2003年7月 Part4
目が覚める。
暗くて周りが見えない。
月光を頼りにあたりを見渡す。
時計に目を向ける。
時刻は、深夜を通り越して午前二時。
どうしてこんな時間に起きたのか。
答えはすぐにわかった。
周りがうるさいからだ。
今は、二階にいるが下の方から喧騒が聞こえる。
それも一人二人の声ではない。
最初、両親が怒鳴り合っているのかと思ったがすぐに否定する。
あの二人はおそらくそんなことはしないだろう。
母親は、合理主義でありこんな時間に労力を使う人ではない。
父親は、体の弱さからそんなことをする人ではない。
では、近隣に住んでいる親戚か。
それもない。
お互いに自らの立場を下げるようなことはしない。
そんなことをすれば、除名されることは必須。
家業を捨てて、他のところで生きていけると思えるほど世界の常識を持ち合わせていない。非常識と向き合うのが僕たちの仕事なら常識など不要だろう。
では、なぜ?
それは、窓の外を見てすぐにわかった。
家が燃えていたからだ。
だけど、燃え方が異常だ。
家と家の間隔は、燃え移るようなものではないはずなのに。次々と燃えていく。
燃えていく家に黒い人影が見えた。
一人二人ではない。
ぞろぞろと。
まるでアリの行進だ。
ああ、これは———。
そろそろと足音を立てないように下に降りていく。
それでも子供の体重であっても、旧時代の家造りでは軋み音を立ててしまう。
一階につくと、さっきまでの騒ぎはなかった。
その代わりに別な異常が目に飛び込んできた。
父親が赤い絵の具の中に横たわっていた。
母親は、それを見下ろすように見ていた。
その瞳に何を映しているのか。
第三者がその絵具の中に踏み込んでくる。
父親を斬りつけたであろう刀を持って。
ああ、きっと母親は父親の行動を蔑んでいるのだろう。
逃げれば生きていただろうに、と。
庇ったりしても意味がない。
将棋で詰む手数が二手から三手に変わっただけだろ、と。
それでも———。
口の端がうっすらと上がっていた。
あの無表情で氷のような母親が。
こんな状況で、僕は本当に何を見ているのか信じられなかった。
そんな固まってしまった僕を置き去りに状況は進んでいく。
第三者の姿が浮かび上がる。
般若の面をつけ、まるで忍び装束のような黒一色の服装。そんな黒に所々、違う黒がべったりとついていた。
ああ、この人は———。
パン。
僕の意識を呼び戻すように、母親が両手を叩いた。
その行動に、般若の面を被った人物は首を傾げた。
それはそうだろう。
急に目の前の人物が意味不明な行動をとったのだから。
そして、両の手を広げた。
斬れと。
時間を無駄にするなと言うように。
その間に、僕だけに見えるように。
母親の右手が振られた。
———早く行きなさい、というように。
すぐに僕は、近くの窓に走って抜け出した。
室内からは、何かが液だまりに落ちる音が響いた。
脳内でわかりきっている結論を出すのを後回しにする。
これから逃げる場所の最適解。
相手は大人。
こっちは子供。
体格差は圧倒的。
それに人間を切り伏せることができるほど、殺すことに躊躇いがない。
手慣れている。
走って逃げる?
それは不可能だ。
他の民家に逃げ込む?
ない。
どうせ、逃げ込んだ家の住民みんな殺される。
では、このまま何もしない?
