悪魔王の器
アイディが「仕方ない」と言いながら小さく笑うと、私の視界が闇に覆われた。
そしてそのすぐあとに再び視界が戻る。しかし、その時には私の体の自由はなくなり、その体は本来の持ち主のところに返された。
アイディは体を確かめるように動かしたあと、刺さっている触手に手を触れた。
「うむ、これは邪魔であるな。消えるが良い」
アイディがそう言うと、先ほどまで体を貫いていた触手は弾けるように姿を消した。
そして、体に空いていたはずの穴も同時に消え去った。
これがアイディを最強たらしめる所以なんだそうだ。叛逆術式、自分の受けた傷を代償に望む結果を生み出す最強の術式。
敵を倒すためには傷を与えないといけない、しかし傷を与えるとアイディには勝てない。
だからアイディは最強だ。
しかし、私にはわからないことがある。
それはアイディール・F・エクシミリアというキャラは私がイデアクロニクルというゲームで作っていたキャラだ。
サービス開始から16年間毎日欠かさずプレイして、サーバーランキング1位にまで上り詰めた私の理想が詰まったキャラクターだ。
イデアクロニクルというゲームは文字通り理想のキャラクターを作ることができるゲーム、ゲーム内で得られるポイントを使えばありとあらゆる設定を盛り込むことが可能だ。
そしてそのポイントは一定期間を表すシーズンが終わった時のランキングの順位によって得ることができる。
サービス開始からほぼずっと1位を走り続けていた私の保有するポイントは膨大で、その当時の私の頭の中にあった最強キャラを練りに練りまくりできたのがアイディールというキャラだ。
イデアクロニクルでは1人のキャラを作るより、特化させたキャラを何人も作って戦う方が強い。だから私も途中まではそれでやっていたんだけど、いつしか敵がいなくなったからありとあらゆるポイントやアイテムをアイディールというキャラにつぎ込んだのを覚えている。
だが、その設定の中に叛逆術式なんてものは存在しない。
私の知るアイディール・F・エクシミリアには使えないはずの力が、実際にここに存在しているアイディール・F・エクシミリアの中核をなしているのだ。
どういうことなのかは私にはわからなかった。
もしかしたら、アイディは私の知っているアイディではないのかもしれないと思った。
それに、リボルバー30も謎だ。
私の設定上ではその30の弾倉にはAからZまでのアルファベットの頭文字を持つイニシャルナイツがかつての主人の為にその体を武器に変えて出番を待っている、ということになっている。
つまり、26個しか武器は入っていないはずだ。
実はこれ、27のキャラクターに使っていたポイントを1つのキャラに集約する際につけた設定でもある。
だが、アイディが言うにはあの指輪には現在30の武具が入っていて、うち4つは強力なものだと言った。
また、入っている武具の内容も私の知らないものがいくつかあった。
幸い、先ほど私が引き当てた無魔の剣は知っているものだったから、なんとか使うことができたけど。
やはり、アイディは似ているだけでアイディではないのかもしれない。少なくとも、私の知っているものとは多少の乖離があるだろう。
そんなアイディであるが、不遜な笑みを浮かべながら悪魔を見ていた。
悪魔もアイディを値踏みするような目で見ている。
「これは驚きましたね。傷が一瞬で癒えるとは、それに、ワタクシの手も簡単に消されてしまいました」
「癒えた訳ではないのだがの。まぁよい、ところで悪魔よ、少し提案だが、その体をくれぬか?」
「どうしてそんなことを?」
「不出来な弟子がご所望なのでな」
「そうですか。残念ですがお断りさせていただきます。それにしても、雰囲気、変わりましたか?」
「そりゃの」
アイディはアリナさんの体をこのまま返してくれと交渉してみたが、悪魔は返してくるつもりはないらしい。
今、アリナさんに取り憑いている悪魔は貪欲の悪魔王だ。それを知っている私は手に入れたものを手放せと言われて首を縦に振らないだろうとは思っていた。
