ナナコ
武器を構えながらもこの魔族は格が違うとナナコは感じ取っていた。
元ベテラン冒険者であり聖浄機関の中でも実力者であるオルバを手玉にとってしまうほどの実力に加えて得体の知れない能力を扱ってくる。
普段魔族と相対するときは、怒りや憎しみを抱いて戦っていたが、今ナナコの胸中にあるのは恐怖心だけだった。
(すみません、師匠……私の命運はここまでの様です)
ナナコが思い浮かべていたのは遥か東の国から自分を連れ出し、この大陸に連れてきた師匠の姿だった。
最強の剣豪になるという夢を魔族の手によって絶たれた師匠の無念。
ナナコはその無念を晴らすために今まで戦ってきた。
だが今はそんな思いすら消え去ってしまいそうな程に目の前の敵が恐ろしい。
「まったく、いきなり襲いかかってくるだなんて無礼な方たちですね。とはいえ、謝ってくだされば見逃してあげても宜しいのですが……どうされます?」
「は? 何を言って……」
極度の精神的負荷によって思考回路が鈍くなっていたナナコは、突然そう言われても理解が及ばなかった。
「見逃すと言っているのです。私は無闇な殺生をする主義ではございませんので」
ナナコはどうすべきか分からなかった。
騙すつもりで言っているのか、それとも本気でそう言っているのか。
ただ一つだけ分かるのはナナコは魔族の言葉を信用していないということだった。
「私は聖浄機関だ。貴様らに見逃されるくらいなら戦って死ぬ」
そしてナナコは腰を深く落とし、地面を強く蹴った。
最速と謳われる高速移動法、闘神戦技シャトル。
地面を蹴ると同時に魔力を放出することで移動速度を数倍に跳ね上げる戦闘技術だ。
敵に接近し、刀を振り抜く。
幾千と繰り返してきた動作に迷いはなく、この一撃で全てを終わらせるという確信を持っていた。
だが刀は空を切る。
刀を振り抜いたナナコの背後に入れ替わるようにしてセリカは立っていた。
「しまっ……」
と声を上げようとするも、首に強い衝撃が走って意識を刈り取られた。
「折角見逃すと言ったのに……馬鹿な人間ですね」
ナナコを手刀で気絶させたセリカは倒れた二人に見向きもせず、ラファールを連れてその場から離れた。
それから暫く時間が経ち、ポツポツと降り出した雨が体に当たる感触を感じてナナコは目を覚ました。
「生きてる……クソォッ!」
自分が生きていると感じたのと同時に魔族に情けを掛けられたのだと気がついてナナコは怒りと羞恥に打ち震えた。
手も足も出なかったことが悔しかったのではなく、一瞬ではあったが自分が生きていたことにホッとしたのが悔しかった。
「私の……私の覚悟はこの程度のものだったのか」
自身に対する失望感に打ちひしがれたのも束の間、オルバが倒れていることに気がついたナナコは慌ててそちらの方に駆け寄った。
「先生、大丈夫ですか」
オルバは未だに全身が痺れていて動けないままだった。
喋ることすら出来ないので目を覚ましたナナコに目で必死に何かを訴えかけていたのだ。
「医者に診て貰った後、宿に戻って態勢を立て直しましょう。あの魔族を野放しにしておくのは危険です」
ナナコはオルバを背負い病院を目指した。
幸い医者はシビレダケの治療法を知っていたので処方された薬を飲むだけで何とかなりそうだった。
薬を飲んでも三日は安静にしないと駄目だと医者に言われたので、ナナコはオルバを入院させ看病することにした。
動けないオルバの世話をしていると、ふと思い出したのは昔のことだった。
ナナコの故郷、東の果てにある国は戦乱の時代だった。
小さな村に生まれたナナコの父親は戦に巻き込まれて命を落とし、母は病に倒れていた。
