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カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
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 竜の卵は色味が濃く、その色に違わず味が濃かった。ほんの僅かな塩だけでそれ自体が持つ甘みを引き出して、乳脂肪のような油分を多く含んでいるため火を入れてもふわふわのとろとろで、思い出だけで口の中に涎が溢れた。

 朝食後、リリオンの髪を編み直すとレティシアにミシャにリリララに、そして髪を編み終えたリリオンにべたべたと髪を触られた。おかげでランタンの寝癖はすっかりと撫でつけられている。

 目指すは王都。ではなくメリサンドというネイリング領の首都であり、レティシアの故郷であり、ネイリング家の本拠地である。レティシアの父であり領主のネイリング公ドゥアルテに謁見するのだから、寝癖頭では格好がつかない。

「帽子するんだから別にいいのに」

 メリサンドまでは籠を使わず、竜種の背に乗る。

 ランタンたちが騎乗させてもらう竜種は中型種で、それでもかなり大きい。焼いた鉄のような照りを帯びる鱗で巨躯を包んでおり、翼長は十メートル以上もある。よく躾けられていてランタンが近付いても暴れたり怯えたりすることはなかった。

 すでに鞍を乗せられている。

 鞍は毛皮張りで温かそうだったが、籠の中でさえあの寒さなのだから無いよりもまし程度である。メリサンドまではここから五、六時間ほどの距離であり、この季節に無防備に風に晒されたら凍死しかねない。

 ランタンたちは互いに香辛料を練り込んだ温熱クリームを身体に塗り合った。それらは独特の匂いがしたが、丁寧に塗り込むと身体がぽっぽと温かくなる。毛皮の帽子やマフラーを貸してもらい、焼いた石を布で巻き懐に忍ばせる。騎竜での冬の移動はどれだけ防寒しても足りないことはない。

 しっかりと用意を済ませていざ騎乗という時、レティシアがランタンとリリオンを呼んだ。

「どうかしましたか?」

「レティ一人だからさみしいの?」

 リリオンは籠から降りてレティシアをレティと呼ぶようになった。

 ランタンは、リリオンとミシャと一緒に一頭の竜種に乗るが、レティシアはカーリーに単独騎乗する。

 レティシアは虚を突かれたように目を丸くした。ランタンはリリオンの尻を引っぱたく。

 どうして叩くの、とリリオンは尻を撫で、けれど嬉しそうに頬を緩める。レティシアが少し羨ましげであり、ランタンは見なかったことにした。

「こほん。ああ、えっと私はカーリーと一緒だから大丈夫だよ。それよりも渡したい物があるんだ。こんな土壇場になって申し訳ないが、荷物にはならない」

「渡したい物、ですか?」

「ああ、これを」

 レティシアは綺麗な小箱を取り出した。それは塗りの箱で、薄く、長方形をしており、見るからに高級品を収めているという感じだった。リリオンはそれに釘付けになり、ランタンは視線で尋ねる。

「これはアシュレイさまから、リリオンへの贈り物だ。開けてごらん」

 レティシアの手の中にあるまま、リリオンはそっと小箱の蓋を外した。

「わあ、きれい」

 リリオンは恐る恐る中身を取り出す。

 それは黒絹のベールだ。

 縁に銀糸で細い紋様が縫い取ってあり、全体が美しく光沢を放っている。黒水晶や黒曜石を布のように薄く切り出したようだった。美術品のようだ。だがどこか不思議な気配がある。

「これをおひめさまが……!」

 リリオンは喜び驚き、同時に不思議そうに呟く。

 レティシアは僅かに眉を下げた。喜ぶリリオンを微笑ましく思っているだけではなく、複雑な感情が見え隠れしていた。

「アシュレイさまも今は王都に戻っておられてね。二人のことをずいぶんと気に掛けて下さっている。それは魔道具の一種で、王族がお忍びで出かける時に使われる物だ。――着用者を周囲に溶け込ませる作用がある」

