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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
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 ランタンは愛用の戦鎚と、戦闘時に身に付けていたものを全て失った。リリオンと初めて攻略した迷宮の主、嵐熊の爪で造られた狩猟刀をエドガーに貸したことは僥倖だった。

 それだけは今もランタンのベルトに差してある。

 大迷宮の最奥で、探索者たちはランタンだけに限らず多くを失った。

 リリオンは大剣と大楯を。

 レティシアは神器とも呼ぶべき宝剣、万物流転を取り戻したが、それは未だに扱う事のできぬ魔剣であり、決死の覚悟の際に迷わず選んだ愛剣を失った。

 ベリレは血と汗で黒ずむほどに使い込んだ長尺棍を。

 そしてエドガーは自身と四十年近くともにあり、また探索者の至宝でもある竜骨刀を。

 最下層突入時に四振りあったそれは、激化する戦闘の中で砕け、折れ、炭化した。残ったのは一振りだけで、愚かしくも探索者ギルドはそれ後世のために、などと言い提供を求めて一笑に付されていた。竜骨刀は研ぎに出されている。

 大切な装備を失った喪失感に落ち込む四人とは裏腹に、エドガーは平然としたものだった。

 探索者の装備とはそういうものだ、と五十年以上に及ぶ探索者人生で身に染みている。

 感傷に浸っているランタンもそれを理解していないわけではない。ただ折り合いが付かないだけで。

 あの戦鎚を得るまでに、どれだけの鎚や棍を破壊しただろうか。愛着を持つほどに保たせることが出来るなど稀なことであった。

 稼げるようになってグラン特製の戦鎚を得るまでに、最悪の場合は一回の探索で、そうでなくても一つ二つの迷宮を攻略する度に武器を買い換えていた。迷宮の過酷さに、あるいはランタンの乱暴な使用に、耐えられないからだ。

 探索途中で使い物にならなくなってしまうので、予備の戦鎚を腰に括っていた時もあった。

 大型の馬車に揺られながらランタンがそんなことを言うと、ベリレが目を丸くして驚いた。頭上の丸耳が突っ張ったようにぴくぴく動いた。大げさな表情にランタンは肩を竦める。

「そんなに驚くこと? 昔はお金なかったんだから仕方ないじゃん。あの品質まで上げなきゃどれもたいして保たないんだよ。安物をいっぱい買った方が安上がりだ」

「いや、別にそんなんじゃ」

 大型の馬車なのに背を丸くして身体を小さくしているベリレは、慌てたように首を横に振った。左隣に座るエドガーは窓枠に肘を突きながら街並みを眺めていたが、ふと視線を馬車内に戻した。

「これも、昔は似たようなことをしていたんだよ。なあ」

 エドガーが懐かしむように笑うと、ベリレは恐縮しっぱなしだった。

「へえ、そうなの? なにを壊したのさ」

「色々。訓練用の剣とか槍とか、弓とか」

 筋骨隆々な身体付きも、丸めるとずんぐりむっくりに見える。洞穴から顔を覗かせる熊のような表情で、ベリレはぶっきらぼうに答えた。

「弓! 弓術もできるの? なんだかんだで器用だよね。全然そんな風には見えないけど」

 ランタンはさも意外そうに驚きの声を上げたが、鎖付きの長尺棍を意のままに操るベリレのこの上なく繊細な手捌きを思い出せば納得もいく。

「でも何で弓? あの鎖の射程があればそうそう弓なんて使う必要はなさそうだけど」

 小首を傾げたランタンにレティシアが小さく笑う。

「探索者と勘違いをしてるみたいだけど、ベリレは騎士の見習いだ。剣術、槍術、弓術、馬術は嗜みだよ。どれもそれなりにやるぞ。そうだ、ベリレもそろそろ騎士に叙任してやってもいいんじゃないですか。どうですか、エドガーさま?」

