喪6 思い出してみよう①
喪6
あたしはリセリア・コルト・フィ・ディフェンド。
ディフェンド王国の第七王女。
母は作法見習いで城勤めしていた下級貴族の娘。
国王に見染められ、暇潰しのように抱かれ、あたしを身ごもり、出産後の不慣れな後宮での生活から体を壊し、つまらない権力闘争に巻き込まれて命を落とした。
実家は多額の慰謝料で口を噤み、味方なんてどこにもいなくなって、あたしは後宮の端っこで疎まれながら生きることになった。
第七王女という肩書きはあっても、七番目の王女なんてあまり価値がない。
後継者とか遠い世界のことだし。
精々、そのうちどこか国内の有力貴族か、他国のそこそこ偉い人の所にでも政略結婚の駒として使われる運命。
それだって、使いようがないから邪魔にならないよう処理するだけ。
いてもいなくてもいい存在。
ううん。寧ろ、いない方がいい存在。
人間以下。
誰からも無価値な、ただ人の形をした何か。
それが、あたし。
教師から作法や教養を習う姉妹の中で、あたしだけは別の生活を送っている。
他の姉妹に悪影響を与えるから、と。
今日も今日とて書庫に籠りきり。
埃の被った古書から、最新の学術書まで、書庫に納められた書物を読み漁る日々。
こんな勝手、普通なら許されないのだろうけど、あたしの場合はこの方が他の人も都合がいいみたい。
最後に人と話したのはいつだろう。
後宮は女の勢力争いの場。
あたしみたいな後ろ盾もない、血筋も誇れるほどではない、貧相な小娘に関ろうとする者なんてどこにもいない。
孤独な日常。
不必要な生存。
淀んだ空気。
そして、十二歳の誕生日を迎えた日、とうとうあたしの嫁ぎ先が決まった。
隣国、スレイア王国の地方領主。
ディフェンド国と国境を接する領地を持つ大貴族。
その二番目の妻だそうだ。
七番目とはいえ仮にも王女が、他国の貴族の第二夫人という段階でどれだけあたしの価値が低いか身に染みる。
あたしに拒否権などあるわけもなく、最低限の準備と共を連れて追い出されるように……実際、追い出されたのだろう。
見送る者もないまま、生まれて初めて城の外へと出ることになった。
冷たい雨が降る冬の終わりの日のことだった。
都は大規模な軍事演習が行われていて、あたしの嫁入りなんて誰にも知られていなかった。
道中の馬車。
一人きりの車内。
「ひ、ひひ、引きこもりたい、わ」
ぼやく。
席に寝そべって、だらんと脱力。
馬車の揺れに身をゆだねる。ひぐ。揺れ、激しい。痛い。
「ほほ、ほんと、さ、最低」
姫らしいしゃべり方なんてしなくても咎める人なんてどこにもいない。
というか、あまりに長い事しゃべってなかったから、気合い入れていないと噛みまくりになっちゃうんだけど、これちゃんと治るのかしら?
旅路は最悪。
共は従者と御者が一人ずつと、貧相な騎士が二人だけ。
四人ともやる気がない。不満顔を隠しもしなかった。しかも、全員があたくしを無視している。本当に必要最低限のことしか口にしないし、あたくしの意見なんて最初から聞こうとも思っていない。
王族(笑)なのに平気で野宿させるし。
用意された花嫁衣裳とか、ただのワンピースに見えるし。
あたし、嫁入りなんだけど。こんなんじゃ政略結婚のはずなのに、舐められるだけじゃないの? 本当、何を考えてるの?
