、それらを教会騎士が蹴散らしたりと混沌としている。

 年末年始には教皇が大聖堂に訪れるので教会騎士たちはピリピリしている。

 貴族が気まぐれに投げた銀貨を取り合って殺しに発展したり、迂闊にも施しを与えた市民の身ぐるみが剥がされるという事件が起こったりしたため、教会騎士たちの神経は昂ぶっている。

 触らぬ神に祟り無し。

 悪いことをしているわけではないが、ランタンもリリオンも素知らぬ顔をして教会騎士の脇を通り抜けた。悪いことをしていなくても、巨人族の血が流れていることを知られれば騒ぎになることが明白だった。

 無事に大聖堂に入ると、二人してほっと息を吐き、目を合わせた。こんな風にこそこそしなければならない現状を本来は憤り、悲しむべきだったが、この場で二人だけが秘密を共有していることを楽しむような雰囲気でくすくすと笑いあった。

 二人は神に祈りを捧げに来たわけではなく、有名なステンドグラスと天井画を見に来たのだ。大聖堂は聖地であり、同時に一種の観光地である。

 聖堂には座るところもないほどの信者が集まっており、偉そうな感じの神父がありがたいお話をしている。人の熱気でむんと熱い。

 リリオンが天井を見て声を上げそうになったので、ランタンは尻を叩く。リリオンはびくんと反応して、口を押さえる。膝を屈めて、ランタンに耳打ちをした。

「すごくきれいね」

 ステンドグラスは細かな色硝子を用いた陽光を透かしてきらきらと輝いていた。

 主神である地母神が、遍くを抱きしめようとするように腕を広げている。足元に骸と若草、若草を食む兎、兎を喰らう狼、狼を狙う蛇、蛇を狙う鷲、鷲の留まる枯れ木、枯れ木に実る果実。生と死の混在した種々雑多な動植物が地母神を取り囲み、頭上に太陽と月、青空と星々が展開している。

「ランタン知ってる?」

「知らない」

「まだ、なにも言ってないよ。もう、――あのね、太陽は大地と月から生まれたのよ」

「へえ」

「あのね、あのね、大地は最初ひとりぼっちだったの。真っ暗の中に一人だけで。だから自分の身体を砕いて、月を生みだしたのよ。そうして夜が生まれるの。それからしばらく大地と月はずっと見つめ合っていたんだけど、それだけじゃ我慢できなくなったのよ」

 リリオンはランタンと腕を組んで天井画を指差した。

 天井画には世界の興りが描かれている。

「大地と月の交わりによって、太陽が生まれるの」

 太陽が生まれるまでの間、つまり大地と月の交合の最中に溶岩が噴き出し、雨風が吹き、山と海が生まれる。その辺りはわりと生々しい男女の性交の比喩表現であり、天井画には擬人化された大地と月の交合が宗教芸術の名において割と赤裸々に描かれていた。

 男女の交わりは、決して不潔なものではなく、神聖なものとされていた。

 教義では産めよ増やせよと男女の結びつきを推進している。もっともそれは、当たり前だが淫欲に溺れて良いということではない。

 何事も節度と責任が大切である。大地と月の交合になぞらえて、行為は夜に行うようにと推奨されているし、子沢山は喜ばしいことだが、育てきれないことは罪であると説いている。

「太陽が生まれたから、朝があるのよ」

「ふうん、太陽がなかったらずっと寝てられるね」

「そうじゃないでしょ、もうっ。太陽がないと大変なのよ。野菜は育たないし、お洗濯はかわかないし」

 リリオンはベールを揺らしながら捲し立てた。

「太陽がなかったら、わたしはずっとおうちで泣きっぱなしだったもの。ママもそう、ランタンも太陽みたいにあったかいね」

 リリオンの方が温かい、と思う。ランタンは照れ隠しも兼ねて組んだ腕を振り解き、リリオンの髪をぐしゃぐしゃにするように頭を撫でた。リリオンが顔をくしゃくしゃにして笑い、ランタンの髪や頬をたくさん撫でる。

