第25話 店主が「年齢が分からないなら、ろうそくは好きな本数でいいんじゃないですか」と言った結果、灰都の裏社会で年齢非公開型バースデーケーキが開発されました
誕生日というものは、祝う側にとっては楽しい行事である。
少なくとも、朝霧透はそう思っていた。
ケーキを用意して、ろうそくを立てて、火をつける。みんなで歌を歌い、主役が願い事をして、最後に吹き消す。
単純で、温かくて、少しだけ照れくさい。
ところが、灰都の裏社会において、その単純な行事を実施することは、国際的な情報漏洩事件よりも難しい問題になりつつあった。
「……店主」
店のカウンターで、王冠が慎重な声を出した。
「誕生日ケーキのろうそくについて、確認したいことがある」
「はい。何ですか?」
「年齢が分からない場合、何本立てるべきだろうか」
透は、コーヒーカップを拭く手を止めた。
「年齢が分からない?」
「そうだ」
「ええと……」
透は少し考えた。
その向かいでは、黒百合が腕を組んでいる。道化師は既にノートを開いていた。葬送はなぜか真剣な顔でケーキの写真を眺め、渡り烏は遠い目をしている。
零はカウンターの端で、いつもどおり静かに手伝っていた。
鷹宮宗一郎に至っては、普段の商談でさえ見せないほどの緊張感を漂わせていた。
透は、その顔ぶれを見て首を傾げた。
「別に、好きな本数でいいんじゃないですか?」
沈黙が落ちた。
王冠の指が止まった。
道化師のペン先が紙に触れたまま動かなくなった。
黒百合が、ゆっくりと顔を上げた。
「……好きな本数?」
「はい。年齢を表す必要なんてないでしょう? ケーキにろうそくを立てて、みんなでお祝いできれば十分ですし」
「年齢を表す必要がない……」
道化師が、震える声で呟いた。
「つまり、祝福と個人情報を切り離すということか」
「えっ?」
「誕生日を祝うために、年齢を開示する必要はない。過去を説明する義務もない。祝われる資格を証明する必要すらない……!」
「いや、そこまで難しく考えなくても」
「難しく考えないこと自体が、今回の本質なのでは?」
「ええ……?」
透は困った。
どうやら、また何かを深く考えさせてしまったらしい。
ただ、今回ばかりは本当に、何も考えていなかった。
*
問題は、彼らの中に「正確な年齢を明かせない人間」が少なからず存在していたことだった。
もちろん、王冠や黒百合たちの本当の年齢を知らない者は、灰都の裏社会にはほとんどいない。
ただし、それは本人が公表しているからではない。
王冠の年齢は複数の公的記録に食い違いがあり、黒百合の出生記録は過去の事件によって一部が失われている。葬送は長年、年齢を聞かれるたびに「戦場に出た頃から数えるのをやめた」と答えてきた。
道化師は記録上の年齢なら正確に答えられるが、そもそも本人が自分の誕生日を覚えていない。
渡り烏に至っては、年齢を聞かれると「君が私を何歳だと思いたいかによる」と笑って逃げる。
そして零は、自分の本当の誕生日も年齢も知らなかった。
本人が望んで調べていないのか、調べても分からないのか。
その違いさえ、零自身にもまだ分からない。
「年齢を知られたくない人間はいる」
黒百合が静かに言った。
「知られたくないというより、知られたくない理由を説明したくない人間もいるわ」
「うむ」
王冠は頷いた。
「年齢を明かせば、過去の経歴や出生記録に繋がる場合もある。祝賀会のために、その危険を冒す必要はない」
「では、年齢を確認できる者だけが通常のろうそくを使い、確認できない者には別の形式を用意するべきでは?」
道化師が提案した。
「別の形式?」
透が聞き返す。
「年齢確認済みの者には年齢と同じ本数。確認できない者には、年齢を示さない専用のろうそくを用意する」
「……それだと、専用のろうそくを使った人は、年齢が分からないってことになりませんか?」
道化師が固まった。
黒百合が目を細めた。
王冠は天井を見上げた。
「確かに、識別可能性が残る」
「なら、全員を同じ形式にすればいい」
渡り烏が言った。
「年齢が分かる者も分からない者も、同じように好きな本数を立てる。誰のケーキか、ろうそくの数からは何も判断できない」
「それが最も安全だな」
王冠が即座に同意した。
道化師は、ノートに大きく書き込んだ。
――年齢情報をろうそく本数から推測することを防止する統一方式。
「えっと……」
