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せっかくレティシアが曇天に風穴を開けたのに、再び曇ってしまったのかと思った。
ランタンは己やリリオンにまでかかる人影の主を見上げて思わず呟く。
「……象だ」
濃い灰色の肌。大きな耳に、突き出た牙。そしてでっぷりとした腹にまで垂れる長い、長い鼻。
ドゥアルテの背後からぬっと現れたのは、ランタンが思わず呟くのも無理からぬほどに象だった。
だが驚きのあまりとは言え、それは亜人族への侮辱とも取れるような呟きである。
突如目の前に現れたのは象人族であって、象ではない。二足直立のそれは人であり、無骨ながらも着飾った男である。
その男の年齢をおしはかることが難しい。幼いと言うことは決してないし、老いているとは思う。だがただの年寄りなのか、それとも物凄く年寄りなのかは判らない。
石を削り出したような質感の皮膚は、そこに刻まれた深い皺はそれが老いから来るものなのか種族的なものなのか区別をつけることは容易に許さなかった。
ただランタンの呟きにも寛大な、老成した瞳の輝きはエドガーのそれによく似ている。
ランタンがじっと見ていることに気が付くと象人族の男は笑った、かもしれない。目元の皺は笑おうが笑うまいが常にそこにある。
リリオンよりも遥かに大きな巨躯は三メートルを超えるか。いや、それは男の質量的な威圧感に驚いて、余分に大きく見積もってしまってのことで正確ではない。
ランタンは驚きに跳ねた心臓を落ち着けるように深呼吸を繰り返した。そして再び男を見る。
おそらく二メートル半を超えるぐらいか。大型獣の亜人族であっても破格の巨躯である。
隣ではリリオンが真っ白な喉元を晒して人を見上げた。目も口も丸く開いて、ランタンの肩を掴んだ指先にぎゅっと力が入った。驚いているのか怖がっているのか。
「お鼻が長い……」
呟きは純真で、声は少し震えた。ランタンは肩に掛かる白い指に頬ずりを。
親子の邂逅の邪魔にならぬように今まで姿を隠していたのか、その象人族は急に現れた。ドゥアルテの背後には簡易な造りの陣幕が設置されていて、場の盛り上がりに呼ばれるように姿を現したのかもしれない。
「まったく、何を今更驚いておるのだ二人とも。――あ、お前まさか」
背後からエドガーの呆れ声が聞こえた。
よくよくあたりを見渡せば驚いているのはランタンとリリオンばかりである。レティシアたちも、騎士たちも、ギルド職員も、そして探索者も呆気に取られている者などはいない。
「顔ぐらいは知らんか? 知らんのだよな、その様子だと」
ランタンとリリオンが顔を見合わせて揃ってこくんと頷くと、ベリレやリリララが思わずというように眉間を押さえた。どうやらずいぶんと、この容貌なのだから当たり前かもしれないが、有名な人物であるらしい。
男がドゥアルテの隣に並んだ。と言うことは大貴族ドゥアルテと同格か、それぐらい権力を有しているということ。男は気さくにドゥアルテに話しかけた。むしろドゥアルテの方が気を使っているようにすら見える。
「はっはっは、勇ましいお嬢さんだな。この様子ならばネイリングはあと百年は安泰だろう。うらやましいことだ、ドゥアルテ殿」
重くしゃがれた声だった。男はレティシアへと視線を向けて、笑いながら腹を叩いた。
祝砲のつもりか、どおん、と太鼓のような音が鳴ってレティシアがびっくりするとまた笑った。ドゥアルテは愛想笑いをしているし、エドガーはうんざりと溜め息を吐いた。
「どちらさまなんです?」
「……言いたくはないが古い友だ」
「おじいちゃんのお友達?」
リリオンが尋ねると。象人族の視線がこそこそと会話をするランタンたちへと注がれた。鼻がうねったかと思うと器用にエドガーを指した。
「おじいちゃんだと! エドガー、貴様! そんな風に呼ばせているのか!」
くわっと目を見開いて、指した鼻を高々と持ち上げて叫んだ男のあまりの大声に、場が一辺してしんと静まる。探索者の視線は憧れの英雄を、おじいちゃん、呼ばわりするリリオンに向けられ、しかしエドガーが踵を鳴らすように勇ましく男に向かい合うことで一身に興味を掠った。
エドガーはうんざりとしたような表情を隠すことなくやれやれと肩を竦める。やや大げさともとれる姿は様になっている。
