ラスターラ卿とりみだす
いやな感じがする。
「ラスターラ卿、そのように急がなくとも……」
「いえ、なんというか」
よくない予感がするのです、とは云えない。マルグスウェンダー・ラスターラは、だから言葉を切った。ティーアファンダード卿は、それ以上なにも云わず、はやあしのマーゴについてくる。
ふたりのほかにも、今日の宣言に立ち会っていたシシース先生、ズフダリフ先生、パーラ先生、ヴェーテッロ先生、チハル先生なども、湖からマーゴについてきている。チハル先生は走ることはできないので、ズフダリフ先生が負ぶっていた。
マーゴが考えているのは、つい先程のことだ。
フォージ・ティヴァインの宣言が終了した。そして、彼が封印をつかえるかどうかの検証がはじまった。その為に、今朝はやくに、私兵達が魔物を生け捕ってきていた。瞑瞑で眠らされたチャタラを数匹で、それらは檻にいれられて、湖近くの森のなかに置いてあった。
懸念はあったのだ。
マーゴが聴いていたのと、数が違った。チャタラは全部で七匹捕まえたと、エルセイユ先生から聴いていたのに、ふたつの檻に分けていれられていた連中は、どう数えても五匹しかいなかったのだ。それは、逃げ出したのではなく、ともぐいしたのだろうと、先生がたは云ったし、証人も、そういった事例を知っていた。魔物というのは「生きる」ことに重きを置いているから、自分が生きる為ならば同族を殺しても良心は痛まないのだと。
だが……逃げた、ということも、ありうる。檻は、チャタラ用のものではなかった。小さな個体であれば、隙間から逃げ出せたかもしれない。
誰もそんなことを気にしていなかった。いや、フォージ・ティヴァインは気にしていたかもしれない。封印検証の前後から、彼はひどく動揺している、もしくはうろたえている様子だった。
封印の検証が行われ、彼はチャタラを封印した。皆、封印をつかえる祇畏士が誕生したことに、喜び、そしておそれを抱いた。高い能力値、有用でめずらしい職業や特殊能力、そういうものが多く生まれるのは、魔王が居るからだという迷信がある。
フォージ卿は、封印がうまくいく程に、動揺を深めていったように見えた。手が震え、顔色は悪くなり……魔力の枯渇かと思ったが、魔の実見者であるチハル先生がなにも云わなかったから、そうではないのだろう。
フォージ卿は祈りの鐘が鳴り始めても、祈りを捧げようとしなかった。
そして、ティーアファンダード卿へ云ったのだ。ひとりでマオに会いたい、と。
ティーアファンダード卿は茨の冠をたぐりながら、眉をひそめていた。フォージ卿の茨の冠を示すが、フォージ卿はゆっくりと頭を振った。ぼくは祇畏士だから、自由にマオと会える筈だ、と、そのようなことを云った。
結局、ティーアファンダード卿も、折れた。
フォージ卿は頷いて、湖の傍からとびたった。
ティーアファンダード卿は、きっと自分の仕事を不満に思っているのだろう。
マーゴはそう考える。彼は、神聖公をきちんと支え、しっかりと規律をまもる人物だ。だが、フォージ卿の恋路の邪魔をするような仕事は、不本意だったのだと思う。現に彼はずっと、どことなく不機嫌そうな態度をとっていた。
幾らフォージ卿が祇畏士になったと云っても、ティーアファンダード卿が頑固になればどこまでだってなれるのだから、瞑瞑で眠らせてでも阻止はできた。
それをしなかったのだ。ティーアファンダード卿は、フォージ卿の邪魔をするのに、そもそも嫌悪感があったのだろう。もしくは、疲れたのだ。
マーゴは祈りを繰り返す程に、不安を募らせていった。
なにか、いやな感じがする。
いなくなったチャタラと、うろたえ、動揺していたフォージ卿、それにそう、ミューとジーナ……。
マーゴは、せなかの下のほうに氷でもおしつけられたみたいな気持ちになって、意識して呼吸を深くした。いや、なにも確証などない。なにもないのだ。
それどころか、心配は要らないような情況だ。
ミューは魔力が減ることのない癒し手になった。彼が居れば、即死でもない限り怪我で死ぬ人間は居なくなる。
ジーナは神弓だ。隠密で姿を消し、予測できないところからなんだって射抜ける。
サキは希有な還元の力を有した戦士である。もともとの体力も高く、戦闘では無双の働きをするだろう。
リオは、魔導戦士であり、快速を持っているから、手数で敵を翻弄できる。
リッターは万能で不倒の護衛士だ。職業加護のおかげで、不倒は何度もその効果を発揮する。
ユラは魔術者で、魔導士だ。魔法の威力は凄まじく、そして、自己研鑽を怠らない彼女は、その強大な魔力を器用に制御している。
そしてフォージは祇畏士だ。
魔のものに強く作用する恩寵魔法をつかえる。
封印だってつかえる。
だからもし、チャタラが居ても、なんの心配なんてないのだ。ある筈がない。それなのに、どうしてだか、不安感が拭えない。
どうしてフォージ卿はあんなにかたい表情だったのだ?
