7話:氷に舞う王女
白夢草の絵を描く為にアシリギは早速門で手続きを済ませ、街の外へと出る。今回はダンジョンに潜る訳ではなく、目指すは平原。緑豊かな大地をアシリギは真っすぐと進む。その後ろからは辺りをキョロキョロと見渡しているクロアが慌てて付いて来ていた。
「ねぇ、白夢草ってどんな花なの?」
「白くて羽のように可愛らしい花さ。高い所にしか咲かなくて、見つけるのが結構難しい。俺も何回かしか見たことない」
「へ~」
クロアの質問にアシリギは地図を取り出して場所の確認をしながら白夢草の説明をする。
やはり普通の花とは少し違うらしく、見つけるのも難しいらしい。だが見たことがあるという発言にクロアは疑問そうに顔を傾けた。
「見たことあるならその時の記憶を思い出して描けば良いんじゃないの?」
形状を知っているのならわざわざ本物を探さなくとも記憶を頼りに絵を描けるはずだ。その方がわざわざ危険を冒して街の外を探察する必要もないし、依頼人にも早く品を届けることが出来る。その方が合理的だとクロアは思った。だがアシリギは前を向いたまま金の筆をクルクルと回し、言葉を返した。
「別にそれでも良いが、どうせなら今の白夢草が描きたい。多分あの子もそのつもりで依頼して来たんだろうし」
アシリギにとってはちゃんとした理由があるらしく、依頼人のことも考えているらしい。それが意外で、クロアはぽかんと口を開いた。
「ふーん、そういうもんなんだ」
「そういうもんなんだよ」
まだよく分からないが、アシリギが芸術師としてのプライドがあることは分かった。変人で、おかしなことばかりする男だが、その点だけは信用することが出来るかも知れない。クロアはそう思った。
「というかてっきりアシリギは断るかと思ったよ。子供の依頼なんて門前払いしそうな性格してるし」
「俺はそこまで人でなしじゃねえ。ちゃんとした依頼ならどんな奴からの頼みも聞く。それが芸術師だ」
そもそもアシリギみたいな男がまともに子供と話せていることが意外だった。案外人気者らしいが、どうしても最初の変人振りを見てしまったクロアは何故彼が子供に懐かれているのかが理解出来ない。子供は逆に変わり者を好きになるのかもしれない。
「ただし金銭目的の奴らは駄目だ。前に俺が描いた絵をオークションに賭けられたことがあってな。妻にプレゼントする用だとか言ってた癖に、あの爺……」
ピンと指を一本立てて強調するようにアシリギは言う。
どうやら過去に苦い思い出があるらしく、彼はギリギリと歯を食いしばって地面を強く蹴った。その言葉にはクロアも賛同だった。
「それは、最悪だね。私の国なら死刑モノだよ」
「ああ、だろう? まぁ結局そいつはボコボコにして絵も回収したがな」
魔国エルドアでは金銭目的の為に他者に絵を描かせることは禁じられている。もっとも芸術を尊重する魔族の間ではそんなことをする輩は滅多にいないが。
やがてアシリギ達は花畑のある平原へと辿り着く。そこには色鮮やかな花々が咲いており、この景色だけでも十分絵となる景色であった。
「さてと、花がたくさん咲いてるってことはこの辺だな。後は高いところか……」
アシリギは地図を確認しながら周りを見渡す。近くには丘もあるが、その隣には山のように聳え立っている崖がある。アシリギはその頂上を静かに身上げていた。
「ねぇ……まさかこれ登るの?」
「ああ。前来た時もこの上に咲いてたから、今回もあるだろ」
クロアがまさかと思って尋ねると、アシリギは当然のように頷いた。
完全に断崖絶壁で、登る余裕など一切ないように思える崖だというのに、アシリギは何の問題も感じていないように振舞っている。それを見てクロアは思わず口元を引き攣らせた。
「いやいやいや、無理だって。流石に迂回しようよ。こんなの壁じゃん。登る隙間なんて一切ないよ?」
クロアはブンブンと犬の尻尾のように何度も首を振り、アシリギに考えを改めさせようとする。だがアシリギはクロアの制止を聞いても止まらず、ケラケラと笑って頷いた。
「ああ。隙間なんて一切ないな。だが、ないなら作りゃ良いんだよ」
