第一章 第一話 異世界転移物語の完結
私は女神のケツが好きである。
あの珠肌の艶がたまらない。
死ぬ前に一度で良いので、触ってみたい。
と、そんな妄想を……いや、走馬灯が巡っていた私は、これから人生を終える。
血まみれで地面に倒れた私、ヴィルは死を確信していた。
私の眼前に立ち、聖なる魔力を纏って、猛然と剣を振り抜いたクソ野郎は、たったいま私を斬り裂きやがった張本人。
黄金色に煌めいた髪を靡かせ、女神に愛されているとしか思えない、神秘的な人外の容貌を有する彼は――
魔王テレサ様の居城を襲った、野望だけはご立派なヘナチン勇者だ。
名は忘れた。
興味が無いので、覚えていない。
テレサ様の優秀な部下である私を斬ってみせたその長剣は、天より授かりし魔を打ち払う聖剣で。
「ヴィル――ッ!!!」
と、私の背後で偉そうにふんぞり返っていた御方が叫ぶ。
そんなバカでかい声を出さずとも、近距離にいるのだから聞こえている。
私の聴力は、まだ衰えていない。
「……クッ、おのれ勇者ソウマ。よくも、私の八番目に大事な部下を殺しやがったなッ!!」
ダンッ、と大理石の床を踏み抜き、その御方は玉座を立ち上がる。
もしかして、私はあまり大事にされていないのかな。
優先順位が絶妙に低い。
せめて、三番位にしてもらいたかった。
そういえば、勇者の名前はソウマだったね。
思い出したよ……死に際で。
「ソイツは我が魔王軍の幹部の中でも、下から二十一番目……」
それは強いのかな、弱いのかな。
「ほーん。こんな雑魚を手駒にするたァ、魔王様ってのは随分と懐の広い御方らしいなァ、おい」
ソウマの右足が私を蹴り飛ばす。
綺麗な放物線を描いて吹っ飛び、私は謁見の間に整然と立ち並ぶ柱に激突した。
勇者の脚力とは凄まじいもので。
ただの蹴りで、この威力。
勢いは柱を三本程倒すことで収まった。
死んだ後にでも、修繕費用を請求してやろう。
ソウマが着用する白銀の甲冑に、黄金の魔力が流れて、体外に溢れる。
それだけで謁見の間……テレサ様の居城である魔王城全体が、ゴゴゴゴッと揺れた。
人間の魔力とは思えない出力だ。
「……貴様、本当に人間か?」
「俺が魔獣にでも見えるってのかよ、ん?」
「頭の足りない阿呆には見えるな……」
と、私は瓦礫の下で呟いた。
それが聞こえていたようで。
「テメェ、いまなんつった……?」
ソウマの蒼い双眸が、私をギロリと睨み据える。
しまったな。
思ったことを口にするのは、私の悪い癖なのである。
あのまま黙って死んだフリをしていれば、テレサ様がやられてる最中に、ドサクサに紛れて逃げられたかもしれないのに。
「……いや、何でもないです」
私は地面に顔を埋め、気絶した演技をする。
だが、何故かまだ殺意を頭頂部に感じていた。
「……気が変わったぜ」
変わるな。
その一言で、迷惑を被る側の気持ちを考えてほしい。
「魔王テレサを殺すのは当然として、魔王軍は全員皆殺し。城下の領民も女子供構わずぶっ殺してやる」
殺すって単語多いな。
「――そして仕上げに、ヴィル……っつったか?」
はい、ヴィルです。
今年で二十八歳になる、魔王軍勤務歴二十年の文官で。
丁度節目の年に殺されかけている雑兵です。
「テメェは《桜樹の臓腑》の生贄として、俺が飼ってやるよ」
ソウマが悪辣に笑った。
《桜樹の臓腑》が何かは知らないので、驚きも恐怖も湧かないが、良い事ではないのは確かだろう。
「勇者が邪神に供物を捧げるとは何事かッ!!」
なるほど。
私はいそいそと瓦礫の下を出て、逃げる準備をしながら察する。
《桜樹の臓腑》とは、邪神の名称らしい。
たしかに、そんな邪神もいた気がする。
