【エレベーターピッチ】30秒で自分を売り込む魔法 2/4
(残り、二十五秒……!)
アリサは心の中で正確に時間をカウントしながら、一切の淀みなく言葉を紡ぎ出した。
恐怖で声が震えることはない。毎晩、シレーヌの持つ金時計の無情な秒針の音を聞きながら、口から血の味がするほど繰り返した『型』なのだ。
「改めまして。私は王都ギルド『暁の翼』で筆頭受付嬢を務めております、アリサと申します」
姿勢を正し、バインダーを胸元に抱えたまま、透き通るような声で名乗る。
「現在、バルガ商会様は西大陸への陸路輸送において、安全を確実なものにするため、高ランク冒険者パーティーを『専属』で雇い入れていると伺っております」
「……いかにも。荷を失うよりはマシだからな。それがどうした」
「その『専属契約』を、ギルドが主導する『相乗り護衛プラン』に切り替えるご提案です」
(残り、十五秒……!)
バルガ会頭の片眉がピクリと動いた。
周囲で遠巻きに見ていた商人たちも、「相乗り護衛……?」とヒソヒソと囁き合っている。
「王都ギルドでは毎日、街道の安全を確保するための『定期魔物討伐部隊』を派遣しています。この討伐部隊の巡回ルートと出発時刻を、バルガ商会様の馬車の運行スケジュールと『完全に同期』させます」
「ほう……」
「商会様は、ギルドの討伐部隊の後ろをついていくだけで、最高ランクの安全を確保できます。専属護衛を雇う必要がなくなり、ギルドへのルート調整手数料のみをお支払いいただくことで、年間の護衛コストを最低でも三割は削減できる計算です」
(残り、五秒……!)
アリサはここで言葉を切り、バルガ会頭の目を真っ直ぐに見つめ返した。
ダラダラと熱意を語る必要はない。自分が何者で、相手にどんな利益をもたらすのか。必要な情報はすべて伝えた。
あとは、最後の『行動喚起』で締めるだけだ。
「本日はご挨拶のみですので、お時間は取らせません。もしこの仕組みにご興味がおありでしたら、後日詳しいお見積もり資料とルート表をお持ちいたします。……よろしければ、ご連絡先(名刺)を交換させていただけないでしょうか?」
(ゼロ……! ぴったり三十秒!)
アリサが言い終えると同時。
黄金のシャンデリアが照らす会場の中央に、水を打ったような静寂が訪れた。
バルガ会頭は、ワイングラスを持ったまま彫像のように固まっていた。
周囲の商人や冒険者たちは、「あの小娘、会頭に向かってなんて厚かましい交渉を……」「絶対に怒鳴られるぞ」と、ハラハラしながら成り行きを見守っている。先ほど一蹴された若手商人も、柱の陰から青い顔をして覗き込んでいた。
重苦しい数秒の沈黙。
やがて、バルガ会頭はゆっくりとワイングラスを近くのテーブルに置くと。
「……ふっ、はははははっ!」
突如、腹の底から響くような豪快な笑い声を上げた。
「素晴らしい! ぴったり三十秒だ。一切の無駄がなく、私の知りたい情報だけが完璧に整理されている。君の生い立ちや『パンの耳をかじった苦労話』は一つも入っていなかったな!」
「は、はい。会頭の貴重なお時間を奪うわけにはまいりませんので」
アリサが涼しい顔で答えると、バルガ会頭は目を細め、ひどく機嫌の良さそうな、獰猛な商人の笑みを浮かべた。
「いいだろう。王都の『暁の翼』は優秀な職員を育てているようだな。相乗りプラン、確かに理にかなっている。詳しい話を聞く価値はありそうだ」
そう言って、バルガ会頭は漆黒のスーツの内ポケットから、金色の箔押しがされた重厚な黒いカード――『バルガ商会のVIP名刺』を取り出し、アリサにスッと差し出した。
「来週の火曜、王都の第一支店に来なさい。時間を取ろう」
「ありがとうございます! 必ず、ご期待に沿う資料をお持ちします」
アリサは恭しく両手で名刺を受け取り、深々と一礼した。
そして、それ以上は一切の無駄話をせず、クルリと背を向けてバルガ会頭の前から颯爽と立ち去った。
(や、やったぁぁぁっ!!)
内心では嬉しさのあまりガッツポーズをして飛び跳ねたい気分だったが、そこはグッと堪えて、あくまで『仕事のできる優秀な筆頭受付嬢』の足取りを保つ。
「おい、見たか……あの『氷のバルガ』が、笑って名刺を渡したぞ!?」
「あんな小娘が、たった数十秒で商談の約束を取り付けただと……!?」
「王都ギルドの受付嬢……恐るべき交渉術だ。後でこちらからも声をかけてみよう」
会場の空気が、明らかに変わった。
先週の意見交換会で「壁の花」として誰からも相手にされなかったアリサの姿は、もうどこにもない。
たった一回の鮮やかな【エレベーターピッチ】を成功させたことで、アリサは周囲の大人たちから『話をする価値のある、有益な人間』として強烈に認知されたのだ。
「ふふっ。まずは上出来ね」
会場の隅でワインを傾けていたシレーヌが、満足げに扇子を閉じた。
「……あの、すみません! 王都ギルドの方ですよね!?」
アリサがバルガ会頭の元から離れて一息ついた直後、後ろから慌てたような声で呼び止められた。
振り返ると、そこには先ほどバルガ会頭に冷酷に追い払われ、柱の陰で落ち込んでいたあの『若手商人・トマス』が立っていた。
「あ、はい。アリサと申しますが……」
「トマスです! あのっ、先ほどのあなたの交渉、本当に凄かったです! 私、自分の熱意を伝えることばかり考えていて、相手のメリットなんて一つも提示できていなかったことに、あなたの話を聞いてハッとさせられました……!」
トマスは興奮した様子で、何度も頭を下げてきた。
「もしよろしければ、私とも名刺交換をさせていただけませんか! 今はまだ小さな香辛料の輸入会社ですが、いつか王都ギルドさんともお取引ができるよう、死に物狂いで頑張りますので!」
差し出された、少し汗ばんだ手作りの名刺。
それは、大商会であるバルガ商会のVIPカードと比べれば、ちっぽけで頼りないものかもしれない。
しかし、アリサは最高級の笑顔を浮かべ、自分のギルドカードを丁寧に取り出した。
「もちろんです、トマスさん。香辛料の輸入ビジネス、とても面白そうですね。ぜひ、詳しいお話を聞かせてください!」
そう言って名刺を交換した瞬間。
アリサはまだ気づいていなかった。この、大商会に相手にされなかった『無名の若手商人』との小さな出会い(ウィークタイズ)が、後に王都ギルドを巻き込む巨大なチャンスの種となることを。