ありえない。
それは両親に対して命の浪費をさせてしまったことを表している。
では、選択は一択。
「一人逃げた!」
見つかった。
裸足で走る。
道中で石が足の裏に突き刺さる。
それでも。
痛みよりも。
焦燥よりも。
悲しみよりも。
なぜか。
———口元の笑みが止まらなかった。
こんな極限の状況で。
誰が見ても絶望的で。
生き残る希望が持てないのに。
そうか。
今だからこそ、か。
死を実感させられているからこそ、生きていることを実感させられている。
こんな矛盾した話はない。
背後から襲ってくる人殺し達には申し訳ないが、感謝しかない。
僕は、ただ生きているだけの人間欠陥品であると思っていたのにこんなにも人間らしい部分があるなんて。
恐怖ではなく開放感。
走る。
地面を蹴る。
自分自身が射出された矢のように暗い森の中に飛び込んでいく。
地の利はこちらにある。
それに———。
『かんなぎさま、右横に進む』
『三秒後、地面を蹴って木の根を回避』
『かんなぎ、前転して木の枝を回避して』
妖精たちの声が僕を誘導してくれる。
後ろの方から、静かだった足音が乱れてくる。
どうやら、夜目はあまりよくないみたいだ。
………いや、あの放火で光源になれていたところにこの暗闇だ。おそらく目の焦点が合っていないのだろう。今でこそ、攪乱できているが近いうちに暗闇になれるだろう。
それにこっちには、護衛なんていない。
一方的な虐殺だ。
相手は、この嫌がらせ程度をかいくぐれば………。
『なぜ、かんなぎ以外がこの森に入るか?』
僕の『友達』の声が響いた。
そんな言葉と共に後方の気配が消えた。
あれだけ、殺気に満ちた気配すらない。
まあ、この森に入った時点で誰がやったのかはわかりきったことだが。
はぁ、はぁと乱れた息を整えようとした時だった。
「不浄の森に逃げ込めば勝機があるとでも?」
声が聞こえた方を見ると、さっき、両親を切り伏せた黒装束が来ていた。
整えようとした息のまま、再度走り出す。
あれはダメだ。
あれが来たら本当の終わりだ。
本能が警告する。
走れ。
止まれば死ぬぞ、と。
脚を動かせ。
頭を回せ。
息を吸え。
視野を広げろ。
背後には、命を刈り取る狩人。
相手が楽しみながら殺すのはいい。
そこに付け入れる。
相手が飢えているのなら楽だ。
動けるエネルギーに底は見える。
相手に人間の感性があれば気が緩むだろう。
そこに殺すという躊躇いが生まれる。
だが、背後に迫る脅威は全く当てはまらない。
殺すことへの躊躇いは、捨てている。
目の前にいる獲物は食べる食べではなく何の理由もなく殺す。
そこに感情の入る余地などなく。
ただの殺人機構。
考えて殺すのではなく、殺すために考える。
まさに殺人鬼として完成している。
彼女がこの森の意思を総動員しても脚を止めることはできていない。
さらにこの状況の上、さっきから左目が痛い。
目から火花が出そうなほどだ。
カチカチ。
頭の中でフィルターが取り払われる工程。
脳内に軋む圧力。
痛む頭。
左目の視野が真っ赤になっていた。
いつの間にかケガをしたのだろうか。
さもありなん。
先ほどから走り抜けて転げまわって生きているのだ。
けがの一つも追っていない方がおかしい。
視野もなぜか自分の進む方向に自分の残像が見える。
頭でもうったのだろうか?
呼吸が重く、体全体に重りを背負っているように感じる。
そんな中、視界の残像に何か突き刺さろうとしていた。
考える暇はない。
本能が警告している。
残像とは違う軌道にする。
スライディング。
その頭上を何かが通り過ぎる。
それが何なのか考える暇はない。
背後から、少し驚いた声が聞こえた。
が、こっちは逃げることに徹する。
投擲物が何なのか、とかそんなものは後でいくらでも確かめればいい。
いますることじゃない。
少しでも躊躇えば、背後から容赦なく刃が襲ってくる。
それにスライディングをしたことで本来のスピードから減速してしまった。
判断を誤った。
最小の動作。
体の慣性。
柔軟な関節運び。
すべてを意識しろ。
脚のバランスを意識。
気をつけろ。
次の選択を誤れば、相手の射程圏内だ。
集中しろ。
『適応』しろ。
分析して、解析、その後、体の動きを制御する。
また残像に何かが触れている。
部位:脚。
違う、正確に。
部位:右脚、アキレス筋付近。
自重を右脚に集中。
左脚を左側に半歩ステップする。
そのタイミングで自重を右脚に移行。
後方から息を呑む音が聞こえる。
成功。
減速も最小限。
次。
部位:右側頭部、左わき腹、左脹脛。
頭を回避しても、左側への被弾をしてしまう。
実に巧妙。
だから。
軌道計算。
三秒後、右側頭部到達。
左側をさっきの要領で回避。
右側に襲い掛かる凶器の軌道を———。
視て、掴む!
