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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
110/518

110 迷宮

110


 ランタンは十日も眠っていて、その間は本当に楽をしていた。楽をしていた分だけ、仲間に迷惑をかけていた。

 迷宮では様々な困難が襲いかかってくるが、その中でも帰還の行軍は最終目標戦と並び立つ難易度を誇る。

 探索は進むにつれて食料を始めとした消耗品がどんどんと使用されて身軽になるように思えるが、消費する以上に蓄積される迷宮資源の方が多いのは常のことだ。

 最下層で荷物の取捨選択をすることは、多くの探索者にとって喜びであり苦しみである。

 少しでも価値の高い物を、少しでも必要な物を、それでいて少しでも積載重量を軽く。

 なにせ迷宮資源ばかりが荷物な訳ではない。

 此度のランタンがまさしくそうなのであるが戦い傷つき、身動きの取れなくなった探索者もまた荷物になる。

 死ねば迷宮に屍を打ち捨てることは当たり前にあるし、助かる見込みがなければ介錯もする。潔ければ自害もあるし、そうでなければ見捨てることもある。

 運び屋に無価値な屍を持たせるか、それともその分だけ迷宮資源を持たせるか。鍛え上げられた大人一人分の迷宮資源は、容易に冷酷で現実的な選択を探索者に迫った。

 戦いに戦い続けた探索者は心身共に疲弊している。

 そしてその疲労こそが足取りを重たくする全ての元凶でもあった。それは牽引する、あるいは身に着ける装備等々の、そして自らの肉体の重量を二倍にも三倍にも感じさせる。

 帰還では魔物との戦闘はまずない。ただひたすらに歩くだけの単純作業はただでさえ疲労している心身を、地味に、確実に蝕むものである。

「がんばれ、がんばれー」

 そんな中、ランタンは起きても楽をさせてもらっていた。

「はぁっ、はぁっ……うる、さいっ!」

「ったく、応援してやってるのに」

「いらんっ!」

 ランタンは湯船荷車の中から縁から腕をだらんと垂らして進行方向の逆へと気のない応援を送った。

 視線の先には上半身の服を脱ぎ捨てて、多頭竜の頭部を牽引するベリレとドゥイの姿があった。

 多頭竜の頭部、つまるところの首級はレティシアが何を打ち倒したかを確かにするためのものだ。だが二人の姿を見ていると、どうせならばこれも焼き尽くしてしまえばよかった、とほとんど無意識的に多頭竜の肉体を焼いたというのに思ってしまう。

 二人とも余計な贅肉など一つもない鋼のような隆々たる筋肉を剥き出しにして、滝のように汗を噴き出し、肉体の熱気に蒸気を迸らせ、ズボンの腰回りには塩が結晶となって、そして鬼の形相で荷車を牽引している。車輪が軋みをあげて、と言うよりは鋼鉄の大地が軋みをあげているような有様だ。

 首級は樹齢千年の大樹を切り出したような趣だった。これでいくらか切り詰めたようだったがそれでも本体となる巨大な顎門の塊だけで一メートル以上、それに幾つもの竜頭が絡みつくような頸部を合わせると三メートルに近く、ベリレだって腕を回せないほど野太い。

 そしてその重量を支える荷車もまた重量物だ。それはこの首級を刎ねた大剣を流用したものだった。よく振り回せたな、と今更ながらに呆れてしまうほど長大でぶ厚い。

 ベリレの額に浮かんだ青筋がランタンの声援に反応して脈動する。それは一度破裂した血管かもしれないが、少なくとも今は治っているようにも見える。だがベリレの肉体から戦闘の疲労はもちろん、怪我も全てが消えたわけではない。

 ベリレの逞しい胸元には火傷の痕が赤く浮かび上がっていた。月の輪熊のような、三日月の火傷痕。

 ベリレも、そしてドゥイも魔精薬を上限目一杯まで服用している。

 大変そうだなあ、とランタンが湯船の縁に顎を乗せてそれを眺めていると後頭部を叩かれた。

「余所見をするんじゃない。ほら、こっちを見なさい」

「……はい、はい」

「返事は一回」

 唇をへの字に曲げてランタンが振り返ると、レティシアが緑瞳を細めて厳しい顔つきになっていた。向かい合う二人の様子は完全に教師と問題児だった。

 ランタンは目覚めてからも、結局ずっと湯船型荷車に乗せられていた。薬湯はすでに抜かれて、底に毛布を敷き詰めてそこに座ったり寝かされたりしている。

 過保護も甚だしいとランタンは思っているのだが、全員が全員ランタンを湯船の中に押し込めるのだからどうすることもできない。確かに寝ても覚めても身体は重たく、体調は戻っていない。だが戦闘の危険がない帰還時ならば歩いても良さそうなもので、けれどランタンが大人しくそれにしたがっているのは靴が燃えてなくなったからである。

