最終話…ましろんの恩返し
ましろんが帰って数日後、紅葉は都会に帰っていった。
そして1週間もしない内にお爺ちゃんが体調を崩して、お爺ちゃんとお婆ちゃんは隣町に住む伯父さん夫婦と同居する事になって隣町に引っ越していった。
あの家には誰もいなくなった。
たまに伯父さん夫婦が家にやってきて掃除をしたり家の手入れをしたりしてくれたけれど、住む人間は誰もいなくなった。
だから紅葉が、あの家に行く事は無かった。
そして二十年が過ぎた。
紅葉は結婚して子供も産まれて、子供の頃の小さな友達がもう色あせた思い出になって…
そして、その日がやってきた。
お爺ちゃんが亡くなり、お婆ちゃんが亡くなり、あの家を処分する日が来た。
家には、まだ二人の遺品が色々残っていたから紅葉も家の整理を手伝うために二十年ぶりに村にやってきた。
お爺ちゃんとお婆ちゃんの畑は、もう荒れ果てて、ましろんが尻尾を齧られた納屋は潰れて跡形もなくて、それでも懐かしい家は残っていた。
紅葉は一人懐かしい家に入った。
紅葉の夫と息子は、商店街に食べ物や飲み物を買いに行っていて、紅葉は一人で家にいた。
家の中は、伯父さん夫婦が掃除してくれていたから意外と綺麗なまま。
紅葉が昔の思い出に浸っていると急に家が揺れた。
少し大きな地震で家中が揺れた。
紅葉は咄嗟にテーブルの下に隠れた。
地震は思ったより長く揺れたけれど、そんなに強い地震じゃないからと紅葉は安心していた。
そして揺れが収まった次の瞬間だった、いきなり天井が崩れた。
悲鳴を上げる間もなく、大量の瓦礫がテーブルに降り注ぎ、逃げ出す事も出来ないまま紅葉は生き埋めになった。
光は見えない…
どうやらテーブルは瓦礫の重さに耐えているようだがテーブルの脚はミシミシと不気味な音を立てる。
そんな暗闇の中で紅葉は走馬灯のように古い友達を思い出した。
ましろんの事を思い出した。
何故、今そんな事を思い出したのだろうか?
久しぶりに村に、この家に来たからだろうか?
それとも…棚の上に置かれていた茶色の怪獣のぬいぐるみが、ましろんに似ていたからだろうか?
紅葉は、棚の上のぬいぐるみの姿を思い出そうとしたが不思議な事に記憶に靄がかかったようにボンヤリとしか思い出せ無かった。
自分は、どうなるのだろうか?
夫と子供は無事だろうか?
そんな取り留めない事を考えながら紅葉は闇の中にいた。
忘れてしまうのだろうか?
小さいから、ぬいぐるみだから、あの家に誰もいなくなったから、友達だった女の子が大人になってしまったから、もう自分たちの姿も認識出来なくなってしまったから、自分たちの声も届かなくなってしまったから。
忘れてしまうのだろうか?
その言葉を忘れてしまうのだろうか?
その恩を忘れてしまうのだろうか?
その友情を忘れてしまうのだろうか?
忘れるわけがない!
忘れるわけがないのだ!
小さいからといって想いの強さが小さいわけではない!
ぬいぐるみだからといって恩知らずなわけではない!
忘れるはずがなかった!
お姫様は忘れてなかった!
恋人を助けられた男は忘れてなかった!
お姫様を助けられた国の民は忘れてなかった!
絶対に!絶対にだ!
忘れてなんかいなかった!
いつか恩を返すために!
いつかお礼をするために!
ぬいぐるみの国の住人たちは待っていた!
ずっとずっと待っていた!
あの家から女の子がいなくなって、あの家に誰もいなくなって、それでも、いつか恩を返す日を信じて、いつか恩を返せる日が来ると信じて、ずっとずっと待っていた!
