鍬と魔法のスペースオペラ 閑話その3
閑話・ハンス・ヒルター助教
俺の名はハンス・ヒルター。帝国出身の平民で、年齢は35歳。宇大工学部の助教をしている。既婚。ま、それはどうでもいいか。
専門は航宙船の反動推進装置。要するにスラスターの事だ。
更に言わせてもらえば、俺の研究により、宇大の実験船[ユーフロジーヌ]の推進効率は、0.2%も向上した。スラスターノズルの材質を工夫したり、輻射熱の流れを修正したりしたりした結果だ。
え?0・2%じゃ全然大した事ないだろうって?馬鹿を言うものじゃない。
エンジンやエネルギー供給をするジェネレーターを弄らず、スラスターだけの工夫で0.2%だぜ?普通は更に0が行列する所なんだ。
ま、俺もそれで満足はしていないがな。この成果のおかげで研究費が更に増えた。
まだまだ試したい素材は多いから、助かる。
これで最終目標0.5%に届けば、まず確実に副教授、上手くいけば正教授の椅子だって届くだろう。
そう信じていた。
それはそうと、助教の俺は派閥に関係なく、受験シーズンは基本的に暇だ。試験に関わるのは副教授以上だからな。
授業がない分、自分の研究に専念できる。[ユーフロジーヌ]は古い艦なので、こういう時には、同じ帝国閥の助教仲間数人で専有させてもらっているんだが、呼び出しを受けた時、俺達は3番ゲート付近にいた。
これは偶然じゃない。
3番は非常用の予備施設として、整備と稼働実験のみが行われているが、今年は受験生受け入れのために運用している。だが未だに一隻も通過していない。
しかも今年の試験作成には関わっていない帝国閥とはいえ、ゲート施設に副学部長を配するのは、異例だ。
余程のVIPが使う予定なのか?国王や皇帝すら屁とも思っていない宇大が?
俺達は好奇心に勝てず、実験の体で、3番近くを遊弋しながら、想像力を膨らませていたわけだ。まぁ、似たような事を考えるヤツらは結構いて、さながら帝国閥のちょっとした船団になっていた。助教だけじゃなく、正副教授の艦も結構いた。
皆、暇なんだな。
己の事を遠い棚に放り込んでいたら、件の責任者、工学部副学部長ゴドフリート正教授から呼び出しを食らった。
どうやら副学部長、ゲートを潜って、あちら側に行ってしまったらしい。
相変わらず自由な人だ、なんて思っていたら、正教授の艦達がゲートに殺到するのが見えた。
あの慌てようは尋常じゃない。きっと彼らは俺達が知らない何らかの情報を得ているのだろう。
こうしちゃいられない、と俺達もさっさとゲートを潜る。
そこには艦隊がいて、教授連の船がドッキングしては離れている。教授達が次々と乗り込んでいるに違いない。
宙域図や件の艦隊の識別マークを見る限り、フェアリーゼ星間王国所属の艦隊らしい。ただし、王国宇宙艦隊とはマーキングが異なるから、貴族の領軍だろうか。
帝国閥の教授連が、王国の艦隊に乗り込む?まぁ、そういう事もなくはないだろう。
戦争していたのは随分昔の話だし、互いに特に被害もなかったから遺恨もない。
大学内の派閥にしても、ただ同郷の者がなんとなく集まって、いつの間にか派閥になっている程度で、俺のような閉鎖的研究馬鹿でも、王国人の友人くらいいる。
だが、異常だ。
何が異常かって?王国艦の姿がだよ。
なんと、メインスラスターがないんだぜ?どこかに落としたのか?