私はこの世界の人間ではない。だけど、今、私の前に立ちはだかった悪魔のことは少しだけだが知っている。
貪欲の悪魔王
これはイデアクロニクルで出てくるNPCだ。
サービス開始時には大して強くなくて、はじめの名前は貪欲の小悪魔だったと記憶している。こいつが悪魔王になったのはその能力によるものだった。
貪欲の悪魔は倒した敵の能力を少しだけ得ることができるのだ。ゲーム的な処理としては、たまにエンカウントするこいつと戦い負けると保有ポイントが吸収されてしまう、という感じだ。
こいつの情報が出回った直後は、際限なく強くなり続けるボットがいるということで騒ぎになったが、調べた結果そのステータスはシーズン終了ごとに一定割合で減ること、また一定以上強くはなれないことが判明して騒ぎは収束した。
結果、このNPCはプレイヤーランキングの10000位以上のプレイヤーなら問題にならないが、それより下なら注意しろよ程度に収まった。
ゲームの頃の見た目は真っ黒な人型だった。そしてその表面がどこか流動的であった。
ゲームの頃には同じような見た目のキャラはいなかったことと、アイディが闇属性の魔法は悪魔がいないと使えないと教えてくれていたから、それをみた時に私はあれが貪欲の悪魔王であると推測できたのだ。
アイディはキャラの性能で言えば1位のキャラ……のはずだ。なんか知っているのとは違うし、ステータスも低いような気がするけど………
だからアイディは心配いらないと思う。
「返さんと言うのならば仕方ないの。無理に引き剥がすしかなさそうだ」
ちょっとアイディ!? アリナさんには出来るだけ傷をつけないでよ!?
声を出そうとしたが、この状態でどうやって声を出せばいいのかがいまいちよくわからなかったので失敗に終わった。
アイディはいつもどうやって声を出しているのだろうか?また、謎が増えた。
これが無事に終わったらゆっくりとお話しをするのもいいかもしれないわね。
「できるならどうぞご自由に、では、行かせていただきます」
遂に戦闘が始まった。悪魔はアリナさんの体から触手を生やしてアイディに攻撃する。アイディはそれを無魔の剣で弾き飛ばした。
「ふむ、しかしどうやって引き剥がしたものかの……」
アイディは困っている。
悪魔に乗っ取られた体を無傷で返してもらうのはあいディでも難しいのだろうか?
だとしたら、ごめん。無理をさせて……
アイディは悩んだ末に無魔の剣を指輪の中に戻してしまった。防御に使っていた剣がなくなったから、アイディの体には次々と触手が突き刺さる。
「叛逆術式:取り立て」
しかしついた傷は即座に消える。そして、消えた傷の分だけ何かが起きる。
今回起きたのはアリナさんの中にある魔力がアイディの体に移ると言う現象だった。
「これは…?」
「ふむ、悪魔王というから魔力を抜いてやれば良いと思ったのだが、耐えおるの」
悪魔王は消えた魔力のせいで居心地が悪そうだったが、それでもアリナさんの体から離れることはなかった。
むしろ、体にしがみつくようにその場に留まり続けていた。
「まぁ、魔術は使えんくなっただろうしよしとするかの」
失敗に終わったがアイディは特に気負う様子はない。おそらく、思いつきでやって当たれば儲けものくらいの気持ちでやったのだろう。
そして多分、失敗して中のアリナさんが癒えることのない傷を受けたとしても、彼女はなんらきにすることはないのだろう。
私は今日、初めて頼みごとを断られた時に言われた言葉で、私とアイディではそもそも見ている世界が違うものなのだと痛感させられた。
彼女のとって、人間なんてどうでもいい存在なんだ。その価値観を否定するつもりないが、私は彼女を頼り切るといつか間違いが起こると認識させられた。
「末恐ろしいですね……ですが、ワタクシにとって魔力は、魔術はあくまで補助でしかない! 勝った気にならないでいただきたいですね!」
悪魔王の触手はそれらを突き刺したところでアイディに大したダメージにならないと察してか1つに束ねて大きな腕になった。それはアリナさんの腕に取り付けられ、まるでアリナさんの腕が巨大化しているみたいだった。