「あァん? 関係ねェなァ。俺はただ、使えるモンを有効活用してやってるだけだぜ? 勇者の戦い方に魔王が口出すんじゃねェよ」
ごもっとも。
言い方があれなので印象が悪いが、発言自体は私も共感出来る。
戦闘に勇者も邪神も関係は無い。
勝った者が正しい。
なので、こうして逃げようとしている私が正義なのである。
ソウマの聖剣が激しい光を放った。
爆発的に魔力が増幅され、刀身に纏った黄金が光となり、テレサ様に振りかざされる。
それは必殺の技ではない、単なる力任せの攻撃。
しかし、無造作ゆえに予測が困難。
ソウマの魔力が並外れていることを加味すると、その威力は強烈なものであった。
勇者と魔王の決着は一瞬だ。
白銀の手甲に覆われた手先が掴むのは、テレサ様の美しい生首。
その妖しい魅力を含ませていた顔は、無惨にも胴体を離れている。
切り口から多量の血が垂れ、徐々に生気が失われていった。
「ハッ、〈月下の亡霊〉だかなんだか知らねェが、所詮こんなもんかよ」
テレサ様の生首を、投げ捨てる。
それは柱に当たると、ベチャッと生々しい音を立て床に転がった。
完全に死んでいる。
息の根を感じない。
魔王とはいえ痛覚はあるし、死に至る外傷を受ければ命を落とす。
――さて。
と、私は思考より足を動かす。
テレサ様を殺して勝利の愉悦に浸っている今が、逃げる機会だ。
矛先が向けられたら、貧弱な私ではひとたまりもない。
テレサ様のことは敬愛していたし、何なら思春期の頃、少しだけ恋しちゃいそうになった時期もあったにはあったが、しかし。
私は自分の命の方が、大事だ。
死んだ女体を愛でるような奇怪な趣味もない。
さっさと、トンズラさせてもらおう。
「おい、どこ行こうとしてんだ?」
「……あ」
忍び足で外に繋がる窓に歩いていた私の前に、ソウマがいる。
移動する前動作さえ捉えられなかった。
「雑魚は一度言っただけじゃあ、理解出来ねェのか? 良い頭してんな、お前」
「ありがとうございます。よく言われますね、はい」
私は慇懃無礼に応じる。
無言で聖剣が振り下ろされた。
「死ね」
私の視界が黄金に染まる。
その強大な魔力の刃が、私を木っ端微塵にした。
光が収まり粒子が散ると、そこには死体も残っていない。
「……しまったな。思わず、加減をミスっちまった。消し炭にしたら《桜樹の臓腑》の供物に出来ねェじゃねェか」
「だよなー」
と、私は着ていた燕尾服の裾を払い煤を落とした。
うん、これでよし。
「……あ?」
謁見の間の出入り口、観音開きの扉に歩き始めていたソウマが振り返る。
そして、目を見開いた。
「……な……なんで生きてやがる、テメェ――ッ!!」
その問いには答えない。
私は口元に両手をやって、息を吸い言った。
「はい、終了でえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇす!!! 皆さん、お疲れ様でしたあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その号令と同時に、倒れていた近衛兵達が一様に身を起こす。
私より先に殺された魔王軍の幹部も、何事も無かったかのように目を覚ました。
「……は? え……は…………?」
ソウマが目をパチクリ。
次々に生き返る……そもそも、死んでいなかった者達を見て、動揺を隠せない。
私は全員に聞こえる声量で告げた。
「これにて勇者ソウマの異世界転移物語は完結となります。皆さんの哀れで滑稽な死に様も、それはそれは見事なものでした。女神カトレア様も、嬉しさでタップダンスを踏むくらい、非常に喜んでおられましたよ」
おおッ! と近衛兵と幹部が感激する。