透は遠慮がちに手を上げた。
「普通に、三本でも五本でも十本でもいいって話なんですけど」
「店主」
王冠が真剣な目で透を見た。
「その自由を全員に適用するということだろう」
「……まあ、そうですね」
「理解した」
何を理解したのかは、透には分からなかった。
*
その日の午後、CAFE 灯には奇妙な荷物が届いた。
大きな箱が三つ。
中身は、ろうそくだった。
赤、青、白、金色。星形、花形、細長いもの、短いもの。数字の形をしたろうそくまで入っている。
しかも、それぞれに分類表が添付されていた。
「……これは?」
透が尋ねると、王冠が答えた。
「年齢を推測されないための試作品だ」
「ろうそくですよね?」
「ただのろうそくではない」
「ただのろうそくだと思いますけど……」
「色によって年齢を推測される危険性を排除するため、色彩は無作為に選定した。形状による推測を避けるため、複数の種類を混在させている」
「混在……」
「また、数字型のろうそくは年齢と誤認される可能性があるため、使用者の判断に委ねる」
透は箱を覗き込んだ。
色とりどりのろうそくが、ぎっしり詰まっている。
「……これ、全部買ったんですか?」
「必要経費だ」
「いくらしたんです?」
「問題ない」
「いや、問題あるでしょう。ろうそくって、そんなに大量に使わないですよ」
王冠が黙った。
その沈黙を、道化師が補った。
「店主の言葉を受け、各組織が独自に調達を開始した結果だ。現在、灰都の主要な菓子店でろうそくの在庫が減少している」
「なんで!?」
透は思わず声を上げた。
たかが誕生日のろうそくで、なぜ灰都の菓子店が困ることになるのか。
しかし、道化師は淡々と続けた。
「なお、年齢を知られずに誕生日を祝うための新方式は、既に情報管理連絡会の議題に上がっている」
「議題にしないでください!」
透の悲痛な叫びは、誰にも届かなかった。
*
その日の夕方。
零は、カウンターの隅で小さな紙袋を握っていた。
中には、数字の書かれていない白いろうそくが三本入っている。
透が気づいた。
「零さん、それどうしたんですか?」
「……買った」
「ろうそく?」
「うん」
零は少しだけ視線を落とした。
「……私の誕生日を、いつか祝うなら。何本にするか、まだ決められないから」
「ああ」
透は頷いた。
零は、ろうそくを袋から出した。
「一本でもいいのか、三本でもいいのか。何本にしたら、正しいのか分からなくて」
「正しい本数なんてないですよ」
透は、いつもの調子で答えた。
「零さんがいいと思う本数でいいんです」
「……私が?」
「はい。誕生日は、誰かに年齢を証明する日じゃないですから。零さんが、今日は祝ってほしいなって思ったら、その日にケーキを用意すればいいんです」
零は白いろうそくを見つめた。
「……本当の誕生日が分からなくても?」
「もちろん」
「……生まれた日が分からなくても?」
「それでも、零さんがここに来てくれた日はありますよ」
透は、カウンターの上に置かれた小さな紙袋を見た。
「前に話してくれたでしょう。いつか、初めてこの店に来た日を誕生日にしてもいいかなって」
「……うん」
「その日がいいと思ったら、その日でいいんです。やっぱり別の日がいいと思ったら、変えてもいいですし」
零は、すぐには答えなかった。
彼女にとって、日付は記録だった。
記録は管理されるものだった。
管理されるものは、誰かに決められるものだった。
いつ、どこで生まれたのか。
誰の命令で動き、何を失い、何を成し遂げたのか。
そうしたものを記録され、分類され、必要に応じて呼び出されることに、彼女は慣れすぎていた。
だから、自分で日付を選んでいいと言われても、すぐには分からない。
選ぶことが、こんなにも難しいとは思わなかった。
「……決めなくても、いい?」
「いいですよ」
「……まだ、分からないから」
「分かってからで大丈夫です」
透は笑った。
「急いで決めることでもないですしね」
零は、白いろうそくを紙袋に戻した。
そして、小さく頷いた。
「……ありがとう」
「いえいえ」
透は、そのまま厨房に戻ろうとした。
だが、数歩進んだところで振り返った。
「あ、そうだ。零さん」
「……なに?」
「誕生日を決めたら、教えてくださいね。ケーキを作りますから」
零は、ほんの少しだけ目を見開いた。
「……いいの?」
