2013年5月 Part9
学校帰り。
珍しく、電車に乗っている人がいなかったので席に座っていつも通りのルーチンワーク。
今日の宿題は、昨日ほどではない。
回答を脳内に暗記して折りたたむ。
ふっと外の風景を見る。
風景と言っても、規則正しく配置された光のドットと相容れない油のような闇は、慣れ親しんだもので変わった景色ではない。
「………ここにきてもう十年か」
漏れ出る声に、哀愁が滲む。
いまさら感じるものがあるか、と問われればないと即答するだろう。
では、どうしてそんな独り言が漏れるのかと言われれば。
「よく生きているものだな」
その言葉に尽きる。
そう言えば、もう少しで『あの事件』から十年か。
「………ちょっとお願いしておやすみもらうかな」
もう『あの家』で過ごした記憶はないけれど。
あの場所が今、どうなっているか気になる。
すでに浄化できないほど汚れた場所『穢土』になってしまった。
「せめてよくないものが溜まらない程度までには元に戻さないと」
今日の巡視は、佳澄さんと一緒に行うことになった。
逆に、燎火さんには葵さんの護衛に行ってもらった。
葵さん自身は、間違いなく強い。
神様だろうが悪魔だろうが、あの人には敵わないだろう。
だけど、精霊を相手に瞬殺できる能力は異常だ。
さすがに、葵さんの手に余る。
何より、葵さんは精霊を知覚できない。
わからない事象に振り回されるほど理不尽なことはない。
だからこその、燎火さんだ。
元々、ぶっ飛んだ身体能力に殺気を感じただけで反射的に回避・反撃できるスペック。何より、精霊を知覚できるレンズを渡しているから問題ないはずだ。
で、こっちは最大火力と一般人の組み合わせだが。
「行きますよ、兄さん」
やる気満々。
どうしてそこまで意気込んでいるの?
佳澄さんは、なぜか生き生きとしていた。
大切なことだから二度目。
どうして?
………ああ、今日が金曜日だからか。明日は休みで学校がないからか。
まあ、案の定。
何事もなく。
「なんでよ⁉」
佳澄さんが憤慨していた。
「不謹慎だよ」
たしなめるけれど、佳澄さんはゲシゲシと地面を蹴る。
何が佳澄さんをそうさせるのか、理解できない。
でも、今日は【魔】どころか、【魔堕ち】した人間にも出会っていない。
それはとてもいいことであり、今日、この日に犯人が来なかったことを意味している。
「向こうにも確認をとってみるよ」
そう言うと、僕は葵さんに連絡を入れた。
『こっちも異常なし』
そんな短い返事が返ってきた。
その返信を見た佳澄さんは、八つ当たりで近くにあった壁を殴った。
………殴ったところが破裂音とともに貫通した。
あー、中に人がいなくてよかった。
おそらく、事件の片鱗を掴めなくて苛立ちを覚えているのだろう。
そんなすぐにつかめたら苦労はしないって。
こういう時は、持久戦なんだから。
先に息をあげた方が負け。
根気よく地道に、が解決策だ。
さて、引き上げるとしよう。
花南さんが朝ごはんを作ってくれている時間だ。
そんな数日を過ごしていた時。
ザイから連絡があった。
『あの二人を動かしていたやつを縛り上げた』
そんな文面を見て相変わらず、すごいと感心してしまう。
相手は、元十家に属するものだ。
それなら、へりくだっておいた方が安パイだというのに。
でも、ザイにとって頭を抑えられることの方が危険、もしくは許せないことなのだろう。
指定された場所に向かうと、縛り上げられた上に顔面が腫れあがった何かがいた。
「これじゃあ、誰か判断できないよ」
「喋れるくらいには、とどめておいたぞ」
まあ、これが裏の常識なのだろう。
「でもさ———」
ちらりと殴られている人物を見る。
「フー、シュ、フー」
呼吸すら辛そうだ。
「喋れそうにないじゃん」
「そうですか?」
ザイが不思議そうに顔を傾げ、倒れている人物に近づいた。
そのまま右足で顔面を踏みつけた。
「おい、これから問いを投げる。五秒以内に答えないと顔が潰れるぞ」
踏みつけられている人物は、ジタバタしながらもがいている。
ジタバタしているのが、癪に障ったのかザイが左の踵を脇腹にめり込ませた。
うわぁ、容赦ない。
でも、利用させてもらおう。
「じゃ、イエスなら右手。ノーなら左手。わかった?」
右手を上げる。
素直でよろしい。
まあ、意味ないけれど。
「君が今回の主犯かい?」
左手。
『嘘じゃない』
まあ、こんな小物なわけないよね。
蹴りを入れそうになっているザイを手で止める。
「主犯を知っているかい?」
左手。
『嘘』
「蹴っていいよ」
言うよりも早く脇腹に脚がめり込んでいた。
「~~~!」
声にならない悲鳴が木霊する。
が、別にどうでもいい。
こっちも暇じゃないから。
だから、そんな目でこっちを見るのは心外だ。
「君は御錠の人間でいいのかな?」
右手。
『嘘』
「はあ」
僕のため息とともに同じことが繰り返される。
「なら、兎束かな?」
左手。
『嘘』
へえ、兎束ね。
これは盲点だった。
僕が逡巡している間に、ザイによってボコボコに蹴られている。
まあ、妥当なラインだな。
御錠の家の残党がいたとして下手に動くようなバカではない。
まあ、あとは消去法だ。
兎束ならと思っていたらビンゴだ。
でも、『兎束』が、ね。
