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販売買い取りのできない運

 そんなやりとりをしていると、再びチリンとドアのベルが鳴った。

「あの、えっと、どなたかいらっしゃいますか?」

 やってきた客は、身なりは普通であるが、少々顔が不安げな男性である。年齢は四十代後半といったところか。

「あ、いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 アティカが客に気がつくと、怪しい笑顔をすばやく営業スマイルに戻し、男性をテーブルに案内した。

 カルチェも、「いらっしゃいでふ、すぐコーヒーを持ってくるでふ」といいながら事務所に戻る。

 男性は席に着くと、辺りをきょろきょろし始めた。やはり、こういう店は珍しいのだろうか。

「えっと、今日はどのようなご用件でしょうか?」

 アティカも対面の席に着くと、名刺を差し出して男性に尋ねた。声をかけられ、男性もアティカの方を向く。

「あの、私には妻も子供がいますが、それで本当に幸せなのかわからなくて。それで、幸せになりたいのですが、どのような幸せを求めればよいのかわからないのでご相談を……」

 ふむ、とうなずくと、アティカはいつの間にか取り出したのか、メモ帳にさらさらとメモを取った。

「購入のご相談ですね。ではまずどのような運があるか確認いたしますので、運転免許書をお願いします」

 そういうと、男性は運転免許書を取り出し、アティカに手渡す。

「では、確認後、こちらで適当なものの見積もりいたしますので、その間、こちらをご覧になっていてください」

 アティカは近くの本棚から、例のごとく、「幸運カタログ」という名の怪しい雑誌を男性の前に差し出すと、奥の部屋に向かった。


「さてと、彼はどんな幸運を持ってるのかしら」

 ひそかにアティカが楽しみにしていることは、例の機械を用いてわかる、客の持っている幸運、寿命調査。

 ものすごく長い寿命を持っている人や、面白い幸運を持っている人もいる。

 たまにカルチェに「この運ほしいわね」などというが、「勝手に持っていくのは契約違反でふ」と制止させられる。

 運転免許書を例の機械に通す。ピッ、という音と共に、男性の寿命、及び持っている幸運がディスプレイに表示された。

「……」

 表示された結果を見て、アティカは黙り込んでしまった。

「まさか、こんなものを持っている人がいるなんてね」

 静かに電源を落とすと、運転免許書を持って部屋を出ようとするが、ドアの前にいったん立ち止まった。

「さて、どう説明しようかしら」


 部屋から出てきたアティカは、下に俯いたままゆっくり客の男性のほうに向かっていく。いつもの営業スマイルは見られない。

 ちょうどカルチェがコーヒーを差し出した頃に、アティカはゆっくり木製の椅子を引く。カルチェはアティカが普通じゃない様子だったことに気がついたが、客が前にいたため、「それではごゆっくりどうぞでふ」と、事務所に戻っていった。

「どうだったでしょう? 私に足りない幸せというのは」

 アティカが席に着いたのを確認して、客の男性は声をかけた。

「残念ですが」

 そういいながら、何とかアティカはいつもの営業スマイルを作ろうとする。が、客の男性からは、どこかぎこちない笑顔に見えた。

「お客様に販売できる幸せがございません」

 アティカの答えを聞き、客の男性はきょとんとした顔をした。

「ど、どういうことですか?」

 客の男性は机に体を乗り出し、アティカに迫る。

「お客様は奥さんとお子さんとの生活に必要な十分すぎるほどの幸せをお持ちです。これ以上の幸せというものは当店にはございません」

「そ、そんなバカな」

「ではお聞きしますが、奥さんとお子さんと一緒に暮らしていて、今まで不幸だと思ったことはありますか?」

 真剣な表情になるアティカに気圧(けお)されるように、客の男性は椅子に座った。

「それは……」

「幸せかどうかはわからない、とおっしゃいましたが、不幸だと思ったことは無いはずです。もしかしたら、毎日の忙しさで幸せを感じ取れていないだけだと思います。なので、これからも同じ生活を続けていれば、最後には幸せな人生だったと気づくのではないでしょうか」

 そう言うと、アティカは預かっていた運転免許書を客の男性に返した。

「そうですか……。確かに、私は仕事に必死で、家族や自分自身の幸せをしっかりとは考えていなかったかもしれませんね」

 運転免許書を受け取ると、客の男性はそれを財布にしまい、席を立った。

「わかりました。いつも通りの生活を続けてみます。アティカさん、でしたか。今日はありがとうございました」

 少し納得がいっていないような、しかし何か吹っ切れたような顔をして、男性は店から去っていった。

 しかし、アティカは男性客を見送ることも無く、座ったまましばらく動けなかった。


「あれ、お姉ちゃん、お客さん帰ったのにどうしたでふか?」

 カルチェがコーヒーを片付けに来たとき、まだ座り込んでいるアティカを見て、声をかける。

「さっきの客に売れる運が、まったく無かったのよ」

「え、それは一体どういうことでふか?」

 カルチェは二つのコーヒーカップと、フレッシュミルクのゴミをトレーに載せ、テーブルをふきんできれいに拭いていく。

「まず、あの人の寿命はあと三年しかないのよ」

「元気そうだったのにあと三年でふか? だったら持っている幸運と入れ替えればよいのではないでふか?」

 買い取りや販売ではなく、「運の入れ替え」というサービスも行っている。客がたくさん持っている運と持っていない運を入れ替えることで、バランスよく幸せを持つことができるシステムだ。もちろん手数料はかかる。