あ、いや、そんな事はないって?んな事ァ分かってるさ。何しろ損傷らしきものはまったく見えないからな。
とにかく、あの不思議な艦を調べなくては。ひょっとしたら、あれは航宙艦の未来を変えて、俺を無職に放逐する悪魔かもしれない。
――俺の悪い予感は、ある意味では大当たりだった。
大挙して乗り込んだ俺達を、タルシュカット領(フェアリーゼ星間王国の貴族領。なんでもすごい田舎らしい)所属の機動重巡航艦[レパルス]のオーナー、ウィリアム・C・オゥンドール少年は快く迎え入れてくれた。
そして少年は惜しげも無く、[レパルス]の推進機関について教えてくれた。
俺達の人数が膨れ上がっているため、[レパルス]のブリーフィングルームを使って。
いや、それでもまったく収容人数が足りず、大半は廊下や階段、その他あらゆる共有スペースに取り残され、各自のパーソナルモニター越しの解説になってしまった。
ちなみに俺も廊下組の一人だ。
これはもはや解説ではなく、講義だろう。
オゥンドール少年は現在10歳。HDを入れても11歳。それでウチを受験するって?脳にとんでもないインプラントでも入れているのだろうか?貴族だから、それもアリだろう。あまり幼少期に大容量の脳内インプラントを入れるのは、成長に良くないと聞くけどな――などという考えは、彼の講義をちょっと聞いただけで吹っ飛んだ。
反動推進機関は、宇宙、とりわけ外宇宙で使うには、エネルギー変換効率が低すぎる?
なになに?大量の熱をただ宇宙に捨てている?
星間物質が極少量のため、反動を推進エネルギーに変換するのに無駄が多い?
ジェネレーターが生み出す動力の、8割を捨て、2割のうち、半分近くを慣性誘導に使うので、実質1割強しか活用できていない?
そりゃ、そうなんだろうけれど、だって仕方ないだろう?
え?重力子制御による慣性誘導をむしろメインに据える?
それによりジェネレーター出力の大半を捨てずに済む?
船体構造強化、ディフレクター・シールドを強化するだけでなく、偏在を改善?ああ、スラスター推進だと、噴射口周辺はシールドを張れないからな。そんな事したら、艦内部に熱が籠もって最悪爆発するから。
Gを気にすることなく、姿勢制御。トリッキーな艦体運動も可能?
推進力の改善?武装へのエネルギー供給力の向上?
おいおい。その話が本当だと、艦のクラス分け自体が変わるぞ。
既に変わっていました。
タルシュカット領軍では、駆逐艦が巡航艦並。巡航艦は戦艦並の性能を誇るとの事。
え?受験艦隊の現在のスペック?
改装前と改装後?そんなデータまで公開しちゃっていいの?
ああ、日々進化するから、別に構わないんですか、そうですか。
というわけで、少年が発明した『ウィル式推進』の驚異に満ちた性能と可能性に、教授達は沸き立ち、俺は絶望のどん底に落ちた。
なにしろ、エネルギー変換効率の上昇具合が尋常じゃない。余裕をもって推進機関以外に回しても、最低30%は向上する。
えっと、俺は0.2%上昇を誇っていたわけですが。うん、ゴミ研究ですね。
ここまで差を付けられると、嫉妬心すら沸かない。
しかも、少年が研究を始めた動機が、『ただ捨てるなんて勿体ない』だぜ?
それが俺と彼との決定的な差だ。脳の出来?今更そこを突っ込むな。
俺が言いたい事は、俺が『仕方ない』と、最初から諦めた事を、彼は諦めなかったという事だ。
そして彼の思いつきを形にするために、苦労なんて言葉が安っぽくなるほどの目にあった、タルシュカット領軍の人々の協力も忘れてはならない。
えっと。ウィリアム少年が宇大に来る意味があるのかな?こんな凄まじい発明をしてのける環境にいたんだろう?
そんな事を考えていたら、講義の合間の15分休憩の時、なんと当の少年からパーソナルモニターにアクセスがあったよ。どうやら俺達全員の経歴をチェックしたらしい。
『初めましてヒルター助教』
「あ、ども」
我ながら締まらない挨拶だな。
『助教の論文、読ませていただきました』
「はぁ」
貴方にとっては、落書き同然だっただろうな。
『素晴らしい研究ですね。材料工学に革命をもたらす事でしょう』
プチン
何かが切れた。
「あのな少年。お前さんの講義の後、それを言っちまうのか?皮肉でももうちっと言い方ってモンがあるだろうよ」
パーソナルモニターに罵倒する姿に、周囲の気温が下がったような気がする。構うものか。どうせこちとら失うモノすらねぇ。
ああ、家族がいたか。スマン。
警備に立っていた赤シャツがこちらを睨んでいる。タルシュカット領軍の海兵だ。
こりゃ逮捕か?それともこのままエアロックから叩き出されるのか?
