↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六人の伝説が頭を下げる店  作者: パルパル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/57

第57話 祖父の手紙を読んだだけなのに、六人の伝説が初めて自分たちの過去を疑いました

 写真に写っていた赤ん坊は、誰なのだろう。


 旧礼拝堂の冷たい空気の中、私は何度も写真を見返していた。


 若い頃の祖父。


 見知らぬ女性。


 そして、その腕に抱かれた小さな赤ん坊。


 写真の裏には、祖父の字で、こう書かれていた。


 ――この子だけは、必ず守る。


 たった一文だった。


 けれど、その言葉には、私の知っている祖父とは違う何かが滲んでいる気がした。


「店主」


 《王冠》が、静かに私を呼んだ。


「まずは、手紙を読もう」


「……そうですね」


 私は頷いた。


 外から聞こえていた足音は、いつの間にか止んでいた。


 《黒百合》が入口を確認し、《零》が窓の外へ視線を向けている。


 《葬送》は今にも飛び出しそうな顔をしていたが、《王冠》の視線を受けて、どうにかその場に留まっていた。


 《道化師》は、写真と私の顔を交互に見ている。


 そして、《渡り烏》だけは、先ほどから一言も発していなかった。


 私は便箋を広げた。


 祖父の筆跡だった。


 何度も見たことのある、少し右に傾いた文字。


 店の仕入れ帳にも、レシピの余白にも、私の誕生日にくれたカードにも、同じ文字があった。


 その文字が今、私の知らない人生について語ろうとしている。


 私は息を整え、読み始めた。


 ――透へ。


 ――この手紙をお前が読んでいるということは、私はもう、お前に直接話すことができないのだろう。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 ――まず、謝らせてほしい。