うーん。なんとなく、想像はつくのだけど。
「でで、でも、む、向こうに、つ、つつ、着いちゃうのもなー」
結婚相手の大貴族は六十を超えて、十人以上の愛人を囲うエロ爺らしい。
絵に描いたようなダメ貴族で、先祖の資産を食い潰し、領民から搾取し、強い者に取り入り、弱い者を虐げる。
趣味は人間狩りとか、頭がおかしいとしか思えない。
そんな相手の嫁になろうものなら、よくて性奴隷一歩手前。悪くて狩猟の獲物という未来しか見えてこない。
そもそも、ディフェンド王国の主流派はスレイア王国への侵略を主張している。
あちらの国には最近、未知の獣が出没するようになっていて、その対処に掛かりきりになっているから、侵略するなら今だ、と。
そして、真っ先に狙うならダメ貴族の領地だ、と。
あたしの結婚相手は領地を狙われているのだ。そんなところに送り出されるなんて、普通じゃあり得ない。
「お、お先、まま、真っ暗―」
もちろん、帰るなんて無理。
どんなにお願いしたって、同行者は聞き入れないだろう。
戻れたとしても、国が受け入れてくれるはずもない。
本当に、あたしの人生ってなんだったのだろう。
そんなことをぼんやりと考えている間に、辺りに夜の気配が満ち始めた。
従者の一方的な説明だと、ここは既に国境を越えた隣国らしい。
カーテンの隙間から覗く風景は寂れた道だった。左右は鬱蒼と茂る木々。森を切り開いて造った道だと本で読んだことがある。
予定だとこの先に川が流れていて、旅人が野営するための広場で一泊するらしい。
「そ、そろそろ、かしら」
体を起こして、御者席への小窓をノックする。
煩わしそうな顔の従者が視線を向けてきた。
「今日は野営をしないで、このまま進みなさい」
「は?……はあ。おそれながら、姫様? 私どもは陛下より詳細に旅の行程を定められております。くれぐれも違えることないよう厳命されておりますゆえ、姫様の我が侭で旅程を変えることはなりません」
貴方、姫相手にぞんざい過ぎよ。
まあ、誰かに王族として扱うなって言われているのでしょうけど。
「忠心結構なことです。ですが、この先でわたくしたちは何者かの襲撃を受けることになりますわ」
ますます渋面になる従者の肩を御者が叩く。
「……おい。相手にするな。『古紙姫』の妄想だぞ」
……あたし、そんな名前で呼ばれてたのね。
古い本を読んでいるだけだったのに酷いわ。
色々と葛藤はあるけど、ここで頑張らないと未来はない。
「聞きなさい。わたくしの嫁ぎ先は侵略候補地。おそらく、わたくしの役目は侵略のための火種になることです」
「そりゃあ、大変なお役目ですな! 姫様は旦那を討ち取れとでも命じられているので?」」
御者は妄想と決めつけているのか、小馬鹿にするように笑う。
対して、ランタンに照らされた従者の表情は青ざめていた。あたしが気付いてないって思っていたのかしら。
少し考える頭があるなら誰でも気づくことよ。
だから、あなたも考えて。
火種にするなら、そんな回りくどくて、いつになるかわからない不確かな方法じゃなくてもいいのだって。
「ですが、よく考えてごらんなさい。ここは既に隣国で、辺りにひとけはなく、何かが起きたとしたらいくらでも言いがかりをつけられる状況ではありませんか?」
ここであたしが殺された場合、ディフェンド王国はその責任を隣国になすりつけるのだろう。
そちらの盗賊の仕業だ、とか。それこそ大貴族が趣味の人狩りで誤って殺した、とか。
あまりにあまりな言い草で、普通なら誰も相手にしない。正気を疑われて、国の信用を失うだけ。
でも、それでいい。大義名分になれば。ついでにお荷物の王族を始末できるのだから、効率的だとか考えていそう。
「……まさか」
「おいおい。何を真に受けてんだよ……って、なあ。顔色、悪いぞ」
「貴方、心当たりはないかしら。切り捨てられるような心当たり」
従者の顔色がうつるように御者が青ざめる。
ええ。命じられたとはいえ、王女相手を『本当に』見下すような性格なら、王宮で邪魔に思われていてもおかしくない。
従者も顔を押さえてぶつぶつと何事か呟いている。心当たり、あるのねえ。
そして、馬車の前後をだらけたまま馬に乗った騎士。
眠たげな中年と、陰気な青年。
いかにも切られても痛くない人選、と思えてしまった。
「まさか……そんな、馬鹿な。」
「わたくしたちが都を出た時に軍事演習が行われていましたね」
つまり、何かあったらすぐに軍が動ける状況。
「………」
「ここなら森の中、逃げたことが気づかれるまで少しぐらい時間が掛かるのではなくて?」
やっとあたしの指摘を考慮してくれるみたいね。