中には、感動のあまり泣いている者もいた。
女神カトレア様の称賛が嬉しかったのだろう。
「――さて、勇者ソウマの物語は、これで終わりですが……私達『女神部』の本業は、ここからです」
そう私が言うと、皆の表情が引き締まった。
いい面構えである。
頼もしい限りだ。
「このアホ勇者が異世界ヴィナグレイスに転移をしてから犯した、『やらかし』の後処理をしなければなりません」
状況を飲み込めていない……思考が停止しているソウマ君。
それを白い眼差しで見て、私は続けた。
「まずは勇者ソウマが寝取った聖女の後始末……ああ、これはとりあえず適当に解呪してもらって、犯されて処女を奪われた記憶を削除しておいて下さい。聖女の婚約者が勇者ソウマに強姦された瞬間を目撃していますが……まあ、大した問題でもないでしょう。当事者が覚えていないのなら、そんな事実は無かったということ。クソ勇者の悪行を放置していた王国にも、責任を取ってもらわなければいけませんね」
私は朗々と、今後の方針を話す。
的確に指示を出し、各々の仕事を振っていった。
「そして――」
「……おい……おいッ!!!」
「はい……?」
と、私は空返事をする。
後ろでソウマが呼んでいた。
「……何だよ、これはッ! どういうことだ……ッ!!」
私が肩越しに見れば、ソウマは怒りと焦り、そして恐怖が混ざった表情をしていた。
器用な表情筋の持ち主である。
私は右手に黒い革手袋を嵌めて、飄々と言った。
「どういうことって……見て、分かりませんか? 後処理ですよ、貴方の物語の」
私が視線を周囲にやり教える。
近衛兵が瓦礫を片付け、幹部が細かい指示の伝達をしていた。
皆、仕事が早い。
優秀な労働者だ。
「…………」
理解が追い付いていないソウマは、何かを言おうとしているのか、パクパクと口を開閉している。
私は胸元に手を添え、軽い会釈をして自己紹介をした。
「申し遅れました、異世界より召喚されし、ヘナチン勇者ソウマ殿。私は貴方のような常軌を逸した愚行を犯す異世界人の後処理を担当し、世界の秩序を調整する、通称『女神部』なる部署の者です。……ああ、お見知りおかないで大丈夫ですよ。貴方はこの後、処理するので」
「……なん……なんなんだ……お前は……」
「素性は今しがた述べたと思いますが?」
「…………」
こちらの声は聞こえている筈だが、頭には入っていないのか。
妖怪にでも遭遇したような目で、私を見ている。
「そんな怖がられるようなことをした覚えはないんですがねぇ。悲しいものです」
私は肩を竦めてみせて、着ていた燕尾服の襟を正した。
右手に嵌めた革手袋に魔力を流す。
それにソウマが、ヒッと小さい悲鳴をこぼした。
どうやら、ソウマは私の魔力の総量を見積もったらしい。
冷や汗を流し、畏怖に染まった顔をしていた。
私は柔和に笑いかける。
「貴方の目に何が見えているのか、問い質しはしませんが……定時が迫っていますので、早々に終わらせていただきます」
「……ま――」
ソウマの遺言は、しかし言葉にはならない。
一瞬で距離を詰めた私が、手刀で首を掻っ切っていた。
勇者の整った顔が、宙を舞う。
床に落ちる前に髪の先を掴み取り、それを片手に私は冷笑した。
「女神に選ばれし勇者といえど、限度があります。貴方は少々、悪行を重ね過ぎた。聖女を寝取るだけで終わっておけば良かったものを……女神のケツを触るなど、万死に値する。それは、下僕たる私の特権ですよ」
私は勇者の生首を、透明な瓶に入れた。
これには、まだ使い道……売買先がある。
私は勇者の処理をすると、『女神部』としての本業に取りかかった。
【次話予告】
知能の足りないクソ勇者の後処理――。