 替えの服は用意してあっても、なかなか靴の代えを用意することはない。靴の修理道具が虚しく荷車の脇に転がっていて、やたらと重たい球形の迷宮核が転がらないように下に噛ませてある。だがそれは押し潰されているようにしか見えない。

 そして同乗者は今はレティシアだが、リリララである場合もあった。二人は交代交代でランタンの目付役も兼ねて休憩を摂っていた。

 リリララは細々(こまごま)と魔道を使用して荷車を修理したり補強したりと無理をしている。地の魔道が便利であるが故にリリララへの負担は大きい。

 そしてレティシアは宝剣に奪われた魔精の影響が未だに大きかった。自らの意志で消費したのではなく、あらがえぬほど強烈な外因による魔精の喪失は回復もまた遅いようだ。

 本来は二人とも荷車に乗りっぱなしでも文句を言われない立場であったが、少しでも早くの帰還を目指すために歩いていた。

「ほら、声援を送るのもいいが勉強の続きだ」

「……はい」

 ランタンは運ばれている間、ただ運ばれ続けていたわけではない。落ち着きなくせまい湯船の中を膝立ちでうろうろしたり、勉強をさせられたりしていた。

 勉強とは読み書きの勉強だ。

 リリオンがランタンの下着を探すために背嚢を引っ繰り返して、ランタンの秘密はぶちまけられてしまった。エーリカ謹製の読み書き練習帳だ。それに気が付いたのはぶちまけた当のリリオンで、無邪気な少女は無邪気にそれを掲げて、それはそれは大きな声で、これなあに、と高々と掲げたのである。

 これまで隠し押してきたランタンの秘密はあっさりとばれてしまった。けれどランタンの恥ずかしさや屈辱感とは裏腹に、ランタンに向けられる視線は優しいものだった。

 文盲とは特に珍しくもないのだから、そんなに恥ずかしがるものではない、と。

 それがいっそうランタンを萎えさせる。馬鹿にされた方がまだましだったかもしれない。そんな風にさえ思ってしまう。

 ランタンは従順に返事をしたくせに、足元に横たわる白布の包みを指差し突いて揺らし、ふて腐れている。

 レティシアは広げた練習帳を溜め息と共に閉じて脇に置き、ランタンが弄っている包みを拾って胸に抱いた。

 その包みの中身はネイリング家の家宝、魔剣万物流転だ。

 多頭竜の尾という鞘から抜き放たれたそれは握った者の魔精を、生命力を奪い取る魔剣と化した。抜き身のそれは握らずともあたりの魔精を奪取するために、魔精結晶を包むために使われる特殊な布に巻かれている。だがそれでも迂闊に触れると噛み付いてくる。

 レティシアは刃物に興味を示した赤子から遠ざけるようにランタンからそれを取り上げた。

「急に不真面目になってしまったな。リリララとは楽しそうにしていたというのに、私では不服か?」

「いいえ、まさかそんなことはありません。ただ少し疲れただけです、午前中に真面目ぶった所為で」

 ランタンは荷車の横を付いて歩く午前中の教師役であるリリララを盗み見て、声を小さく呟いた、

 垂れ下がっているとは言え感度抜群の兎の耳は、もちろんその小さな声を拾っていた。リリララは赤錆の瞳でじろりとランタンを睨み付け、ただ小さく舌打ちを吐き出した。悪態がないのは息が上がっていてその余裕がないからだ。

 帰還の行軍は一心不乱の一言に尽きた。

「僕も歩きたいな。勉強ばっかりじゃ身体が鈍る。これ杖代わりに貸していただけませんか?」

「ダメだ。まったく、我が家の家宝を何だと思っているんだ。いや、これはランタンに引き寄せられて戻ってきたのかもしれないが」

「あ、またそんなこと言ってる。弱気はダメですよ。それに、もしそれが本当にそうだったとしたらどうするんですか? 仕来りに倣って――」

 ランタンがぴっと指差して一気攻勢に出るとレティシアは宝剣を胸に抱いたままぴしりと背筋を伸ばした。黒曜石の肌が、鉱石の硬質さを帯びで唇が笑ったような困ったような形に歪む。

