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幻想水月物語  作者: 安良木 響花
【黄の章】
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第078話 交錯する想い(4)

 フェルナリーザの手が迫ってくる。


「くっ……フェルナリーザ……!」


 ――そのとき、脳裏にあの夜のバルコニーで見せた微笑みが浮かぶ。フェルナリーザの柔らかな声がまだ耳に残っている。自分の知っているフェルナリーザの瞳は、こんな昏(・)い(・)黒(・)じゃない。光を宿したき(・)れ(・)い(・)な(・)黒(・)だった――!


 力を振り絞り、必死に周囲を見渡した。身体は闇魔法で重く押さえつけられ、剣には手が届かない。レグリスとアルシェリアスは魔族二人を抑えるだけで精一杯で、こちらに気を向ける余裕はない。ルナが前に出てフェルナリーザを止めようとするも、軽く払いのけられる。


 頭が焦りで満たされる中、フェルナリーザの指が指輪に触れようとした、その刹那――


 ――脇に転がっていた剣から、眩い光が放たれた。


 光が収束し現れたのは、燃えるような赤髪の少女――ルィンの剣の精霊、ナヴィアネージュだった。精神世界で言葉を交わしたあのときのまま、白いワンピース姿で立っている。腰には自分の剣とそっくりの一本を帯びていた。淡く光を纏《まと》いながら肩を震わせ、鋭い視線をフェルナリーザへと向けた。


「ナヴィ……!」

「その指輪はルゥの大切なもの……! 奪わせないっ!」


 裸足のまま駆け出し、小さな身体でフェルナリーザを横から突き飛ばした。フェルナリーザはすぐに体勢を立て直し、無表情のまま刀を振り抜いた。

 ナヴィはフェルナリーザの斬撃を必死に受け止める。だが、ナヴィの精霊としての気配はまだ弱々しく、金属音と光の粒と共に小さな身体は弾き飛ばされた。


「きゃぁっ」

「ナヴィ!!」


 しかしその瞬間、身体を絡め取っていた重力の圧力がふっと消えた。


「――! 今のうちに!」


 立ち上がり、すかさず剣を拾う。


「ルゥ……よかった――」


 ナヴィはかすかに微笑むと、光に溶け込み剣の中へと消えていった。


「ありがとう、ナヴィ! 助けてもらったこの一瞬を、絶対に無駄にはしない――!」


 深く息を吐き思考を巡らせる。


 冷静になれ――!

 フェルナリーザが本気を出したら僕もナヴィもただでは済まないはず――。操られているからフェルナリーザ自身の力を出せていない……?


 漂う黒い影――今まで遭遇してきた影や魔族と同じ――。そうだ、これは闇(・)じゃない、影(・)だ。そうすると原因はあの影の力……!


 それなら!


「ルナ! 月魔法をフェルナリーザにかけられる!?」

「やってみるわ! 強化魔法は完全な敵でなければかけられるはずよ!」


 ルナが光の粒子を散らしながら舞い上がる。


「月の加護(マイス・ルーナ)!」


 輝く光の雨が降り注ぎ、フェルナリーザの身体を黄金の光が包み込む。すると、黒い気配が悲鳴のように揺らぎ、やがて空気に溶けるように霧散していった。

 その瞬間、鎖が断ち切られたようにフェルナリーザの身体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。


「やっぱり――!」


 すぐに駆け寄り、フェルナリーザの状態を確認する。呼吸は浅いが規則的に繰り返されている。

 再度回復魔法をかけ、部屋の隅まで運んで静かに横たわらせた。ほっと息をつくが、胸の奥でざわりと何かが脈打つ。冷たく、重く、熱いものが煮えたぎってくる。


「あれは、あの影は、絶対に……!」


 怒りが込み上げ、拳が自然に固く握られる。額の紋章が淡く、だが確かに光を帯び、熱を宿していく。


「ザーム……!!」


 思わず声に出るが、睨む先にいるのは未だ立ちはだかるベルゼロスとヴァーネス。

 違う、この二人じゃない。この場を操っている根本的な元凶は、もっと別の存在だ――。


 深呼吸し、魔力石を取り出す。だが、既に輝きを失いかけていた――ポーチの中ももう底を尽きている。


 顔を上げると、目に映ったのは傷だらけのレグリスがなおもベルゼロスの巨体と組み合う姿。アルシェリアスはヴァーネスの爪を躱《かわ》しきれず、肩を裂かれ、血が飛び散った。それでも、二人は息を荒げながらなお立ち向かう。


