【1】葉 その1
明日ありと
思う心の仇桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは
―――親鸞上人
桜の傘
遠山心桜という人物を、どう表現すればいいのかを俺は知らない。
どんな言葉でも足りないと感じるし、どんな言葉も似合わないと思うからだ。
”優しい”
と言えばそうなんだろう。
自分の家族はもちろんのこと、運営している施設を出て行った子どもたち、果ては会社の人たちにまで心を砕いていて、そのすべての人たちから愛されている。まあ、本人が愛されていると思っているのかはわからない。見返りを求めていたら気になるんだろうが、自分がしたいと思ってしたことが、誰かの嫌なことでなければいいらしい。相手が良いと思うことだったらラッキーと言っていた。
”きれい”
も確かにそうなんだろう。一般人とは思えない整った顔には、大きくて丸い目、筋の通った鼻に、いつも微笑みをたたえている薄ピンクの唇、雪のように白い肌にはシミひとつない。CMに出そうな黒くて腰まである長い髪は、いつもサラサラとして歩くたびに揺れる。
”強い”
もそうだろう。相手が誰であれ言いたいことは言うし、自分が傷ついてでも守りたいものは必ず守る。自分の大切なものや人が傷けられたら絶対に許さない怖さを持っているとも言えるかもしれない。
遠山心桜という人と俺が出会ったのは、真夏の、小さな山の中だった。古い小さな寺の裏山で、地元の人しか私有地だとは知らない、夏でもうっすら寒い木々の生い茂った山。その山の頂上に『遠山家之墓』と彫られた縦型で楕円の墓石がある。簡素に見えるその墓の周りには季節ごとに様々な野花や野草が咲き誇る。小さな山には小さな川も流れていて、寺の井戸に通じているらしい。小さいと言っても標高は100m以上あるその山の川の中腹、自然に折れたりした木々の上に、俺は引っかかっていた、らしい。意識もないまま体を半分に折ったようにして、まさに言葉通り木に引っかかっていた俺は、泥まみれの服で、片方だけ履いた靴、体中に打撲と擦り傷があり、鼻骨、右肩、肋骨、右膝、両足首を骨折していて、頭からはほとんど乾いていたが血を流していたらしい。
なぜ、あちこち「らしい」なのかと言えば、頭から血を流して意識不明だったわけなので、当然その見つかった時の記憶はなく、更に、頭部の衝撃のせいで意識を取り戻してからも記憶がさっぱり戻っていないのだ。自分に関することだけすっぱりと、今もなお。こんなマンガみたいなことが自分に起こるなんて、まさに『事実は小説より奇なり』だなと笑ってしまう。見つかった時の状況は、全部落ち着いてから人に聞いた話だ。
自分でもびっくりする。俺、何したの? 何したらこんな状況で他人様の裏山で見つかるわけ? と自分に問いかける。当然、何も覚えていないわけだから答えは返ってこない。笑える話なのに、笑えない。
記憶がないと言っても、自分に関わること以外の、青信号は渡ってOKとか、一般常識は覚えていた。だからわかる。遠山心桜という人はおかしいのだ。わかりづらいとは言え私有地の山で、どう見ても”ワケアリ”な状態で、死んでそうで死んでなかったような奴を、つまり俺を、たまたま墓参りに来たら見つけたからってすぐに救助して、いや、これはまだいい。病院に運ぶまでもいい、とっても良識のある一般市民の行動と言っていいだろう。お陰様で生きています。
問題なのはその先だ。入院費を支払う、手術代も支払う、毎日欠かさず見舞いに来る、それも、意識が戻る前からずっと、だ。そして意識が戻ってから、記憶喪失で、どこの誰ともわからないということが正式にわかった後だって、変わらずに毎日見舞いに来ては、なんてことない会話をしたり、足りないものはないかなんて聞いてくる。
怪しくて面倒極まりない赤の他人に対して、当たり前に寄り添える人。
それが、遠山心桜という人だ。
* * *
