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第一話 追放の日、雪は花の匂いがした

王都の冬は、いつも鉄の匂いがした。


馬車の車輪が凍った石畳を噛む音。夜明け前から焚かれる暖炉の煤。兵士たちの鎧に染みついた油と汗。貴族たちがすれ違うたびに振りまく高価な香水は、そのすべてを覆い隠すためにあるのだと、リオ・クラウゼンはずっと思っていた。


けれど、どれほど甘い薔薇を重ねても、どれほど南方の麝香を混ぜても、王城の奥に沈む腐った匂いだけは消えない。


「リオ・クラウゼン。貴様を本日付で宮廷調香師の任より解く」


謁見の間に響いた宰相の声は、よく研がれた銀の匙に似ていた。冷たく、硬く、表面だけが美しい。


リオは膝をついたまま、静かに顔を上げた。


玉座には国王がいた。だが、老いた王の瞳は濁り、どこか遠くを見ている。隣には第二王子のエルヴィンが立ち、その唇には、香油でも塗ったような薄い笑みが浮かんでいた。


「理由をお聞かせ願えますか」


リオの声は、自分でも驚くほど穏やかだった。


宰相は鼻で笑った。


「理由? 無能だからだ。宮廷魔術師団が炎を操り、騎士団が国境を守り、聖女が病を癒やす中で、貴様は瓶に花の汁を詰めていただけではないか」


周囲の貴族たちから、くすくすと笑い声が漏れた。


花の汁。


リオは、その言葉を胸の内で転がした。


たしかに、彼の机にはいつも花があった。乾燥させた薬草、砕いた樹脂、魔物の角を削った粉、雨上がりの土を封じた小瓶。剣も杖も持たない彼の仕事は、見た目だけなら子どもの遊びに近い。


