09 真実の時間
スコア【Kingdôm 10–10 Résistance】
【試合経過5:00】
【特殊処理:真実の時間】
ハーフタイムの電子笛が、地下会場の重苦しい空気を切り裂いた。
弍估は荒い息を吐く。
171cmの身体から流れ落ちた汗がコートに点々と落ちても、美貌に浮かぶ硬質な表情は崩れない。
ショットクロックと並列して網膜に焼き付くのは、【8億Gold】という膨大な残高だ。
前半、執拗に弍估へ集中したRésistanceのトリプルチーム。
その包囲網を逆手に取り、彼女は「毒」である味方を駒として使った。
向日葵が5点、七合目が4点。
皮肉にも、スーパーエースが囮に回ったことで、スコアは完璧な均衡を保っている。
「っしゃあ! 見たかよ、今のダンク! 199cmの壁を上から叩ききってやったぜ!」
七合目は拳を握り、ダンクを決めた腕を振り上げた。
技術の未熟さを身体能力で押し切った一撃に、借金返済への執念が滲む。
弍估への嫌悪さえ忘れ、自らのスタッツに酔ったように笑っていた。
一方、19歳の女、向日葵は、周囲の喧騒など耳に入っていない様子で、無心にシュートフォームを繰り返している。
(……どちらが、Résistanceの裏切り者なのか)
弍估の視線が七合目、向日葵へと移る。
だが、すぐに切り捨てた。今さら正体を探っている時間はない。
意識を後半5分へ切り替え、幾通りもの生存ルートを脳内で走らせる。
金網の向こう側、敗退したアウトローたちが退屈そうに鼻を鳴らした、その瞬間である。
「検体(家畜)番号、照合完了。……【真実の時間】です
事務的な音声が地下会場の隅々にまで吸い込まれ、カメラはコート中央に立ち尽くす弍估の瞳を真横から捉えた……その刹那。
世界から音が消えていく。
クローズアップされた弍估の頬を、一滴の汗が滑り落ちる。それが床に触れ、微かな波紋を描いた瞬間――。
――ギギギ、と。
天井を埋め尽くす数百のドローンが、獲物を囲む捕食者のように一斉にレンズを下げた。
異様な駆動音と共に、レンズに灯る無数の赤光がコートを射抜いていく。
直後、それらの底部から照射された青白い立体ホログラムが、地下会場の重苦しい闇を塗りつぶした。
『スパイだと……!? まさか最初から潜ってやがったのか!』
『おい見ろよ、均衡が壊れるぞ! どっちだ? どっちの雑魚が裏切り者だ!?』
『反転……!? 稼げば稼ぐほど首が締まるってか、最高じゃねえか!』
全世界でこの「殺戮ショー」を視聴する豚たちの、欲望に塗れたコメントが滝のように画面を流れ落ちていく。
その喧騒を置き去りにするように、無機質な音声が、この場の運命を決定づける「特別ルール」の全容を無慈悲に宣告した。
「——Kingdôm側のスパイによる得点は、現時刻を以てすべてRésistance側へ【反転】される」
宣告と同時に、空間を埋め尽くしていた青白いホログラムが激しく明滅し、ガラスが砕け散るようなエフェクトと共に【10-10】の数字が粉砕された。
カメラは、落ち着き払っている弍估の網膜を映し出している。
【10】という数字から、向日葵が射抜いた「5」が、物理的に引き剥がされ、右側のRésistanceスコアへと吸い込まれていく。
スコア【Kingdôm 10–10】
↓
スコア【Kingdôm 5–15 Résistance】
焼き付くような光が収まったとき、残されたのは、あまりに不毛な片肺の「5」という数字だけだった。
「……は?」
魂の抜けた声を漏らし、膝から崩れ落ちようとする七合目。カメラはその背後から、ボヤけた視界の先にある向日葵を捉える。
金網の向こうから上がる怒号、絶叫する七合目、明滅を止めた電光掲示板。
その狂騒を置き去りにするように、数百のドローンが一斉に向日葵へレンズを向ける。画面中央で、彼女だけが異様なほど鮮明に浮かび上がった。
向日葵は【5-15】へ一瞬だけ目を走らせ、すぐにボールを弾ませた。
数百のレンズが追いすがってもフォームは微動だにせず、その口元だけがわずかに緩む。
弍估が追い詰められた現実を噛みしめるように、向日葵はもう一度、ボールを強く叩いた。
(……運営は向日葵の才能を見抜いていたのか。それとも、彼女の才能を試していたのか…)
弍估は、対峙する熊埜御堂を射抜くように見据えた。
計算ずくで導き出された均衡という名の「中休み」は終わった。
「反転」したここから始まれば、少女たちにのって、スコアボードは残酷なまでの絶望を刻み続けるだろう。
独裁者の唇が、自嘲気味に、しかし戦慄するような歓喜を孕んでゆっくりと吊り上がった。
真実という名の猛毒が、じわりと、Kingdôm(王国)の心臓部を侵食していく。
やがてホログラムの蠢動が収まり、剥き出しの数字が、逃れようのない現実として空間に固定された。
確定スコア【Kingdôm 5–15 Résistance】
「おい、説明しろよ向日葵! なんで……なんで点数が減ってやがるんだよ!?」
状況が飲み込めず、剥き出しの動揺を隠せないまま、七合目は隣に立つ向日葵へ縋るような叫びを上げてきた。
対する向日葵は詰め寄られることを予測していたのか。その声には、微塵の揺らぎもない。
19歳の女は、まるで「今日の天気」でも語るような平然とした態度で、196cmの少年の狼狽を軽やかに受け流した。
「つまり、Résistanceのスパイだった私が決めた得点が、そのまま敵の得点になった。ただ、それだけのことだよ」
