第百二十四話 役目を終えた石を、すぐ名前で埋めない
翌朝、白い石は低い台に残っていた。
花粉の紙包みは空になり、花粉は昨夜、金木犀の根元の土へ返された。
“三日後の印”だった石。
三日後は来た。
役目は終わった。
では、この石は何になるのか。
リクは朝の光の中で、白い石を見つめていた。
「もう印じゃない?」
リオは隣で頷いた。
「はい。少なくとも、三日後の印ではありません」
「じゃあ、ただの石?」
ミナは少し考えた。
「ただの石に戻る途中かもしれません」
「途中?」
「役目が終わったものを、すぐ新しい名前で埋めなくてもよいと思います」
セリカが腕を組み、低い台を見た。
「役目を終えた者へ、すぐ次の役目を与えるのは、王都がよくやる」
リュミナが台所から言った。
「空いた鍋へすぐ次を入れると、前の匂いと喧嘩する」
「それは洗え」
「洗った後も、少し待つ日がある」
「今日は正しい」
リクは白い石に触れなかった。
昨日までは、三日後を覚えるためにそこにあった。
今日は、そこにある理由が少し薄い。
でも、薄いからといって、すぐ片づける必要はない。
彼は木札を書いた。
“役目を終えた石を、すぐ名前で埋めない。”
その下に、
“ただの石に戻る途中。”
朝食のあと、アリアンヌから手紙が届いた。
――リクへ。
――銀の釦は、三日後の印でした。
――その三日後は昨日でした。
――今日、釦は机の端にあります。
――もう三日後の印ではありません。
――では、何なのか。
――私は“記念の釦”と呼びそうになりました。
――父上は“確認済みの印”と言いそうになりました。
――メリッサが笑って、“今日はまだ釦でよいのでは”と言いました。
――釦は釦。
――役目が終わっても、すぐ立派な名前をつけなくてよいのだと思いました。
――今日はアリアンヌ。
――王女の服は、釦を普通に留めました。普通に、が少し難しかったです。
リクは手紙を読み、白い石を見た。
「釦は釦」
ミナが微笑む。
「石は石、ですね」
セリカは今日だけの棚に札を書いた。
“今日はまだ釦でよい。”
リオが隣に、
“普通に、が少し難しい。”
と置いた。
リュミナが粥をよそいながら言った。
「鍋は鍋」
セリカが即座に返す。
「お前の中では鍋が王冠より重いだろう」
「王冠で粥は煮えぬ」
「煮るな」
昼前、白盾記録院から報告が届いた。
灰色の箱は、昨日、白盾記録院の棚へ戻された。
今朝、ヴォルクの机には箱がなかった。
しかし、机の上にはいつもの言葉だけが置かれていた。
“これは、私が知らない名であって、私の空欄ではない。”
ヴォルクはその紙を見て言った。
“箱がないと、少し軽い。”
審理官が問う。
“軽いことに安堵しますか。”
ヴォルクは答えた。
“する。”
長い沈黙。
“そして、その安堵を責めたくなる。”
審理官はしばらく黙り、言った。
“安堵を責める前に、安堵したことを記録します。”
戻り香の家で報告が読まれると、レインは静かに頷いた。
「安堵を責める前に、安堵したことを記録する」
ミナが言った。
「重いものが一度手から離れた時、軽いと感じることはあります」
セリカが低く続ける。
「それを免罪にしなければいい」
レインは間の棚に札を書いた。
“箱がないと、少し軽い。”
その下に、
“安堵を責める前に、安堵したことを記録する。”
セリカが足した。
“免罪ではない。”
リクは少し考え、
“軽いと感じても、忘れたことにはならない。”
と置いた。
午後、レムリア商市から手紙が届いた。
男の入口の砂は、見えない棚へ移された。
三日後の青い石は、まだ入口の奥に残っていた。
サラ・ベルテはそれを片づけようとして、手を止めた。
青い石は、もう三日後の印ではない。
では何か。
男が来た時、サラは尋ねた。
“この石をどうしましょうか。”
男は石を見て、少し笑った。
“今日は、ただの青い石でいいです。”
サラが尋ねた。
“棚へ戻しますか。”
男は首を横に振った。
“入口の奥にあると、三日後を覚えてくれていたものが、今は休んでいる感じがします。明日また聞いてください。”
リクはその言葉を聞いて、白い石の方を見た。
「休んでいる石」
ミナが微笑む。
「よいですね」
今日だけの棚に札が増えた。
“今日は、ただの青い石でいい。”
“覚えてくれていたものが、今は休んでいる。”
リュミナが真剣に言った。
「働いた鍋も休ませる」
セリカが頷く。
「洗ってからな」
「もちろんだ」
夕方、国王から手紙が届いた。
――リクへ。アリアンヌへ。
――銀の釦は、もう三日後の印ではない。
――私は、それをすぐ“記念”にしたくなった。
――記念にすれば、扱いが決まる。
――扱いが決まれば、迷わなくてよい。
――しかし、迷わないために名前をつけるのは、時に乱暴なのだろう。
――今日は、釦を釦として置いた。
――王妃の机の上で、釦がただ釦であるのは、少し不思議だった。
――今日は、スープを飲んだ人。
――追伸。二杯目は半分。匙は匙として使った。教えにしすぎないようにした。
リュミナが追伸を見て、少し複雑な顔をした。
「匙は匙」
セリカが笑う。
「お前には難しいか」
「匙には宇宙がある」
「今日は匙として置け」
リクは今日だけの棚に札を書いた。
“迷わないために名前をつけるのは、時に乱暴。”
“釦を釦として置く。”
“匙は匙として使う。”
夜、リクは低い台の白い石をもう一度見た。
もう三日後の印ではない。
ただの石に戻る途中。
休んでいる石。
釦は釦。
匙は匙。
石は石。
でも、そう言うことすら、少し名前をつけている気がする。
リクは笑った。
「難しいな」
リオも笑った。
「はい」
「石を石って言っても、もう普通じゃない気がする」
ミナが微笑む。
「一度役目を持ったものが、完全に前と同じになるとは限りません」
セリカが頷いた。
「だからこそ、急がない」
リクは白い石のそばに札を置いた。
“今日は、休んでいる石。”
そして少し迷い、札の裏に小さく書いた。
“明日、また聞く。”
その夜、リオは新しい香りを作った。
役目を終えた白い石。
ただの釦でいる銀の釦。
箱がなくて少し軽いと感じたヴォルク。
休んでいる青い石。
迷わないために名前をつける乱暴さを知った王。
匙を匙として使った二杯目。
ラベルは、
“役目を終えた石を、すぐ名前で埋めない。”
その瓶は白い石のそばに置かれなかった。
少し離れた窓辺に置かれた。
石が石として休めるように。
香りは残る。
休んでいる石にも。
釦である釦にも。
そして、役目が終わった途端に記念や教えや象徴で満たさず、ただそこにあるものが次の名前へ急がないよう、少し離れて見守った朝の余白にも。




