【エレベーターピッチ】30秒で自分を売り込む魔法 3/4
会場の喧騒から少し離れた、壁際の立食テーブル。
アリサと若手商人トマスは、色鮮やかなフルーツ水が入ったグラスで軽く乾杯をした。
「いやあ、本当に恥ずかしいです。アリサさんのあの完璧な交渉を見た後だと、自分のさっきの振る舞いが穴があったら入りたいくらい情けなくて……」
トマスはグラスを見つめながら、大きなため息をついた。
「バルガ会頭の言う通りでした。私は自分の苦労話ばかり押し付けて、相手の貴重な時間を奪うだけの『泥棒』だったんです。……どうしてアリサさんは、あんな恐ろしい大商人を前にして、あんなに堂々と短い言葉で交渉できたんですか?」
すがるような目で見つめてくるトマスに、アリサは一週間前の自分を重ねていた。
彼がバルガ会頭に拒絶された時の絶望感は、先週の意見交換会で誰にも相手にされなかったアリサの惨めさと全く同じだ。
「……実は私、一週間前までは、トマスさんと同じように自分の話しかできなくて、交流会で誰とも名刺交換ができずに泣いていたんです」
「えっ!? アリサさんほどの優秀な方がですか!?」
「はい。でも、先輩から『三十秒で自分を売り込む魔法』を教わって、血が滲むほど練習してきたんです」
アリサはバインダーを開き、真っ黒になるまで書き込んだメモのページをトマスに見せた。
「初対面の忙しい人が知りたいのは、『あなたがどんな苦労をしてきたか』ではなく、『あなたと組むことで、自分にどんなメリット(利益)があるか』。……この視点の切り替えが、魔法の鍵なんです」
「自分にどんなメリットがあるか……」
トマスはハッとして、自分の手作りの名刺を見つめた。
「トマスさん。先ほどバルガ会頭に『熱意でメシが食えるのは三流だ』と言われてしまいましたが、トマスさんの香辛料輸入会社には、熱意以外の『強み』はありませんか?」
「強み、ですか……。ええと、私は農家出身なので、現地の農村と直接太いパイプがあります。だから、中間の卸売業者を一切挟まずに、最高品質の香辛料を『市場価格の二割引き』で安定して仕入れることができるんです。それが唯一の自慢でして……」
「それです!!」
アリサはバンッ! とテーブルを叩き、身を乗り出した。
「えっ!?」
「なんでさっき、バルガ会頭にその一番重要な『メリット』を言わなかったんですか! 『パンの耳をかじった話』なんて全部削り落として、最初の十秒でそれを言うべきだったんです!」
アリサの勢いに押され、トマスは目をパチクリとさせた。
「だ、だって、私がどれだけ本気でこの事業に人生を懸けているかを知ってもらわなければ、信用してもらえないと思って……」
「ビジネスの世界では、熱意や苦労は『自分のための感情』です。相手の信用を勝ち取るのは、『相手のための価値(数字や事実)』なんですよ」
アリサはペンを取り出し、トマスの手帳にサラサラと文字を書き込んだ。
「もし次、もう一度バルガ会頭に話しかけるチャンスがあったら、こう伝えてみてください。『初めまして、トマスです。本日は、御商会で扱う香辛料の仕入れコストを、品質を落とさずに二割削減できる独自ルートのご提案に参りました』……って。三十秒以内で、結論から!」
トマスの瞳に、みるみると光が宿っていった。
自分の事業には価値がないと打ちひしがれていたが、単に『伝え方』を間違えていただけだったと気づいたのだ。
「結論から、相手のメリットを三十秒で伝える……! そ、そうか。自分の苦労話なんて、相手にメリットを提供した『後』に、お酒の席で笑い話として語ればいいだけのことなんですね!」
「その通りです!」
「ありがとうございます、アリサさん! 私、なんだか目の前がパッと明るくなりました。このエレベーターピッチという魔法、私も今日から死ぬ気で練習します!」
トマスは深々と、それこそ直角になるほどの勢いでアリサに頭を下げた。
その顔にはもう先ほどの卑屈な色はなく、希望に満ちた若手商人の精悍な顔つきに戻っていた。
(ふふっ。なんだか私、シレーヌ先輩みたいになっちゃったな)
アリサは少し照れくさくなりながらも、胸の奥に温かいものが広がるのを感じていた。
自分の利益のためだけに動くのではなく、自分が学んだ知識を誰かに惜しみなく与える。それが巡り巡って、強固な信頼関係に繋がっていく。これもまた、シレーヌから教わった『返報性の原理』の魔法だ。
「――おやおや、王都ギルドの受付嬢殿は、ずいぶんと気前よく商売の秘訣を教えて回っているようだな」
その時、横から低く嗄れた声が二人の会話に割って入った。
アリサとトマスが驚いて振り返ると、そこには豪華な毛皮のコートを羽織り、指にいくつもの宝石の指輪をはめた、小太りで恰幅の良い壮年のドワーフが立っていた。
周囲の商人たちが、彼を見て「あっ、東の鉱山王だ……」「まさか彼もこの懇親会に来ていたのか」とヒソヒソと囁き合っている。
「東の鉱山王……?」
アリサが呟くと、ドワーフはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「いかにも。ワシは東の山脈で魔石の発掘を取り仕切っている、ガザルだ。嬢ちゃん、さっきのバルガへの三十秒の交渉、見事だったぞ。だがな……」
ガザルは太い葉巻をふかしながら、値踏みするようにアリサの全身をジロジロと舐め回した。
「あんな綺麗に用意された台本は、氷のバルガには通用しても、このワシには通用せんぞ? さあ、王都ギルドの受付嬢。もしワシと名刺交換がしたければ、ワシが喜ぶような話を今ここでしてみせろ。もちろん、三十秒でな」
突然の、大物からの挑戦状。
トマスが「ひっ」と息を呑んで後ずさる中、アリサはバインダーを強く抱きしめ、真っ向からガザルの鋭い視線を受け止めた。