 ――私は、お前に話さなければならないことを、いくつも隠してきた。


 ――お前が生まれた日のこと。


 ――久瀬真一という男のこと。


 ――そして、私が二十年前に選んだことについて。


 私は、そこで一度、文字を追うのを止めた。


「……じいちゃん」


 声が、思ったより小さくなった。


 祖父は、私に何を隠していたのだろう。


 私の出生。


 久瀬真一の死。


 二十年前の事件。


 それぞれが別々の秘密だとは、もう思えなかった。


 私は続きを読んだ。


 ――二十年前、私は一人の男を救うことができなかった。


 ――いや、正確に言えば、私は救うことよりも、別のものを守ることを選んだ。


 《葬送》が、息を呑んだ。


 《王冠》の表情が硬くなる。


 ――その男の名は、久瀬真一。


 ――あの男は、決して弱い人間ではなかった。自分の命を惜しまなかったという意味ではなく、自分が失うものの大きさを理解したうえで、それでも前へ進める人間だった。


 ――だからこそ、私はあいつを止めることができなかった。


 私は便箋を持つ手に力を込めた。


 ――あの日、久瀬はある事実を知った。


 ――その事実が世に出れば、灰都の裏社会だけでは済まなかった。表の世界にまで影響が及び、何も知らない人間たちが大勢巻き込まれることになる。


 ――久瀬は、それを公にしようとした。


 ――六人は、久瀬を止めようとした。


 その一文を読んだ瞬間、礼拝堂の空気が変わった。


「……待て」


 《王冠》が低く呟いた。


「俺たちは、久瀬を止めようとしたんじゃない」


 その声には、怒りよりも戸惑いがあった。


「久瀬が危険な場所へ向かったから、連れ戻そうとしたんだ」


 《葬送》が続けた。


「そうだ。俺たちは、あいつを殺すつもりなんかなかった」


「分かっています」


 私は思わず口を挟んだ。


「おじいちゃんの手紙は、皆さんが久瀬さんを殺そうとしたとは書いていません」


「……ああ」


 《王冠》は、短く答えた。


 私は続きを読んだ。


 ――六人は、久瀬を信じていた。


 ――だが、同時に、久瀬が見ていたものを知らなかった。


 ――久瀬は仲間を守るために、すべてを話さなかった。


 ――六人は久瀬を守るために、彼の言葉を最後まで聞かなかった。


 ――そして私は、その両方を知りながら、何も言わなかった。


 便箋の上に、沈黙が落ちた。


 もちろん、紙の上に沈黙が落ちるわけではない。


 けれど、そのときの私は、確かにそう感じた。


 誰も何も言わなかった。


 伝説と呼ばれる六人でさえ、祖父の言葉を前にして、ただ立ち尽くしていた。


 ――私が守ろうとしたものは、一つではなかった。


 ――久瀬の命。


 ――六人の未来。


 ――そして、まだ何も知らない一人の子供。


 私は、顔を上げた。


 写真の赤ん坊。


 私の出生について記録が残されているという、あの男の言葉。


 頭の中で、いくつもの点がつながり始めていた。


 しかし、つながった先に何があるのかは、まだ分からなかった。


 ――透。


 ――お前がこの手紙を読んでいるなら、私は一つだけ頼みたいことがある。


 ――私を、善人だったと思わなくていい。


 ――私を、悪人だったと思わなくてもいい。


 ――ただ、私が何を選び、何を失い、何を守ろうとしたのかを知ってほしい。


 ――そして、そのうえで、お前自身の答えを出してほしい。


 私は目を閉じた。


 祖父らしい言葉だった。


 何かを押しつけるのではなく、最後の判断を私に委ねる。


 昔からそういう人だった。


 私が失敗したときも、すぐに答えを教えてはくれなかった。


 どうして失敗したのか。


 次にどうすればいいのか。


 自分で考える時間をくれた。


 そのたびに、私は少しだけ腹を立てていた。


 今になって、その理由が分かった気がした。


 祖父は、私に考えることを覚えてほしかったのだ。


 ――最後に、一つだけ。


 ――お前が生まれたとき、私は約束をした。


 ――この子には、選ぶ自由を残す。


 ――誰かの罪を背負わせない。


 ――誰かの正義を押しつけない。


 ――そして、誰かの復讐のために生きさせない。


 私は、便箋を握りしめた。


 ――透。


 ――お前は、私の大切な孫だ。


 ――それだけは、どんな過去があろうと変わらない。


 ――お前が誰の血を引いていようと。


 ――誰が、お前を守ろうとしていたのだとしても。


 ――お前が、お前であることに変わりはない。


 最後の一文を読み終えたとき、私はしばらく顔を上げられなかった。


 涙が出たわけではない。


 ただ、胸の奥に、重たいものが沈んでいた。


 祖父は私を守ってくれていた。


 それは間違いないのだろう。


 けれど、守るために隠したことが、私を苦しめる日が来ることも、祖父は分かっていたはずだ。


 それでも、祖父は何も話さなかった。


 何も話さず、私が自分の足でここへ来る日を待っていた。


「……店主」


 《渡り烏》が、ようやく口を開いた。


「その手紙を、少し見せてもらえるか」


「はい」