「姫様の言う通りにしよう」
「は、はは。冗談だろ? 『古紙姫』の言うことを信じるなよ」
「だが、疑念がある。なら、そうだと仮定して動けばいい。違ったのならそれだけのことだ。王命に逆らうことにはなるが、それこそ何もないなら、誰かが監視しているわけでもないだろう」
「ちっ、ビビり、すぎだろ」
いや、ビビってるのあなたよ? 気持ちはわかるわ。あたしの妄想ならそれが一番平和で素敵だし。
まあ、その時はあたしがダメ貴族の餌になる未来が待っているのだけど。
御者は黙り込んだまま馬車を進め、従者は前後の騎士を呼んで、旅程の変更を伝えている。
後はあたしの予想が外れているか、運よく襲撃を避けられるか。
できることはもうないと思って、席に戻ろうとした時だった。
「ぎゃっ!」
突然、悲鳴が上がった。
慌てて小窓を覗くと、剣を首に受けた従者が馬車から転げ落ちるとこを目撃してしまった。
従者に剣を突き立てたのは若い陰気な騎士で、ぽかんと口を開いたまま茫然としていた御者の頭に血塗られた剣を叩きつける。
頭を割られた御者はぐらりと御者台から落ちていった。
「はあ。面倒くさい。面倒くさい。面倒くさい」
停止した思考が呟き声で現実に戻される。
御者を失った馬は怯えているのか足を速めていた。
陰気な騎士は馬車に並走しながら、虚ろな目をあたしに向ける。
「姫様ぁ。余計なこと言うからぁ、僕の仕事がぁ、増えたじゃないですかぁ」
再び面倒くさいと呟きながら、手にした剣を水平に構える。
先程までの貧相な雰囲気なんてもうどこにもない。やっぱり、騎士という雰囲気ではないけれど、殺人に慣れた手練れの空気に足が震える。
「死んでぇ、くれないとぉ、困るんですよぅ」
ああ。監視、いたんだ。
逃げられるかもなんて無謀だったのね。
予定外の事態に対処するための人員。或いは、彼があたしたちを全員、始末する役目だったのかもしれない。
「ふうんっ!」
諦念に止まりかけた思考が気合のこもった掛け声に活を入れられた。
青年騎士が舌打ちしながら馬から飛び降りる。その直後に主を失った騎馬が剛剣を受けて首を落とした。
喉から零れかけた悲鳴を必死に飲み込む。
「ふん。暗殺者か。小癪な」
もう一人の中年の騎士だった。
眠たげだったぼんやりした目はそのままだけど、青年騎士――暗殺者の行動を一瞥だけで止めていた。
ついでに馬車の馬も怯えて止まる。
あう。ダメな騎士とか思ってごめんなさい。
「よう。姫さん。馬は乗れるか? 乗れねえよなあ。仕方ねえ。そこで大人しくしてろよ」
本当ならあたしだけでも馬に乗って逃げるように言いたかったのだろうけど、後宮を出たことのない人間に乗馬とか無理すぎる。
というか、中年騎士と暗殺者の睨み合いとか、怖すぎるうううう!
あ、気絶しそう。
「本当に、面倒くさい。面倒くさい。面倒くさいなぁ、爺ぃ」
「うっせえ、誰が爺だ。男盛りの良さもわからねえクソガキが」
口喧嘩みたいなやり取りの直後、暗殺者が低く身を屈めながら中年騎士に迫る。
馬の足を狙った攻撃を中年騎士は巧みに馬を操って躱すと、馬上から手にした剣を投げ放った。
武器を手放すとは予想していなかった暗殺者が動揺する。投剣を剣で弾くものの姿勢を乱した。
「馬鹿かぁ」
剣を失った騎士など敵ではない。
不意は突かれたものの、後は嬲り殺しにできる。
暗殺者はそう考えていたのだろう。
既に無人となっている騎馬を見るまでは。
暗殺者の首に背後から腕が巻きつく。
ゴキリ、と生々しい音が聞こえた。
いつの間にか馬から下りていた中年騎士は音もなく暗殺者の後ろに回り込み、その首を圧し折ったのだ。
もう一方の手にはナイフが握られ、腹部に突き立てられている。
暗殺者の体から力が抜けて、そのまま崩れ落ちた。
中年騎士はやっぱり眠たそうな目で剣を拾うと、騎馬の首を撫でて、馬車の方の馬も落ち着かせてくれる。
「あ、あああ、あのう?」
「あー、姫さん。わりいけど、ちっと待ってくれや」
勇気を出して声を掛けても、中年騎士は作業の手を止めない。
従者と御者の体に触れて、重い溜息を吐く。既に事切れているらしい。
もっといい方法があったのではと思うと気持ちが沈んでしまう。
その間に中年騎士は淡々と遺体を道の端に並べると、暗殺者の乗っていた騎馬から馬具を取り外し、馬車から放した馬に装着させる。
「よし。姫さん、こっちだ」
「へ?」
さっきから外面を取り繕うのを忘れているけど、そんな余裕はない。
中年騎士に呼ばれて馬車から下りるなり、元馬車馬に乗せられる。言われるままにしていたら、最後はひょいと持ち上げられて、気が付けば馬上の人になっていた。