「ふむ、そうだな――」

「――いや、いやいやいやっ。俺なんてまだまだです、レティシアさま、エドガーさま。まだまだ苦労が足りません」

「苦労が足りません、か。言うようになったなあ」

 エドガーは嬉しそうに笑った。

 ベリレはもちろんエドガーに憧れていて、またレティシアにも憧憬のようなものを抱いていて、そのために騎士としての修練を積んでいる。

 ネイリング家におけるベリレの立ち位置は、客分であるエドガーお付きの小姓、つまりは見習い騎士であり、今でこそと言うべきか、この若さでもうすでにと言うべきか騎士として必要な武芸の多くを修めている。

 長尺棍を失ったベリレは、飾りこそ質素なものの造作の確かな長剣を胸に抱いている。何度も巻き直されたであろう柄巻の皮に、柄そのものに染みこんだ血汗の染みが浮くようだった。

 ベリレは修練を苦にしない。

 過去のベリレはもちろん今よりも体格は小さく、だが身体からはみ出すほどの臂力を有していたのだとエドガーが誇らしげに語った。

「や、止めてくださいエドガーさま。恥ずかしいですっ!」

「恥ずかしがることもなかろうよ。力がすっぽり収まるぐらい大きくなったんだから。なあ、ランタン」

「なぜ僕に聞くのですか」

 力が肉体からはみ出すというのは、つまるところ力を制御できないと言うことだ。

 修練を苦にしない真面目な性格と、制御不可能の怪力が組み合わさると何が起こるかというと破壊が巻き起こる。それは自分の肉体の破壊であり、また先に語ったような使用武具の破壊であり、他者を巻き込んだ修練の場合は対人破壊に繋がる。

 ベリレは訓練用の刃引きの鉄剣を片っ端からへし折ったそうだ。上段から切り落とせば地面を叩いて鋼が拉げ、槍を振り回せば柄が反発力に耐えきれず破断し、弓を引けば引き過ぎて弦を切ったり、弓本体を反り返したり、へし折ったり。

 真面目だが、端から見れば乱暴者だ。

 そんな乱暴者ベリレは、さらにエドガーの寵愛を受ける存在であり、精鋭揃いの騎士団の面々からしても持て余す逸材であったらしい。

 本人には悪気はなくとも、一手指南を、などと目をつけられてしまっては堪ったものではない。適当にあしらってやっても真面目なベリレはもう一手もう一手と純粋無垢に頼み込み、エドガーの顔もあり叩きのめすには躊躇われる。万に一つ負けたとなると骨の一つや二つは覚悟しなければならない。

 それになりによりエドガーの小姓とはいえ十に満たない子供である。実力重視のネイリング騎士団において万に一つとは言えその敗北は重すぎて、エドガーもベリレにばかり構ってやることはできない。

 そして一人、備品を破壊し続けるベリレにエドガーは棍を渡したのだった。

 ランタンとベリレは原始的で無骨な武器を手にしたが、その理由は正反対だった。

 ランタンはどうせ剣など使いこなせない。武具工房を訪れて最初の最初、試し振りで地面を叩いたのはベリレと同じく技量不足だが、もう一つはベリレとは真逆で力不足のためだ。

 そんなランタンを一目見てグランが与えたのは、ランタンの貧弱な肉体が振り回すことのできる最適解。戦棍ウォーメイス。柄の長さと先端の重さに威力を(たの)んだのである。