 そして礼拝の邪魔になったのでつまみ出された。

 大聖堂には幾つもの礼拝堂が備わっていた。大地と月の結びつきにより神は幾つも生まれ、そういった神々一つ一つに礼拝堂が与えられているのだ。

 グランのような髭面の男たちでいっぱいなのは鍛冶の神が奉ってある礼拝堂で、職人たちは髭面の鍛冶神にあやかって皆が髭を生やしている。厳めしい顔の神の周囲には火が焚かれ、奉納された武具でいっぱいだった。また戦士や探索者が装備に加護を求めてやって来ることもあり、極めてむさ苦しい空間と化している。

 また商いの神が奉ってある礼拝堂には商人たちが詰めかけていて、その礼拝堂は何だか豪華絢爛でぎらぎらしていた。御利益を得るために商人たちがこぞってお布施をしているのだ。算盤を持ち、天秤を背負う太鼓腹の神は黄金で作られており、金銀銅貨が辺りに積まれている。

 ランタンもリリオンも色んな礼拝堂を覗いたものの結局、尻込みしてしまい中に入ることができなかった。神に祈る者もいれば、縋る者もいる。二人には少し場違いな感じがした。

 それから色々な宗教建築を見て回りながら散策して、鉄道に乗って商業区を訪れた。

 まず腹ごしらえの為にミシャに教えてもらった小料理屋へと入った。落ち着いた雰囲気の店で、ミシャは蛇人族アーミーナからこの店を教えてもらった。

 二人は同じ業を宿す者として何かを話したようだった。互いの境遇を愚痴ったのかもしれないし、フーゴの話をしたのかもしれない。

 ランタンは帰ってきたミシャの話の内容を聞かなかった。ただ、友達になれたか、と聞いた。ミシャは肩を竦めるだけだったが。

 適当に注文をして、料理が運ばれ、リリオンはようやくベールを外した。

 持ち込んだソーダ水で喉を潤し、川海老と豚肉のピリ辛炒めを摘まんだ。寒い季節には辛いものがおいしい。小麦を錬った団子の浮いたスープにそれを溶かすと額に汗が浮くようになる。蒸した白菜で包んでもいい。

「すごかったね、きれいだったね」

「レティのお屋敷もすごいじゃん」

「それはそうだけど、それとはちがうきれいだったじゃない。いいなあ」

「いいなって、ああいう所に住みたいの?」

「そうじゃないの。あんなに大きいとおそうじも大変そうだし、お風呂もないし。でも、きれいだからいいの」

 磨かれたような白磁の壁や、柔らかい曲線で構成された外観、細かなタイルで幾何学模様を浮かび上がらせる床や、光に様々な色を浮かび上がらせるステンドグラス。

 宗教建築独特の美意識にリリオンは感銘を受けたようでうっとりとしている。

 うっとりしながらひたすら料理を口に運んでいるのが面白かった。

「ちょっと僕の分、食べないでよ」

 ランタンが言うと、甘えるようにソースのついた指を舐める。

「そんな目で見てもダメ」




 ティルナバンの知り合いに土産を買い、修理に出した懐中時計を受け取った。

 せっかく買ったのだからと修理に出してみたものの、修理代で新品を買うよりも高くついてしまった。名のある工房の品ではないが実用的で頑丈な造りをしていたらしく、それでも壊れた懐中時計は激しい戦場を半死半生で生き残った強者らしい。

「なんの絵だろう。(なまず)、かな?」

 表面は磨かれ、彫金を上から掘り直してある。

 蓋には竜種にも似ているがどこか丸みを帯びた輪郭の大魚二匹が悠然と泳いでいる。翼のような(ひれ)が優美で、咲き乱れる睡蓮の中で悠然と身を翻していた。

 それを見たリリオンの感想は、おいしそう、だった。先程の小料理屋で結局足りなくなって追加注文した、(ふか)の蒸し物を思い出しているのだろう。

 なるほど確かに蓋に泳ぐ姿は鮫に見えなくもない。海に睡蓮が咲くかは別にして。

 ランタンは自分の手には少し大きな懐中時計をポーチの中に隠すように仕舞い込んだ。

 それから王立劇場を訪れた。

 中央の大劇場では死にたくなるような悲恋物をやっているらしく、それを見に来た女性たちの化粧と香水の臭いが劇場前に抜け殻のように残っていた。

 ランタンたちが見に来たのはそれではなく、冒険活劇の迷宮王女だ。小劇場には年端もいかない少年少女たちが詰めかけている。客席ではリリオンはもちろん、ランタンですら頭一つ抜けているので開演ぎりぎりに劇場に入り、一番後ろの席に座った。