悪魔王はアイディに摑みかかる。アイディは避けるつもりはないのか、簡単に捕まった。
アイディの体は小さい。小学生中学年くらいの大きさしかない。
だからその巨大な手で胴体を掴まれると、首から上と膝から下しか見えない状態になった。
「刺したところで癒えるでしょう。潰したところで、その余裕っぷりならきっと膨らむのでしょう。では……食われたらあなたはどうなるのでしょうか?」
アリナさんの顔をした悪魔王がニヤリと醜悪な笑みを浮かべたままアイディを見た。アイディは動じた雰囲気はない。
ただただされるがままだった。悪魔王はアイディの余裕を崩したくてそんなことを言ったのだろうが、その思惑は外れたみたいだった。
だが、それが実行されることには変わりなかった。
今、アイディをつかんでいる手のひらに大きな口が出現して噛みついたのだ。
ぐちゃり、ぐちゃりと悪魔の手の中から音がする。あいディの体に血液は流れていない。だからこれは咀嚼音だろう。
「おおおおぉぉ!? 初めに見た時から美味しそうと思っていましたが、まさかこれほどとは!?」
アイディの体を喰らった悪魔王が感嘆の叫びをあげる。
そうだ! そうじゃん!! 貪欲の悪魔王だから喰われたらその力を奪われるじゃん!!
やばい、アイディはそのことを知らない。だから余裕なんだ。
思えば、ハングリーガレッドという技が悪魔王のスペックの1つにあった気がする。食らえば即死の捕食技だ。
エフェクトとしては大きな手のひらに包まれて握りつぶされるって言うエフェクトの技だったはずだけど、これがきっとそうだ。
今更言っても仕方ないし、どっちにしろ声は届かないけどアイディに悪魔王の性質だけでも伝えておきたかったと後悔した。
伝えるタイミングはいくらでもあったはずだったのに、私はアイディならすぐになんとかしてくれるって思って頼り切ってしまったのだ。
「これは……妾の魔力を食ろうておるのか? ふむ、ふむ」
「ふははははははは!! 漲る、かつてないほどに力がみなぎるぞおおおおおおお!!!」
悪魔王はアイディの魔力を食べてパワーアップをした。
これはもしかして絶体絶命だろうか?
そう思ったのだが、アイディは余裕の表情のままだった。それどころか
「そうか、妾はそれほどまでに美味であったか。なればもっと食らえ、好きなだけ食らうと良いぞ」
「ははははは!! 言われなくても喰らい尽くしてやりますよ!! さぁ、我が腕よ! 獲物を喰らい尽くせ!!」
アイディは悪魔王を煽った。それに乗るように悪魔王も捕食速度を上げる。
もともと魔法のない世界から来て、魔力の感知が苦手な私であっても、目の前の悪魔王がどんどん強くなっていくのがわかるほどに強化されていった。
魔力が増えたからか、悪魔王の纏う黒い粘性のものもどんどん増えていく。
そして増えた分捕食するための腕が大きくなり、捕食速度が上がりまた強くなる。
貪欲の悪魔王は、なくなることのない極上の餌を喰らい続けてどこまでも強くなるーーーーーーーーと思われた。
だが、途端にそれは訪れた。
「ははっ、はは? むっ、ぅ、どこか、気持ち悪いですねぇ」
「ふむ、それが主の器の限界であるか。存外入ったが、こんなものか」
強化限界、たしかに私の知識の中でも貪欲の悪魔王は一定以上強くなれないと言う制約があった。だからこそ、プレイヤーたちには大した脅威に見られていなかったのだ。
そして、目の前の悪魔王も同じ仕様を持っていた。いや、おそらくこれは悪魔王だけではない。
私が教師になるために魔力について勉強をしたから知っている。
生き物には、魔力を蓄えられる器というものが存在する。
魔力は器の容量以上は蓄えられず、それ以上蓄えようとしても放出されてしまう。また、放出量より吸収量が多いと体が壊れてしまうのだが、これは置いておこう。
問題は魔力の器は成長するというところだ。
しかし、成長すると言ってもその速度は本当に遅く、一生涯かけても大した量にはならないらしい。結果、魔力の器は才能の差と言われたりする。
そして、ここからは推測なのだが貪欲の悪魔王はこの器の成長速度が異常に早いのではないのだろうか?