”葉”という名前をもらったのは、俺が目を覚ましてしばらくたった、夏の終わりかけのくせにまだまだ暑い、ある日のことだった。エアコンが効いている病室に、窓から夏の名残陽が沁みてくる。太陽の熱さを背に受けながら、心桜は長い黒髪を手でまとめてポニーテールをつくろうとしていた。
「”よう”はどうかと思ってるんだけど」
自分に言われていると思わなかった俺は、心桜のその言葉を初めは聞き流していた。
「遠山葉。葉は葉っぱの葉で、ようって読むんだけど、どう?」
結いあげたポニーテールがするんと揺れる。
「……何が?」
「名前。ずっとなかったでしょう?」
ベッドに肘をついて、横になっている俺の顔を覗き込む。大きくて黒い瞳に、俺の戸惑いしかない顔が不安げに映っている。
「……気に入らない? 何日かかけて結構考えたんだけど…」
「いや、そうじゃなくて…」
心桜が不安げな顔から首を傾げてまた尋ねる。
「じゃあ、葉でいい?」
「いいとか悪いとかじゃないだろ…その…」
「お父が、うちの子にしようかって。葉が嫌じゃなかったら」
人の話を全く聞いていないように心桜はそう言って、俺の目にかかった前髪を優しく撫でて流した。明るくなった視界の先で、心桜が笑っている。俺は返す言葉に詰まる。
「しよう、ってなんか偉そうな言い方だけど。思い出すまで何もないのは怖いじゃない? せめて、あげられるものはあげたくて。って言っても、名前と家だけだけど。もちろんっ……嫌じゃなかったら、だけど」
自分のことは何一つ覚えていない俺でも、有難いことに一般常識みたいなことは覚えていた。だから、心桜が、心桜たちがとんでもないことを言っているのはよくわかる。よーくわかるから、自分の気持ちは置いておいて、言わないといけないことは決まっていた。
「だめ、だろ。俺みたいな奴を、形式だけでも、家族にしたら」
心桜がまた首を傾げる。俺はまだうまく動かせない首をゆっくり横に振る。ダメだろ、ともう一度伝えるために。
「その言い方だと、だめかどうかを決めるのは、私たちじゃない? 葉が嫌ならこのお話はおしまい。でも…名前だけはもらってくれない? 葉と桜で、2人そろって葉桜ってなるのがお気に入りなの」
ふにゃと、とろけるように笑う。白い肌に薄いピンク色が差す。
そうやって笑われたら、降参だ。俺は上がらない両手を上げて、すくまない首をすくめる。
「……後悔しても知らないからな」
絞り出した言葉に、心桜はまたふにゃふにゃと笑う。
「しないよー」
心桜の細長い白い指が、また髪に触れる。向かい合うようにベッドに頭を乗せて見つめてくる。
俺は、この人をどういう人だと言ったらいいのかわからない。どの言葉も合わなくて、どの言葉も足りない。
「葉も弟なのかな。お兄ちゃんだったらおもしろいな」
「……おもしろいって、なんだよ…」
髪に触れていた手が、そのまま優しく頭を撫でる。心地よくて目を閉じる。初めて心桜と話した時もそうだった。当たり前に俺に触れてきたのだ。この、遠山心桜という人は。
* * *
少し時を戻そう。
遠山心桜という人に会ったと、俺が認識する時に。
心桜たちが俺を見つけてから3日経って、俺はようやく意識を取り戻した。大人たちが俺を囲んで難しい顔をしている。それが目を覚ました時の最初の記憶だ。意識不明・身元不明の割に、ちゃんと個室の病室をあてがわれていた。後から聞くと、個人の山を持っているだけあって、遠山という家は地元でも有名な家らしい。色んな意味で。(これは後から嫌というほど知ることとなる)
俺を囲んでいた大人は、ガタイのいい男が2人。そして華奢な女の子が1人。俺が目を覚ましたことに気付いて、3人が俺の顔を覗き込んできた。ガタイのいい男の内1人は多分医者だと思う。白衣を着ているから。もう1人はヤクザみたいな雰囲気が漂っている。多分黒っぽいスーツを着ている。パッとヤクザなんて言葉が出てくるということは、俺はヤクザに見覚えでもあるのだろう。そういうマンガとか、ドラマとかが好きだったのかもしれない。ただ、医者もヤクザもどっちも顔が怖い。白衣さえ着ていなかったら、どっちもヤクザで俺を殺そうとしていると言われても信じたかもしれない。そして、華奢な女の子が1人。制服かな、セーラー服を着ているように見える。この中の誰に「ここは?」みたいなことを聞こうと思ったら、そりゃ女の子一択だろ。だって、唯一見た目が怖くないんだから。