 ランタンもベリレも手にしたのは棍である。だがランタンは技術を後回しにするためにそれを、ベリレは技術の習得のためにそれを手にした。

「ふうん、ベリレはすごいねえ」

「なんだよ、その言い方。最初は大変だったんだぞ」

 長尺棍を力任せに振り回せば筋断裂や脱臼は免れない。超重量の遠心力を制御できなければ、肉体はばらばらになってしまう。

 それが今や重く長いだけでは飽き足らず、更に難易度を高めるための鎖をつけるに至った。

 乱暴者の汚名を返上したベリレは騎士団とともに汗を流すこともあり、なかなか可愛がられているようだった。

「あの鎖ってどんな意味があるの?」

 物憂げな様子で窓の外を眺めていたリリオンがふと小首を傾げる。棘鎖の迷宮での働きは遠間からの一方的な攻撃と対象の捕縛にある。

 リリオンもそんなことはわかっているのだろうが、ベリレはあまりに無邪気な疑問を勘違いをして、自らの戦働きが足らなかったのかとがっくりと肩を落とした。

「そうじゃなくて! ――訓練のためなんでしょう? どんな訓練なのかなって」

「――あれは力を先まで通すためだ、ってエドガーさまが」

「剣にしろ槍にしろ棍にしろ、結局は一本の棒きれだからな。素人が振り回したって、それ自体の硬さや重さでどうにでもなる。十の力で振り回せば、十の力が通る。だが固定されていないものだとそうはいかない。あんな長尺の鎖でなくとも、二節、三節の連接棍あたりで試してみるといい。以外と小手先で剣を振っていたりするぞ」

 リリオンは何やら感銘を受けて、れんせつこん、なる謎の武器に思いを馳せていた。

 あの中庭での戦い以来、ランタンにもリリオンにも運動の許可が出た。暇を見つけては身体を動かしているのだが、リリララ謹製の鉄剣をリリオンは何本も折っている。

 剣の訓練は順調だが、その折れた剣を魔道によって修復する訓練はまったく捗っていない。悲しいかなそちらの才能はないとランタンは思うのだが、ぴくりとも動かない剣の残骸を目の前に何分でも集中力を切らさない少女には何も言えない。

 リリオンは大剣大盾を失ったことを気にしているのだろう。また同じ目に遭わないために、どうすればいいのか考えているようだった。

 ネイリング邸から馬車に乗って揺られ、しばらくすると職人街へと辿り着く。

 重たい資材を運ぶ馬車が行き来するために路面が踏み荒らされていて、かなりの悪路である。歩いて訪れた時には気が付かなかったのは、その悪路が迷宮よりはましだからだろう。

 車輪に削られ、踏み固められた石畳の轍が思いがけず深くて、馬車内で一番軽いランタンの尻が跳ねた。

「うわ、もう――尻が割れるところだよ」

 ランタンが下らないことを呟くが、全員に無視された。

 馬車がゆっくりと速度を落とす。

 ランタンが御者や馬のやる気を削いだからではない。




 久方ぶりに目にするグラン武具工房の佇まいに違和感を覚えたのは、久方ぶりにそれを目にしたための気のせいではない。

 武具工房は隣にあった建物を飲み込んで真新しく巨大化していた。路面に面した店構えはあくまでも無骨であったが、使われている木材はまだ香りも瑞々しい。吊り看板は以前のものの流用なのだろう見覚えがあったが、それでもぴかぴかに磨かれていた。

 儲かってるのかな、と思いながら軒をくぐって、出迎えたグランは相も変わらず髭がもじゃもじゃしていてランタンはほっとした。

 グランはまずレティシアに礼を取った。

「こんな所までご足労を掛けちまって申し訳ねえ。解体所(しごとば)の方にも酒樽まで届けて貰って、職人達も喜んでおりました」

「それはよかった。口に合ったようで何よりだ」

 レティシアに、そしてエドガーに、ベリレに語りかけたグランは、破顔した顔を一変させてランタンとリリオンに視線を向けた。厳めしい顔つきになって、じろりじろりと睨むような目付きで眺められ、ランタンは僅かに尻込みする。