紅葉が瓦礫に埋まってから数時間後。
村で地震で潰れた家は、古いこの家だけだった。
商店街から家に来た紅葉の家族は潰れた家を見て、すぐに助けてを求めて、村の人たちや消防の人たちが協力して瓦礫を取り除いてくれた。
人海戦術で重い瓦礫が次々に取り除かれて、やがて不思議な物が姿を表した。
それはテーブルだった。
古いテーブルが何トンもありそうな瓦礫の重さに耐えて原型を留めていた。
皆で力を合わせてテーブルを掘り出すと、そこには…
「眩しい…」
彼女の第一声は、そんな言葉で、生き埋めになって生きていた紅葉に歓声を上げて喜ぶ人々と泣いて抱きつく家族を安心させた。
そして瓦礫の中に…
「何だコレ?」
作業をしていた人たちが不思議な声を上げた。
駆けつけてくれていた看護師に怪我が無いかチェックされてた紅葉もソレを見た。
それはテーブルを支えていた。
テーブルの脚は、とっくに折れて砕けて、それでもテーブルが紅葉を守っていた理由が、そこにあった。
それは無数の小さなぬいぐるみだった。
数十、いや数百というぬいぐるみがガッチリと腕を組み折り重なってテーブルを支えていた、紅葉が瓦礫に押し潰されないように守っていた。
ぬいぐるみ達は、重さに潰れ、瓦礫に引き裂かれ、綿をまき散らしながらも決して腕を離さないままテーブルを支えていた。
紅葉の眼にソレは映った。
それは花柄の尻尾だった。
他のぬいぐるみ達の尻尾より大きくて立派な花柄の尻尾だった。
紅葉は知っていた、その尻尾を知っていた、その尻尾の持ち主を知っていた。
彼女の名前は、ましろん。
ぬいぐるみの国のお姫様…紅葉の友達…
「ましろん…?」
『ましろんですぅ!』
そんな幻聴が響いても、目の前のボロボロのぬいぐるみは、紅葉に何も語りかけてくれなかった。
紅葉は村の人たちに頼んでぬいぐるみを全て集めてもらった。
何しろ命の恩人たるぬいぐるみだ。
村人たちも心よく協力してくれて、紅葉はボロボロになった、ぬいぐるみ達を自宅に持ち帰った。
そして紅葉は、ぬいぐるみ達を一つ一つ治していった。
プロの業者に頼んだ方が早く綺麗に治せるかも知れないけれど、紅葉は自分で治したかった。
最初に治したのはミドリ色のトカゲ型怪獣ましろん。
ましろんが治れば昔みたいに『ましろんですぅ!』と話しかけてくれると信じていたけれど…ましろんは動く事も話す事も無かった。
次に亀の姿をした、かやのん。
かやのんは隣にいたお嫁さんを守ったのだろう。
酷くボロボロで、治したけれど顔に大きな縫い跡が出来てしまった。
『かやのんは、もっとハンサムにして欲しいのですぅ』
そんな言葉がする事もなくて、紅葉は次のぬいぐるみを治す。
家事の合間に子育ての合間に紅葉は、ぬいぐるみを治した。
次のぬいぐるみを治したら、ましろんは動いてくれるだろうか?一言だけでも話しかけてくれるだろうか?そう願って紅葉は、ぬいぐるみを治した。
そして、最後の一つを治しても…ましろんが動く事も話す事も無かった。
紅葉は、ぬいぐるみ達を使っていない部屋に置いて、ましろんが好きだったキャットフードを供えた。
「ましろん、助けてくれて、ありがとう」
その言葉に返る声は無かった。
「尻尾♪尻尾♪欲しい物は尻尾なんです♪大きく立派な尻尾なんです♪尻尾♪尻尾♪欲しい物は尻尾なんです♪あなたが夢中な尻尾なんです♪」
そんな歌が聞こえる。
朝、紅葉が目を覚ますと幼稚園児の息子が歌っていた。
その歌は…確か…
紅葉は息子に問いかける。
「その歌、どこで覚えたの?!」
息子は笑って答えた。
「ましろんが教えてくれたんだよ」
「えっ?」
紅葉は、ましろん達のいる部屋の扉を開ける。
そこには、空になったキャットフードの皿と一枚の布があるだけだった。
紅葉は布を見た。
それは美しいタペストリーで、ミドリ色のトカゲのようなぬいぐるみと黒い亀のようなぬいぐるみが、可愛い黒いトカゲのような赤ちゃんのぬいぐるみを抱く姿が描かれていた。
息子が言った。
「ましろんなら夜に大きな蛇に乗って帰っていったよ」
「「「尻尾♪尻尾♪欲しい物は尻尾なんです♪大きく立派な尻尾なんです♪尻尾♪尻尾♪欲しい物は尻尾なんです♪あなたが夢中な尻尾なんです♪」」」
ぽこぽことたまたまに乗って、ぬいぐるみの国の住人たちは故郷に帰る。
尻尾の唄を合唱しながら故郷に帰る。
たまたまの上では、お姫様が踊っている。
楽しそうに踊っている。
もう、ましろんと紅葉は話す事も出来ないけれど。
きっと心は通じ合っている。
「ありがとう、ましろん」
「紅葉、お礼を言うのは、ましろんの方ですぅ」
この物語は、小さな小さなぬいぐるみの恩返し。
ぬいぐるみのお姫様の恩返し。
これで、このお話はお終いです。
本作は、ミッドナイトノベルズに公開している『許婚物語』のスピンオフ作品となっておりますがストーリー的な繋がりはありません。
許婚物語の登場人物が書いた絵本のノベライズとして書いた作品となります。
いや許婚物語劇中には『ましろんの贈り物~大きな尻尾のお姫様~』や『ましろんのお友達~ぬいぐるみの国の仲間たち~』なんて絵本もありましたが…。
内容を考えて無かったので書けませんので、あしからず。
それでは作者の次回作でお会い出来ましたら光栄です。
霧宮白涼に愛をこめて。