掴んだ瞬間、反動で右腕が痺れた。
手に持っているものは、苦無だった。
本当に忍者の人なのかもしれない。
こんなもの一般人である僕には扱えない。
何より掴んだ瞬間の余韻で右腕はしびれている。
虚弱ではないにしても子供の体ではこんなものだ。
だから。
座標計算。
軌道計算。
左手で思いっきり頭上に振り上げた。
そのまま、走り抜ける。
計算上は、五秒。
もっと、頭を回せ。
次。
部位:なし。
すべて牽制。
が、加速すれば、当たる。
あたらないようにするには、現状維持。
相手も、違和感を覚えたからこその対応。
だけど———。
一秒を無駄にした判断。
牽制なんてぬるいことをしてはいけない。
牽制のために投げる苦無は、合計十。
それだけの技術があるのであれば、全てあてに来る勢いで来なければ、僕相手には間違っている。
軌道計算。
二秒後左側に五本。
三秒後右側に五本。
右手はさっきの反動の余韻が残っている。
だから———。
左手で投げられた苦無の一本を掴む。
掴んだ勢いのまま、反動で相手に向き直り力任せに投げつける。
当然、弾かれる。
計算通り。
目的座標にそのまま、相手をとどめることに成功。
弾いてそのまま、僕のところに走ろうとして———。
頭上から降って来た苦無に驚愕の声がした。
振るった刀で弾いたものの、弾いた刀は中折れしてしまった。
狙い通り。
得物を破壊する。
リーチがこれで半分に———。
これが、未熟なものの考えであり達人との経験の差。
子供とは未完成な生き物だ。
視野が大人と比べると狭い。
浅はかだった。
でも、これが子供だと思う。
何せ———。
殺しに来ている人間を止めるなんて甘い考え。
相手の手元ばかり僕は気にしていた。
まさか、折れた刃の部分を膝で撃ってくるなんて。
「っ!」
今度は、僕が息を呑む番だった。
経験の差。
体に刻まれている反射運動。
一秒に満たない返し技。
思考は、回避しろと言っているのに。
硬直した体は言うことを聞かない。
あ。
吸い込まれるように刃が僕の中に入る。
刃の勢いで、体が後方にのけぞる。
刹那の白。
なにが起きたのかわからなくなった。
キーン。
あたまに響く金属音。
白は、一瞬にして黒に変わる。
この黒が、瞼が落ちていることだと気がつくまで一体何秒かかっただろう。
瞼を開けるともう殺人鬼が目の前に立っていた。
息ができない。
さっきまで走っていたせいもあるが、胸に刺さっている凶器が大きい。
口から血があふれ出す。
あ、あ。
せっかく、僕の両親がつないでくれた命なのに。
殺人鬼が容赦なく折れた凶器を振りかぶる。
カチカチ。
頭の中のフィルターが切り替わる。
世界が切り替わる。
筋肉からの運動エネルギー。
それを乗せた切断。
誰がどう見ても僕は死ぬだろう。
でも———。
刃が届くのが遅い。
いや、相手の動きがスローになっていた。
何をしているのか疑問に思うほど。
僕は、立ち上がって歩き出す。
背後では、未だに刃が地面に向けて振り下ろされている姿があった。
何をしているのか知らないけれど、僕にとっては宣告された時間だ。
森の中心に向かう。
さっきまでこの森を縫うように移動していたから避けていた場所。
この森の大樹………になりかけのところ。
見えてきた幹の根本に彼女は立っていた。
苛立つように。
悔しがるように。
自らを責めるように。
頬に涙を浮かべて。
僕と言う個体の死を認めないように。
『何しているのよ』
この森には大精霊がいた。
名前は———。
苛立ちをぶつける相手が欲しいのか、言葉にはいつも以上の棘がある。
「あ……、あっ———」
呼吸もままならない。
でも、彼女の手前。
気丈に振る舞いたい。
それが無理でも、せめて謝罪の言葉を———。
ドスっ。
そんな擬音が適切だろうか。
僕の胸に苦無が刺さった。
倒れる最中。
目の前には、さっきの殺人鬼。
けれど、違う点が一点。
般若の面をとっていた。
その顔は、僕の母親のモノと瓜二つだった。
「あ」
そっか。
般若の面は、怒りの形相だが角度を変えると泣き顔にみえるように設計されている。
その人の顔は無表情だった。
でも、両目から涙が流れていた。
それは誰に対しての涙なのだろうか。
きっとそれは———。
僕の胸に新たに刃が埋まる。
それは、彼女が持っていたものではなく。
彼女の後方。
いつの間にか現れた大柄な男が持っていた刃であり、彼女ごと僕を貫いていた。
そっか。
彼女もまた、使い捨てられたのか。
「脅威の排除完了」
「よいのですか? 奥方では?」
「よい。この一族の血縁はすべて殺さなければならん。例え妻であっても、な」