 小劇場とは言え、観劇を嗜むことができるのはそれなりの収入がある家の子供だけである。ランタンたちが入ってすぐはざわめきに満ちていた劇場も、光源が絞られ、前口上がが始まるとやがて水を打ったように静まりかえっていく。

 音楽が奏でられ、幕が上がる。

 ――カサンドラは今は滅びた、アルメージュ王国の王女である。

 その髪は妖精の紡いだ絹よりも美しく、その瞳は水精が磨いた宝石よりも輝かしく、その肌は人の触れざる雪のごとく白い美貌の王女は、過保護な父王によって塔に幽閉され、外界から隔離されて育てられていた。

 彼女は外の世界に憧れ、世話付きの侍女の語る探索者の冒険譚に夢を見る日々を送っていた。

 物語はそうして始まる。

 ある日父王が戦へと出征し、カサンドラが塔から父王を見送ると、窓の外に妖精が現れる。

 妖精は彼女の髪と自分の紡いだ絹糸を交換してほしいと頼む。カサンドラはそれでは足りないと言い、絹で作った縄ならばいいと持ちかける。妖精は一度姿を消し、夜に縄をもって王女の枕元に現れる。

 髪と縄を交換する際に妖精は使用した絹の本数だけ根元から髪を抜こうとするのだが、カサンドラはそれではもう髪が生えてこない、そうなったらもう二度と取引はできなくなる、とそのようなことを言い妖精を叱りつける。そしてさらに、そちらは縄の一本なのだから、交換するのは髪の一本だと言いくるめるのである。

 なかなか根性の座った王女だ。納得して去って行く妖精の姿に客席から笑いが漏れた。

 そうして翌朝、その縄を使い塔の外に飛びだした王女は探索者になるべく、悪辣な商人顔負けの舌先三寸で探索者の装備を集めるのである。

 外の世界の不安さを感じさせない王女の大胆かつ痛快な振る舞いに観客もリリオンも手を叩いて喜んでいる。

 が、上手くいくのものそこまでだった。装備に身を固めても王女は王女。まったく似合わぬ装備を付けた少女に目をつけた悪党に絡まれてしまう。礼儀作法の指南は受けたことがあっても、剣の指南を受けたことのない王女は絶体絶命に追いやられる。

「あーっ、あぶないっ!」

 リリオンが叫んだ。ランタンが咄嗟に口を塞ぎ、頭二つ飛び出たリリオンの頭を三つ分押さえつける。探索者が突如現れ、第一の見せ場である悪党との立ち回りが始まって、観客の視線が舞台に引き戻された。王女は助かり、ランタンはほっと溜め息を吐く。リリオンは見せ場を見逃してしょぼくれている。

「見たかった……」

「冒険物なんだから、これからもっと見せ場は増えるよ。まあ見られるかは大人しくしていられたらだけど」

 助けられた王女は身分を隠し、迷宮に連れて行ってもらえるように頼む。だが探索者はそれを拒み、しかしやがて王女の熱意と美貌に負けて、同行を承諾してしまうのだった。

 探索者は王女に一つ約束をさせる。それは迷宮での絶対服従だ。

「なんか、どっかで聞いたことのある台詞だな」

「ねー、ランタン、ねー」

「うるさいよ、王女さま」

「えへへ」

 王女はリリオンよりも耳年増なようで、その絶対服従を不埒な物だと考えるが、探索者から迷宮の危険を説かれてしぶしぶそれを承諾する。王女は斯くして迷宮へ赴くのである。ここまでが一幕だった。

