12
店は寒く、クリスティンは明かりを点けるよりも先に、暖房を入れた。
ずっと店を閉めたまま掃除もサボっていたが、日頃真面目に掃除していたのだ。数日サボっても、店が劇的に汚れるようなことはない。
「どうぞ。すぐに暖かくなるので」
店のドアを開ければ、冷たい風と一緒にユリウスが店内へ入る。
「座っててください」
熱い飲み物を用意するため、クリスティンは厨房へ向かう。
退院して数日経つが、クリスティンはずっとだるさと眠気のせいで店どころではなかった。
ひどいだるさと眠気の原因は、わかっている。魔力のほとんどを使い切ってしまったからだ。
クリスティンの体は今、急激に失ってしまった魔力を回復しようとしている。
このだるさと眠気は、そのせい。
「体調はどうだ?」
厨房から店へ戻れば、ユリウスはカウンター席に座っていた。店内がまだ寒いので、コートは脱いでいない。
「店を休んでいるようだが……」
「少しだるさが残っているだけなんです」
どうせ店を開けても、来客は少ない。開けてしまってもいいのかもしれないが、ここは質屋。カウンターに飾られた宝石やアンティークの時計など、決して安くはないのだ。店番している間、眠気に負けて何かあっては困る。安全のためにも、休むことを選んだ。
「そうか。……聞きたいことがある。何があった?」
カウンターに置かれたコーヒーに口をつけることもなく、ユリウスは本題に入る。
クリスティンもなんとなくだが、そうなんだろうな、と思っていたので、動揺はない。
「……どこまで覚えてますか?」
「あの男──ギデオンだったか? あの男が立ち去るところまで、だな」
「…………あなたは死を待つだけでした」
数日経ったが、クリスティンはよく覚えている。
真っ白な世界、心臓を貫かれ赤い血を流すユリウスの姿。誰が皆、助からないと思うだろう。
クリスティンだって、そう思った。
「でも俺は生きてる。何が──何をした?」
「……『皇帝の薔薇』を使いました」
クリスティンがカウンターに置いたのは、宝石箱。
本来であればこの中に、紫色の魔法石があるのだが、中は空。
「意味がよくわからないんだが……魔法石にはそういった力があるのか?」
魔法石についての正しい知識を持つ者は少ない。
そもそも存在自体を知らない者の方が多いくらいだ。
とは言えクリスティンも、専門家ではない。
「一か八かでした。……力のある魔女の魔法石は、何十年、何百年経っても、生きているそうなんです。あなたの心臓には今、その魔法石──『皇帝の薔薇』が息づいている」
「……そうか…………そう、か」
「勝手な真似をしてしまって、ごめんなさい」
ユリウスを助けたい一心で、本当に本当に、必死だった。『皇帝の薔薇』がどれだけ貴重なものなのか、知っていながらも。
「謝る必要はない。むしろ俺が礼を言うべきだろう。──ありがとう。あんたのおかげで、俺は生きていられる」
「……あなたが私を助けてくれたからです」
安堵したクリスティンの顔に、笑みが浮かぶ。責められるとは思っていなかったが、貴重な『薔薇』を独断で使ってしまったのだ。罪悪感があった。
その罪悪感が、単純にもユリウスの言葉ひとつで消えていく。
ただ不安と心配だけは、胸に残ったまま。
と言うのも──。
「初めてのことなので、何が起こるかはわからないのですが……」
今のユリウスは、元気そのもの。体調に変化はないようだ。
だがユリウスの心臓には間違いなく、『皇帝の薔薇』がある。
この先、何事もなければいいのだが、何も起きないと断言はできない状態。
「気にしなくていい。どうせ人は、今を生きることしかできないんだ」
先のことは考えるだけ無駄。
そう言ってユリウスは、少し冷えたコーヒーに口をつけた。
「礼をしないといけないな。助けてもらっただけじゃなく、頼みまで聞いてもらったんだ」
「頼み、ですか?」
命は助けたが、頼みを聞いた覚えはない。
温もりを求めるよう、紅茶の入ったカップを両手で包み込むクリスティンは、小首を傾げる。
「忘れたのか? 俺はあんたに、処分を頼んだ」
「あ……」
言われて確かに、と思い出す。
ユリウスは『皇帝の薔薇』の処分を、クリスティンに頼んだ。
そんなことはできないと断ったが、結局クリスティンは、ユリウスの頼みを聞いたことになる。成り行きではあったが。
「ただ残念なことに、俺は貧乏なんだ」
「そうなんですか?」
「軍人の家に生まれたが、貴族じゃない。屋敷は手放したし、ほぼ身ひとつでこの町に来た。だから渡せるものが──コレしかない」
ユリウスが服の内側からネックレスを取り出し、クリスティンに手渡す。ネックレスには指輪が通してあった。
銀の台座にはめ込まれた紫の石。水晶かと思ったが、それにしては色が濃い。
「母親の形見だが……そんなに価値のあるものじゃない。特別なものでもないし……ああでも、母親曰く、幸運を呼ぶらしいし、災厄から守ってくれるらしいぞ」
「でも形見、なんですよね? そんなものいただけません。お返しします」
「もらってばかりじゃ気持ち悪いだろ」
「ですけど……」
自分なら、母親の形見を誰かに渡すなんてできない。
ユリウスには大切じゃないのだろうか?
「あんたは物を大事にする人だろ?」
「……だとしても、形見は……」
「じゃあいつか、俺があんたの命を助けることがあったら、そのとき返してくれ。それまで預けておく。それでいいか?」
指輪を素直に受け取ろうとしないクリスティンに、ユリウスが妥協案を提示する。
「私の命を助ける……わかりました。お預かりします」
そんな日は永遠に来ないでほしい。
でも落とし所としては納得できた、ような気がする。無理矢理感は否めないが。
「話も聞けたし、俺は行く。正式に配属されたからな。これからはこの町を守る軍人だ」
「住む場所はもう?」
「宿舎を借りてる。──この雪、いつまで降り続けるんだ?」
いつの間にか脱いでいたコートを羽織るユリウスは、窓の外でずっと降り続けている雪を鬱陶しそうに見ている。
「長いときは一月降り続けますから、このくらいは普通ですよ」
この町に住むのなら、雪にも寒さにも慣れねばならない。
「そういえば、きちんと名乗っていなかったな。ユリウス・ナイトハルトだ」
店を出る前、ユリウスが手袋をしていない手で、クリスティンに握手を求める。
「クリスティン・ベル、です。クリスで構いません」
なんとも今更な自己紹介に、クリスティンは笑ってしまう。差し出された手を握り返し、ふたりは見つめ合う。
「──クリス、ありがとう」
先に手を離したのはユリウスだった。温もりが離れると、なんだか寂しさを感じてしまう。
クリスティンは店を出て去っていく黒いコートを見送り、店へ戻る。
店内に残っているのは、紅茶とコーヒーの香りと、静寂。
いつもの日々が、やっと戻ってきた。
「……どうしようかな、これ」
カップを片付けようとカウンターに歩み寄ったクリスティンは、カウンターに置かれたままの指輪をなんとなく手に取ってみた。
これは倉庫に入れておいた方がいいのだろうか?
「……薔薇?」
店の明かりの下、手にしたその指輪の中に、薔薇の内包物が見えたような気がした。
そして騒々しい日々の終わりを告げるように、その翌日、雪はやんだ。




