大鐘楼を求め
南禅寺を後にした私は知恩院へと向かった。途中でうどん屋でうどんを食べ、雨に濡れて冷えた体を温め、道を真っ直ぐに進むと知恩院の門が姿を表した。
知恩院は広大な土地があり、帰りの新幹線まで二時間程の時間があったが、全てを目にするのは難しいように思われた。
知恩院の名は私の敬愛する小説家の作品内で知った。それにあやかって私も昔、「二人とも....」という作品で知恩院を書いた事がある。ただ、知恩院を訪れるのは初めてであった。私は行ったことのない土地を書き、その想像上の知恩院がどんなものかを確認するつもりで訪れようとも思っていた。
「二人とも....」の話の中では主人公の詩乃と新太郎が大晦日の日に知恩院に行き、除夜の鐘を聞く話になっていた。
なので、私の知恩院の主な目的は除夜の鐘で有名な大鐘楼を見ることであり、その近くで詩乃と新太郎が年を越した場所を見つけることであった。
大鐘楼を探しに私は全体図を見るもよくわからず、大鐘楼は遠回りをしなければ行けないのかと思った。そのため、女坂を下って道の方に出てみるもやはり見つからず、逆に今度は男坂を上り、先ほどの場所へ行くもやはりわからず、雨は緩やかになったが、変わらず降り続いていた。雨宿りをするため、近くのテントに入り、そこにいた警備員に大鐘楼の場所を私は聞いてみることにした。
「鐘の場所って....」
「そこの建物を通って右の階段を登る」
警備員は無愛想ながら、場所を教えてくれた。私は感謝をして、大鐘楼の場所まで向かった。
水溜まりを避けながら、足を進め、宝佛殿の横にある細い道の先に階段を見つけた。
年末には人で溢れかえるとは思えない階段を登り、ついに私は大鐘楼の目の前まで来た。
人が七人ほどいなければ鳴らすことのできない鐘は想像以上の大きさであった。
私はしばらく大鐘楼の元にいたが、やがて階段を下った。その時に、一人の男性が私を追い抜き、大鐘楼の方へ向かっていた。
私は、滝のように雨水が流れる階段の下から五段目辺りに止まった。
私はここが詩乃と新太郎が立ち止まって会話した所だろうかと思った。しかし、文章を読み返してみると、二人は大鐘が見えない位置にいるという描写があった。
私は二人がいたであろう場所を探すことにした。頼りにしているのは私の想像だけである。
広い境内に戻ると、私は女坂からの景色はどうだろうと思った。雨が強くなる中、女坂の真ん中辺りまでやってきた。そして女坂の階段に立つと、私はここだと思った。
そして私はそこで「二人とも....」の「除夜の音色」の章で二人が年を越す場面を読みながら、詩乃と新太郎の存在を思った。
二人とも存在しない存在であるが、私は昭和三十六年の大晦日に二人はここの場所にいたことを書いたのだ。
私は自分の生み出した人物のおかげでこの地に行く事になると思うと感慨深いものがあった。
すると、東海道新幹線が大雨で遅延をしていると連絡があった。私はあと、一時間程滞在しようとしていたが、予定を切り上げて、京都駅まで急いだ。