 舞台が暗転し、舞台が迷宮に作り替えられる。

 探索者は迷宮の道すがらしつこく迷宮の危険を王女に言い聞かせ、王女に戦いに参加しないようにと命令を下す。王女はそれに不満を持ったが、口答えする間もなく迫力ある音楽が奏でられて場の雰囲気が一変した。

 そこからは異形に扮した役者たちが百鬼夜行のごとく現れる。

 大立ち回りの始まりだった。

 顔に色取り取りの隈取りを施し、角に鶏冠に鬣に、羽に鱗に爪に尾っぽと飾り立てた魔物役が囀るような、叫ぶような節回しで台詞を歌う。

 それはまさに魔物の咆哮であり、同時に王女へと問い掛ける人の言葉だった。

 なぜ安全な塔から抜け出したのだ。なぜ親の愛情を厭うのだ。なぜ探索者の思いやりに抗うのか。時に楽器を演奏し、時に絵筆を取り、時に刺繍し、時に詩をしたためる、争いとは無縁だったその手は剣を振り回すためにあるのか。

 探索者は言葉に気付かない。ただ生きるために剣を振り、王女を守る。王女は生で見る探索者と魔物の織りなす生と死にあてられて、問い掛けに応えることができない。

 子供の観客やリリオンは探索者の見事な戦い振りに歓声や悲鳴を上げている。先程リリオンに白い目を向けた観客たちですら、腰を浮かし兼ねないほどの白熱した戦い振りだった。

 ランタンは思いがけず哲学的な魔物役の台詞回しに、リリオンほど単純に舞台に熱狂することはできなかった。子供向けと聞いてきたのだが、なかなか侮ることができない。

 王女はついに絶対服従の禁を破り、戦いに身を投じる。だが一匹の魔物を倒すこともできず、むしろ探索者を危険に曝してしまう。そして探索者が叱ることを躊躇うほど、王女は落ち込む。

 戦いから一転してリリオンが大人しくなった。膝の上に拳を握って、大立ち回りよりもはらはらして舞台を見守っている。

 探索者は王女を励ますように自分の様々な冒険譚を語り、王女は次第に元気を取り戻す。そして探索者は王女に戦い方を教え、王女はついに一匹の魔物を討伐することに成功する。

 王女は喜び、探索者も喜ぶ。

 ランタンとリリオンは二人して、うんうんと納得したように頷いた。初めての経験は恐ろしく、乗り越えたときはうれしい。

 王女はめきめきと剣の腕を上げる。なにせ彼女の父親は、乱世にその名を轟かせる王である。虎の子が虎であるように、竜種の子が竜種であるように、王女は王の娘だった。

 王女はついに探索者と肩を並べて戦えるほどの力を手にする。だがただ強いだけでは攻略できないのが迷宮である。迷宮の最奥目前で探索者は蠍の魔物の毒に倒れてしまう。解毒剤は効かず、慌てふためく王女。

 そこに妖精が現れる。妖精は解毒薬を持っていて、王女は自分の髪とそれを交換してほしいと頼む。だが妖精は、髪の一本と縄を交換させられたことを根に持っており、迷宮核となら交換してもいいと無理難題を吹っ掛ける。

 そうして王女はただ一人、迷宮の最奥、霧の向こうへと進むのである。

 最終目標(フラグ)の獅子との戦いは、ランタンも息を飲むような苛烈な戦い振りだった。王女は装備を砕かれ、髪を切り裂かれ、血を流す。だがそれでも懸命に戦い、ついに獅子を打ち破った。

 王女は迷宮核と解毒薬を交換し、探索者が息を吹き返したことを泣いて喜ぶ。そしてその涙のあまりの美しさに、妖精は迷宮核と王女の涙を交換し、探索者と王女はそれをもって地上に帰る。

「よかったねえ、よかったねえ」

 リリオンも目を潤ませながら物語の結末を喜んでいた。

 この話の結末は幾つもある。王女と探索者が結ばれることもあれば、迷宮核を得たものの探索者が死んでしまうこともある。そもそも妖精が出ない話もあるし、探索者が出ない話もある。