 存在感を稀薄にする。違和感を打ち消す。興味を逸らす。自らではなく他者の意識に影響を及ぼす魔道は、いくらでも悪事に使うことが出来る禁制品である。

 レティシアは言葉を選んでいる。これを渡すことを迷っていたのだろう。どちらの選択が、少女を傷つけぬのかと。

「ティルナバンよりも、こちらは北に近く、人も多い」

 北。

 その先にリリオンの故郷、巨人族の国がある。

「巨人族を目にしたことがある者も多いだろうから――」

「うん、わかったわ」

 リリオンはすぐそれの意味を察して、大きく頷いた。ベールを眼前に広げ、それをひとしきり眺めるとランタンに渡した。

「くれるの?」

「ぶー、わたしがもらったのよ。そうじゃなくて、後ろでむすべないから、むすんで」

「はいはい」

 リリオンはランタンに背を向けて腰を屈めた。ランタンはフェイスベールを後頭部で結んでやった。レティシアが正面側の位置を整える。まるで鼻を擽っているみたいだった。

「結び目を隠せる髪型の方がいいな。でも帽子かぶるからまあいいか」

「目だけだと雰囲気が変わるなあ」

 鏡がないのでリリオンはレティシアの鎧に顔を映そうとしている。目を見開いたり細めたりしているが、曲線的な鎧なので上手に反射しない。リリオンは諦めきれずぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 目の印象だけが抜き出されると、この上なく幼く見える。

 リリオンの呼吸にベールがひらひらと揺れ、大きく鼻で息を吸いそれが張り付いた。

「これ――」

 リリオンが鎧から視線を切って、ランタンを振り返る。

「――すっごくいい匂いがするの、これ! これ、ししょさまの匂いよ!」

「司書さま? そういや似たようなのしてたね。お揃いでよかったね」

「うん! ――じゃなくて、司書さまの匂いがするのよ、ほら!」

 リリオンはベール越しに唇が重なりそうなほど顔を近づけた。

 目の印象が本当に強くなる。

 淡褐色の瞳が確信するような深い色合いを帯びてランタンの瞳を覗き込んだ。

 見ていると吸い込まれそうで、ランタンは慌てて離れた。

「わかんないよ。覚えてないし、あの人、全然見かけなくなっちゃったし、そもそも嗅いだことないし」

「ほんとうにししょさまなのに……」

 しょげたように呟くリリオンをレティシアが慰める。

「よくわからんがリリオン、窮屈かもしれないが我慢しておくれ」

「ううん、平気。ししょさまとお揃いだからうれしいの。おひめさまからの贈り物だし、それにこれしてるとすっごく温かいのよ」

「そうか、それはよかった」

「レティは、それでだいじょうぶ?」

 レティシアはランタンたちに比べると、かなり寒そうに見えた。

 これから迷宮を攻略するかのような鎧姿を金銀財宝で飾り立てている。華奢であるが下品さはなく、見事に調和が取れていた。だが防寒性はほとんどなさそうだ。

 そして腰に佩くネイリング家の至宝、万物流転だけが調和から外れて悪目立ちと言っていいほどの存在感を放っている。

「お洒落は我慢ってね。最近の流行言葉らしい。さて、みんなをこれ以上またせても悪いし、――そろそろ叱られに帰るとするか」

「叱られはしないでしょう」

「さて、どうかな。家出の身だしなあ」

 レティシアは憂鬱そうに呟き、ひらりとカーリーに飛び乗った。

 待たされたことに文句を言っているのか、それとも宝石が重たいのか、カーリーはぶふんと蒸気のような鼻息を吹き出す。レティシアは手綱を片手にカーリーの(たてがみ)を撫であやす。

 そしてランタンたちも軍用竜に跨がった。竜騎士はすでに用意を済ませており、彼らはシド隊と比べると無骨な男であり口数は少ない。背に跨がるのに手助けしようと言う気はさらさらないようだった。

 ランタンが先に乗り、ミシャの手を取って引き上げてやり、ミシャを押し上げるようにリリオンが続いた。ミシャを探索者で挟むことで、寒がりの少女を墜落の危険から守れるようになっている。