「それは貴女のなんだから、もうなくさないようにちゃんと持っといて下さい。じゃないと杖代わりに使いますよ? それで魔精を吸われながら靴下でよぼよぼ練り歩いてやる」

「それは困る。ランタンにそんなことをさせたら当家の沽券に関わるし、私の気が済まない」

 ランタンがじれったそうにそう言うと、レティシアは本当に困ったように笑った。その視線がふっとリリララに向いたかと思うと、そこにはランタンの駄々を聞きつけたシュアが後方から上がって来ていた。

 非戦闘員であるシュアも自分の足で歩いていて、こうやって前後を行き来して探索者の体調に気を配っている。 楽をしているのはランタンばかりだった。

「何か我が儘が聞こえたような気がするが、気のせいかな?」

「気のせいではないですよ。ちょっとぐらい歩いたっていいと思うのです。シュアさんだって歩いているのに、こうしているのは気が引けると言いますか、気が滅入ると言いますか」

「休める内に休んでいなさい。まだ病み上がりなんだから」

「それを言ったら皆病み上がりですし、探索者は働ける内に働くんです。そんなこと言ってたら探索はできませんよ。それに僕が病み上がりなら、おじいさまは現在進行形で重傷じゃないですか。それなのに歩いている。止血帯に血が滲んでますよ」

「困ったことに、ランタンと違ってあの御方は私の言うことを聞いてくれないんだ。年を取ると頑固になっていけないね。――その点、ランタンは素直で大変素晴らしいね。私の手を煩わせないでいてくれる」

 シュアはランタンの頭を撫でて、エドガーの下へと向かった。包帯を取り替えるだのなんだとの言っているが、エドガーはシュアに気を使っている風を装ってそれを遠慮している。シュアの肩ががっくりと下がった。

 エドガーは足取り軽く、それでいて時折難しい顔をして、確かめるように一歩一歩進んでいる。

 左腕は炭化した部分を切除し、肉を剥いて骨を砕き削り、そして包むように断面を縫合したのだとリリオンが興奮気味に伝えてくれた。かなりショッキングな光景だったようだが、動ける人間の少ない戦闘終了直後の最下層でリリオンはそう言った光景にもめげず一生懸命働いたようだ。

 包帯を取り替える際に患部を見せてもらったのだが、それはきつく閉ざされた花の蕾のようだった。

 治癒しているわけではない。安静にしなければご覧の通り血が滲むこともあるし、患部に熱は溜まるし、痛みだって酷いはずだ。実際エドガーも痛み止めを食事毎に服用している。

 けれどエドガーはそんなことよりも身体の感覚を早く取り戻したい、あるいは慣らしたいようだった。ランタンにはその気持ちがよくわかる。

 こうして座っていても身体は重たく、自分のものではないような違和感はこの上なく不安で不愉快だ。

 エドガーは片目を失った事での遠近、平衡感覚、そして視野の狭さによる違和感にはもうだいぶ慣れたようだった。視界不良、あるいは無い状態での戦闘もかなりの数を潜り抜けてきたらしい。

 だが腕を失ったことでの重心の変化には未だ苦戦しているようだった。視界がないことはままある。戦闘に限らず例えば闇夜や豪雨、霧などの天候によって。だが腕が使えなくなることはあっても、無くなるという経験はエドガーにとっても初めてのことだ。

 当たり前にあったものがない事への違和感。それは不愉快で、けれどエドガーは楽しげにも見えた。

「くくく、七十の手習いと言ったところか。この歳になって一からやり直しとは、まだまだ暇をしなくて済みそうだ」

 まあ手が無くなったのだがな、などとエドガーは冗談を飛ばして皆を無言にさせたのは記憶に新しい。

 エドガーに困らされているシュアをこれ以上困らせるのも気が引けるので、ランタンは湯船の底を這いずってレティシアの横に身体をねじこませ進行方向に向かって身を乗り出した。車輪近くと、縁の左右。その四点から伸びる牽引ロープをランタンは撫でて揺らした。

