緩やかな下り坂(2)
「醜態を晒して申し訳ございません。娘の左遷を機に、妻の精神が安定しないものでして」
「ご心労、お察しします」
ハスベルクは立ち止まると、感謝を言う代わりに頭だけで振り返り、軽く一礼。子どもだった頃の娘を描いた肖像画を見上げる。
「娘のリラとは面会どころか、手紙のやり取りも禁じられてます。何があったかは、宰相のギルネア様直々にお話くださった情報と、現場を遠巻きに目撃した民からしか得られませんでした」
「従兄弟殿とは?」
「私の甥です。バルヤ家に婿入りした兄の子で、二人は昔からリラのことを妹のように可愛がってくれてました。今回は婚約祝いがまだだったとの理由で帰国したと教わりましたが、……」
ハスベルクは自分の口を右手でかたく押さえ、怒りから肩を震わせる。
サマラフは同情から、僅かに眉間に皺を寄せて訊ねた。
「アイネスに利用されたのですか」
「だけなら、まだ良かったのです。クリストュル様がお怒りになるのも仕方ない愚行を娘がしたなど、親としては到底信じられませんが、バルヤ家の兄弟を尋問した際の調書を見せられ、愕然としました。筆記を任されたギルネア様からも直接話を聴きましたから、間違いないでしょう。
すみませんが、あまりにも恥ずべき行為ゆえ、内容は差し控えさせてください」
「ハスベルク殿のご兄弟は、何か仰ってましたか?」
「兄は昨年、自身の妻が病気で亡くなったのを機に、ララ•フェノンの寺院へ入りました。今回の件は知らないでしょう」
彼処の僧侶になった者は破門されるまでのあいだ、俗世へ出ること、外に居る親族との交流を禁止される。
「クリストュル殿の客人と言われているエリカ殿について、リラ殿から何か聴きましたか?」
ハスベルクは後ろで両手を組む。
「歳下の可愛いらしい子だと言ってました。仮に側室に迎えられても妹のように大事にできる自信があると言うくらいには、悪印象は抱いてなかったようです。しかし、ひょっとしたら、娘はクリストュル様の気持ちが離れてしまうのではないか、不安を覚えていたかもしれません」
「それらしい言動があったと?」
「勘です」
ハスベルクは、悔しさと悲しみが混在する表情を浮かべた。
「私は娘に、王妃になるのを望んだことはありません。クリストュル様から哀れみを受けた婚約であるのもわかってます。妻は落ち込んでますが、私は破棄されて良かったと思いました」
「……」
「サマラフ殿は、エリカさんというご客人が何者かご存じで?」
「いいえ」
彼は大ごとになってはいけないと思い、嘘を吐いた。
「そうですか。
バルヤ家の兄弟がそのエリカさんとやらを恐ろしい目に遭わせる計画をしてたことを娘は知らされていなかったので、幸いにも軽い処分で済みました。あとになって、クリストュル様がイ国の皇子に忠告されたとの話を耳にしたときは、私は卒倒するかと思いましたよ。パシェット家全員があの世へ召されるところでした」
「ケルディン様ですか?」
「いいえ。シアン様です」
(あの方か)
恋とは違う意味でエリカを気に入っていた皇子。
「妻のアイフィーは、娘の過ちは何かの間違いだと言ってクリストュル様に直訴し、減刑を求めました。ですが、夫になる方、それも国王に薬を盛るなどあってはならないことです」
「リラ殿は何処へ?」
「天上に近いと言われている、氷瀑の摩天楼です」
「重いですね」
「ベロドの島に流刑されることを思えば、温情があるほうです。クリストュル様が信頼を寄せている一級騎士や呪文刑吏、魔法騎士が配置されてますから、アイネスは手出しできないだろうと、ギルネア様が。時間が経てば、解放して貰えるそうです」
逃げ場は無いが、死が約束されてない分、寛大な処置だったとハスベルクは感じている。クリストュルへの怒りは無い。
表情に疲労が滲み出てるのを見たサマラフは、此処で切り上げることにした。
「御辛いときに無理を聞いてくださり、有難うございました」