「リリオンちゃん、つぶれちゃう」

 実際に乗ってみて落下死の代わりに圧死の危険性が発見されたが後戻りは出来ない。

 ミシャはランタンの背中に顔を押しつけて苦しそうに呻いている。外套越しにミシャの生暖かい吐息が背中に触れた。

「しっかり掴まっていろ、さあ飛ぶぞ!」

 竜騎士の掛け声で竜種が身体を震わせて羽ばたきを始めた。

 ミシャがぎゅっとランタンの身体に腕を回し、リリオンはミシャを抱えこむように、長い腕を生かしてランタンの脇腹辺りにしがみついた。

「むぐぅ」

 圧迫されたミシャの無様な呻き声は聞かなかったことにする。

 羽ばたきで猛烈な風が巻き起こった。風が地面に叩き付けられて跳ね返ってくる。鱗に包まれた胴部が内側から膨張し丸みを帯び、巨体が一気に浮き上がった。糸で吊られたように緩やかに浮上し、やがて羽ばたきの質が変化した。

 ランタンは臍の辺りで祈るように組まれたミシャの手を撫でてやる。

 浮揚ではなく前進のための羽ばたき、それは空気が質量を持って在ることを実感させる。停滞する空気に身体がぶつかり、押し包まれ、まるで竜種から突き落とそうとするようだった。

「ミシャ、大丈夫?」

「なに? 聞こえない?」

「大丈夫っ?」

「聞こえないってばあっ!」

 竜種はあっという間に恐ろしいほどの速度になった。

 竜籠に比べて圧倒的に高速で、眼下の景色がすっ飛ぶように後方へ流れていく。肉体が一秒以前の場所に置き去りにされたかのように体温が失われた。露出した肌から次第に凍り付く錯覚に囚われる。

 風音で聴覚が潰され、体温を上げようと励む心音だけが聞こえてくる。

 次第に寒さや速度には慣れるが、言葉を交わすことは不可能だった。三人は凍った睫毛の隙間から、途切れることなく広がるネイリング領を見下ろした。

 飛行場は辺境にあったが、ネイリング領は隅々まで路が行き届いていた。国家主導で引かれた公路だけではなく、街と街をしっかりとした街道が繋げている。小さな村にまで途切れることなく路が延びていた。

 冬だというのになにかしらの作物が育てられる田畑があり、放牧される家畜も数が多い。

 隊列を作って飛ぶ竜種に家畜たちは呆気に取られたように空を見上げた。それはまるで逃げることを諦めているようにも見える。

 街自体も栄えていた。

 竜種は街道に沿って空を飛ぶ。街に近付くと沿道に人々が並んでおり歓声を上げたり、楽器を鳴らしたり、旗を振ったりしてレティシアの帰還を祝っていた。ネイリング領の隅々にまでレティシアの帰還が布告されていた。領民は寒空の下、竜種の隊列が通るのをずっと待っていたとは思えぬほど盛大に盛り上がっている。

 その時だけレティシアは速度を落とし、高度を低くし、手を振って歓声に応えた。

 そういったことを繰り返しながら竜種の編隊は北上して行く。

 すると緩やかな丘の裾野に広がる巨大な都市が、そして丘の頂きに館が見えた。

 もしかして、とランタンは思う。

 隊列が揃って速度を落とした。風音が薄れる。背中のミシャは疲れてしまったのがランタンの背中に額を預けている。そんなミシャに、リリオンはのし掛かるように身体を預けている。

「すみません、あれって」

 ランタンは指差しながら竜騎士に声を掛けた。男は首を僅かに動かし、ランタンを視界の端の端に捉える。

「首都メリサンドだ。もう十分もかからない」

「そうですか。じゃああの建物って――」

「ネイリング城だ」

 城。

 丘の北側に広がる森林を背後に控えさせ、その頂きに鎮座するそれは館ではなく城である。他の建物が豆粒ほどの大きさに見える距離にあって、それは館だと認識するほどの大きさに見えた。それほどに大きい建物だった。