「お、お久しぶりです。どうにかこうにか戻ってきました。挨拶が遅くなりました」

「た、ただいま」

 二人がどもるように挨拶をすると、グランは腰に手を当てて重たく重たく溜め息を吐き出した。

「――はあ、本当に戻ってきたか。よかった。噂には聞いてるぞ、立派なもんだ」

 肩の荷が下りたとでも憂うように背中を丸めて、ごつい掌で二人の頭を撫でた。いやあよかった、ともじゃもじゃの髭の中で呟いた。

「それで、あの」

「噂ついでに、話も聞いてる。エーリカからもな」

 戦鎚を失ったことを口に出そうとして、グランはランタンの頭を小突いた。

「何を言い惑うことがある。戦鎚無くしたからってそれがどうしたんだよ。前っから何本も壊してるじゃねえか」

「だって、物が違うじゃないですか」

 製作にかかった費用は、そのままグランの苦労と言い換えてもよかった。

「男ならもっと大げさに、まずは手土産に自慢話をすりゃいいんだよ。あんなでっけえ蛇の化け物をぶっ倒して、ネイリング家のお姫様の手助けをしたんだろ。戦鎚壊してごめんなさいって、そんなものはいらん」

 蝿でも追い払うようにグランは大げさに手を振った。

「あんなもん幾らでも作ってやる。役に立ったその結果だろ? そんで使い手が戻ってくることこそが、俺らにとっては何よりの誉れだ。そりゃ一緒に戻ってくるに越したことはねえけどよ。それは俺にも責任がある」

「――じゃあ次はもっといい物を作って下さい」

「そいつは金次第よ」

 ランタンが一転して生意気に言い放つと、グランは髭の中で歯を剥いて豪快に笑った。そしてリリオンに目を向ける。

「あの大剣大楯の一式も、見せてもらったぞ。まぜこぜになってたが、あれを振り回したのか?」

「はい」

「そうか、そりゃすげえな。解体所には大型の竜種だって吊れる、どでかい吊り下げ機械があんだけどよ。そいつが火ぃ噴くかってぐらい重かったぞ。あれを振り回せるんなら、次はどんな装備にするか迷うな」

 リリオンは唇を噛んで何度も頷いた。ランタンはリリオンに理解を示すようにその身体を撫でてやった。肉体の興りが掌に伝わる。

 体温の高さは疑いようのない程に増えた筋肉量のためだ。その筋肉の分だけ装備の選択肢が増えたのだ。

「工房、改装されたんですね」

「ん、ああ。ちょっと隣が店畳んじまって、ちょうどいい機会だったから買い取ったんだ。実験的な物も含めて、色々設備を増やしたんだ。ちょうどいいから、あっちで話すか。よろしいですか?」

 グランがレティシアに確認を取ると、グランはまるで玩具を見せびらかすようにランタンたちを案内した。

「二階は魔道関係の工房がある。うるせえのがいるから、勝手に上がるなよ」

 隣の建物、だった一階に作られた工房はまだ煤汚れもない、研究施設を思わせる清潔さをもってランタンたちを迎え入れた。ランタンたちばかりではなく、エドガーも興味深そうにあたりを見ていた。

「へえ、すごい。何が何だかよくわからないけど。これはなに? 大きいコンロみたい」

 工房の一角に五徳のような物があった。人造黒鉛で作られた五つの黒爪が床から生えて空を掴んでいる。

「これは浮遊炉ってんだ。ほら見てろよ」

 グランが浮遊炉を起動させると、おもむろに鉄塊の一つを五爪の中心に放り込んだ。すると目に見えない網に捕らえられたようにその鉄塊が宙を浮き、放り込んだ勢いに任せてゆっくりと自転している。

「浮いたっ!」

 ランタンとベリレが揃って声を上げた。リリオンやレティシアも目を丸くしている。

「浮遊炉って名前で浮かなかったら詐欺じぇねえか。素材を浮遊させることで溶融時に不純物の混入が少なくなるんだ。坩堝も溶けちまうからな」

 素材は爪から発生される電磁波と、そして超音波によって浮遊、加熱されるらしい。鉄塊は一分もしないうちに真っ赤に焼けて、硬度を失い、四角い塊がゆるゆると球形に形を変えていく。