ひええ。馬に乗ると視線が高すぎて怖いいい。
「あー。怯えっと馬も怖がるぞ。って、言っても無理だよなあ。どうしたとこで怖い目に遭うんだしよ」
「え? なな、なにが?」
あたしが聞き返しても流されてしまった。
中年騎士は驚くほど滑らかに騎馬に乗ると、来た道に眠たげな眼を向けた。
「あー。姫さんの言う通り、物騒なのが来てんな、こりゃ。さっきのクソガキが今晩の飯に毒でも仕込んで、後は盗賊の仕業とかにでも、偽装するつもりだったか?」
あたしを殺すための準備は万端らしい。
隣国でのことだから、あまり多くの人員は送りこまれていないだろうけど、足手纏いのあたしがいてはどうにもならない。
「じゃあ、俺がここで足止めすっから。姫さんは馬にしがみ付いとけ。何も考えんなよ。馬が勝手に走ってくれっから。落ちねえようにだけ気を付けろよ。なに。姫さんが行方知れずになっただけでも、侵略の口実には十分だろう。できるだけ、遠くに行くんだぞ?」
当たり前みたいに言われて、思わず聞いてしまった。
「あ、あのうう。えええ、えっと、あの、ああ、あなたは?」
「あん? 護衛だよ。護衛。ま、多勢に無勢だろうが、やるだけやってやるさ」
何でもない事みたいに言わないでよ。
あたしは『古紙姫』とか呼ばれるような王族の厄介者で。
誰からも必要とされていないお荷物で。
命を賭けてまで助けてもらう価値なんてないのに。
この中年騎士だけならあたしが殺されている間に逃げられるかもしれない。
暗殺者をあっさり撃退して見せた腕前から考えて、かなりすごい人だと思う。
そもそも国の狙いはあたしの命なのだから、逃げた護衛役にまで追手が掛かるとは限らないでしょ?
何より護衛を命じた国こそがあたしに死ねと言っているのに。
騎士の役目なんてまるで見当はずれ。
助ける相手に意味がなくて、命を賭けないといけなくて、大義だってどこにもない。
この人が戦う理由がわからない。
あたしがこの人と会うのはこの旅が初めてだし、道中でも言葉を交わしたことはなかったのだ。
中年騎士は明後日の方向を見ながら、どこか照れたようにへらっと笑った。
「なあ、姫さん。傭兵は金のために戦う。軍人は国のために戦う。じゃあ、騎士はなんのためだと思う?」
「しゅ、主君の、ため?」
「ちげえな。そういう奴は本当の騎士じゃねえ。いいか?」
照れ笑いしながらも、その目はどこまでも綺麗に澄んでいて、高潔だった。
「騎士は自ら立てた誓いのために戦うんだ」
中年騎士は背を向けた。
片手に剣を、片手にナイフを構え、未だ見えない追手を待ち構える。
「若造の頃、姫さんの母君に手当てしてもらって、憬れただけの馬鹿野郎だよ。あの人は遠くに行っちまって、何もできなくて、誓いは見る影もなくなっちまったが、せめてその娘のためにこの命を使わせてくれ」
言葉が出ない。
頭の中では色んなことが思い浮かぶ。
行かないで、一緒に逃げて、お母さんのことを教えて、ありがとう、ごめんなさい、やだ、なんでこんなことになるの、あたしの何がいけないの。
でも、出てくるのは涙ばかり。
「じゃあな」
中年騎士が剣の腹で馬のお尻を叩いた。
急発進する馬から振り下ろされないようにしがみつくので精一杯。
それでも、せめて、声を絞り出す。
「な、名前!」
「無粋なこと言うなよ、姫さん。今は姫さんだけの騎士さ」
気取った台詞が遠くに離れていく。
それからどこを通ったのか、あたしは覚えていない。
気が付けば、どこかの河原に倒れていた。
馬の姿はない。
どうやら、あたしは力尽きて、落馬してしまったようだ。
体を起こそうとすると、酷い痛みに襲われた。
落馬した時に怪我をしたのかもしれない。
ここはどこなのか。あれからどれぐらい経ったのか。
追手は? 侵略は? あたしは?
あの人は、どうなったのだろう?
きっと、あの人はもう生きていない。
騎士の誓いに殉じたのだ。
最期まで戦ったに違いない。
溢れ出す涙をそのままにもう一度、体を起こそうとして痛みに断念する。
でも、諦めない。
あの人が命がけで繋いでくれた命なのだ。
このまま何もできないまま、潰えていいわけがない。
あたしの命にはあの誓いに応えるだけの価値がなくてはならないのだ。
そうでなければ真の騎士の魂を貶めてしまう。
だけど、痛みは酷くて。
激痛を我慢しても、体は動かなくて。
衰弱した体は終わりに向かおうとしている。
「お願い……」
喉から出るのは囁くような小さな声。
でも、その祈りは誰かに届いた。
「ねーちゃ、どうしたの?」
小さな女の子があたしの顔を覗き込んでいた。