「もちろん。うちのアルバイトさんですから」
それは、以前にも聞いた言葉だった。
失敗しても、ここにいていい。
分からないことがあっても、ここにいていい。
そして、まだ決められないことがあっても、ここにいていい。
零は、紙袋を両手でそっと抱えた。
「……うん」
その返事は、いつもより少しだけ柔らかかった。
*
一方、灰都情報管理連絡会では、深刻な議論が続いていた。
「報告します。年齢を開示せずに誕生日を祝う方式が、複数の勢力で採用され始めています」
「方式とは?」
「数字型ろうそくを使用せず、任意の本数で祝う方式です」
「……それだけか?」
「はい」
報告を受けた責任者は、眉間を押さえた。
「なぜ、それが重大案件として上がってきた」
「複数の勢力が同時に採用したため、何らかの統一方針が存在する可能性があると」
「誰が判断した」
「私です」
「……そうか」
責任者は深く息を吐いた。
彼もまた、長年この仕事を続けてきた人間だった。
情報を集め、分析し、意味を読み取り、危険を予測する。
それが仕事だ。
しかし、最近は何もかもが難しい。
CAFE 灯の店主が「無理しないで」と言えば、組織の勤務体系が見直される。
「失敗してもいい」と言えば、責任追及の手順が改められる。
「好きなものを入れればいい」と言えば、複数勢力が共同炊事を始める。
そして今度は、「好きな本数でいい」と言っただけで、ろうそくの流通に影響が出ている。
「……店主は、何を目指しているんだ」
誰も答えなかった。
答えられる者がいなかった。
なぜなら、当の本人は今、厨房でスポンジケーキを焼きながら、明日の仕込みに使う生クリームの量を考えていたからである。
灰都の裏社会の未来など、微塵も考えていなかった。
*
数日後。
CAFE 灯のテーブルには、試作の誕生日ケーキが並んでいた。
王冠が手配した材料を使い、透が焼いたものだ。
ケーキの上には、白いろうそくが一本。隣には、青い星形のろうそくが三本。そして、金色の細いろうそくが五本。
統一性は、まったくなかった。
「……これは、何を基準に選んだんですか?」
透が尋ねると、葬送が答えた。
「好きな本数でいいと言われたから、好きな本数を持ってきた」
「それぞれの本数に意味は?」
「ない」
「色にも?」
「ない」
「……そうですか」
透は少し安心した。
ようやく、普通の話に戻ってきた気がした。
ところが、道化師が手を挙げた。
「ただし、一本だけのろうそくは『人生の始まり』、三本は『過去・現在・未来』、五本は『五つの選択肢』を象徴すると解釈される可能性がある」
「誰が解釈するんですか!?」
「情報を求める者なら誰でも」
「求めないでください、そんな情報!」
渡り烏が笑った。
「まあ、いいじゃないか。意味がないものに、他人が勝手な意味をつけることはできる。だが、それで本人の気持ちが変わるわけでもない」
「……そうですね」
透は頷いた。
そして、ケーキの上のろうそくを一本だけ残し、残りを箱に戻した。
「じゃあ、今日は一本にしましょうか」
「理由を聞いても?」
王冠が尋ねた。
「一番、火をつけやすいので」
沈黙。
道化師が、ゆっくりとノートを閉じた。
「……合理的だ」
「えっ、そうですか?」
「本数を減らすことで、点火の手間と消火時の負担を軽減している。さらに、年齢推測の材料も最小化される」
「いや、火をつけるのが楽だからですって」
黒百合は、とうとう吹き出した。
葬送が肩を震わせ、渡り烏は声を上げて笑った。
鷹宮も口元を押さえている。
王冠だけが、真剣に頷いていた。
「……採用しよう」
「何をですか!?」
「一本方式だ」
「方式にしないでください!」
笑い声が、店内に広がった。
その声を聞きながら、零はケーキを見つめていた。
一本のろうそく。
年齢を表すものでも、過去を説明するものでもない。
ただ、そこに火を灯すための一本。
いつか自分の誕生日を決めたとき、何本立てるのかはまだ分からない。
一本かもしれない。
三本かもしれない。
あるいは、今日みたいに、みんなで笑いながら決めるのかもしれない。
それでいいのだと思えた。
「……店主」
「はい?」
「私の誕生日、決まったら……ろうそく、一本でもいい?」
「もちろんです」
「……十本でも?」
「もちろん」
「……百本でも?」
透は、さすがに考えた。