彼は手にしていた金の筆を振るい、宙に金の線を描く。そしてあっという間に絵を完成させると、眩い光が散った。
「〈創造魔法〉。形成――――階段」
アシリギの言葉と同時に崖に螺旋階段が出現する。それも無駄に装飾が細かい高級そうな階段であった。アシリギはその階段に脚を乗せ、強度を確認するように体重を乗せる。その様子をクロアはぽかんと口を開けながら眺めていた。
「……便利過ぎない? その能力」
「そうでもないぞ。完全にオリジナルの物は作れない。この階段も王宮のやつをパクったやつだ」
強度を確認し終えた後、問題ないと判断してアシリギは階段を一歩登る。そして何故かつまらなそうに階段の手すりを叩いた。
「へぇ、そうなんだ」
「ある程度手を加えても創造出来るが、元の物よりも強度や質の悪いものが出来ちまう。俺が描いてるものは所詮嘘モノってわけだ」
アシリギの表情が僅かに険しくなる。目つきも鋭さが増し、まるで親の仇でも見つけたかのようにその奥には強い意思が秘められていた。
「いつか創り出してやるがな……」
ポツリとアシリギは零すように言葉をそう呟く。だがあまりにも小さい呟きだった為、クロアの耳に届くことはなかった。
アシリギは階段を上り始め、クロアもその後に続く。どうやら階段はしっかりと地面に設置され、崖にも固定されている為、安全性は確保されているらしい。その辺はアシリギが手を加えた部分なのかも知れない。
段々と高くなっていき、先程まで見えていた花畑が大分小さくなってしまう。そこまで来てクロアは少し恐怖を感じてしまった。脚に力が入らなくなり、手すりを強く握り締める。
「大丈夫か?」
「ひぇっ……あ、うん。平気」
急にアシリギに声を掛けられ、クロアは変な声を出してしまう。アシリギの方はこんな高さでも全然怖がっていないらしい。彼の場合はいざという時また創造魔法で回避する手段があるからかも知れない。
クロアはアシリギに舐められたくないと思い、何とか気丈に振舞って階段を上り続ける。
そしてようやく頂上へと辿り着いた。クロアも階段から離れると、アシリギは手すりにちょんと触れ、階段を光の粒子にして消す。
「おし、着いたぞ」
「ふぅー……なんか、ひんやりしてて不思議なところだね」
崖の上は薄っすらと霧が掛かっており、少し肌寒さを覚えた。とても静かで落ち着いた場所であり、平原とはまた違った良い場所である。だがそこには、先程とは違う大きな点があった。
「……ねぇ、あの凄いおっきい魔物はなに?」
クロアは声を震わせながら前方を指差す。そこには四足歩行型の巨大な魔物が複数居た。岩と間違えるような見た目で、頭には一本の巨大な角が生えている。比較的おとなしいのか、アシリギ達に気付く様子はなく、食事をしているようである。
「グローライノ。高所に生息している大型の魔物だ。基本は大人しく、のんびり飯食ってる無害な魔物なんだが……」
アシリギは数を確認しながら魔物の説明をする。すると何故か面倒くさそうな表情をし、言葉を続ける。
「奴らの好物は今回の目的の白夢草。ていう訳で、奴らが密集してる場所に乱入しなくちゃならない」
アシリギから明かされた情報にクロアは目を丸くした。そしてこれから自分達がしなくてはならないことを想像し、彼女は今までにないくらい落ち着いた表情で口を開いた。
「私帰る」
「別に構わないが、この崖から降りる場合はかなり時間が掛かるぞ。その道中にはグローライノも山ほど居るだろうな」
クロアはすぐさま撤退しようとするが、アシリギが逃げ道を失わせる発言をする。
確かに既に階段は消されている上、アシリギがもう一度創造してくれる程優しい性格をしているわけがないとクロアも理解している。普通に降りようにも結局は魔物の群れを通らなくてはいけない為、白夢草を探すのと苦労は大して変わらないのだろう。クロアは今にも泣き出しそうな弱々しい表情を浮かべた。
「…………」
「そんな顔するな。襲われても戦闘力はそこまで高いわけじゃない。動きも単調だしな」
アシリギはクロアの肩を叩き、安心させるようにそう言う。クロアからすればそういう問題じゃないと突っ込みたかったが、もはやその気力すらなくなっていた。
「よし、それじゃ行くぞ。助手」