 リリオンは顔が赤く染まるぐらいに近寄ってそれを見つめていた。

「他にも色々揃えたから、どんな注文でも叶えてやるよ」

 グランは探索者たちの驚きに満足したように頼もしく腕を組んだ。

 これから用意する物の他に、すでに用意してある物もある。

 まず一つはエドガーの竜骨刀だった。研ぎに出した最後の一振りは、グランの下にある。

 竜骨で作られた純白の長刀は、尺を半分ほどに詰められてしまっていた。エドガーは右手でそれを受け取ると鞘を払い、短くそして細く、薄くなったそれを見て満足気に頷いた。

「最大限、刀身は残しましたが、どうです?」

「見事だ。これほどの仕上がりならば御用の研ぎ屋も、多少の浮気に文句はつけまい。腕がこの有様だからな、尺も良い塩梅だ。してもう一つは」

「こちらに」

 グランはエドガーに竜骨刀とは別の一振りを渡した

 柄頭に金細工。柄巻の竜革が複雑な模様を描いて締められ、鍔は竜鱗の削り出し。

 鞘の彫金は月と熊だろうか。満月の子熊が、月の欠けとともに成長していく。鞘の半ばに三日月と黄金の熊を見つけた。

 エドガーは受け取ったそれを、あるべき場所へ返すようにベリレに渡した。

「叙任の儀式の際、その剣では格好が付かないからな。余計な世話かと思ったが、まあ、なんだ。喜んでもらえればありがたい。ほら、受け取れ」

 ベリレは与えられた刀を胸に押し抱き、そして跪き恭しく掲げた。

「……ありがたく、頂戴致します。我が師エドガーの名を汚さぬように、いっそうの精進を誓います」

 一生の精進を、とランタンには聞こえた。

 そしてベリレならば例えそうであったとしても嘘はないのだろうと思った。

 ベリレは堂々たる騎士のように立ち上がったかと思うと、買ってもらった玩具で遊ぶのを堪えきれない子供のように鯉口を切って刀身を確かめる。

 目乱めみだれの刃文。荒れ狂う波のような文様浮かべる銀の刃は、どことなく陶器を思わせる艶めかしさを帯びて、そこには竜骨刀の面影が見える。

 金属の繋ぎに、廃棄するか博物館に飾るかしかない竜骨刀の片割れを、粉末状にして混ぜ込んだのだそうだ。

「よかったね」

 ランタンがベリレに笑いかけるとベリレは、うん、と恥ずかしがるように頷いた。

「ではランタンとリリオンには私から」

「……半ズボンじゃないでしょうね」

「渡しても履いてくれないじゃないか、せっかく似合っていたのに。――違うよ、安心して貰ってくれ」

 それらはわざわざ王都、老舗の靴工房にデザインを起こしてもらい、それを元にグランが作り出したものだった。

「靴と、外套だ」

「私のは靴とスカートよ! わあ、すてき!」

 ランタンは戦闘靴を迷宮で失い、リリオンは足が少し大きくなった。そんな二人にレティシアは同型の、色違いで戦闘靴(ブーツ)を拵えてくれたのだ。

 膝までを覆う長靴(ロングブーツ)。ランタンのものは深い濃紫で、リリオンのは艶やかな臙脂に染めた竜革。やや細身の輪郭を描き、爪先が鋭く丸みを帯びている。

 爪先から甲、そして臑に掛けての補強に竜鱗を用いており、透けるほど薄く削り出したそれには波間のような、あるいは年輪のような独特の模様が浮かび上がっている。

 どことなく女性的であるデザインは、なるほどグランにはない感性だが、ランタンとリリオンにはよく似合った。

 爪先で床を叩くと硝子を弾いたような澄んだ音が響き、その繊細さとは裏腹な驚くべき硬度が感じられた。それでいて靴内部には毛ほども衝撃が徹らない。

「革を二枚貼り合わせて、その内側に特殊な液体金属が満たしてあるんだ。まだ新しい技術なんだが、実用に耐えうる性能になってきた。靴に入れたのは液体分散系の――」

「説明されても、さっぱり」