――と思ったら、違ったらしい。
モニターの3D画像の少年は頭を下げている。
『ご免なさい。どうも誤解させちゃったみたいです。実は今、ある研究に行き詰まっていまして、助教のお知恵を借りられたらと思ったら、もう止まらなくなっちゃって。
よく先生に叱られるんです。もっと空気を読めって。
空気読まないチャンピオンからそう言われるんですから、僕もまだまだですね』
「いや、頭上げて!」
だって、今、15分休憩だよ?
ウィリアム少年はブリーフィングルーム内でこの通信をしている。先ほどの講義で興奮が止まない部屋の中でだ。
その興奮が戸惑いの空気になっているのが、この廊下にまで伝わってきているよ。
「謝罪は受け取ったし、俺にも似たような所があるから、もういいって!単なる小者の嫉妬だから気にすんなって」
少年はキッと頭を上げた。
『助教は小者なんかじゃないです!大抵の学者は、素材の組み合わせをシミュレーションして、酷い場合だとそれだけで研究成果にしていますが、助教は実験を旨として、結果を出しています!膨大な経費と時間、そして労力、忍耐力が必要な筈で、誰にでもできる事じゃありません!』
「でもまだ、0.2%しか向上してないんだが」
『しか、じゃありません。も、です。大手メーカーの研究所が、これでもかと予算をつぎこんで、これがベストだとした素材が、そうじゃなかった。そこが重要なんです。しかも新素材でなく、入手しやすい、ごく当たり前の素材を組み合わせた結果ですよ?
これを革命と言わずして、どう言えばいいんですか。謙遜も過ぎれば嫌味になりますよ』
「それはお前さんもだぜ?さっきの講義こそ革命だろうが。俺も含めて、ここの連中にタダで教えてやる内容とは思えないが」
『ああ、別にタダじゃないですよ?ちゃんと対価は頂いていますから』
あ、そうなの?
「じゃあ、それはそれとして、だ。さっきちらっと言っていたが、行き詰まった研究って何だ?そこに俺の知恵とやらがどう関わってくる?」
少年は、よくぞ聞いてくれました、と身を乗り出してきた。
『そこなんです!実は、HDジェネレーターについてなんですが』
「はぁ?思いっきり専門外だと思うんだが。俺はただのスラスター屋だぜ?」
HDって事は亜空間だろう?通常空間での推進法に何の関わりがある?
『材料工学の革命家。いや、復古主義者かな?21世紀まで、無数の組み合わせを試す研究者は大勢いたそうですからね。
実はHD技術を通常空間でも応用できないかと思いまして』
うわ。ブリーフィングルームの空気が変わった。廊下にまでビリビリ伝わってきやがる。
「どう応用するかは知らんが、これまた凄い思いつきだな」
天才の考える事は分からん。
『いや、大した事じゃないんですよ。ほら、HDジェネレーターって、通常空間だとまったく使っていないじゃないですか。それって勿体ないなって』
この野郎。やっぱり凄えじゃねぇか。
俺みたいな凡人は、それも仕方が無いで終わってるんだよ。
でも、面白い。凄く興奮する。
「つまり、色々既に試したんだな?でもぶっ壊れた。違うか?」
『ご明察。何台もジェネレーターをダメにしちゃいました。そこで助教の材料工学の、とりわけ耐熱素材開発の経験とセンスがあれば、一歩進めるんじゃないかと。
ウチの領軍の工廠には、助教のような人材がいなかったもので』
なるほどな。納得いった。
「分かった。俺で役にたてるなら、使ってくれ。こちらからも頼む。どうやらスラスターはこれからは限定的にしか使われなくなりそうだからな」
『ふふふっ、それこそ謙遜過ぎますよ。それではまた後日』
通信が切れた。
スラスター研究が寂れるのが、謙遜過ぎる?つまりスラスターにも、まだまだ可能性があるってか?
まぁ、いずれにしても、ウィリアム少年の受験が終わってからになるんだろうな。彼の実力なら、合格は間違いないだろうが、試験というものは水物だ。
っていうか、今の話だと、別に彼が宇大生である必然性はないか。彼が試験に落ちたところで、俺の方からタルシュカット領に押しかけてしまえば済む話だ。
あ、俺、帝国人だったな。ま、いっか。
ふふふ。周囲からの嫉妬の視線が心地いい。今この瞬間に、俺はただの助教から、ウィリアム少年から声を掛けられた男にクラスチェンジしたのだから。