【第三幕】
直接訊いたことなどはない。向こうが自分から口にしたわけでもなかった。
しかし共有する時間が増えるに従い、打ち明け話などしなくとも言葉を介さずに自然と相手の深い部分にも触れ合うようになって……。
郁海の恋愛対象が男であるらしいことに雅は気づいてしまった。
同時に、彼の『演技』は性指向を隠すためでもあるのではないか、と腑に落ちた気がする。
演劇人は変わり者も多いし、同性愛にしても特に抵抗なく受け止められる下地はある。「『普通じゃないこと』に重きを置く自分カッコいい!」といった価値観など珍しくもなかった。
郁海が素を晒しても、サークルでは別に浮かないだろう。
ただ、彼が怖がるのもわかる。仲間内はともかく、それ以外の大学や社会ではやはり異端として扱われる可能性が高いからだ。
出会って以降、彼は何人かの『男』と付き合っていた、と思う。なんとなく雰囲気が変わるので、雅にはわかってしまった。
部屋に呼ばれることもなくなるため、そちらの側面でも「ああ、『彼氏』ができたんだな」と悟る。
雅が見透かしているのを彼も承知だった筈だ。
しかし、暗黙の了解でどちらも表に出すことはなかった。二人の友情とはまったく別の問題だと互いに見做していたから。
おそらくサークルで、いや大学では雅以外誰も知らなかったのではないか。
誓って断言できるが、『同性愛者』だからといって彼に不快感など覚えたこともなかった。
むしろ雅に恋愛感情を向けて来ないのなら、男でも女でもどうぞご自由に、というのが本音だ。
そういう意味では男の方がありがたいかもしれない。
女の場合、もちろん相手にもよるが「女友達」と付き合うのを制限するケースもありそうな気がするからだ。
郁海は雅のとても大切な友人だから、恋愛沙汰でこの友情が壊れるのが何よりも嫌だった。
演技は、イコール『嘘』ではない。
何もかも残さず曝け出すのが、親愛や信頼の証だとも考えていなかった。
郁海が、四年生になったときに入部してきた新入生を特別視するようになって行ったのもそうだった。
きっと彼は祥真が、……その後輩が好きなのだ、と雅には伝わったのだ。
見た目がいい、演技が上手い、といった表立って突出した部分があるわけではなかった。
しかし、素直で人懐こくてなんでも一生懸命な、真に「いい子」だと雅は感じていたのだ。
同級生の一部と少々摩擦があるのも知っている。
それさえも、誰にでも好かれやすい、悪い意味ではなく懐に入り込むのが得意なタイプなのが影響していそうだ。
端的に言えば「上級生に可愛がられている、実力不相応に目を掛けられている」と見られているのだろうか。
本人たちだけで収まらない、あるいはエスカレートするようなら、と注視していたものの、祥真は上手く受け流していた。
正直、年齢性別を問わず「恋愛対象」よりは「弟キャラ・マスコットポジション」という印象が拭えない存在だった。その祥真を選んだ郁海は見る目がある、と雅はどこか感心したのだ。
雅には何もできないし、それ以前にする意志も必要もなく、知らぬ顔で通す以外の選択肢など存在しない。
それなのに。
郁海が祥真を好きなこと。
友人が絶対相手には知られないようひた隠しにしていた事実を、雅はうっかり漏らしてしまった。
郁海にすぐに返さなければならない資料があったのに教授に呼ばれて叶わなくなり、「どうしよう」と焦って同学部の下級生である祥真に頼んだのだ。
学部が違うため、講義棟も遠い郁海のもとに直接行く余裕がなくて。
「俺でいいんですか? 副島さん、こういうの他人に見られるの嫌がりそうですし……。いや、俺は絶対中身なんか見ませんけど!」
「だから君に頼んで──! ゴメン、忘れて! 今のは聞かなかったことにして! いいわね!?」
後で思い返してみれば、別に失言というほどのことでもなかった。
「郁海が可愛がってる後輩だから。原田はあいつに信用されてるから大丈夫だよ」
そういう意味だ、で十分通せたはず。
なのに雅は、パニック状態で自分から「今のは秘密なんです! 君には知られちゃいけないの!」と暴露したも同然になってしまった……。
◇ ◇ ◇
いつものカフェテリアでコーヒーを飲みながらの、なんの変哲もない日常会話の中。
「《《あいつ》》と付き合うことになったから」
郁海がさらっと告げて来た。
あまりにも自然で、一瞬「へぇ」と流しそうになったくらいさり気なく。
相変わらず端正な美貌には不釣り合いなカジュアルファッションにも見合う、何の気負いも感じない口調は計算されたものだろう。
──あたしがやらかしたせいか。
友人の言葉の意味を理解して、雅の頭にまず浮かんだのは数日前のあの出来事だった。
詳しくは知る由もないが、郁海から想いを告げることはありえない。
彼は、……少なくとも雅の知る友人としての郁海は、いったん隠すと決めたなら貫き通す。
ましてやなんとなく目と目で、などお伽噺だ。
どう反応していいかわからないままの雅に、郁海は意識的にか無意識にか話題をすぐ別に移してしまう。
しばらくして、郁海の部屋に三人が集まり自慢の手料理をご馳走になった際だった。
祥真にこっそり礼を言われ、咄嗟に理由がわからず訊き返して知らされる。
どうやらこの後輩が豪胆にも、雅と別れたその足で部室へ行き告白したらしいことを。
結果的にキューピッドになってしまった、あるいはさせられたということになるのか。
二人の想いが通じたことが、幸せに繋がるのなら。
取り返しがつかないと頭を抱えた己の失態も許されるかもしれない、と強引に自分を宥めていた。
それでも決して姑息な打算だけではない。
心から大切な友人と後輩の行く末が彼らにとって良きものであるように、と祈るこの気持ちに偽りはなかった。