十家の中で最も地位が低かったとはいえ、ここまで愚かだったとは。
………いや、人間であれば仕方がないか。
そこらへんの感情の機微に疎い僕にはわかりかねないことだ。
「今でも兎束の本山にいるのかい?」
左手。
『嘘』
なるほど、まだあの山岳地帯にいるんだ。
目星がついてよかった。
これで、違うところを拠点されていたら聞き出すのが面倒だった。
さて聞きたいことは聞けたし、こいつは用済みだ。
「ザイ、あとは好きにしていいよ。今回の報酬として、ここの地区にある医療機関に無料で診察・治療できるように取り計らってあげる。さすがに無制限とは言えないけれど、そこらへんは後で詰めようか」
「ご配慮痛み入ります」
実際には、子供たちの小児科が優先されるだろう。
医療機関との癒着。
決して軽くないことだけど、ザイはそれだけのことをした。
なら、報酬も釣り合うようにしなければならない。
そうしなければ、逆に情報の隠匿も攪乱もザイにはできてしまうのだから。
僕にとって意味はないけれど、情報をもらえることやこうして容疑者を捕らえることにも協力してくれているのだから。仕事にはそれ相応の対価を支払うこと。それが経営の第一歩だ。優秀な人材を逃さない、引き寄せるためには仕事の質に釣り合う報酬を用意できなければ、企業は瓦解する。当然と言えば当然だが、現代の工場現場では、作業員をないがしろにして席にどっかり座る上司が散見される。だから、年齢別でみると紡錘型になっていて未来の見えない離職企業へ変わっていく。
だから、こういったところは社会勉強として相手の欲しがる要求をあらかじめ用意しておく。お金だけ払っているとつながりが希薄になるからだ。
まあ、要するにザイは優秀ということだ。手放す馬鹿はいない。
さて。
兎束の総本山に行きますか。
乗り込む前に、下っ端の処理だ。
ザイによってボコボコに殴られたヤツのポケットやベルト、衣類を一通りまさぐる。
すると。
「?」
服の数か所、ベルトの金具、ズボン裾に短いプラスチックの針があった。
一見すると、ズボンに植物の種子がついているようにしか見えない。
だけど、うまくごまかしている。
そして、気になるものがもう一つ。
ポケットの内側から出てきた赤黒い液体。
「よくないものを持っているね」
どう見ても、【魔】の血液だ。
理屈はわかった。
この針に血液を付着させて、目標に刺す。手段は謎だけど、今起きていることを理解できた。なら、こいつと同じようなものを持った奴らがあと数人いてもおかしくない。
「ザイ、もう一つ手見上げに教えてあげる。僕が手に持っているものを持っている奴らに容赦はしなくていい。でも危険だから注意してね。危なくなったら僕たちに報告だけしてくれればいいよ。ただ、どうしてもってときは………、刺されないように注意して」
「せめて対抗手段を教えてほしいところですが」
「教えたら、突っ込んでいくでしょ? この液体は呪いなの。普通の人がこれに触れると発狂するからダメ。蛇毒のように箇所を吸い出そうとするのも無駄だからね」
「あなた様なら、無効化できると?」
「僕には、この手の呪いは効かないからね。問題ないよ」
さて、釘は刺したし。
僕の仕事に戻ろうか。
工場跡地を出て、ここら辺の地図を頭の中に浮かべて目星をつける。
去り際に、後方から悲鳴と何かを潰す音が聞こえた気がした。
敵が誰なのか理解できたのなら、識別もしやすい。
その日の内に十人程度の捕縛ができた。
存外に隅をつつけば、出てくるものだ。
でも、ザイに存在を気づかせないで活動していたとなると、他の派閥に属しているとみておいた方がいいかな。なら、その派閥ごと潰しちゃおう。
と言うことで、血の池が出来上がった。
【能力】は使わない。
目立つことはしたくない。
といっても、『兎束』程度に苦戦などしない。
例えるなら、うるさい蚊が周りを飛んでいるようなものだ。
だから、手っ取り早く拳と脚、あとはそこらへんにあったものを使って殴打した。
すでにここにある『もの』は死に体。
あと数分で事切れるだろう。
この国で、殺人は罪である。
でも、この裏の世界は違う。
もはや治外法権。
法を盾にすることはできない。
法を後ろ盾にしたければ、堂々と『表』側でことをしなければならない。
それがこの裏でのルール。
残酷なことだとは思わない。
何せこの人たちは、同じことをしてきたのだから。
やったら、やり返される。
小学生でもわかることだ。
理解できていなかったのであれば、おつむが悪い。
もちろん、僕も例外に漏れない。
さて、後の処理は………警察にでも任せようかな。
警察を呼ぶと言っても、僕が捕まることはない。
十家には、人外を滅する権利がある。
いや、義務と言い換えてもいいかもしれない。
そこに、生きている人間も含まれる。【魔】に堕ちている人間や———。
同じ十家の人間とか。
暴走した十家もしくは元十家は、十家でしか対処できない。
【能力】に対抗できるのは【能力】だけ。
例外もいるけど。
妖精や精霊たちからも反応はない。
腕時計を確認すると、もうすぐ夜明けだ。
「そろそろ撤収かな」
そういって、ぴちゃぴちゃと靴に赤い絵の具を染み込ませてこの場を去った。
その風景を、近くの建物の屋上から見ている小さな影がいるとも知らず。