 私は便箋を差し出した。


 老人は、最初から最後まで、ゆっくりと目を通した。


 読み終えたとき、その指先が微かに震えていた。


「……そうか」


 その声は、ひどくかすれていた。


「あなたは、何か知っているんですね」


 私が尋ねると、《渡り烏》はすぐには答えなかった。


 やがて、老人は写真を取り上げた。


 若い祖父。


 見知らぬ女性。


 赤ん坊。


「この女性を、私は知っている」


「本当ですか?」


「ああ」


 老人は目を閉じた。


「二十年前、我々が探していた人物の一人だ」


 《黒百合》が鋭く顔を上げた。


「何だと?」


「名前は、まだ断言できない。だが、間違いない。この女性は、我々が追っていた事件の関係者だ」


「では、この赤ん坊は……」


 《道化師》が、慎重に言葉を選んだ。


「久瀬真一の子供、という可能性は?」


 誰も答えなかった。


 私は写真を見つめた。


 赤ん坊の顔は、小さすぎて分からない。


 この子が誰なのか。


 女性が誰なのか。


 祖父がなぜ、この子を守ろうとしたのか。


 そして、なぜ私の出生について記録が残されているのか。


 まだ、何一つ確かなことはなかった。


「一つ、確認してもいいですか」


 私は《渡り烏》を見た。


「皆さんは、二十年前の事件で、久瀬さん以外にも誰かを探していたんですか?」


 老人は、ゆっくりと頷いた。


「いた」


「誰ですか?」


「……あの女性だ」


 その瞬間、《零》が入口の方を向いた。


「来ます」


 全員が、一斉に振り返った。


 今度は、足音がはっきりと聞こえた。


 一人ではない。


 複数の人間が、こちらへ向かっている。


 《黒百合》が入口へ向かい、《葬送》がその後ろについた。


 《道化師》は窓の外を確認し、《王冠》は私の前に立った。


 しかし、《渡り烏》だけは動かなかった。


 老人は写真を見つめたまま、呟いた。


「……生きていたのか」


「誰がですか?」


 私が尋ねた、そのときだった。


 礼拝堂の入口から、女の声が響いた。


「久しぶりね」


 全員が動きを止めた。


「二十年も経てば、あなたたちも少しは賢くなったと思っていたのだけれど」


 黒いコートを着た女が、ゆっくりと姿を現した。


 その顔を見た瞬間、《渡り烏》の表情が凍りついた。


「……なぜ、あなたが」


 女は老人を見て、薄く笑った。


「その質問を、今さら私にするの?」


 そして、女の視線が私に向いた。


 初対面のはずだった。


 なのに、彼女は私の顔を見ると、まるで懐かしいものを見つけたように目を細めた。


「あなたが、朝霧透くんね」


「……はい」


「そう」


 女は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「大きくなったわね」


 その言葉に、私は息を止めた。


 初対面の相手が、どうしてそんなことを言うのだろう。


 女は一歩、こちらへ近づいた。


 《王冠》が、すぐに私を庇うように立ちはだかる。


 しかし、女は六人を見ても、まったく怯まなかった。


「安心して。今日は戦いに来たんじゃないわ」


「ならば、何をしに来た」


 《王冠》が問う。


 女は答える代わりに、私の手元にある写真を指差した。


「その写真を、誰から受け取ったの?」


「祖父からです」


「そう……」


 女は目を伏せた。


「やっぱり、あの人は最後まで約束を守ったのね」


 そして、再び私を見た。


「透くん。あなたには、知る権利がある」


 彼女は、はっきりと言った。


「あなたのお母さんが、誰だったのかを」


 頭の中が、真っ白になった。


 母。


 私の母について、祖父はほとんど何も話してくれなかった。


 幼い頃に尋ねたことはある。


 そのたびに祖父は、少し困ったように笑い、「いつか話すよ」と答えた。


 その「いつか」は、一度も来なかった。


「……あなたは、母を知っているんですか?」


「ええ」


 女は頷いた。


「よく知っているわ」


 そして、彼女は続けた。


「私は、あなたのお母さんを助けられなかった」


 《葬送》が、顔を強張らせた。


 《黒百合》は目を細め、《道化師》は息を呑んだ。


 《零》は、何も言わずに女を見つめていた。


 そして、《王冠》だけが、静かに尋ねた。


「……あなたは、二十年前の事件に関わっているのか」


 女は、ゆっくりと頷いた。


「ええ。最初から、最後まで」


 彼女は一度、目を閉じた。


「そして、あなたたち六人が、久瀬真一を失った理由も知っている」


 礼拝堂に、再び沈黙が落ちた。


 女は私を見つめたまま、最後にこう告げた。


「ただし、真実を知れば、あなたはきっと後悔する」


 私は、写真を握りしめた。


 もう、逃げるつもりはなかった。


「それでも、教えてください」


 女は、少しだけ悲しそうに笑った。


「……分かったわ」


 そして、彼女は二十年前の真実を語り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。