英雄の立ち振る舞いだ、とランタンは思う。
「事実、孫……いや、ひ孫ほども年は離れておるのだから別によかろうよ。それに呼ばせているわけではない」
「くそう、すかしおってからに。お前は昔から――」
「そのような話をしにわざわざお出ましか? 我が友にして、我らがギルド長よ。暇な身でもあるまいに」
エドガーが右手の指をちょちょいと動かしあたりを見るように示すと、象の男ことギルド長は首を左右に巡らして空咳を一つ零した。
ギルド長、この人が。
ランタンやリリオンが、そしてこの場にいる全ての探索者が所属する探索者ギルドの長は牙を揺らして笑った。肩書きを知ると途端に貫禄が増したような気がする。
「一番えらい人?」
「そうみたいだね。へえ初めて見た」
「わたしも」
ランタンとリリオンは顔を近づけてこそこそと言葉を交わす。
なるほど探索者ギルド長ならばドゥアルテと対等に会話しても不思議なことはない。貴族と対等に並びうる大職業集団の中でも最大の権力を有するのが探索者ギルドだ。
そのトップはその気になれば国を引っ繰り返すこともできると噂される。何せ迷宮利権を押さえて資金は潤沢、そしてギルドに属する者の半数以上が戦いを生業にする職業戦士だ。もっともその職業戦士を御せるかどうかは別の話だが、そのような噂が立つ程度には戦士たちからの人望もある。
「――我が友が怪我をしたと聞いて執務室に閉じこもってなどいられるものか」
「人をだしにして、仕事をさぼっているだけじゃないのか? あまり部下に迷惑を掛けるなよ」
「心配は要らん。儂がおらんでもギルドは回る。部下はみな優秀だ」
「ではお役御免で、潔く現場を退いたらどうだ。お前の体重でギルドが傾くとみな嘆いとるぞ。いや食費だったか」
エドガーが探索者たちに同意を求めると、野太く熱狂的な歓声が沸き上がった。
上前はねすぎなんだよとか、エドガー様こそギルド長に相応しいとか、食費ぐらい身体張って稼げやとかそれはもう酷い言われようである。ギルド長は大きな耳を蝶のように羽ばたかせたかと思うと、腹太鼓をどんと一発鳴らすだけで探索者たちを黙らせてしまった。
ランタンは音速の反射神経で耳を塞いで身を竦め、リリオンは全身を打った音の振動でせっかく綺麗に梳かした髪がぶわっと広がったので不満げな顔をしている。
「今言った奴はあとで掲示板に張り出しておくから罰を覚悟しておくように、まったく、……諸君!! 呼びもしておらぬのに今日はよく集ってくれた! 働き口ならばそこら中に口を開けているというのに困った者どもだ!」
迷宮特区ではいつだって迷宮へ向かう探索者と返ってくる探索者でごった返しているはずだ。だが今は多くの探索者が探索の予定を取りやめてこの場に集まっている。
「だがそれも仕方あるまい」
英雄エドガーを一目見られるのならば探索の予定などいくらずらしても惜しくはない。そのようなことを意味する言葉がそこかしこから飛び交った。興奮のあまりに前に進もうとしてぶちのめされる探索者もいた。
「大人しくしろとはいわんが、ほどほどにしておけ」
だがエドガーがそう言うだけで争いごとはぴたっと収まった。
「暴れるのならば魔物相手にな。輩相手にあまりもったいないことをするなよ」
探索者の多くは破落戸同然のどうしようもない連中である。住むに困り、食うに困り、生きるに困って探索者へとなった。情熱的な気質と享楽的な気質は紙一重で、暴力を好む探索者たちが犯罪者とならなかったのはエドガーに憧れてのことでもある。
エドガーの薫陶に触れて、探索者たちは子供のように純粋さで頷いていた。
「おじいちゃん格好良いね」
「うん」
「……ランタン?」
エドガーの一挙手一投足を見つめるランタンの視線は、真剣そのものだった。だが探索者たちやベリレの視線のように熱狂的なものではない。理知的な焦茶色の瞳はむしろ冴え冴えとしている。
ふうむ、とランタンは溜め息を漏らした。
それとほとんど同時にエドガーが振り返った。そしてランタンとリリオンを、レティシアを、そしてベリレやリリララも傍へと引き寄せた。
胸を張れ、と小さく呟く。
大げさなほどベリレは胸を張った。リリララは照れてそっぽを向いた。レティシアは手慣れたもので、ぴんと背筋を伸ばす。
リリオンはランタンに寄り添って、ランタンは戦いに挑むその時のように肩幅に足を開いて、丹田に力を入れた。