 今回の劇は王女と探索者のそれからについて言及をしなかった。

 割とあっさりとした結末だったので、他の観客たちは席を立ってああだこうだと、二人のそれからについて語らいながら去って行く。大人のように見えるリリオンが肩を震わせているのを、ちょっとからかうような顔をする子供もいた。ランタンは大人気なく睨み付けて追い払う。

 ランタンとリリオンは最後まで座っていた。

 ランタンとリリオンだけが取り残されたはずだった。

「ほら、これを使いなさい」

「ありがとう、ございます」

 リリオンが女性からハンカチを渡された。それで目元を覆う。ランタンが顔を上げる。

 女性はランタンに尋ねた。

「王女はあれからどうなったと思う?」

 王女は元の生活に戻るのかもしれず、あるいは探索者になるのかもしれず。はたまた王女であり探索者であるのかもしれない。

「迷宮一つ分強くなったんでしょう」

「なるほど、探索者らしい答えだ」

 ランタンの応えに、女性が頷いた。

 リリオンが借りたハンカチで盛大に洟をかんだ。

「ああ、こら、借り物になんてことを」

「返さなくていい。――今日の決闘を楽しみにしている」

 ではな、と女性が去って行く。リリオンが鼻に当てたハンカチから顔を上げた。

「ししょさまの匂いがする。ししょさま!」

 リリオンが振り返って叫んでも女性は振り返らなかった。

「洗ってお返ししますよ。アシュレイさま」

 ランタンが言うと背中を向けたまま僅かに腕を振った。

 リリオンの身に付けるベールよりも強力な認識阻害の魔道具を使用しているのだろう。視認しているはずなのに、それが大人の女性である以上のことが認識できない。それどころか視界の中心から、周辺へと逸らしただけで見失いそうになる。

 追いかけようかと思ったが、二時間以上も座りっぱなしだったリリオンの腰が抜けている。リリオンは洟で汚れたハンカチを丁寧に折り畳んで、ポケットにしまった。

「やっぱりししょさまはお姫さまなの?」

「さあ? でも、もしそうならなんのためにギルド勤めを……?」

「王女さまみたいに、探索者になりたかったのかも」

 ランタンとリリオンは二人して首を傾げた。人払いがされていたのだろうか、今度こそ確実に二人っきりになったランタンたちは、しばらく幽霊に出会ったみたいに椅子に座ったままでいた。

 だんだんとシーロとの決闘の時間が近づいてくる。




 闘技場では黒い卵の関係者の洗い出し作業が進められており、現時点で移植手術に限らず、様々な術式によって身体を強化した闘士が闘技場を追放される運びとなった。彼らは野に下ったり、探索者になったり、あるいは貴族の庇護を得たり、術式の解明のために再び手術台に上らされたりするらしい。

 手術を受けた闘士の割合は、闘士としての上位に位置する者ほど高く、一挙に有力闘士を失った闘技場は毎年年末に行われる、最強闘士を決める天覧試合の開催を断念することになった。

 なので闘技場は足りない闘士を補うために大枚を叩いて探索者を呼び集め、貴族に献金して騎士の助けを請うた。

 その結果として、闘技場は大盛り上がりである。

 朝は騎士たちによる馬上試合が行われたり、探索者による魔物との対決が行われたりしていたらしい。

 演劇の舞台から、真の生死が入り交じる闘技場の舞台を見下ろし、ランタンは唸った。

 ランタンの視線の先では虎人族の女騎士が、二足歩行の様々な動物の魔物と激しい戦闘を繰り広げている。

 その女騎士はサラス伯爵自慢の騎士らしい。

 伯爵は桟敷の一つで、その戦いを眺めている。真っ白な脂を固めたような肥満体で、椅子は肘掛けすら肉に埋まっている。背後の影には異形の鎧を身に纏った騎士が詰めており、伯爵の周りにはリリオンよりも幼いのだろう亜人族の小姓を幾人も従えている。