戦の影響で不作が続き、飢饉に見舞われた村では次々と餓死するものが現れ、幼かったナナコは虫やトカゲなどの小動物を捕まえて飢えを凌ぎ、僅かにあるまともな食糧を母親に食べさせていた。
だがその母も命の終わりが近づいていることを薄らと感じ取っていたナナコは何か虚しいものを心のうちに抱えているのだった。
だがそんな暗い日々は突如終わりを告げた。
村に野盗が押し入って来たのだ。
次々と村人を殺害していき、若い女性は捕まり酷い仕打ちを受けた。
「チッ、この女はもう駄目だな。おい、この家にもう誰もいねぇか」
「へへ、上玉のガキがいますぜ兄貴。こいつは高く売れそうだ」
ナナコも例外ではなく野盗に見つかり、襲われていた。
「何なのアンタたち、やめてよ!」
ナナコは必死に抵抗するも、大人の男と幼い娘では力に差がありすぎだ。
「娘には……手を出すな」
あわや捕まり掛けたそのとき、病床の母が起き上がって野盗の一人にのしかかった。
「何だテメェ、このクソアマふざけんな!」
だが無駄な抵抗にすぎず、ナナコの母は呆気なく引き剥がされ床に転がった。
「テメェ、この野郎! 死に損ないは大人しく死んでやがれ」
邪魔をされた野盗の男は頭に血が昇っていた。
腰から短刀を引き抜き、母の首に突き立て殺害してしまった。
「あ、お母さん……」
この瞬間、幼いナナコの中で何かが切れた。
気がつけば自分の周りに転がっていた鍬を持って野盗の頭を叩き割っており、目の前には息絶えた野盗と母が転がっていた。
「どうした。デケェ音立ててよぉ……おいおい、どうなってんだこりゃ」
不審な物音に気がつき様子を見に来たもう一人の野盗がこの惨状を目にして顔色を変えた。
「ガキぃ、テメェがやったのかよ。俺の弟分をよぉ」
兄貴分の野盗はナナコが構えた鍬を振り下ろすよりも速く手に蹴りを入れて鍬を弾き飛ばす。
その衝撃で尻餅をついたナナコは目の前に迫る鬼の形相をした男に恐れを抱いた。
――同じ人間じゃない。
「楽に死なさせねぇからな。まずはぶち犯してそっからこの世で最も最低な店で働かせてやるよ」
兄貴分の野盗がギラギラした目つきでナナコの服を掴み、一気に引き裂く。
痩せ細った体が露わになり、ナナコは反射的にしゃがみ込んだ。
「へっ、ガリッガリじゃねぇかよ。抱き甲斐はねぇがまぁいいか」
兄貴分がナナコを床に押し付けた瞬間、目の前に紅い華が散った。
よく見れば兄貴分は顔の鼻から上がスッパリと切断されており、暫く硬直した後にぐったりと体が崩れ落ちた。
「こいつで最後か。刀の錆にもならん連中だったな」
彼は頭に笠を被った剣士だった。
荒々しい野盗たちとは違い触れるだけで怪我をしそうな鋭い気配を纏っており、それがこの男の強さを物語っていた。
「そこに転がってるヤツ、お前がやったんだな小娘」
目の前の状況を把握した剣士はナナコに手を差し伸べた。
「筋が良い、お前の筋力で中々出来るもんじゃない。拙者と共に来ないか? 剣を教えてやる」
両親は共に死に、他に行くあてなど無いナナコは躊躇いなく剣士の手を握った。
「拙者の名はサブロウだ。お前は?」
「ナナコ」
その日からナナコはサブロウが魔族に敗れて命を落とすまでの間、共に旅をした。
幾度となく死線を乗り越え、国を出てからも波瀾万丈な旅を続けた。
そして今はサブロウの仇を討つために聖浄機関に所属して戦い続けている。
強くなったと思っていた。
だが本当は何も変わっておらず弱いままだった。
ただほの事実だけがナナコの肩に重くのしかかり、彼女を押し潰そうとしていた。




