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追放された宮廷調香師は、辺境の村で竜の眠りを解く――香りだけで呪いも戦争も終わらせます  作者: たむ


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第六十九話 人を時間にしない王国

王都からの返事は、思ったより早く届いた。


リクはそれを受け取った時、まず封の厚さを確かめた。


薄い。


エルヴィンではない。


「失礼な確認ですね」


ハルトが真面目な顔で言った。


「だって、あいつの手紙は重い」


「物理的にも内容的にも」


「そう」


封筒には、国王の硬い字があった。


もう、見慣れないほどではなくなっている。


それが少し不思議で、リクは金木犀の前ではなく、未送信の手紙箱の横で封を開けた。


そこには短い文があった。


――リクへ。


――手紙を受け取った。


――人を時間にしないよう、気をつける。


――王はしばしば人を時間、数、地図上の線として扱う。


――それを完全に避けられると言うほど、私は正しくない。


――だが、避けようとする支柱は必要だ。


――金木犀の葉の報告を読んだ。


――夜鍋が鍋をひっくり返さなかったことも読んだ。


――その馬は、立派だ。


――今日は、スープを飲んだ人。


リクは最後の一文を見て、少し笑った。


「夜鍋、王様に褒められた」


リュミナが真剣に頷く。


「これは王国史に入る」


セリカが即座に言った。


「入れない」


「なぜだ」


「馬が鍋をひっくり返さなかっただけだ」


「人を時間にしない王国には、馬の鍋も必要だ」


セリカは言い返そうとして、少し止まった。


「……言い方がずるい」


ミナは国王の文をもう一度見ていた。


「“完全に避けられると言うほど、私は正しくない”」


彼女は小さく読んだ。


「これは、前より少し正直な言葉ですね」


リオも頷く。


「はい。正しさを名乗らない言葉です」


レインはその手紙を見つめた。


「避けようとする支柱……」


彼は自分の膝の上で指を組んだ。


「ヴォルクにも、それがあれば」


誰も答えなかった。


過去に支柱があれば、失われなかった命がある。


けれど、過去へ支柱を立てることはできない。


できるのは、今の王国に立てることだけだ。


セリカは白盾を手に取った。


「王へ返事を書くなら、言っておけ。支柱は飾りではない。折れた時に交換できる者も必要だと」


リクは首を傾げた。


「それ、俺が書くの?」


「お前の言葉の方が届くことがある」


「面倒だな」


「王子だからか?」


「違う。リクだから」


セリカは少し笑った。


「なら、リクとして書け」


その日、戻り香の家では“人を時間にしない”について話し合われた。


白盾記録院へ送るためではない。


すぐ制度にするためでもない。


ただ、台所のテーブルに紙を置き、鍋を囲みながら、思いついたことを書いていった。


ミナが書いた。


“証言者を待ち時間として扱わない。”


リオが続けた。


“記録官の休息も記録計画に含める。”


セリカが書いた。


“兵を到着予定時刻だけで呼ばない。”


レインが少し迷ってから書いた。


“伝令兵を命令の足としてだけ扱わない。”


リクが書いた。


“返事を待つ人に、返事の期限だけを見ない。”


リュミナは大きく書いた。


“食事時間を削るな。”


全員が彼女を見た。


リュミナは真剣だった。


「人を時間にしないなら、人の時間を削るな」


セリカは深く息を吐いた。


「正しい」


「だから肉を」


「それは別だ」


その紙は、結局、白盾記録院へ写しとして送られることになった。


ただし、リクが大きく注意書きをした。


“これは会議用の結論じゃない。鍋の横で考えた紙。”


ハルトはそれを見て頷いた。


「そのまま添えます」


「ほんとに?」


「はい。最近、王都でも“鍋の横で考えた紙”の方が、会議室で整えすぎた文より誤解が少ないことがあります」


リクは少し困った顔をした。


「王都、大丈夫か?」


リオは笑った。


「少し良くなっているのかもしれません」


午後、カイルから速達が来た。


夜鍋が王に褒められたことを伝えたところ、兵舎が少し騒ぎになったらしい。


――夜鍋は今日も鍋をひっくり返しませんでした。

――ただし、褒められたことがわかったのか、鼻息が荒いです。

――ユアンは「王に褒められた馬でも豆は食べない」と言いました。

――食事係は「お前も豆を食べろ」と言いました。

――自分は、兵たちが笑っている時に、少し怖くなりました。

――笑っている人たちに命令を出す日が来るかもしれないからです。

――でも、顔を覚えておきます。


リクは手紙を読み終え、真面目な顔になった。


「笑ってる人に命令を出すの、怖いんだな」


セリカが頷いた。


「名前を覚え、顔を覚えれば、命令は重くなる」


「それでも出す?」


「必要なら」


「嫌だな」


「嫌なまま出すために、支柱と縄がいる」


レインは静かに言った。


「笑っていたことを、後で消さないためにも」


リオは日々の棚に札を置いた。


“笑っている兵の顔を覚えた。”