愛するマオさんに会いに行くというのに。
そうだ、と、マーゴは気付く。違和感は、不安が拭えないのはその所為だ。フォージ卿はあんな表情をする必要はない筈だ。マオさんに会いに行くのに、どうして、哀しいような、困惑しているような、そんな顔をする必要があるというのだろう。
「ラスターラ卿」
ティーアファンダード卿が呆れたような声を出す。「なにを、そんなに心配しているんですか」
「ああ、ええ、そうですね。あの……チャタラの、数が足りなかったでしょう」
フォージ卿のことを云うのははばかられ、マーゴはそう云ってごまかした。ティーアファンダード卿は鼻を鳴らしたが、ズフダリフ先生が云う。
「マオは戦えませんからね。なにかあってからでは遅い」
ティーアファンダード卿がもう一度、鼻を鳴らした。
フォージ卿の後ろ姿が見え、マーゴはほっと息を吐いた。そう、心配することではなかったのだ。杞憂にすぎなかった――――
「俺はお前をゆるさない」
地を這うような声がした。
マーゴは見た。ロヴィオダーリ卿がフォージ卿を睨みつけ、レフオーブル嬢が左腕をその前に出している。まるで、とびかかろうとするロヴィオダーリ卿を、そうやっておさえているみたいだ。
いや。実際に、おさえているらしい。ロヴィオダーリ卿が前に出ようとすると、レフオーブル嬢が鋭い声を上げた。「お辞め、リッター」
「煩い」
「主に向かってその口のききかたはなんなの? 立場をわきまえなさい」
あの小さい体から、一体どうやったらあのような声が出るのだろうか。マーゴは暢気にそんなことを考えた。レフオーブル嬢は威厳にあふれ、自分よりも遙かに体格のいいロヴィオダーリ卿をぎろりと睨みつける。
ふと、マーゴは違和感を覚えた。ロヴィオダーリ卿の腰には鞘があるが、肝腎の剣がない。はて……?