「こんにちは。私はね、遠山心桜っていうの。遠い山に、心に桜って書いて、遠山心桜。あなたは?」
俺が何かを言う前に、心桜はそう言ってしゃがみ込んで、ベッドに寝て体を全く動かせない俺と目線を合わせた。何か言わなきゃ、と思って口を開こうとした瞬間、体中がミシミシと音を立てたような気がした。いや、本当にミシミシと言っていたのかもしれない。肺を抑えつけられて、息を無理やり止められたようだった。驚いたように目の前の女の子の目がくりりと大きく開かれ、不安げに揺れる。怖い医者の男が、俺の体をぐっと押さえつけた。
こ わ い
パッと頭に浮かんだ言葉を認識する前に、体が”逃げろ”とめちゃくちゃに動こうとする。バカな俺だ。息をするだけでミシミシ言う体が動くわけないのに。当たり前のように、痛いだけで何も起きていないのが分かる。だと言うのに、怖い顔の医者の男は顔を真っ赤にして俺を押さえつけている。そんなことしてもしなくても、俺は動けない。動けないってわかっているのに、勝手に体は逃げようともがいてしまう。医者の男が何か言っているようなのに、耳に言葉として入ってこない。怒鳴っているのか、もしかしてそうじゃなくて助けてくれようとしているのかもしれない。医者だし。でも、俺を見下ろす目が、怖いのだ。大きな体の男の人の目だと言うだけで、勝手に怖いと思ってしまうのだ。勝手にそうなるんだから、俺にだってどうしようもない。痛いんだから止めたいのに、止まらない。俺も、この怖い顔の医者も。
「待って!」
ふいに高い声が耳に入る。さっきの女の子の声だとわかる。
「急に声かけて、驚いたよね、ごめんね。大丈夫。だいじょうぶ、だいじょうぶ。こわくないからね」
幼子に話しかけるような声に、力が抜けていくのが分かる。自分の息の音がやけにうるさいことに気付いた。そう言えば、息がうまくできないと思っていたんだった。怖い医者のおじさんを遮るように、細い腕が俺の頭を抱える。怖いはずの誰かの手が、言われた通りこわくないような気がしてくる。耳から伝わってくる声が、ふわふわと全身に流れていって、大丈夫の空気が包んでいってくれるような感覚になる。自分の息の音もだんだん遠くにいって、ようやく当たり前に呼吸ができると感じた。
「大丈夫だよ、怖くないよ。もう、怖いことなんてないからね」
いや、今さっき怖かったけど。心の中でボヤいてみながら、でも、そんなことないみたいな気持ちになってくる。細くて長い指が、前髪を整えるように撫でる。触れられた場所から、あったかいものがスルスルと広がっていく気がした。視界がふんわりぼやけたり、はっきり見えたりを繰り返す。
「お前の顔が怖くてビビったんじゃねーか」
1人、まだ口を開いていなかった怖い顔のヤクザ男が、顔に似合いの低くて怖い声で投げ捨てるように言った。煙草の似合う、カサカサとした低くて怖い声だった。
「お前には言われたくない」
怖い医者の男が返す。確かに、と俺も頭の中で思う。悪いがどっちの顔も怖い、いい勝負だ。
「甲斐田のおじさん、ごめんね」
女の子が唯一怖くない声で話し出す。自然とホッとするのが分かる。少し気が抜けて、ようやく女の子が俺の視界を遮るように細い腕で俺の頭を抱えているのが分かった。抱えていると言っても、力はほとんど入っていない。触れられているのが分かる程度だ。
「心桜ちゃん、鼻折れてるから頭もだけど顔は触らないようにしてね」
さっき名乗った名前を呼ばれた女の子は、ゆっくり腕をほどく。部屋が薄暗いことにようやく気付いた。電気がついているのはベッド横の備え付けのライトだけだった。夜なのか、と思いながらさっきの女の子の「こんにちは」の挨拶を思い出す。「こんにちは」じゃなくて、「こんばんは」だったんじゃないのか? なんて、俺はどうやらどうでもいいことが気になるタイプみたいだ。
「ありがとう。こんな体で暴れたら危ないと思って……た顔が、多分怖くて驚かせたんだよな…」