「助手……」
アシリギは元気よくそう言って歩き始める。クロアも選択肢はないため、嫌々ながらもそれに付いて行った。
魔物達の周りには幾つか花が咲いており、中には美しい花や見たこともない花も咲いていた。だがアシリギはそれに目もくれることなく、前へと進んで行く。あれらが白夢草ではないらしい。クロアは出来ればじっくり観察したいと思いながらも進み続けた。
そして大分奥まで行くと、アシリギは一度立ち止まる。クロアも同時に立ち止まり、ひょこっとアシリギの横から顔を出して様子を伺った。
「あったぞ。あれが白夢草だ……今回はアタリ年だな。かなり大量だ」
そこには先程のグローライノが一か所に集まっていた。その周りには真っ白な花が咲いており、淡く輝いていた。辺りには小さな羽のようなものが舞っている。恐らくそれが花びらなのだろう。その光景にクロアは思わず目を奪われた。
「す……っごい、綺麗」
形容し難い美しい光景にクロアは感嘆の息を吐く。アシリギもそう思っているのか、両腕を組みながら同意するように頷いた。
「白夢草。別名天使の羽……その美しさと希少性から多くの人にこの世で一番綺麗な花と言われる程の花だ」
やはりその美しさと希少性は貴重なものらしく、白夢草は一般人の間でも知れ渡っているらしい。だがそれだけ美点を持つものは、同時に欠点を抱えているものである。
「ただし美しいと同時に白夢草は魔物を惑わす匂いを放つ。グローライノ共は見事にその虜になってるってわけだ」
「ふーん、じゃぁどうやって花畑を描くつもりなの? 魔物が邪魔で描けないじゃん」
「ああ、そうだな。確かにこのままじゃ描けない」
魔物達は夢中で白夢草を食べている。花畑はかなり広い為、食べつくされる心配はないだろうが、それでもあの中に入って花畑の絵を描くのは中々に大変なはずである。するとアシリギはケラケラと笑いながらとんでもないことを口にした。
「そこでお前の出番だ。助手よ。俺が作品を描いている間グローライノの注意を引いてくれ」
「ええええええッ!?」
突然の頼みにクロアは素っ頓狂な声を上げる。それを聞いて近くの魔物達がピクリと反応した為、彼女は慌てて口を抑えた。
「な、何で私がそんなことを……!?」
「お前は俺の助手だろ? 働かざる者食うべからずだ。少しは俺の手伝いしろ」
「ええ、だからって……ええぇ?」
クロアはアシリギに厄介になっている身である。何らかの貢献はするべきだと彼女自身も思ってはいたが、まさか初仕事が魔物の注意を引けという囮ということに絶望していた。
「曲りなりにも私、魔国の王女なんだけど……」
「そうか。ではお願いします王女様。魔物の囮となってください」
違う。言葉使いを指摘しているのではない。そうクロアは突っ込みたかったが、この男には何を言っても無駄なのだと悟り、悲しそうに遠い目をした。
「そら行け!」
「わわわっ!! ぜ、絶対許さないからね! アシリギ!!」
アシリギに無理やり背中を押され、クロアは魔物達の方へと向かわされる。逃げることも出来ない為、彼女は恨み言を言いながら仕方なく花畑を通って魔物達へと近づいた。すると好物を取られると思ったのか、魔物達はクロアの方に顔を向け、威嚇するように頭を振って唸り声を上げた。だがそれでも逃げないクロアを見て完全に敵と判断し、魔物達は雄たけびを上げて動き出した。
「ブルルルルォォォァァァ!!」
「わ、わわわ……!!」
向かって来る魔物達を誘導し、クロアは白夢草の花畑から離れさせる。その隙にアシリギは移動し、絵を描く場所取りを開始した。それを確認してクロアも走り花畑から大分距離を取ると追って来る魔物達に身体を向ける。
「う~……やるしかない。やってやる……!」
クロアは懐から古めかしい鋏を取り出す。それは少し大きめで刃には文字が刻まれており、怪しい雰囲気を放つ奇妙な鋏であった。クロアはその鋏を突き出し、魔力を込める。すると鋏が白く輝き始めた。
「凍てつく氷で美しく形作れ!」
クロアがそう叫ぶと同時に辺りに吹雪が巻き起こり、魔物達も追わず停止する。花びらが散り、氷の粒が舞い散る。
氷の姫が、舞踏を始めた。