「リリオン、まだ平気? 疲れてない? 大丈夫?」

 ランタンを乗せた湯船型荷車を牽くことは、最下層の出発からずっと続くリリオンの仕事だった。

 薬湯が抜かれていくらか軽くなって、多頭竜の首と比べれば随分と軽量であるが、決して軽いわけではない。だが弱音一つあげず黙々と進み続けるリリオンの足取りは軽やかだ。

 白銀の髪をお団子に纏めて、纏めきれぬ長さが三つ編みにされて肩甲骨のあたりまで垂らしている。今朝ランタンがやったものだ。後れ毛の浮く項に汗が珠のように連なって、少女の白い項が朱色に染まっていた。

 華奢さはまだあるが、それでも背中は頼もしく膨らんでいる。ズボンが汗で張り付いていて形のはっきり浮き出た尻が丸く、すらりと長い脚は相も変わらず美しい。太股から膝裏へと垂れる汗が、大きな一歩に跳ね飛んだ。

 リリオンは僅かに首を回して振り返り、つんと尖った花が横顔に浮かび上がる。頬の赤さになお際立って、淡い桜色の唇が自慢げに笑った。

「ぜんぜんっ、平気よ! ランタンは羽根みたいに軽いから、疲れていないのよ。だから、今は休んでいてね。わたしが全部してあげるからねっ」

「はいはい、全部ね」

「返事は一回よ、ランタン」

「聞いてたのか。うん、はい、ありがとう。もうちょっとだから頑張ってね」

 リリオンはランタンが目覚めてから、ランタンの世話を全てしてくれようとした。

 今現在の状況に始まり、休憩時には寄り添って食事を食べさせようとしてくれて、ちょっと着替えになればいそいそとボタンを外し、着替えを用意し、寝る時には絵本代わりに練習帳の読み聞かせどころかランタンの背中を撫であやす始末である。

 ランタンが眠るまで起きて見守ろうとするのだが、荷牽きに疲労しているリリオンはいつだってランタンより先に寝てしまった。意識の途切れるその瞬間まで、背中を撫でることを止めなかった。

 ランタンは甘んじて受けることもあったし、拒否することもあった。

 拒否をすればリリオンは拗ねたが、世話を焼くことを諦めることはない。

 とにかくランタンは甘やかされ続けた、という意識が強い。

 なにせほとんど、まったく歩くことなく迷宮口直下まで戻ってきてしまったからだ。

 それはランタンが目覚めてから四日、最下層から数えて十四日、探索開始から三十三日、つまるところ一ヶ月と五日目の事だった。

 ランタンは靴下履きのまま荷車を飛び降りて、足元から伝わる鋼鉄の冷たさを感じ、ゆるゆると息を吐き出しながら迷宮口を埋める真っ白な霧を見上げた。

 潰れそうに重たい身体に抗うように、ランタンが大きく伸びをすると覆い被さるようにリリオンの顔がにゅっと視界に飛び込んでくる。

 ランタンは思わず少女の頬を両手で掴み、リリオンは少年の身体を抱きしめると一度持ち上げ、その足を自らの足の上によいしょと乗せた。

「なに、この状況?」

「だって足冷たいでしょ」

「おら、阿呆二人。あっち行け、じゃあ信号弾上げますよ。三、二、一」

 迷宮口の真下にいたランタンたちはけんもほろろにリリララに退かされて、兎の侍女はその場に短筒を用意した。

 垂直に地面に突き立て、その中に信号弾を放り入れる。

 それは、ぽん、と妙に軽い破裂音を響かせると信号弾を地上へと向かって打ち出した。破裂音の残響も風切り音も尾を引いた白煙も消える前に、リリララはもう一つ弾を放り入れた。