怖い顔の医者からため息と一緒に零れた言葉に、女の子が小さく笑った。
「いつも怖い顔してんだろ」
「お前にだけは言われたくない」
間髪を入れずにリズムよくパンパンと交わされる怖い顔同士の言葉の応酬に、さっきまでのただ怖かった気持ちが消えていくのが分かった。
「お父、おじさんも……どっちもどっちだからやめて」
しょうがないなあ、と声が言っている。目線を女の子に移すと、気付いたのか女の子が俺を見て目配せをした。目が、「ほらね、怖くないでしょ」と言っているようだった。ほとんど黒みたいな女の子のぼんやりとした姿の影から、サラサラ揺れる髪と、丸くて大きな目がキラキラしているのだけが見える。不思議と、影が2つあるように見えた。まだ視界が安定していないらしい。
「さっきのおじさんはね、甲斐田さんって言ってお医者さんだよ。あなたの怪我を治療してくれた人。手術もしてくれたんだよ。だから、怖い人じゃないからね」
優しい声の女の子の丸くて黒い大きな目が、俺を優しく覗き込む。ひょいとその横に怖いヤクザ顔の男が並んだ。暗いから余計に怖く感じる。一瞬身構えてから「あれ?」と思う。怖い顔なのに、なぜか2人は似ていると思ったのだ。
「そして俺はかわいいこの娘にお願いされて、お前を山の中から担いで連れてきてあげたおじさんだ」
ふ、と怖い顔の口元が緩む。女の子が娘ってことは、この人は女の子の父親なんだ。似てるようで似ていない顔の正体がわかってすっきりする。
「かわいい娘に『あの子助けて』なんてお願いされたらよ、助けないわけにはいかないだろ? 何があったか知らねえが、この病院は安全だし、この怖い顔のおじさんたちが悪い奴が来たらぶっ飛ばしてやる。だから、安心してここで元気になれ。他のことは全部大人に任せて、お前はただ、いっぱい寝ていっぱい食べて、薬飲んで、元気になってくれればいい」
怖いヤクザのおじさんは、そう言って女の子と同じように俺の頭に手を置いた。撫でるでもなくすぐに離れた大きい手は怖いのに、なぜか女の子に触れられたのと同じくらい優しくて包み込まれているような感じがした。煙草の匂いはしなかった。(この時鼻が折れていたので本当にしなかったかどうかはわからない)
「こんな顔で悪いが、君が元気になるようにしっかり治療するから安心してほしい」
怖い医者の男はそう言うと、大きく息を吐いた。
「心桜ちゃん、俺の顔こいつより怖い?」
女の子はうーんと口に手を当てて少し悩んだ後、にっこりと笑って言った。
「同じくらいかな」
俺も同感だった。
* * *
その日から、ゆっくりと怖い医者のおじさんの顔にも慣れてきて、毎日顔を出す女の子を『心桜』と名前で呼ぶようになっても、あちこちに巻かれた包帯がガーゼに変わっても、腕に繋がれた点滴の数が減っても、俺は本当に何も自分のことを思い出せないままでいた。何日も何日も心桜は会いに来たし、その度に怖い気持ちはどこへやら、俺は心桜に会えるのを楽しみにさえ思っていた。何も思い出せないくせにいい気なもんだと思う。
思い出せないくせに、変なことに同じ夢を繰り返し見続けていた。朝になると細かい内容は忘れてしまう。ただ、”怖かった”というそれだけを覚えている夢だ。怖い顔の医者のおじさん、甲斐田先生は、きっと記憶の一部だと言い、心桜は少しでも怖い夢を見ないようにと、自分がいる時に俺が眠りそうになると手を繋いでくれるようになった。不思議と、心桜が手を繋いでくれた時に眠っても、怖い夢を見ることはなかった。小さな子どもみたいで恥ずかしいようで、だけど手を繋いでくれることが嬉しくもあった。そもそも俺は自分が何歳かを知らない。
細長くて白い指はいつも優しく絡まって、眠りにつく前に母親が子どもに絵本を読み聞かせるように、色々話してくれた。おかげで相変わらず自分のことは何も思い出せないくせに、心桜のことはどんどんと知っていった。
兄と弟がいること。
春に生まれたから名前に桜が入っていること。
この名前はあの怖い顔の父がつけたこと。(意外とロマンチストだ!)