「それが出来ればこんなことは言わないわよ。でも、今回はそれすらもできなかった。だって、あの人の幸せには互換性がないのよ」

「互換性?」

 カルチェはテーブルを拭き終わると、それをトレーに載せてテーブルに置き、アティカの向かい側の席に座った。

「普通、どんな運でも、別の人に移してもその人はその運を使うことができるのよ。でも、ごくまれに持ち主しか扱えない運って言うものを持っている人がいるのよ」

「それが、あのお客さんだったのでふか?」

「さっきの客が持っている金運、恋愛運、仕事運、そういった運は、すべてあの人にしか扱えない、特殊な運なのよ。しかも、すごく膨大な。もし仮に買い取ることが出来たとすれば、だいたい寿命五十年、売るとすれば百年といったレートかしら。しかも売ったところであの人以外に扱える人間が存在しない。だから買い取りも運の入れ替えもできないのよ」

 はぁ、とため息をつきながら、アティカは先ほどの画面を思い出した。運の量というのもある程度数値化されて表示されるモニターが、測定不能を示していた、あのときの表示。

「きっと、幸せが目の前にあるのに、大きすぎて見えていないのでしょうね。これだけ大きな運を扱える店があったら見てみたいわ」

「一般人から考えると、幸運を買い取る店があるというだけで、そんな店があるなら見てみたいと思うでふが」

 カルチェの突っ込みにも無反応のまま、アティカは続ける。

「たまにいるのよね、自分の幸せに気づかない人が。どうしてかしらね。周りからはうらやましく見えるのに、それが実感できないって、悲しいわね」

 幸せを買い取る職業を始めて、いろんな人の幸せを垣間見てきた。中には自分自身でしか扱えないような、特殊な幸せをもつ人間がいる。

 そんな人間を何人も見てきたが、今回のように全部が全部自分自身でしか扱えない幸せを持つ人間は初めてだった。

 だからアティカは戸惑ったのである。


「……で、別世界にトリップしているところ悪いでふが、さっきのお客さんからは手数料はもらったのでふか?」

「……あ……」

 既に片付けを終えたカルチェは、事務所から持って来た手数料台帳をアティカの前に投げるように置いた。

「さすがお姉ちゃん、そういう人からは買い取り販売を行わないどころか、手数料まで負担するのでふね。では遠慮なく寿命から差し引いておくでふ」

 そういうと、カルチェは台帳に何かをさらさらと書き始めた。

「あぁぁぁ! 待て、私を殺すな!」

「大丈夫でふ。お姉ちゃんが死んでも私と私の旦那で経営していくでふ」

「おのれ妹め、人の恋愛運返せぇぇぇ!」

「売ったのは自分でふ。そんなこと私は知らないでふ」

 ぱたり、と台帳を閉じ、カルチェは事務所に向かう。

「ならば、さっき買い取った恋愛運を私のものにしてやる」

「ほほう、それは横領及び着服ということで犯罪でふ。経理担当として国に報告するでふ」

「おのれぇ、かわいくない妹めぇぇぇ」

 二人が言い合いをしている中、ドアのベルがチリンと鳴った。しかし、今の状態で気がつく姉妹ではない。

「あのぉ、すみません……」

 客が声をかけるが、それでも二人は気がつかない。

「だから商品の見定めができないお姉ちゃんには買い取りのセンスがないんでふ。やっぱり私が全部やったほうがよかったんでふ」

「何をいう、恋の駆け引きも知らない小娘が!」

「恋愛運はお姉ちゃんよりはあるでふ。まったく、恋愛運を失ったお姉ちゃんに小娘など……」

 カルチェが言いかけたとき、バタンとドアが閉まる音がした。

「……って、あれ? さっきお客さん来てたでふか?」

「え、まさか」

 アティカがドアを開けると、男性が帰っていく姿だった。この辺に他の建物はないため、ここに来た客なのだろう。

「おのれ妹め、またしても邪魔をぉ!」

「自業自得でふ。まあ、なんだかんだ言ってもまたいずれお客さんはやってくるでふ。ところで、今日は焼肉を食べに行くんでふよね」

「今そんな気分じゃないわよ」

 はぁ、とアティカはため息をついてドアを閉めた。涼やかなベルの音がチリンと鳴り響く。

 こんな調子で、今日も姉妹は商売を続けている。

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