「ほら、ミシャもリリオンも、もうそろそろだよ。おきろー」

「ううう」

 ミシャのそれは睡眠ではなく失神に近く、かなりぐったりしている。

 メリサンドの街は八大都市であるティルナバンよりも発達していた。古い歴史を感じさせ、けれど洗練された街並み。目抜き通りを埋め尽くす群衆は一万や二万では足りない。桁が一つ違う。竜種の羽ばたく音に負けず劣らずの歓声と、陽炎が浮かぶほどの熱気。街はお祭り騒ぎだった。そして一人一人の顔に喜びが満ちている。

 レティシアは愛されていた。

 レティシアは都市に入る直前に単騎高度を高く取った。ランタンたちを含む、他の竜種は逆に低く広がる。

 見上げると抜刀された万物流転が冬の太陽に煌めいていた。竜騎士が緊張して手綱を握り、竜種を落ち着かせる。

 竜種は大気の変化に敏感だ。

 乾燥する大気が電気を帯びる。空に雲はない。薄い色の青空に、濃白の雷光が放射状に広がった。ほぼ遅れることなく雷鳴が肌を打つ。それはネイリング領全土から確認できたかもしれない。

 そう思わせるほどのただいまだった。

 レティシアは雷の如く落空し、カーリーは墜落寸前で燕のように翻った。そして詰めかけた民衆の頭上すれすれを駆け抜ける。ランタンたちもそれに続いた。

 目抜き通りは広々としていたが、狭苦しいほど人々が集まっている。竜騎士は見事な手綱捌きで、建物の間を通り抜けていく。

「ひいい――……」

「わわわ」

 緩やかな曲がり角で竜種の身体が傾く。それは僅かな傾きでしかないのに、身体が吹っ飛びそうなほどの横方向の荷重があった。左右の建物まで距離的な余裕は充分だが、心理的な余裕はあっという間に削り取られる。

 ミシャが悲鳴を上げ、頭突きするみたいにランタンの背に額を押しつける。そうしないと頭が建物にぶつかってしまうとでも言うように。

 リリオンも驚いたように声を上げる。だがそれは好奇心たっぷりの声だった。

 広場を二つ通り過ぎ、目抜き通りを抜けた先には、二つの広場よりも遥かに大きな広場があった、竜種は急制動してほぼ垂直に上昇し、ほどほどの所で速度を殺すとゆっくりと高度を下げて着陸した。

 広場には十重二十重と民衆が押し寄せていたが、中央には着陸できるだけの空間が確保されている。集団の前列には騎士たちが並んでおり、今か今かとレティシアの帰還を跪いて待ち構えている。

「これ、僕らは別の場所に降ろしてもらえないかな」

 ランタンの独り言に竜騎士が耳敏く反応した。

「お隣に着けるようにとのご命令だ」

 そう言うやいなや竜騎士はカーリーの隣に竜種を着陸させた。翼を畳み、雀のように身体を震わせる。暴れこそしないが人の多さを鬱陶しがっているような感じだった。

 ランタンは鞍に跨がったまま居心地悪く辺りを見渡す。

「いっぱいの人ね、お祭りみたい」

「参加する気にはならないけど」

「……お二人はまだいいっすよ」

 我に返ったミシャが、込み上がる胃液を飲み込み、所在なさげに呟く。ランタンの身体に回された腕は、まだがちがちに力が入っていた。

「宝物を取り戻すのをお助けしたんですから。私はもうどうしていいか」

「手でも振っとけば? 僕はしないけど」

「――ランタンさん、すごいっすね。大勢の人の前で堂々として」

「してないよ」

「してたっすよ」

「いつ?」

「ついこの前、迷宮特区でしてたでしょう」

「風邪引いて頭回ってなかったからね。こんなに多くはなかったし」

 レティシアやエドガーはもちろん、ベリレまでもが歓声に応えていた。ベリレも名前や顔を知られているようで、なかなか堂に入った対応だった。

「手、ふらないの?」

「振りたければ振ればいいよ」

「ランタンがしないなら、わたしもしない」

 そもそもランタンたちはカーリーの隣に着けたが、顔も名前も知られていなかった。何となく歓声を浴びているが、他人のおこぼれに過ぎないし、おこぼれを集めようとも思わない。