だから魔力を喰らった分だけ強くなる。
器は際限なく成長するわけではないから、どこかで必ず成長が止まる。これが貪欲の悪魔王が一定以上強くならない理由なのかもしれない。
ともあれ、悪魔王の成長限界が来て、それを超えて魔力を蓄えようとしたから排出が追いつかずに体調を崩したのだ。
でも、アイディはどうしてこんなことを??
「はぁ、はぁ、今はこれ以上食べられそうにはありませんね」
「うむ、お主の器はその程度のものだったというわけであるな。では、そろそろその体を返してもらうぞ?」
「ふふ、はははは!! 今のワタクシは自分で言うのもなんですけど最強ですよ? この感覚、今ならワタクシ一人で魔界を蹂躙しきれそうですよ」
「はっはっは、お主が多少強くなったとて、最強は妾以外ありえんよ。あ、それと、それだけ妾の魔力をくれてやったのだ。その体と交換ということでどうかの?」
「あなたは今、自分が交渉を仕掛けられる立場であるとお思いですか? あなたの命はワタクシの気まぐれでなくなるようなものなのですよ?」
「ふむ、交渉は決裂ということであるの。ま、交渉なんぞするつもりはなかったがの。叛逆術式:等価交換」
「何を……ぬおお!?」
アイディが術式を発動させると、アリナさんの体から黒いものが飛び出すように出ていった。それによって掴まれていたアイディは解放され、その両足で地面を踏むことができた。
飛び出していった黒いものは今、1つの球体になりアリナさんの真上に集まっていた。アリナさんは操作者が消えたことでばたりとそのまま倒れた。
そう、アイディは何をしたかはよくわからないけど見事アリナさんの体を取り返すことに成功したのだ。
「くっ、一体何が… いや、まぁいい。今のワタクシなら受肉の有無など関係ないし、また受肉しなおせばいいだけの話だ」
悪魔王は出てすぐにアリナさんの体に入ろうとした。だが、それは叶わなかった。
「なぜ!?」
「等価交換だからの。お主に与えられた魔力と、小娘一人では釣り合わんかったから二度と入れんという条件もつけておいた。それでも釣り合っとらんかったがそこはおまけだ。せっかく手に入れた体をこちらの事情で返してもらうということに対してのの」
「それならっ、あなたの体を得ればいいだけの話です!! そんな人間より、その方がよっぽどいい!」
「うむ、そうであるな。ならくるが良い。後悔をせぬようにな」
アイディがそういうと黒い球体は一目散にアイディに向かって飛び出した。アイディは例によって避けない。
でもきっと大丈夫だろう。
私はもう、アイディならどんなことがあっても大丈夫だと心の底から信じていた。
そして、悪魔王であるその黒い塊がアイディを覆い尽くし、その中に溶けるように消えていった。
それを確認した後アイディは
「これで良いだろう? アリナという娘の体も回収したし、悪魔も倒した。妾の仕事は終わりだ。して、体を返すが良いか?」
うん、ありがとうアイディ
きっと聞こえないだろうけど、私は魂の中でアイディに、この世界で一番初めにできた友達にお礼を言った。
『うむ、もっと感謝すると良いぞ』
気づけば体の主導権は私に戻っており、アイディはいつものように魂だけで声をかけてくれた。
「うん、もう一度、ありがとうアイディ。これで誰も死なずにすみそうだよ」
口が動くようになり、声を出せるようになった私は再びアイディにお礼を言った。
次はアイディの声は聞こえてこなかった。
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本日はあと1話投稿予定です。