「百本は、ケーキに乗りきらないかもしれませんね」
「……そう」
「でも、大きなケーキを作れば何とかなるかな」
零は、目を伏せたまま微笑んだ。
「……じゃあ、考えておく」
「はい。楽しみにしてますね」
透にとって、それは何気ない約束だった。
いつか、零が自分の誕生日を決めたら、ケーキを作る。
それだけのことだ。
けれど、零にとっては違った。
まだ知らない過去を、無理に探さなくてもいい。
今すぐ答えを出さなくてもいい。
それでも、いつか自分で決めた日を、誰かが一緒に祝ってくれる。
その未来が、ここにはある。
零は、白いろうそくを一本、そっと手に取った。
火はまだついていない。
けれど、それを灯す日が来ることを、少しだけ楽しみに思えた。
*
その夜。
灰都情報管理連絡会の内部文書に、新たな項目が追加された。
《CAFE 灯関連観測事項:誕生日における年齢情報の非公開化》
添付資料には、各勢力が提出したろうそくの種類、調達数、保管場所、使用予定が記載されていた。
末尾には、責任者の手書きによる追記があった。
――年齢の把握は必要だが、祝賀に際して本人の開示を強制する必要があるかは再検討すること。
さらに、その下には、誰が書いたのか分からない一文があった。
――そもそも、誕生日を祝うのに年齢は必要なのか。
責任者はしばらく、その文章を見つめていた。
そして、資料を閉じた。
「……今日は、もう帰るか」
部下が驚いた顔をした。
「よろしいのですか? まだ報告書が」
「明日でいい」
「しかし……」
「誕生日を祝うのに、年齢を確認する必要はないのだろう?」
「……はい?」
「いや、何でもない」
責任者は立ち上がった。
長年、仕事のために自分の誕生日を忘れていた。
祝われることも、祝うことも、いつしか面倒なものになっていた。
だが、帰り道に小さな菓子店を見つけたとき、ふと足が止まった。
ショーケースの中に、ひとつだけ残った小さなケーキがあった。
彼は少し迷い、店員に尋ねた。
「……ろうそくは、一本つけてもらえますか」
「はい。お誕生日ですか?」
責任者は、すぐには答えられなかった。
誕生日が近いわけではない。
正確には、今日が自分にとって何の日なのか、よく分からなかった。
それでも。
「……まあ、そんなところです」
そう答えて、ケーキを受け取った。
家に帰り、火を灯す。
願い事は、思いつかなかった。
だから、ただ火を見つめた。
それから、静かに吹き消した。
誰かに報告する必要はなかった。
意味を説明する必要もなかった。
その日が何の日だったのか、正確に定義する必要すらなかった。
ただ、少しだけ心が軽かった。
*
翌朝。
透は厨房で、次のケーキの試作を始めていた。
「誕生日の次は、何がいいかな……」
黒百合がコーヒーを飲みながら尋ねた。
「何か考えているの?」
「いえ、特には。せっかくなら、みんなで楽しめることがいいなと思って」
「……そう」
黒百合は、少しだけ笑った。
この店では、誰かが何かを提案するたびに、裏社会が騒ぎ出す。
けれど最近は、その騒ぎの中に、ほんの少しずつ別のものが混じるようになっていた。
誰かが休むこと。
誰かが失敗すること。
誰かが好きなものを選ぶこと。
誰かが、自分の知らない過去を語らずにいられること。
そして、誰かが自分の未来を、自分で決めること。
そういうものを、許してもいいのだと思える人間が増えていた。
透は、焼き上がったスポンジを取り出し、満足そうに頷いた。
「今度は、みんなでケーキを作るのも楽しそうですね」
王冠が、ゆっくりと顔を上げた。
道化師が、無言でノートを取り出した。
葬送は、腕まくりを始めた。
渡り烏は、何かを察したように窓の外を見た。
鷹宮は、すぐさま予定表を確認した。
零だけが、少し嬉しそうに言った。
「……私も、作ってみたい」
「いいですね。失敗しても大丈夫ですから」
透は笑った。
その瞬間、道化師のノートに新しい項目が追加された。
――誕生日ケーキ製造工程における、年齢非公開型祝賀文化の発展的応用。
灰都の裏社会は、まだ知らない。
次に始まるのが、ろうそくの本数を巡る議論よりもはるかに深刻な、生クリームの硬さとデコレーションの自由を巡る大論争であることを。
そして、その中心にいる男は今日もただ、
「ケーキって、みんなで作ると楽しいですよね」
と、何の気なしに言うだけなのだった。