レフオーブル嬢がすごみのある声を出した。
「お前、これ以上不用意に喋るのなら、眠ってもらうわよ」
「しかし」
「お黙り!」
レフオーブル嬢はぱっと、顔をマーゴ達へ向ける。
ロヴィオダーリ卿もこちらを見た。眉がぐっと寄る。
「マーゴさま」
魔力の枯渇を起こしたみたいな、力ない声がした。マーゴはそちらへ目を向ける。ミューとジーナが、フォージ卿から少し離れたところに並んで立ち、どちらもあおくなっていた。ジーナはミューにしがみついて、目を潤ませている。
ミューでなかったら本当に、魔力の枯渇を起こしたと思っただろう。それくらいに、力のない声、そしてあおい顔だ。
サキとリオも、顔色が悪い。寄り添って立ち、リオは気分が悪いのか、口許を覆っていた。サキは数度、ぎゅっと目を瞑る。
この匂いは嗅いだことがある。
弟は匂いに敏感だ。だが、わたしも、弟に云われて意識するようになった匂いがある。これは知っている。
ひとが死んだ時の匂いだ。ひとが死んで、居なくなってしまった、その哀しみの匂いだ。
「なにが」
七人に近付きながらそう云って、マーゴは自分の声が震えていることにびくついた。そして、声だけでなく体も、ひどく震えていると、気付いた。
「なにか、あったのかな?」
フォージ卿が振り向いた。血のしみのような赤い目は、なにも写していない。彼はなにも見ていないと、マーゴは思う。
フォージ卿は答えず、レフオーブル嬢が深呼吸してから云った。
「マオが居なくなりました」
チャタラ、哀しみの匂い、なにも見ていないフォージ卿、不安、様々の違和感。
ティーアファンダード卿が喘ぐように云った。
「フォージ卿、説明なさい」
フォージ卿は口を半分開くが、なにも云わない。ティーアファンダード卿が喚く。
「フォージ卿! 説明なさいと云っているのが聴こえないのか!」
「マオは、ぼくに……失望してる。きっと」
フォージ卿は答えになっていないことを云い、目を瞑る。もうなにも喋りたくないということだろうか。
レフオーブル嬢がゆっくりと、静かに云う。「フォージ卿が、マオに口付けました。それで、マオは……居なくなりました」
「フォージ卿」
ティーアファンダード卿は浅い息をして、腹をたてた様子だ。「承諾は?」
誰もなにも答えない。ティーアファンダード卿が一瞬、歯をきしらせた。
「なんと、愚かな。そのような狼藉を働けば、逃げ出すのも当然だ。なんという……」
気分が悪くなったようで、ティーアファンダード卿はひゅっと鋭く息を吸い、三秒程黙る。それから、先生がたを振り返った。
「我が国の祇畏士が、奉公人にとんでもない無礼を働きました。フォージ卿が会っては尚更こわがらせる。わたしから奉公人に謝罪したい。どこに居るのだろうか」
シシース先生が耳にあてていた手を下ろし、頭を振った。顔色が尋常ではなく悪い。
「寮には戻っていません。姿を見た奉公人も、教員も、居ないようです。ああ、……誰も。ジアー先生がさがすように指示を出しました」
「突然不埒なことをされれば、逃げるのは当然のこと。どこかで隠れているのでしょう。マオという奉公人は戦えないと聴いた。なにかあってからではとりかえしがつかない。我ら神おろしもさがします」
「では、ティーアファンダード卿はわたしと一緒に来てください。ティヴァインくん、あとで話がある」
フォージ卿はなんの反応もせず、先生がたは近くの森のなかへ走り込んだ。ズフダリフ先生はチハル先生を負ぶったままで、ティーアファンダード卿はシシース先生と一緒に走っていく。
マーゴは七人になにか云おうとしたが、頭に声が響いた。〈ラスターラ卿、失礼いたします。カラです〉
奉公人のひとりだ。伝糸持ちだと聴いて、一度握手をしている。それで、連絡してきたのだ。マーゴは片耳に手をあてる。
〈手のあいている奉公人みんなでマオをさがしています。寮内には居ません〉
マーゴは唸る。マオさんはどこへ行ってしまったのだ? 御山だって、魔物が絶対にあらわれない訳ではない。それに悪さをするのは魔物だけではない。そんなことも考えられないくらいに、フォージ卿のしたことで動揺したのだろうか。
〈伝糸不可領域に居るかもしれません。エイジャが、噴水のところで待っています。ラスターラ卿と一緒にマオをさがします。いらしてください〉
エイジャが?
マーゴは御山の人間ではない。本来、自由に御山内をうろつくことはできない。エイジャが一緒に居てくれたら、すべての場所にはいれないまでも、ある程度は自由に動ける。
マーゴは七人を見る。なにか云おうとしたが、先んじてパーラ先生が云った。
「マオはわたし達がさがしだすから、君らは心配しないように」
マーゴもその言葉に頷いて、走り出す。噴水まではすぐだ。エイジャは智慧者だから、マオが居るかもしれないところを知っているだろう。すぐに見付かる。
その筈だ。




