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10.紫魔

 ズルリ、ズルリと、奥から、何かが近づいてくる音がする。洞窟の壁から、小さな石がぱらぱらと落ちた。


「……大きいな」


 灰青が刀を握り直した。


「千草、お姫さんを頼む」

「はい。……木気よ、我らを守る結界となれ」


 千草が3人の周りに結界を張り、花凛を後ろに隠した。


 ズルリ、ズルリと。やがて、暗闇の向こうから巨大な影が現れた。


「……蛇?」


 花凛は思わず息を呑んだ。


 それは、これまで見てきたどんな蛇よりも大きな蛇だった。


 太い胴は人の身体など軽々と呑み込めそうだ。長い身体も灰青より大きく天井に届きそうなほどだった。その鱗は黒に近い紫色で、千草の持つ玉の煌めきを受けて、濡れたように妖しく煌めいていた。


 そして頭を持ち上げた蛇の首元には、大きな濃い紫色の魔法石が埋め込まれている。


「……紫の、魔法石」


 花凛の声が震えた。以前、リオンが言っていた言葉が脳裏を掠める。


——紫は一際強い魔物の魔法石が宿す色なんだ


「なんで、こないなところに、紫魔がおんねん……?」


 灰青が低く呟きながらも、刀に手をかける。

 それに反応するかのように紫蛇が鎌首をもたげた。


(……せめて、情報が欲しい)


 花凛が、そう願うと同時に。


 ——チリン。


 また鈴の音が響いた。

 花凛の目の前に、淡い光の文字が浮かび上がる。


 ——紫蛇《ヴァイオレット・サーペント》・金属性・特級

 


「……金属性、特級」


 見えたまま花凛は思わず呟く。


「なんやて? お姫さん、識別できるんか?」

「うん。紫蛇、金属性。特級って……」


 花凛が答えると、灰青の顔から余裕が消えた。


「……あかん、退却や」

「え、でも……」

「お姫さん、こいつは、さっきの岩石亀と訳が違う」


 灰青が振り返らないまま花凛に言う。その声には、冗談めいた響きが一切ない。


「俺と千草、二人で相手するんも、厳しい」

「そんなに……?」

「特級っちゅうたら、普通、もっと深いところにおるもんや。数十人の討伐隊組む相手やで。濃黄層(こんなとこ)に出るもんやない。しかも金属……木属性が得手の俺らには相性最悪や。……正直、退却も簡単やない」

 

 ちらりと灰青が花凛を見る。


「せやけど、お姫さんだけでも無事、帰さんと、銀杏の君に殺されるわ。お姫さん、神鏡は持っとるな? 俺らが隙を作ったら、それ使って帰るんやで。……ほんま、なんでこんなところに、こない面倒な奴がおるんや」


 グワリと紫蛇が大きく口を開いて、鋭い牙を見せる。それが、花凛にはとても恐ろしく見えた。けれど……。


(私だけ、帰る?)


 それに怯むことなく、灰青が駆けていく。青く輝く刀が煌めき紫蛇の首元を狙う。けれど、その攻撃は紫蛇に傷一つ付けられなかった。


(灰青さんや千草さんを置いて?)


「貫け!」


 千草が操る神術が地面から木の槍を隆起させる。確かに胴を狙った攻撃は、全て硬い音をたてて弾かれる。


(……そんなの、嫌だ)


 花凛は戦力にはならないかもしれない。大人しく逃げてリオンに助けを求める方が、正解なのかもしれない。それでも、目の前にいる仲間を見捨てて逃げ帰る気はなかった。


 少しも傷を負わなかったものの、紫蛇は攻撃されたことに苛立ち、前衛にいる灰青を鋭い牙で狙う。灰青は、それを刀で受け止めながら、顔を顰める。


(金には火。まずは火の防御術)


 花凛は紫の書を開く。


「朱雀の名の下に命ずる。火の気よ、我らを守る結界となれ」


 赤い光が灰青と千草と花凛を、それぞれ包んだ。


 牙と競り合っていた灰青の胴を、蛇の尾が狙う。けれど、その尾は灰青に触れた瞬間、逃げるように離れていった。


「火の結界! 助かったわ、お姫さん!」


 何が起こったのか紫蛇は正確に理解したのだろう。術者である花凛の方に向かった紫蛇は、花凛の結界を破ろうと、とぐろを巻き、締め付けた。


 バチバチと結界が音を立てて抵抗するが、紫蛇のとぐろは、どんどん花凛に近づいてくる。


「……っ! お姫さん、結界、保つんか!?」

「分からない……!」


 花凛は神術に神力を注ぎ続ける。けれど、紫蛇の身体が、さらに締まり。……ついに結界に亀裂が走った。その隙を逃すまいと紫蛇の尾が結界に叩きつけられる。バチリと音がして、結界が消え、花凛は紫蛇の尾に捕まった。

 