「もう少し我慢しておくれ」

 レティシアは顔に笑顔を張り付けたまま気遣わしげな声を出すという器用なことをやった。

 カーリーが鼻先をネイリング城に向けると、他の竜種たちも一斉に身体を翻した。

 レティシアとランタンたちが先頭に並び、その後ろにベリレたちやシドが着き二列縦隊となって城に向かって歩き始めた。

 ネイリング城へ至る坂道の沿道にも民衆は溢れていたが、それも水堀までだった。

 城壁前には水堀が掘られており、機械式の跳ね橋が架けられている。掘は深そうで、水は左回りに流れている。さすがに冬の水堀に身を晒すような命知らずはいなかった。いや、どの季節でも危ういだろう。水面に透ける水棲生物の影は、子供ぐらいならば丸呑みに出来そうだ。

 竜種が乗ってもびくともしない跳ね橋を通過し、城門の内に入ると民衆の声がふっと遠ざかったような感覚があった。

 レティシアは重く息を吐き、ぐるりと首を回した。

「さすがに肩が凝るな」

「もっと疲れるのはこれからだよ」

「言うな、何だか緊張してきたぞ」

「家出娘ですもんね」

「叱られたら庇ってくれるか?」

「庇うもなにも家出したのは事実でしょ」

「あー、いやだいやだ。せいぜい大人しく叱られるか。さっさとティルナバンに帰りたいな」

「帰るもなにもここがあなたのお家でしょう」

 レティシアは門を潜り抜ける直前に背を伸ばし、潜り抜けると眩しそうに目を細めた。

 温かい。幾つもの篝火が焚かれていた。庭と言うにはあまりにも広すぎる庭を埋め尽くすように騎士たちが整列しており、楽隊がラッパを吹き鳴らした。

 貴族は大変だ。家出がいつの間にかお家のための出陣になり、ただ帰ってくるだけのことが儀式的な式典となってしまう。そうしなければ領民に示しがつかない。

「いってらっしゃい」

「ああ、いってくる」

 レティシアはカーリーから飛び降りると、捧げられた剣の間を王のような足取りで進んだ。

 その先では一家総出でレティシアを待ち構えていた。

「――ただいま戻りました」

「うむ、よくぞ帰った」

「我らの魂をここに取り戻しました。ネイリング公、在るべき場所に、お返し致します」

「……よいのか? レティシアよ」

「私一人の力で取り戻したのではありませんので」

 万物流転を鞘ごと差し出すとレティシアの父、ドゥアルテは鷹揚に頷いた。

「預かっておこう」

 そして娘ごと宝剣を胸に抱いた。力強く背中を叩き、レティシアが咳き込むとようやく身を離し、宝剣を受け取った。

 騎士たちが感動とも、畏怖ともつかぬ(どよ)めきを発し、一斉に鎧を叩き鳴らした。まるで心臓の音色のように荒々しく、力強く。

 ネイリング家当主という立場は、つまり万物流転の正当な所有者と言うことになる。なるほどあの長刀がドゥアルテの手にあると違和感がなく、しっくりきていた。

 在るべき場所に、在るべき物が収まった。

 ドゥアルテの右に二人の男がおり、二人ともにドゥアルテの面影があった。

 レティシアは家族に囲まれている。

 事前に聞いた話から察するに長身の男が次兄のファビアンだろう。赤毛を几帳面に後ろに撫でつけた、怜悧な顔つきの男だった。

 暗緑の瞳が落ち着きを放っていて理知的で、だが妹の帰還に口元をほころばせている。言葉は無粋とでも言うように穏やかに頷き、一言だけ発した。

「元気そうでよかった」

「兄さまもお変わりないようで何よりです。それに」

「姉さま!」

 もう一人は父と娘の儀式の最中から気が漫ろだった。待ちきれぬとばかりに破顔すると、精悍な顔つきが一気に幼くなる。明るい緑瞳をきらきらさせて、飛び付くような勢いでレティシアに駆け寄った。喜びに泣き出しそうなほどだった。