リリオンを支えるように、視線の重圧を受け止めるように、自らの意志を示すように。
ランタンは一番小さく、だが誰よりもはっきりとその目に映った。
象の鼻に襟首を掴まれて、持ち上げられた。ランタンは反射的に身を捩りギルド長の眉間目がけて蹴りをくれてやろうとして、遠ざけるように伸ばされた鼻に阻まれた。そう悟った瞬間、鼻の表面に生える毛を纏めて毟った。
「何するんですか」
「ぐう、……聞きしに勝る凶暴さ」
鼻を押さえてギルド長は呻き、堂々としているランタンに歓声が降り注いだ。
「――く、時にランタンよ。探索者の証たる、探索者証を身に付けていないようだがどうした?」
どよっとざわめきがあった。探索者証は探索者の誇りである。つい思わず、と言うようにレティシアが弁明をしてくれようとしたがランタンは冷静にそれを遮った。
ギルド長の黒い瞳は、毛を毟られた痛みなど露も感じていないほどに冷静だった。おそらくそれを失ったという事実は、もうすでに知っていての質問なのだ。ランタンは心の中に沸き立つ天邪鬼さを押さえ込んだ。
「なくなってしまいました。灰も残らず燃え尽きて、――いやこれでは正確ではありませんね。燃やし尽くしてしまいました」
「燃やしたと!」
「ええ、でもわざとじゃないんです。あれを討つための攻撃の余波で」
ギルド長の牙が大きく上下した。ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。探索者たちは驚きすぎて声もなく、どよどよざわざわと事の真偽を囁き合っている。そんな中でエドガーがはっきりと言った。
「事実だぞ」
「素晴らしい。超硬不壊を誇る探索者証を……あいや天晴れ! ランタン、そしてリリオン!」
急に名を呼ばれたリリオンが困ったようにランタンへと視線を送った。ランタンが頼もしく頷いてやると、リリオンも頷き返した。
「高難易度大迷宮の攻略、並びにヴィクトル・オリーリー・ネイリングを初めとした有望なる探索者を数多不帰の者とした悪竜の討伐、レティシア・オリーリー・ネイリングの守護、――それに老人の介護と探索者ギルドの長を知らぬままこの場へと到達した探索への熱意と功績を称えよう! 二人とも探索者証を付ける腕を」
聞かれてたのか、とランタンが思うと心を読んだようにギルド長の耳が動いた。
リリオンが右手首に巻かれる探索者証を晒すとギルド長はその表面を一撫でした。青い燐光が後を追うように探索者証の表面を走った。そしてランタンが左手首を晒すと新しく用意された探索者証が手首に巻かれた。青白い炎が燈ったように一瞬光が立ち上った。
「今日付でランタンを甲種探索者、リリオンを乙種探索者とする。――貴君らの征く迷宮に魔精の祝福があらんことを」
ランタンとリリオンはギルド長に促されて振り返った。
「ここにまた頂へと近付いた探索者が誕生した! 貴様らも精進するように!」
そして千を越える探索者から祝福が送られる。
騎士からも、職員からも。起重機の近くではミシャとアーニェが、そしてすぐ傍ではレティシアたちが。
「ランタン、ランタン、どうしたらいいの?」
「取り敢えず笑って手を振っておこう」
「……ちょっと恥ずかしいわ」
リリオンは恥ずかしがって、けれどランタンはそんなことも言っていられないなと、最後列の探索者の更にその奥を見つめた。
地面からゆらりと立ち上る陽炎。魔精の揺らぎ。迷宮崩壊の兆し。
わあっと巻き起こった拍手が、地面の揺れにぴたりと止まった。
複数の迷宮が連鎖的に崩壊したようだった。エドガーを見るために攻略を中断した探索班がそれほど多かったと言うことなのだろう。
ランタンは振っていた手を真っ直ぐ空へと突き上げて小さな爆発を握り込んだ。混乱や動揺を消し飛ばし、一身に注目を集める。
「憧れのおじいさまにいいところを見せるチャンスだよ! さあ行け! 戦え!」
ランタンが号令を降すと探索者は一つの生き物のように鬨の声を上げ、一瞬にして臨戦態勢となって現場へと走って行った。
砂煙と立ち上る陽炎はすでに魔精のものではなく、人の熱気によるものだ。
レティシアが雲を吹き飛ばした青空には燦々と太陽が輝いていて、ランタンは眩しそうに目を細める。
「夏の太陽だ」
リリオンが向日葵のように背伸びをして太陽を見上げた。
4章終了!
今月の更新終了!