 ギリギリと締め上げられて、息が苦しくなる。


「朱雀の名の下に……ッ」


 痛みを無視して呪を唱えようとすると、締め上げる力が増した。花凛は、もう紫蛇を睨むことしかできなかった。


 その時、チョーカーの石が輝いた。


「——花凛ちゃんから、離れろ」


 聞き慣れた声が、低く紫蛇に告げる。


「……リオン、君?」

「花凛ちゃん。……こいつを倒したらお説教だから」


 宙に浮くように、花凛と紫蛇の間に現れたリオンは、手甲鉤で紫蛇へと攻撃を開始した。


「灰青、千草。君たちにも手伝ってもらうよ。……朱雀の名の下に命ずる。我が供人に火の加護よ、あれ!」


 灰青の剣と千草の玉が赤く染まった。灰青の刀が蛇の尾を切り、千草の扱う火球が胸元の魔法石を狙う。力を失った尾から落とされる花凛をリオンが受け止め、背後に隠す。


「もう一度、火の結界を」

「……朱雀の名の下に命ずる。火の気よ、我らを守る結界となれ」

「うん、上手だね」


 こんな時なのにリオンは嬉しそうに微笑んだ。4人分の結界を張った花凛を褒めることも忘れない。


「俺が紫蛇の目を狙うから、君は神術で蛇の魔法石を狙って欲しい。出来る?」

「大丈夫、やってみせる」


 覚悟を決めた様子の花凛をリオンは眩しそうに見て、走り出す。紫蛇の前で飛び上がると、今回は赤く輝いている手甲鉤で顔を引き裂く。


「朱雀の名の下に命ずる。火の気よ球となり、我が敵を貫け」


 言葉と共に無数の火球があらわれ、紫蛇の魔法石に弾丸のように飛んでいく。そのうち、いくつかが魔法石にあたって……。


——パリン


 音を立てて蛇の魔法石は砕けた。蛇の体が力を失いドスンと地に投げ出される。


(……やったの?)

 

「俺たちの勝ちだよ」


 不安そうに紫蛇を見る花凛にリオンが告げる。灰青も千草も疲れた様子だが、大きな怪我はなさそうだった。


「辛(かのと)」


 リオンが紫蛇に触れて呟くと、岩石亀のように、その場には戦利品が並んだ。今回は肉と瓶と皮だ。魔法石は砕いてしまったからか、小さなものが、いくつか転がっていた。


「灰青の少宮司。好きな物を持って先に帰ってくれ。俺は彼女と少し話がある」

「お言葉に甘えて、魔法石を少し貰って(もろて)行きますわ。帰るで、千草」

「……はい」


 心配そうに花梨を見ていた千草も灰青に促されて神鏡を使い、帰っていった。

 洞窟に花凛とリオンだけが残された。


「どうして十三比良坂は来たの? 家にいてって言ったよね?」

「ずっと家にいて、息が詰まっちゃって……」

「……そう、なんだ。でも、きちんと言ってからにして欲しい。……俺は、もう二度と、花凛ちゃんと離れ離れになるなんて嫌なんだ」


 その言葉は、単に仕事が忙しくて離れ離れになった今回のような事ではなく、もっと違う何かを示しているような気がして。


「……もう二度とって……どういう、意味?」

「……花凛ちゃん。……俺はね、レオなんだよ」

「リオン君が……レオ……?」


 その言葉は、花凛の中にストンと落ちてきた。レオそっくりな猫に変身できるところ、猫になった時の仕草、カツオが大好きなところ。リオンとレオが重なって一つになる。

 保護猫だったレオは花凛が飼ってからは完全室内猫だった。だから花凛を家に閉じ込めることに罪悪感はなかったよだろう……むしろあれは、花凛を守るためだったのだ。


「そっか……リオン君がレオ……」

「そう。……こっちでの真名も礼央(レオ)って言うんだよ。あっちの世界でレオとして死んで、こっちの世界に転生して……でも、やっぱり花凛ちゃんに会いたくて。必死に頑張って大宮司になって猫神様に加護をもらって。そうやって花凛ちゃんの世界に会いにいってたんだ……なのに、あんなことになって……」


 あんなこと、とは花凛が死んだ時のことだろう。リオンを助けられただけで、彼女は嬉しかったけれど、そのリオンがレオだと知って、喜びは2倍になる。


「そっか……会いにきてくれてたんだね。……私は、ちゃんとレオを守れて、大好きだって伝えられてて嬉しい。それに、こうして、またレオと一緒にいれる。だから気にしないで」


 フワリと彼の髪を撫でると、その髪はレオの頃だったみたいに柔らかい。


「また会えて嬉しい、レオ」

「俺もだよ。……今度は、ずっと側にいて、俺が花凛ちゃんを守るから」

「ううん、守らなくていいよ。せっかく同じ猫獣人になったんだもん。守るとか、守られるとかじゃなくて、同じ目線で、ずっと一緒にいたい」

「……うん、そうだね」


 二人は自然と微笑みあった。その首元にはお揃いのチョーカーが煌めく。


「じゃあ、帰ろうか」

「うん!」


 花凛は差し出された彼の手を取る。この手は、もう、離さない。手を繋いだまま、二人は歩き出した。

 

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