「おかえりさない、姉さま!」

「ただいま。シーロ、ずいぶんと背が伸びたんじゃないか?」

「はい、姉さまがいない間に五センチも! 背だけじゃなくて、ヴィクトル兄さまのようになるための鍛錬も欠かさず続けてきました。もう一人で竜種を狩ることも出来ます」

「そうか、それは楽しみだな」

 レティシアは今にも剣を抜いて成果を見せようとするシーロを落ち着かせる。

 そしてドゥアルテの左側で佇んでいた女が両手でレティシアの顔を包み込んだ。

 顔立ちは似ていない。陽に焼けたような色合いの肌は、レティシアと比べると小麦色程度の濃さでしかない。濃い茶金の髪色も、青い目の色も、やや骨太な骨格もなにもレティシアには似ていなかった。

 だがおでこを合わせて何かを囁く女のその姿に、そして一回りも小さくなってしまったようなレティシアに、それがレティシアの母親であるとはっきりわかった。

 竜種から降りたランタンはミシャの、そしてリリオンの手を取って少女たちを降ろした。

 リリオンは手をぎゅっと握って、母子の再会を黙って見つめている。ベールの下で唇が固く結ばれていた。淡褐色の瞳がゆらゆらと波打った。泣きそうで、けれど瞬きを堪え涙を流さなかった。

 ランタンは手を伸ばし、睫毛の上で真珠粒のように膨らんだ涙を払った。

「しかしでかい家だな」

「ここまでくると現実感がなくて意味不明っすよね」

「何を好きこのんでこんな所に住もうと思ったのかね」

「掃除だけで一年かかりそうっすよ」

「で最初に掃除した所に埃が積もると」

「掃除好きには堪らないっすね、私は遠慮したいっすけど」

 ねえ、とミシャが笑いかけるとリリオンはこくんと頷いて、ごしごしと目を擦った。少しだけ目が充血していた。眦に充血が染み出したような火照りがある。リリオンは幼く笑った。

「おっきなお家ね」

 この距離では大きすぎて視界に収まりきらない。城の一番高い所を見ようと思うと首が痛くなりそうだった。

 ベールをしているおかげで間抜け面を晒さずに済んでいるが、呆気に取られたようにリリオンは口を開けている。布に涎染みが浮いていたが、涙の染みよりはましだろう。

「……――みんなに紹介したい人たちがいるんだ。私を支えてくれた大切な人たちを」

 レティシアが満面の笑みでランタンたちを振り返った。おおい、と大きく手を振って手招きをする。母や兄弟どころか、騎士団全員の視線が一斉に注がれた。ランタンは顔を顰め、リリオンとミシャは反射的に背に隠れた。

 母は穏やかな目をしている。兄は興味深そうにしている。そして弟ははっきりと敵意をランタンに向けた。レティシアへの好意を、そのまま裏返したように。

 その敵意にランタンは笑った。ここまであからさまなものは久し振りで、それはランタンにとって馴染みの深い感情だった。日常が戻ってきたように、ほっとしている自分がいる。敵意は、愛よりもずっとわかりやすい。

 シーロは気味悪そうに、不愉快そうに眉を寄せた。

 手でも振ってやろうか。ランタンがそんなことを考えてほくそ笑むと、リリオンが袖を引いた。

「……さて無視するのも悪いから、大人しくお呼ばれしとこうか」

「うん」

 ランタンが笑うとリリオンも笑った。ほんの数秒前まで背中に隠れていたとは思えないような堂々とした足取りで騎士の間を進んだ。

「……姉さま」

 シーロの表情から敵意が抜け落ちた。レティシアがぎょっとする。弟は口を半開きにして持ち前の精悍さを欠片も残さず失い、間抜けな顔を晒していた。

「おい、どうした?」

「あの」

「あの、なんだ?」

「あの、あちらの美しい方は……」

 シーロの視線はリリオンに向けられていた。

 口から溢れた言葉はほとんど独り言じみていて、それはランタンの耳にも届いた。

「美しいだって……?」

 ランタンはびっくりして呟き、リリオンの顔を見上げた。

 それは涎染みのベールに包まれたままで、毛皮の帽子を脱いだ頭は所々髪が跳ねており、淡褐色の眼差しはやはり幼さばかりが目立っている。


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