そうか。
この人は、僕の叔母さんにあたるのか。
おばさんがゆっくりと刃ごと後方に体を動かす。
そのせいで刃が僕から抜け、血が噴き出す。
おばさんは、右に倒れ地面に無造作に倒れた。
かわいそうに。
しがらみに縛られた人生だっただろうに。
そこに幸せはあったのだろうか。
ゆっくりと手を伸ばす。
そんな僕の行動が不思議だったのか、彼女は伸ばされた手を自らとる。
まだ、温かい。
殺される側、殺す側だった立場がもう僕らにはない。
だから純粋に僕は———。
微笑んだ。
そんな僕をみた叔母さんは母さんの顔とは違って破顔した。
この人の名前は知らない。
だけど、表情豊かなのはいいことだ。
その人の内面をうまく見られるのだから。
僕は、感情の機微に疎い。
実際、僕は、実の母親が父親のことを本当に愛していたことを今日まで知らなかった。
「さて」
そういって、男の人は別な凶器を手に取っていた。
嫌だな。
この人は、助けたいのに。
カチカチ。
頭のフィルターが急速に動き始める。
カチカチ。
手に持つのは鈍器。
カチカチカチカチ。
脳内に走るのは痛み。
カチカチカチカチカチカチ。
まるでセイフティーだ。
気持ち悪くなる。
嫌悪感。
これから見てはいけないものを見る。
スプラッター映画とか、ホラー映画とかではない。
これから見るのは。
いや、見たいと望んだのは———。
生命の終わりだ。
キーン。
男の顔をとらえた。
幼い顔から今以上に老けた顔まで。
キーン。
頭の警報が悲鳴を鳴らす。
それは危険な行為だと。
だけど、それは気にしない。
今日学んだことがある。
やらなければやられる。
生存競争において原始的な行為。
頭が揺れる。
世界が悲鳴を上げる。
見るな!
視るな!
みるナ!
世界にマイナスが発生する。
世界に死にたいものなどいない。
いるのは、死に絶えるものか殺すもの。
だから、僕は口にした。
「殺すのだから、殺される覚悟はあるよね?」
「?」
脅威と認識していない男は、どこ吹く風だ。
自分でもよくわからない。
どうしてこんな言葉を言っているのか。
どうしてよくわからない現象が起きているのか。
どうして僕にこんな力が使えているのか。
だけど。
「お前は私たちのために死ぬ」
違うな。
お前は、失敗した。
奇襲がバレないように徹底するべきだった。
だから、虫の息である僕に———。
「崩れろ」
ベキッ。
何かに亀裂が入る音がこだました。
カチカチカチカチ。
頭の中にフィルターが戻っていく。
生命活動を諦めないための防衛本能。
すでに死に体だというのに。
ああ、この体はしぶといのか。
そんな僕を他所に、ついにバキバキという音が本格化していく。
意識は、白濁の波の中。
太陽の光に目を潰されたかのような熱を帯びている。
ああ、燃える。
左目が。
誰かが、遠くで叫んでいる。
だけど、もう———。
だから、目が見えない状況だけど。
「生きてね」
こうして僕は死に———。
死ねず暴走した。
大気は、唸り、大地は恐怖で振動し、生命の源が抜け落ち、この大地は死に絶えた。
星の運河に結びついてしまった。
肉体から魂は、根こそぎ払い落とされた。
土地の持っていたエネルギーは激流に戻された。
災害。
いや、天災。
一瞬にして体の生命活動が活発になった。
気持ち悪いほどに。
『星の流血』
後ろから友達の声だけが聞こえる。
僕は、血を流しながら、漠然と見ていた。
何が起きたのか、理解できなかった。
天にヒビが入り、そこから濁流のようなエネルギーの本流が流れ出した。
あのヒビを閉じなければ、と思いながらやり方がわからない。
とにかく、僕にできることは目の前で流されそうになっている叔母さんの手を取って体に縫い留めることだけだ。
呆れるかもしれないが、それしかできない。
認識できない人たちは、自分たちの中身が流されて行っていることに気がついていない。
ただ、呆然と動けないでいる。
そんな脅威の濁流にさらされ続けていると、体中が燃え上がっていた。
悲鳴さえ、濁流にかき消えていく。
ただ、ひたすらに手に握った命を離さないようにするだけで精一杯。
意識が飛びそうな中、事態が勝手に収まってくれることを願うしかできなかった。
そんな時。
耳元でささやかれた。
『私が閉じるわ』
僕の初めての友達。
おぼろげながら、彼女の名前を———。
『アルカナ!』
彼女は、微笑むだけだった。
『じゃあね』
そうして、僕の意識も沈んでいった。
これが、僕が本物の人間だった時の最後。
取り戻せない過去。
ぬぐえない記録。
この記録が人間だった頃の罪の証。
『生きている』罪だ。