父のことはお父、兄のことはお兄と呼んでいること。
父と兄は顔が本当にそっくりなこと。
料理が得意なこと。
午前4時くらいのブルーグレーの空が好きなこと。
茶髪に憧れていること。だけど絶対に染めさせてくれないこと。
父でも兄でもある会社の秘書にサエキという人がいて、誰よりもその人が厳しいこと。だけど大好きなこと。
家族のいない子どもたちが住む施設を、心桜の家で運営していること。そこにいる子どもたちが可愛くて仕方ないこと。
会社のおじさん、おばさん(お兄さん、お姉さん)たちが良い人たちばっかりなこと。
色んな素敵で大事な人がいるけど、弟が特別なこと。
勉強も大好きなこと。でも、学校よりも大事なことがあること。
―――俺のことも、大切だと思っていること。
夜、よく眠れない分、昼間にうとうととすることが多い俺の手を握りながら、俺の枕の横に頭を乗せて並んで目を閉じる。たまに心桜も一緒に眠りにつくのだ。太陽の光がカーテンを通り越して少し眩しくて、強めに目を瞑る。
「大丈夫だよ、ここにいるからね」
ぎゅ、と少しだけ繋いでいる手に力が入る。目を閉じたまま俺は頷く。
「葉、焦らなくていいよ。ずっと待つからね。何に対しても、無理することなんてないからね。大丈夫、大丈夫だよ」
「ん……」
夢うつつで心桜の声が、体いっぱいに繰り返し響いて、広がっていく。心桜の口癖のような『大丈夫』は、聞いていると心が落ち着いていく魔法の呪文のようだ。ゆっくりと、必ず”大丈夫”な気持ちになっていく。
そう、遠山心桜は魔法使いでもあるのだ。
* * *
遠山心桜には弟がいる。ちっとも顔が似ていないのに、雰囲気がそっくりな弟。遠山虎徹だ。虎、虎ちゃんと呼び方は色々あるらしい。歳はちょうど一回り・12歳離れていて、干支が一緒なんだと嬉しそうに言った。来年小学生になるから、ランドセルやらなにやら用意するのが楽しいと、時々寂しそうに笑いながら言っていた。
まだ虎徹と会ったことはない。俺があまりにも大怪我人なせいで、心桜と先生以外は基本的に『面会謝絶』なのだ。(なんなら調子が悪い時は、心桜も入ってこれない)でも、写真だけは何度も見せてくれた。持ち歩いているのだと言う。
心桜とは違う赤味のある茶髪は地毛だという。心桜とは違う見るからに硬めでツンツンとした髪質をしていて、坊主にはしないが耳が隠れない程度の短さをキープしている。心桜曰く、「うちの虎ちゃんはそれが一番かわいい」らしい。心桜とは違う切れ長の細い目は、黙っていると機嫌が悪そうに……いや、あえて言うなら、怒っているように見える。
まあ、つまり、なんていうか、一言で言うと、似ていない。
だけど、嬉しそうに見せてきた写真のいくつかに笑った虎徹の顔があって、その笑顔がびっくりするほど心桜に似ていた。ふにゃと、とけるように笑う。見ている人が勝手に笑顔になってしまう顔だ。お揃いのTシャツを着て2つ並んだその笑顔を見ていたら、「やっぱり姉弟なんだな」と納得する。
心桜には兄もいる。ビックリするくらい父親にそっくりの兄で、つまり、怖いところ以外は心桜に似ている。この兄さえいなければ、虎徹が似ていないことは気にならなかったかもしれない。心桜と父と兄、と、11年前に亡くなったという母(こっちも写真で見ただけだ)にはそれぞれどこかしら似ている部分があって、見ただけでああ親子だなと思うのに、誰も虎徹と似ているところがない。心桜とそっくりな笑顔は別として、だ。「似てないね」と言ってはいけない気がして、でも気にはなっていた。
気になっていることは急に解決するものらしい。ある日、珍しく心桜ではなくて兄の方だけが病室に見舞いに来た時に、理由を教えてくれた。
兄の名前は、龍という。名前に似合う、あの怖いヤクザ顔の父と同じ顔をした、25歳には見えない人だ。もちろん上に見えると言う意味で見えない。正直言って怖い。怖いのに、たまに心桜の代わりに着替えなんかを持ってくるから、会ってしまう。俺が怖がっているのが分かっているのかいないのか、心桜ほどじゃないとは言え、結構話しかけてくる。あの怖い顔の父親もそうだったけど、この家の人はおしゃべり好きなのかもしれない。
虎徹のことも、心桜が昼間いない日にぽつりと話してくれた。俺に話しかけているのか、独り言なのかわからないようなものだったけど。
次回、【虎徹 その1】