その隣にリュミナが置いた。


“夜鍋は鼻息が荒い。”


セリカはもう止めなかった。


夕方、王都から二通目の便が届いた。


今度はエルヴィンからだった。


厚い。


リクは封筒を持った瞬間、顔をしかめた。


「重い」


ハルトが目を逸らした。


「内容も、おそらく」


リクは渋々開けた。


冒頭には、意外にも短い言葉があった。


――リクへ。


――“人を時間にしない”という言葉を読んだ。


――私は、過去に多くの者を手順、封印、継承、血筋、必要な犠牲として扱った。


――時間と同じく、人を別の用途へ変える言葉だ。


――この手紙は謝罪ではない。


――まだ、あなたに謝罪を求めないと言われたことを覚えている。


――ただ、記録として送る。


リクの表情が変わった。


からかう気配が消える。


続きを読んだ。


――白盾記録院で“人を時間にしない”を扱うなら、制度には必ず逆向きの点検が必要だ。


――記録対象者を、記録を完成させるための時間にしていないか。


――加害者の証言を、被害者の回復の予定表にしていないか。


――王族の反省を、国民の赦しを急がせる道具にしていないか。


――これらを点検しなければ、善意でも人を時間にする。


リクは黙っていた。


ミナも、セリカも、リオも。


エルヴィンは、長い。


重い。


面倒だ。


けれど、時々とても大事なことを書く。


追伸。


――リュミナへ。食事時間を削るな、には同意する。ただし予算には限度がある。


リュミナが真顔で言った。


「予算は敵か」


セリカが即答する。


「敵ではない。現実だ」


「現実は時々敵だ」


「それは否定しない」


リクはエルヴィンの手紙をたたんだ。


「まだ聞かないけど」


彼はそう言った。


「でも、読んだ」


ミナが頷く。


「はい」


「読まない日もあるけど、今日は読んだ」


「はい」


リクは間の棚に札を書いた。


“まだ聞かないけど、今日は読んだ。”


それは以前の“まだ聞かない”とは少し違っていた。


拒むためだけの札ではない。


距離を測るための札。


近づきすぎず、遠ざけすぎず、今日の分だけ読むための札。


リオはその札の香りを小瓶に取った。


ラベルはそのまま、


“まだ聞かないけど、今日は読んだ。”


夜、戻り香の家では少し濃いスープが出た。


肉は見える。


ただし小さい。


リュミナは不満そうだったが、ミナに「噛む練習です」と言われて黙った。


リクはスープを飲みながら、国王へ返事を書いた。


――スープを飲んだ人へ。

――夜鍋が褒められて鼻息荒いらしい。

――人を時間にしない紙を、白盾記録院にも送った。

――支柱は飾りじゃないってセリカが言ってた。

――折れた時に交換できる人も必要だって。

――食事時間を削るなってリュミナが言ってた。これはたぶん大事。

――エルヴィンの手紙も読んだ。まだ聞かないけど、今日は読んだ。

――今日はリク。


書き終えると、リクは少し考えた。


最後に一行足す。


――見える肉は、見える。


「それいる?」


セリカが尋ねる。


リクは真面目に答えた。


「いると思う」


リュミナは力強く頷いた。


「いる」


手紙は送られた。


その夜、リオは新しい小瓶を作った。


国王の“人を時間にしないよう、気をつける”。


鍋の横の紙。


エルヴィンの逆向きの点検。


夜鍋の鼻息。


笑う兵の顔。


まだ聞かないけど今日は読んだリク。


ラベルは、


“人を時間にしない王国。”


大きすぎる名かもしれない。


まだ、その名に王国は追いついていない。


けれど、瓶は願いではなく、方向として置かれた。


香りは残る。


鍋の横で考えた紙にも。


笑っている兵の顔にも。


そして、人を時間にしないと決めてもなお、毎日うっかり人を予定や役目に変えてしまう弱さを、点検し続けようとする王国の最初の湯気にも。

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