だが、三年前、王妃の悪夢を止めたのは誰だったのか。


二年前、北方遠征から戻った兵士たちの狂乱を鎮めたのは誰だったのか。


一年前、国王の寝室に忍び込んだ毒の匂いを、誰が夜明け前に嗅ぎ分けたのか。


知っている者は、もうこの場にはいなかった。王妃は病死し、古参の侍医は事故で死に、リオを推薦した老魔術師は塔から落ちた。


偶然にしては、あまりにも同じ匂いがした。


「追放先は、北東辺境のリューネ村とする」


その名が告げられた瞬間、場の空気がわずかに変わった。


リューネ村。


地図の端、雪と針葉樹に埋もれた寒村。魔物が多く、作物は育たず、数十年前に白竜が堕ちた土地。王都の人間にとっては、流刑地とほとんど同じ意味を持つ場所だった。


「ありがたく拝命いたします」


リオは深く頭を下げた。


笑い声が少し止んだ。第二王子の眉が、わずかに動く。


「……ずいぶん素直だな」


リオは答えなかった。


怒りはあった。悔しさもあった。だが、それ以上に鼻の奥を刺す匂いがあった。


王子の指輪から漂う、甘く焦げたような香り。


それは、死者の髪を焼いた時の匂いに似ていた。


そしてその奥に、かすかに混じる白い花の香り。


リオはその花を知っている。北東辺境にしか咲かない、眠り草。強い魔力を浴びた土地にだけ根づき、人の意識を深く沈める花。


国王の濁った目。消えていった者たち。辺境への追放。


すべてが一本の細い糸でつながる気配がした。


「リオ・クラウゼン」


去り際、第二王子が声をかけた。


「辺境では香水など何の役にも立たんぞ。せいぜい凍え死ぬ前に、村人に花束でも作ってやることだ」


リオは振り返り、微笑んだ。


「殿下」


「何だ」


「香りは、残ります」


王子の笑みが消えた。


「火で焼いても、水で流しても、人が忘れても。香りだけは、必ずどこかに残ります」


リオはそれだけ言うと、謁見の間を後にした。


王城の廊下を歩きながら、彼は胸元の小瓶に指を触れた。中には、王妃が最後に残したハンカチの切れ端が入っている。薄紫の刺繍が施された、もうほとんど香りの失せた布。


だが完全には消えていない。


そこには、恐怖の匂いがあった。


そして、誰かを守ろうとした者だけが残す、祈りの匂いがあった。


王都を出る頃、雪が降り始めた。


白い粒は馬車の窓に触れ、すぐに水滴へ変わっていく。護送役の兵士は無言だった。哀れんでいるのか、関わりたくないのか、リオにはわからない。


ただ、王都から遠ざかるにつれて、空気は少しずつ軽くなっていった。


鉄の匂いが薄れる。


代わりに、森の匂いが近づいてくる。


凍った土。眠る木々。獣の足跡。遠くで燃える薪。そして、そのさらに奥。


リオは窓を開けた。


「おい、寒いだろうが」


兵士が文句を言ったが、リオは答えなかった。


風の中に、花の匂いがした。


冬の雪原にあるはずのない、甘く、冷たく、どこか悲しい香り。


眠り草。


それだけではない。竜の鱗が月光を浴びた時に生まれる、石と星の混じった匂い。


リオの心臓が、静かに強く打った。


リューネ村には、何かがある。


追放ではない。これはおそらく、呼び声だ。


三日後、馬車は深い森を抜け、雪に埋もれた小さな村へ着いた。


家々の屋根は白く沈み、煙突からは細い煙が頼りなく立っている。畑は凍り、井戸の周りには誰のものとも知れぬ足跡がいくつも重なっていた。


村の入口には、一本の古い標柱が立っていた。


“リューネ村。竜の眠る地。”


その文字の下に、誰かが刃物で新しい傷を刻んでいた。


“王都の者を信じるな。”


兵士はリオの荷物を雪の上へ乱暴に落とした。


「ここからは一人で行けとの命令だ」


「ご苦労さまでした」


「……悪く思うなよ」


兵士はそう言って、リオから目をそらした。


馬車が去ると、音が消えた。


王都のざわめきも、車輪の響きも、貴族たちの笑い声もない。ただ雪が降る音だけが、世界を薄い布で包んでいる。


リオは荷物を肩にかけ、村へ足を踏み入れた。


その瞬間、首筋に冷たいものが触れた。


「動くな」


女の声だった。


低く、鋭く、よく手入れされた刃物のような声。


リオは視線だけを横へ向けた。銀色の髪を短く切った女が、剣を彼の喉元に当てている。年は二十代半ばほど。厚い外套の下に古い騎士鎧を着ていたが、右腕の動きだけが不自然に硬い。


呪いの匂いがした。


黒い蔦。古い血。砕けた誓約。


「王都から来た調香師か」


「はい。リオ・クラウゼンと申します」


「香水売りに用はない。帰れ」


「帰る馬車は行ってしまいました」


女は舌打ちした。


「なら森で凍えろ。この村に王都の人間を入れるつもりはない」


「あなたの右腕」


剣先がわずかに喉へ食い込んだ。


「何だと」


「三年前から痛むはずです。雨の前、満月の夜、それから竜の夢を見た朝に」


女の目が変わった。


殺意ではない。驚きでもない。


もっと深い、隠していた傷に指を触れられた者の目だった。


「なぜ知っている」


「匂いで」


「ふざけているのか」


「いいえ」


リオはゆっくりと鞄を開けた。女の剣は喉に触れたままだったが、止められはしなかった。


彼は小さな瓶を取り出した。中には透明な液体が入っている。雪明かりを受けて、かすかに青く光った。


「これは月桂樹、銀鹿の角、聖水、それから眠り草を一滴だけ混ぜたものです。呪いを解くことはできませんが、痛みの根を少し眠らせることはできます」


女は瓶を見つめた。


「……眠り草は、この村では禁忌だ」


「なぜですか」


「白竜を眠らせた花だからだ」


その時だった。


村の奥から、鐘の音が鳴った。


一度。


二度。


三度。


女の顔色が変わる。


家々の扉が開き、村人たちが飛び出してきた。誰もが怯えた顔をしている。子どもを抱いた母親。鍬を握る老人。弓を持つ少年。


そして、森の向こうから、地面を震わせる咆哮が響いた。


リオは息を吸った。


獣臭い。血の匂い。飢えた魔物の群れ。


だが、その奥に別の香りがある。


甘い花。


眠り草。


誰かが魔物を操っている。


「調香師」


女が剣を下ろした。


「戦えるか」


リオは瓶の蓋を開けた。


冷たい風の中に、青い香りがふわりと広がる。


「戦うのは苦手です」


森の影から、赤い目がいくつも浮かび上がった。


リオは静かに微笑んだ。


「ですが、眠らせるのは得意です」

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