「いいえ。茶も出さず、立ち話になってしまい、失礼しました」
ハスベルクは後ろで組んでいた手をほどき、三秒ほど間を置いてから訊ねる。
「サマラフ殿は、『世界』の呪いが切れたら怖いと感じたことはありますか?」
「これは元々、借り物のチカラです。失ったときに値打ちが下がったと判断した者は、私の所から離れていくでしょう。そこで人との縁が絶たれても、すべきことは変わりません」
「…………うちの娘とは大違いです。リラは左遷される前、このチカラがあるおかげでクリストュル様を縛ることができる、それが嬉しいと言ってました。情けない話です」
娘は恍惚とした表情を浮かべるくらい、自分に酔っていた。
『お父様。わたくし以外に代わりが務まる者が居ないのは、とても幸福なことだと気付いたの。離したくても離せない。離せばシュノーブは、もっと危険に晒される。サラ様だけでも、ユンリ殿だけでも不十分。エリカ殿も。
クリストュル様はご自分のような不幸な経緯の方を前にすると、手を差し伸べたくなる方なの。優しくすれば同じ分量を返してくれると思っている可哀想な方……』
ハスベルクは父親として、おまえは何を言ってるんだと注意。リラは目を細めてふふっと笑った。
『でも、わたくしはパシェット家に生まれたから。エリカ殿がどんなに特殊なチカラを持ってても同等にはなれない。恵まれてるからこそ、愛する殿方を慰めることができるのよ?』
清廉だったはずの娘が、親の面前で他者を下げる発言をしたのは初めてだった。
アイフィーは「恋愛ごとに限らず同性に嫉妬するなんて、貴族や王族のあいだでもよくある話だわ。寧ろ、リラは遅かったくらいよ」と、良い方向に受け止めた。それがまた仲を深めるキッカケになると言われたハスベルクは、若い頃を振り返って納得。
しかし、リラは微苦笑を浮かべた。
『嫉妬なんて無いの。そんな醜い感情、気持ち悪いわ』
夫婦は驚きのあまり黙った。
アイフィーは愛想を振り撒くように笑んで、新作の服を友人と見てきた話をして空気を変えようとする。彼女が娘にこんな気の遣い方をしたのも初めてだった。
バルヤ家の兄弟から悪い影響を受けてないか?ーー ハスベルクは不審に思ったが、パシェット家から送った使用人二名から定期的に渡される報告書には、楽しそうに過ごしている様子しか書かれていない。
子どもの頃の話。
アイネスに渡ってからの失敗談。
クォン・タユで再会した知人の話など。
帰省した者にありがちな、極々平凡な内容。
兄弟がリラと実家を訪ねてくれたとき、
墓参りに同行したとき、
ハスベルクは二人に問題を感じず、再会を喜べた。
このまま平和な時間が続くのを願ったが、疑いが確信に変わったのは、兄弟が捕まる二日ほど前。リラから「使用人を解雇した」との報せが文を通して伝えられたとき、雇用主である自分に連絡が来なかったのを不審に思ったハスベルクはエンに相談。
その二日後、パシェット家が兄弟に貸した屋敷を騎士団が調査したところ、使用人は拘束された状態で見つかり、保護はできたが、リラと同じ洗脳に遭っていたことが判明。このままシュノーブで働くのは難しいだろうと判断したティックが精神療法を受けさせ、改善したあと、他国へ移住させてくれた。
これが、事の内容の一部。
「お嬢様が一日も早くあなた方の所へお戻りになるのを、私も遠くから祈ってます」
「有難うございます」
「つかぬことをお聞きしますが、ハスベルク殿は、ベゼという店の場所をご存じですか?」
「ッ!?」
質問された彼は一瞬にして固まった。
これはまずい。良くない反応をされたと感じたサマラフは、
「どうかされましたか?」と、訊ねる。
ハスベルクは右手で拳を作り、こほんと咳払いをした。
「いえ。あなた様がそのような質問をなさるとは思いませんでしたから。すみません」
「?」
「……人間とは、ときに決め付けたり、思い込んでしまう生き物なのですね。私もその一人だと思いました」