 ランタンは諦めたように肩を竦め、グランは諦めたように溜め息を吐き出した。

「まあ、衝撃を吸収するゼリーみたいなもんだ」

「ゼリー!」

 夏の日差しと浮遊炉の熱に額に汗するリリオンが声を上げた。何か期待に満ちた声を、グランが戒めた。

「腹減っても割いて食ったらいかんぞ。金属中毒は地獄だから。特に女は赤ん坊にも影響するからな。ともかくは使い心地はこまめに寄越すように。お前らの意見でこれからの装備が革新的に変化するかもしれんぞ」

「へえ、すごいなあ。ちょっと迷宮に行ってる度に、世界は成長するんですね」

 靴を履くとひんやりとした液体金属の気配が肌に触れる。まるで水の中に足を浸したような柔らかな密着感があり、それでいて皮特有のべたべたと張り付く不快感がない。

 靴下要らないかも、と神経質なランタンですら思う。

 リリオンと並んで、その顔を見上げてふと気が付いた。

 顔が近い。少し背が高くなった。

 グランか、それとも靴職人か、それともはたまた偶然の産物か。ランタンの踵が少しばかり高く作られている。ランタンはそれでも見上げなければならぬリリオンの顔に諦念にも似た苦笑を浮かべて、諦めきれぬ己の劣等感を嘲笑する。

 ランタンはその顔を伏せ、表情を隠すように靴底を覗き込んだ。

 ランタンの歪な笑みが掻き消える。純粋な驚きに目を丸くして再びリリオンを見上げてしまった。

「どうしたの?」

「リリオンのもかな? 靴底、ほら」

 靴底が目の覚めるような緋色に塗られていた。ランタンが足を上げるとリリオンが身体を折り曲げてそれを覗き込んだ。淡褐色の瞳に炎を入れたような緋色が反射して、リリオンは何度も目を瞬かせた。

「綺麗!」

 踏みつけにするのが申し訳ないほどだった。滑り止め用の溝は一切刻まれておらず、極滑らかである。

「綺麗なだけじゃねえぜ。女王緋蜂の蜜蝋、難溶性ワックスだ。踏み込みの摩擦熱に応じて必要なだけ溶け出して粘着性を帯びるようになってる。探索毎、とは言わねえが迷宮毎に塗り直すからな。ちゃんと顔出せよ」

「いつだってそうしてるじゃないですか」

「こっちは上客を逃すまいと必死なんだよ。店を改装したからな」

 グランの戯言を聞きながらランタンは外套を羽織った。布への抗魔処理は魔精染めだろうか。肩に掛けただけで浮遊炉からの熱が遮断されたのが実感できた。ベルベットのような光沢を帯びる濡れ羽色は、まさしく高濃度の魔精の色だ。

 裏地は靴底と揃いの緋色で、こちらも肌触りは極めて滑らか。

 グランが姿見を用意してくれて、ランタンは身体にそれを巻き付けて身体を捻って背中を見た。

「どう?」

「似合ってる、格好いいよっ! これは何の刺繍かな?」

 縁取るようにに縫い取られた複雑な紋様は、邪気払いと帰還の(まじな)いだ。そして背の中央には金糸で紋章が描かれている。それは蔦を旺盛に伸ばすカボチャのようにも、多頭竜を圧倒する太陽のようにも見える。

 羽根のように軽い外套が不意に重みを増したように感じ、だがランタンはぴんと背を伸ばした。

「ありがとうございます、レティシアさん」

 ――過去の自分はこの重さを背負っただろうか。ランタンは浮き草のように廃虚を転々と彷徨った己を思い出した。

 背が伸びるばかりが成長ではない。背が伸びるに越したことはないが、たぶん、自分は成長したのではないかと思う。

「喜んでもらえてよかったよ。リリオンの方は、さすがにここで着替えるわけにはいかないけれど、どうだい?」

 リリオンは鏡の前に立ってスカートを腰に当てていた。花嫁衣装を思わせる白のスカートは銀糸のレースで飾られている。柔らかな棘と生い茂る細い蔓、幾千に咲く小さな薔薇はただの銀細工ではなく、鎖帷子の役目をもっていた。