 信号弾は探索者の帰還を地上に伝える。観測手から、引き上げ屋へと情報が即座に運ばれるはずだ。

 大迷宮ほど総延長が長くなると当たり前だが探索期間も長くなり、そういったものが長くなればなる程に帰還日の決め打ちすることは難しい、と言うよりも不可能だ。

 それゆえにこうして信号弾を打ち上げて帰還を伝える。

 また信号弾は複数の種類があり、それを使い分けることによって緊急か否か、怪我人の有無、その状態なども示される。

 ランタンとリリオンは珍しそうにそれを見上げた。

「お鼻がむずむずするわ」

 周囲には火薬が燃えた酸っぱい臭いが漂っていてランタンは眉根を寄せた。リリオンはわざわざ鼻を鳴らして臭いを嗅いで、皺を寄せた鼻先をランタンの髪に擦りつけた。

「ちょっと、髪で洟拭かないでよ」

「違うわ。お口直ししてるの」

「それもやめて、っていうか口じゃないじゃん。……信号弾か、使ったことないなあ。これってどれぐらいで来るんですか?」

 打ち上げた信号弾による情報は怪我人が居るが急がずともよく、だが迷宮資源が高重量であるということだ。

「まあ遅くとも半日という所だろう――」

「いやあエドガーさまとお嬢の威光で特別扱いあるかもしれねえっすよ」

 リリララが短筒を回収しながらエドガーたちに尋ねると、二人とも肩を竦めるだけだった。

「半日か、じゃあ来るまでちょっと身体動かそうかなあ。柔軟とかならいいですよねー!」

 ぐったりとへばっているドゥイたちの世話をしているシュアに確認を取ると、シュアは両腕で大きく丸を作って答えた。

「やった。じゃあリリオン離れてよ。あー身体が重い、リリオン重い、熱い」

「わたしが柔軟体操してあげようか?」

「……手伝ってくれるってこと? 全然要らないけど、骨折られそうだし」

「むう……そんなことしないわ。やさしくするから――っ」

 ランタンとリリオンがじゃれていると、ふと霧の中から一条のロープが垂らされた。だがそれは引き上げ用の物ではない。起重機から垂らされるロープは普通、迷宮口の中心を通るように垂らされる。だがこれは壁際に垂らされ、そして大きく震えた。

 リリオンがランタンを庇うように抱きしめ、それとほとんど同時に白い霧に小柄な影が映った。

「あれ、ミシャ――?」

 霧を突き抜けたおかっぱ頭にランタンは思わず呟いた。

 見慣れたつなぎ姿の少女がロープを腰に巻き付け、握り、迷宮の壁を蹴り走って下降してくる。

「ランタンくん、リリオンちゃん!」

 そしてミシャは地上近くになると大きく壁を蹴ってロープを手放し、どたんと大きな音を立てて着地するとそのまま転げるように二人に駆け寄った。

「ああ、無事でよかった!」

 そしてランタンもリリオンも一纏めに抱きしめて、しばらく離さなかった。




 感情を露わにするミシャは珍しかった。

「少しお薬の匂いがする、――怪我は?」

「ないよ、大丈夫」

 ミシャはリリオンの顔を見上げるように顎を上げ、それからゆっくりと身を離した。

 じろじろと少年の身体を探るように見つめ回しほっと胸を撫で下ろす。例え服の下に傷を隠していても見分けられるほどに、ミシャはランタンの変化に敏感なのかもしれない。ミシャはほっとし、けれど瞳の中から疑いが消えることはない。

 リリオンが微かに笑った。

「僕ってそんなに信用がないのか……」

「いえ、だって信号弾には怪我人が。それに背が小さくなったような」

「――それは靴履いてないからだし、別にそんな厚底じゃなかったし! あと怪我人はおじいさまだよ、ほら腕無くなってるでしょ」

「え、わあ! 申し訳ありません、気が付かず! お怪我の程は!?」

 ミシャは本当に気が付いていなかったようで大きく慌てた。

「よいよい、気にせずとも。引き上げ屋(サベージャー)よ。ランタンも今はこの様子だが、つい先頃までは無茶をして寝たきりだった。馴染み深いなら、これを心配するのもよく判ることさ」

「だが心配して慌てて駆けつけたにしても、随分と早い迎えだな。地上で何かあったか?」

「はい――」

 エドガーがミシャを落ち着かせて尋ねた。だがそれは疑問をぶつけると言うよりは、もうすでに知っていることをあらためて確認するための問いかけのようだった。ミシャが口を開き、地上の様子を語るとエドガーだけが納得したように頷いた。

 レティシアが掠れるような小声で呟く。

「父上がお見えに……」

 ミシャ曰く今、地上にはネイリング家騎士団と、そして探索者ギルドまでが出張ってきているらしい。

 ランタンたちが探索を開始して三日ネイリング家当主が騎士団を率いて都市にやってきた。その理由はただ一つ、レティシアを探してのこと。ヴィクトルという有望な跡継ぎを失って、そしてレティシアも、と言うような考えが湧いたのかもしれない。

