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7.紫狼

 花凛が唱え終えると共に足元から、淡い黄色の光が広がり、立ち上がった。それは、すぐに半透明の壁となって彼女の周囲を守る。


「……これが、結界?」

「うん。上手だよ、花凛ちゃん」


 リオンの声に、わずかな安堵が混じる。けれど、彼の双眸は花凛を見ていなかった。


 その視線は、十三比良坂の先に現れた、狼のような魔物へと向けられていた。狼の額に埋め込まれるように輝く紫色の石が、脈打つように明滅していた。良く見ると、黒く見えた毛皮も濃い紫色をしていた。


「花凛ちゃん。あの魔物を、よく見ていて」

「魔物を?」

「うん、目を逸らさないで。一瞬の隙が命取りになる」


 花凛は言われた通り、狼を見つめた。その視線は自然と煌めく額の石へと向かった。紫色の石は黒に近いほど深い色なのに、その奥には赤や青の光が絡み合うように揺れている。


「……不思議」


 思わず呟いた花凛にリオンが頷く。


「そうだね。……普通の魔法石とは違う」

「どう違うの?」

「あれは、魔力が濃すぎるんだ。属性の色が混ざっているんじゃない。濃くなりすぎて、別の色……紫を宿してる」

「……紫は特別なの?」

「そう。紫は一際強い魔物の魔法石が宿す色なんだ。……入り口近くに、いるはずないんだけどね」


 リオンが一歩、前へ出ると狼の耳がぴくりと動く。その目は爛々とリオンを捉えていた。リオンの目もまた狼を見つめて、不思議な色に煌めいていた。その瞬間、彼の視界には狼の姿の上に、淡い光の文字が見えていた。

 


「……やっぱり紫狼《ヴァイオレット・ファング》か」


 リオンが、その名を苦々しく口にした。


「そんなに強いの?」

「問題ないよ」


 リオンは花凛を安心させるように微笑んだ。その表情は、いつもと変わらない。けれど、耳はぴんと立ち、瞳孔が大きく開いて隙なく紫狼の気配を探っていた。


 紫狼が、低く唸る。それは洞窟の奥まで響くような、重い音で、花凛は背中をぞくりと震わせた。


「リオン君……」

「大丈夫。花凛ちゃんは、そこにいてね」


 背後を見ずにリオンが言った。その瞬間、リオンの手元に光が集まって、手甲鉤(てっこうかぎ)が現れた。手甲につける鉤爪型の武器で、いくつかの玉が飾り付けられている。


「絶対に結界から出ないこと。俺が倒すから」

「……うん」

「それから、戦いが終わるまで、書を閉じないでね。結界を維持していて」

「分かった」


 花凛の返事を聞くと、リオンは駆け出した。そして、しなやかな猫のように飛び上がる。紫狼は、その動きを予測したように後ろへと跳び下がった。低い体勢でリオンを威嚇する紫狼と、低く腰を下げた姿勢で睨め返すリオンと。見合わせること数瞬。


「乙(きのと)」

 

 短いリオンの言葉と共に手甲鉤の青い玉が光った。青い光は地面に吸い込まれ、地面から蔦を生やし紫狼の四肢を捕らえる。リオンがまた、飛び上がって手甲鉤を振るう。手甲鉤は、今度こそ紫狼の額にある魔法石を捕らえて砕いた。紫狼は断末魔の声を上げて、地に伏す。

 動かなくなった紫狼の元へリオンは歩み寄った。跪き、その体に触れると、紫狼の姿が一瞬で消えた。


「調べないといけないことが出来ちゃった。悪いけど帰ろう、花凛ちゃん」

「……うん」


 リオンの有無を言わさぬ雰囲気に花凛が飲まれながらも頷くと、彼はようやく気づいたように、いつもの笑みを浮かべる。手甲鉤を消して、リオンは花凛に手を差し出した。その手を花凛は、おずおずと取る。


「帰りは鏡を使うよ。触れて帰りたいと願えばいい。今回は俺と一緒に帰ろう」

「うん」


 頷いた花凛を見て、リオンは首元にかけてあった小さなペンダントのような鏡を取り出し、空いてる手で触れた。コンと金属を打ったような音がして周囲が光に包まれる。まるで十三比良坂に入った時みたいだと花凛が思って、視界が戻った時には、彼女たちはリオンの家の大鏡の部屋へと戻っていた。


「俺は大社(おおやしろ)……仕事場に行ってくるね。書斎があるから、良ければ書でも読んでいて? 案内するよ。……家の中は好きに使ってくれていいけど、家からは絶対に一人で出ないでね」

「うん、分かった。でも、玄関までお見送りしてもいい?」

「もちろん! 嬉しいよ」


 リオンは蕩けるような笑顔を見せて、廊下を進む。2階の一室にある書斎の場所を教えてから、また大鏡の部屋へと戻った。


「ここから行くの?」

「うん。この鏡は何ヶ所かに飛べるから、大社へも、ひとっ飛びだよ。……何かあったら首巻き(チョーカー)の石を握って俺を呼んで」

「チョーカーの石を?」

「この石は、元々一つの石でね。同じ石から作ってあるから共鳴するんだ」

「へぇ! 便利だね!」


 花凛は首元で揺れる石に触れる。


(じゃあ、これも聞こえるのかな?)

(聞こえてるよ、花凛ちゃん)


 ビックリして花凛が石から手を離すと、リオンは楽しそうに彼女を見ていた。


「名残惜しいけど、流石にそろそろ……それじゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい、気をつけてね!」


 頷いてヒラリと手を振って。リオンは鏡の中へと溶けていった。


 

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