 ランタンが驚いていると、リリオンとレティシアはしてやったりと笑った。

「迷宮用なんだ。リリオンがスカートがほしいって言うから」

「リリオンが……!」

「もう、そんなに驚かなくたっていいじゃない」

 ランタンが更に驚くとリリオンは唇を尖らせて、拗ねたような目付きなった。

 リリオンはあまり自分からあれがほしいこれがほしいと口にしない。そんなリリオンが自分にではなく、レティシアやあるいはリリララあたりとその様な会話をしていたことが、ランタンには純粋な驚きだった

「迷宮のレティシアさんが、綺麗だったから」

 リリオンは言って、再び鏡に向かって楽しげに自分の姿を映している、

「リリオンが……、そうかあ、リリオンが」

 馬鹿みたいに繰り返すランタンに、リリオンは鏡の中で頬を膨らませた。

「もうっ、いいでしょ、ランタンっ!」

「――うん、いいと思う」

 ひらひらのスカートを翻して戦うリリオンの姿を想像して、ランタンは膨らんだ頬もなんのそのと頷いた。想像上のリリオンはレティシアに負けず劣らず凜々しい。

 ランタンとリリオンは競い合うように鏡の前に立って、あるいは譲り合って一緒に姿を映している。その奥でこっそりとベリレが刀を腰に差して、でかい図体を背伸びさせて鏡の端に映る己をこっそりと確かめていた。

「こそこそできてないから」

 ランタンは胸ぐらを掴んで前に引き寄せた。ベリレもなかなか様になっている。

「――おう、坊主ども。エドガーさまもレティシア嬢もほっぽって自分に見とれてんじゃねえよ。ったくテメエらが持ち帰った戦利品が泣くぞ。拡張した資材置き場がもうぱんぱんなんだからよ」

 三人揃ってはっとして己を取り戻し、まず最初にベリレがエドガーの背後に逃げ出した。

 根性無しめ、とランタンはリリオンを背に守り、開き直る。

「お茶菓子は出るんでしょうね」

「ゼリーはねえけどな。馬鹿言ってねえで(はよ)行くぞ。それに似合う装備作んだろ」

 グランに促されて応接室に行く前に、まず件の資材置き場を見せてもらった。色取り取りの資材の中で

多頭竜の素材がこれでもかと山積みにされている。

 異常再生を繰り返し、荒縄のようにより合わさっていた竜の首は職人達の働きにより解かれて、各部位ごと、品質ごとに選り分けられている。

 鱗、鱗皮、皮、牙、骨、角、髭、その他諸々の生体素材に、持ち帰ったのは首から上だけだったはずなのに少量だが爪もある。

 圧倒されるほどの量があった。肉の一切は失われていたが、それでもよくぞこれを運び出したと思う。

 そしてあの迷宮であらゆる物がまぜこぜになったリリオンの大剣も。吊り下げるには高さが足りないので、横倒しになっている。

 柄はベリレの長尺棍、刀身は大剣を芯にして迷宮鋼で覆い、刃をレティシアの魔道剣、鋒には大盾の面影が残っている。

 振り上げ、振り下ろした。大質量は多頭竜の首を切断し、リリオンの肉体を破壊し、その身にさえも亀裂を生んだ。亀裂を埋めて首級を運ぶ荷車ともしたが、もうその大剣は役目を終えていた。

「きちんと混ざってる。あれをやった魔道使いは良い腕してるな。だからもう元には戻せない」

 リリオンが神聖な物を前にしたように背を伸ばし、大人びて眼差しを伏せた。


カボチャ頭のランタン03、来月8月25日発売だよ!


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