 冬であるのに肌の透けるような服を着させられ、羽をもがれた妖精のように伯爵の周りで忙しくしている。脚や背骨に、なにかしらの不具があるのだろう。伯爵の世話や、伯爵へ挨拶に来る貴人の取り次ぎを懸命に行っているが、見ていてはらはらするほど動きがぎこちない。

 普通なら貴族の傍付きになれるはずもない子供たちである。そういう子供たちに働く場を与える伯爵は優しく、愛に満ちている。醜悪な欲望に気付いていても、人々はそう口にする。伯爵はそれだけの実績がある。

 リリオンは恐らく、意識して桟敷の方を見ないようにしている。そして同時に本当に試合に引きつけられてもいる。

 女騎士の戦い振りは、ランタンも舌を巻くほどだった。

 獲物はリリオンの竜牙刀を、普通の大きさにしたような鋸刀。肉を()ぎ、骨を(けず)る。人形(ひとがた)の魔物は、一目で亜人とは違うと認識できるほど、肉体に余分が多い。

 だがおそらく女騎士は伯爵に命令されているのだろう。

 鋸刀でその余分を削ぎ落とし、あえてそれから斬り殺す。その光景はさながら同胞に手を掛けるようだった。そしてそれでいて躊躇いがなく、危なげもない。

 異様な光景だったが、観客たちは単純に興奮している。多くの血が流れ、多くの悲鳴が叫ばれ、それが異様であるとも認識できていないのだろう。女騎士の技は洗練されているとは言い難いが、野生の獣のごとき迫力があった。

 生きるための剣だ、と思う。

 八体の魔物があれよあれよという間に数を減らしていく。女騎士は返り血こそ浴びているものの無傷である。

 挟撃。

 七体目を斬り殺し、女騎士は背後に迫った虎の魔物を振り返り様に両断した。左の脇腹から、右の鎖骨に抜ける。青い血とそれに染まった臓腑が、逆立つ瀑布のようにぶちまけられた。

 命の熱量が、冬の風に白い湯気を揺らめかせる。

 歓声と悲鳴が闘技場を満たした。女騎士は血溜まりも死体も避けることなく、真っ直ぐに歩いて舞台を去って行った。

「はあああああ、つよいね」

 リリオンが腰を折り曲げて溜め息を吐き。ぽつりと呟く。

 ランタンは握り締めていた手すりを放して、汗ばんだ掌をズボンで拭った。身体を伸ばし、捻り、強張りを解す。

 血濡れの舞台が、地の魔道使いによってあっという間に清掃される。そして次に出てきたのはネイリング騎士団の隊長であるシドだった。

 王の桟敷のすぐ隣に用意された、ネイリングの席に向かって一礼をする。そこにはレティシアもいる。ミシャもそこにいたが、シーロだけは居なかった。

 ネイリングも闘技場から献金を受けたが、それ故に騎士を参加させたのではない。

 シドが行うのは魔道演舞だった。地の魔道にて舞台を時化る海面のように波立たせ、嵐を巻き起こし観客を凍えさせ、その嵐に炎を乗せて外套を脱がせた。

 これからの戦いは魔道が許可される。シドは観客席へ累が及ばないように魔道障壁を張る、防御部隊の責任者に任命されたのだ。何しろ観戦者は王侯貴族を始めとする、貴人ばかりである。何かがあってからでは遅い。安心して観戦してもらえるように、シドはやり過ぎなほどに自分の力を見せつけた。

 なにせもうしばらく後には、地下下水道で爆発を発生させるような探索者が舞台に上がるのだから、どれほど安全かを示しても足りないことはない。

 シーロとの戦いが刻一刻と近付いてくる。

「リリオン」

 指先が凍え、悴んでいる。ランタンは、はあ。と息を吹きかけ擦りあわせた。

「なあに? ランタン」

「手、繋いでいい?」

 ランタンが尋ねると、リリオンはランタンの手を握った。リリオンの手は温かい。

「いいに決まってるでしょ。もう、そんな当たり前のこと聞かないで」

「――する前に聞けって言ったのはリリオンじゃん」

 戦鎚を握るその直前まで、ランタンはリリオンと手を繋いでいた。


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