 当主は到着が一歩遅れたことを知ると、騎士団を迷宮に派遣しようとしたらしい。もちろん他人が契約している迷宮への進入は違法行為である。当主はまず探索者ギルドへと働きかけた。

 特権階級である貴族であるし、ネイリング家はその中でも大物である。それになによりもあまり仲の良くない探索者ギルドと貴族であるが、ネイリング家は探索貴族と呼ばれるように探索者ギルドとの関係は深く、また良好である。

 だが許可は出されなかった。それはネイリング家にとっては予想外のことだったらしい。

 市中の噂でしかないがかなり激しいやり取りが繰り返され、それでも出されぬ許可に騎士団の一部はついに業を煮やして無断で強行降下を決行しようとしたらしく、探索者ギルド治安維持局と小競り合いを起こしたとか。

 最終的な結果としては予定期間日を一週間過ぎても戻らなかった場合、騎士団に突入許可が下りるというものだ。予定期間日は探索開始から四十二日後、つまり一ヶ月半後である。

「九日もあるのに、どうしてもう上にいるの?」

「それがっすね、騎士さま方が迷宮の周囲に陣を張って寝泊まりしてるんですよ。いつ何が起こってもいいようにって。それでそうなったら今度は、理由は噂でしかないんっすけど、騎士団を見張るためにってギルドの人たちも同じように」

 噂とはつまり無断侵入しないように、と言うことなのだろう。

「まあなんとも大変そうだね。ミシャはその人たちが見てる中、降りてきたのか」

「大変そうじゃないっすよ。すごく色んな偉い人たちがかかわってて、お店の方にだって――! それで、もしかしてランタンさんたちは何かものすごく大変なことに巻き込まれてるんじゃないかって、気が気じゃなかったんすから」

「それは――大変すまないことをした。当家が迷惑をかけて申し訳ない」

「あ、いや、レティシアさま。そう言うことでは」

 レティシアがはっとしてミシャに頭を下げると、ミシャは慌てて首を振った。レティシアは心臓の鼓動を押さえつけるように胸に手を当てる。

「これも、すべて私が逃げ出してきたために起こったことだ。家に、父に向き合わず、黙って来てしまったからな。迷惑をかけっぱなしだ、色んな人に」

 レティシアの肩が僅かに落ちたのを見て、ランタンは思わず彼女の尻を引っぱたいた。

「ひゃう!」

「かけたのは迷惑じゃなくて、心配でしょう。なにせ可愛い一人娘の家出ですからね」

 ランタンはじんじん痺れる手をひらひらと揺らした。

「親が迎えに来てくれるなんてなかなか愛されていますね。さあ、心配かけた親を安心させに行きますよ。何を躊躇うことがありますか」

 ランタンは揺らした手を握り、そして人差し指を立てる。

「お家の目的である宝剣(それ)も手中に収め、あんなおっかない敵も討った」

 少し離れた位置にある多頭竜の首級にミシャが気が付いて、びくりと震えた。悲鳴を押し殺すように手で口を押さえている。迷宮より運び出される魔物の素材の中でもこれは群を抜いて面構えが凶悪だ。探索者としての力を示すには持って来いの品だ。

「それに頼もしい仲間もいることですし」

 汗に濡れた服を着替えたベリレが一端の騎士のように胸に手を当て、リリララが気取ったように片目を閉じ、リリオンが満面の笑みを浮かべた。

「それにレティシアさんは虎口に指を突っ込めたんだから」

 ランタンが虎のように牙を剥いて笑いかけると、レティシアは表情を固めた。

 緑の視線が泳いでいて、ランタンは喉を震わせた。

 秘密をばらした白銀の髪の少女は、ランタンさながらの演技力でにこにこと笑ったまま素知らぬ顔をしている。

「だから、もう、怖いものなんてないでしょう?」

 ランタンが尋ねるとレティシアは胸を膨らませ、ゆっくりと息を吐き出して頷いた。

 その姿にエドガーが感慨深く眼差しを細める。

「ミシャ、引き上げの予定はどうなってるか教えてもらっていい?」

「はい、もちろん。英雄たちの凱旋っすから、格好良く行くっすよ!」

 ミシャが頼もしく胸を叩いた。


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