彼女の視線が、弍估へ戻る。
5点差。10点差。数字が開くほど、向日葵の口元はわずかに緩んでいく。
裏切りが露見したことも、七合目が取り乱していることも、彼女には関係ない。
ただ、追い詰められた弍估が、ここから何を見せるのか。
その一点だけを見据え、向日葵は再びボールを手に取った。
そう。
向日葵の辞書に、絶対的な存在である弍估が敗北するというシナリオは、最初から一行たりとも存在しなかったのである。
「ふざけんなッ! 何をしてやがる!」
七合目は顔を赤くして向日葵へ詰め寄った。
巨躯を震わせて怒声を浴びせるが、向日葵は微笑んだまま一歩も退かない。
「うん。うん。うん。そうだね。そうだよね」
向日葵は、まるで駄々をこねる幼児をあやす母親のように、慈愛に満ちた笑顔で頷き続ける。
七合目の激昂など、すべては記述済みのシナリオ通りだと言わんばかりに——
彼女は諭すような、どこまでも柔らかな声音を使い、小刻みに震える少年の耳元へ甘い毒を流し込み始めた。
「七合目君、落ち着いて。私たちが正攻法で勝利したところで、君の取り分はたったの5%……つまり600万だよ。君は1000万もの借金を背負って、この泥沼に足を踏み入れたんだろう?」
「……何が言いたい。もったいぶらずに、さっさと吐けよ!」
「私はね、スパイ行為を完璧に遂行することで、運営から2000万の特別ボーナスを確約されているんだよ」
その一言に、七合目の殺気がすっと引いた。
絶望に沈んでいた瞳へ、2000万という数字への欲望が一気に灯る。
「もしかして……お前、そのボーナスを俺に……?」
「もちろんだよ。私たちは同じチーム、大切な『仲間』じゃないか。その2000万を私と君で、仲良く山分けにしよう」
向日葵の唇が、三日月のように艶めかしく吊り上がった。
その言葉を聞いた瞬間、七合目の態度が一変した。
先ほどまでの激昂も消え、196cmの巨躯を折り曲げて、向日葵へ深々と最敬礼する。
「……有難うございます! 向日葵さん! 尊敬します!」
プライドを金で売り払い、安価な救済に縋り付く少年の無様な姿。
それを、弍估は氷のような冷徹な眼差しで見下ろしていた。
仲間割れという名の滑稽な喜劇は幕を閉じ、Kingdôm(王国軍)の内部は、もはや修復不能なまでに腐敗し、溶け落ちようとしている。
残り5分、10点差。
戦力差まで考えれば、逆転は絶望的だ。
だが弍估は、スコアボードを一瞥しただけで視線をコート端へ滑らせた。
【8億Gold】。
まだ、これだけ残っている。
「敗北」という答えを捨て、少女はその資金をどの「禁忌」へ叩き込むべきか、次の一手を演算し始めた。
独裁者の視線が、コートの端に佇む無機質な審判へと注がれる。
ルールを支配する者が勝つのではない。ルールを、その根底から買い叩いた者こそが、世界を塗り替えるのだ。
重苦しい静寂を切り裂き、後半戦の開始を告げるブザーが、今まさに地下会場へ鳴り響こうとした——その時である。
最敬礼を捧げる七合目の傍らで、それまで静観を貫いていた弍估が、凍てつくような声を突き刺した。
「そのガラクタ君に、ボーナスを山分けする話。却下とします」
15歳の少女から放たれたのは、感情の起伏を一切排した、事務的で、それゆえに冷酷な死刑宣告だ。
「……あ? 弍估、舐めてんのか。おめぇの金じゃねーだろッ!」
七合目の怒りが、導火線に火がついたように爆発する。借金返済という唯一の希望を断たれかけた16歳の男は、獣のように歯を剥き出しにして食ってかかった。
「聖女様はな! 悪魔のようなおめーとは、根本から違うんだよ! 分かってんのか!」
だが、その無作法な罵倒を遮るように、向日葵がふわりと独り言を漏らしてきた。
「そうか。なるほど。弍估ちゃんは、七合目君の勝ちへの執念が薄れるのを危惧しているんだね?」
図星を突かれたのか、あるいは179cmのシューターに見透かされた恐怖からか。七合目の動きが、石像のように硬直した。
「聖女様……」
喉を震わせる少年の追撃を許さず、171cmのモデル体型を持つ少女、弍估が、畳みかけるように言葉を放つ。
「2000万を山分けする条件は、この試合に勝利すること。そして、私からもポンコツ君へ特別ボーナスを出しましょう」
「え? 俺に特別ボーナス?」
「ええ。更に1000万のボーナスを差し上げます」
「さすが弍估ちゃん。……聞いたかい、七合目君。勝利すれば計2600万をゲットだよ。イェーイ」
向日葵が楽しげに追従する。
先ほどまで殺意を撒き散らしていた七合目の顔面は、あまりに容易な調略によって、みるみるうちに締まりのない悦びにふやけていった。内面では煮えくり返るような屈辱を抱えながらも、口角は卑屈なまでに吊り上がり、下卑たニヤけ顔を隠しきることができない。
その醜悪な喧騒をよそに、向日葵は冷静に、戦況の言語化を開始する。
「総合力では、Résistanceチームの方が絶対に上だよね」
19歳の女は、弍估の相槌を待つこともなく、淡々と、しかし確信に満ちた分析を継続していく。
「つまり、あそこに現れた【商人】こそが、逆転の鍵というわけだね?」
彼女の視線の先——。
コート外の特設ブースには、無機質なホログラムを纏った商人が姿を現していた。
その店頭には、戦局を根底から覆しかねない、禁忌の「権利」が静かに並べられていた。