「レグリス、頼む! 一瞬でいい、奴らの動きを止めてくれ!」

「承知!」


 二人の声がかすれる。二人の体力も、魔力も限界に近い――。


「ぬぉおお――――ッ!」


 レグリスが全身をぶつけるようにヴァーネスとベルゼロスに飛びかかる。苦鳴をあげながら全力で魔族二人を押さえ込んだ。地面に亀裂が奔り、土埃が舞い上がる。


「ルナ! 俺に全力で月の強化をかけてくれ!!」


 アルシェリアスが頭上に移動すると、振り向きざまに叫んだ。


「わかったわ! 月の大加護(マイス・ウル・ルーナ)!」


 ルナの小さな手から光が溢れ、波紋のように広がった。眩い黄金の輝きがアルシェリアスの身体を包み込む。いつもそばで見てきた自分でさえその力強さに息を呑んだ。


「これで……いいかしら……っ!」


 ルナは魔法を放ち終えると、崩れるようにルィンの首元へもたれかかった。


 アルシェリアスが魔力を集め、両手に渦巻く空気の塊を構えた。ルナの光が絡み、魔法の圧がさらに増していく。収束した力が一点に集まり――


「最果ての覇煌龍《シーア・ドゥニアス・ウル・ソア》――!!」


 ――直後、高密度の不可視の砲撃が、雷鳴のような轟音と共に魔族二人へ叩き込まれた。地面が割れ、爆風が広がり、戦場全体が光に包まれた。


 魔族がいた場所には巨大な穴が空き、底が見えないほどに深かった。


「はぁ、はぁっ……今のうちに王女を……!」

「ええ、行きましょう……!」


 二人は肩で息をし、よろけながらも震える足を踏み出す。


 ――だが、穴の底から海底に引き込まれるような重々しい気配が広がり、二人の足が止まった。


 世界が崩れたかのように、地面が鳴動し出す。

 ――底から、ベルゼロスとヴァーネスの姿が浮かび上がってくる。ベルゼロスは左腕の肘から先を失い、ヴァーネスの両脚は欠けていた。たが、荒い呼吸を繰り返しながらも、二人の周囲では依然として肌を刺すような魔力が渦巻いていた。


「魔合《マージュ》」


 浮かぶ二人を中心に黒い光が渦を巻き、二つの身体を包むように大型の魔法陣が球を描いて現れた。陣の中心で二人の肉体が引き寄せられ、黒い稲妻が絡みつくように結ばれる。光の中で二人の姿が一つの塊へと変貌していく。


 ――二人の最後の視線が一瞬だけ、ザザリーと、ミルグレイアの檻の方へ揺れた。


「な、なんだ……!?」


 ――現れたのは、巨大な二足獣としか言いようのない異形だった。広間を軋ませるような雄叫びが響き渡り、周囲の瓦礫を巻き上げながら魔力の嵐が吹き荒れる。


 ――やがて風が収まると、獣は目の前にいるレグリスとアルシェリアスに赤く光る目を向けた。


「レグリス! 食い止めるぞ! ルィン、王女を!!」

「うん――っ!」


 二人が獣に立ちはだかっている隙に、急いでミルグレイアの檻のもとへ向かった。


「うぐっ――」

「ぐあっ!」


 だがすぐに二人が壁へ叩きつけられる衝撃音が響いた。思わず足を止め、残されたわずかな魔力で咄嗟に回復を送る。


「ルィン殿! 私たちに構わず、姫様を!!」

「っ……わかった――!」


 ミルグレイアの元へ辿り着くと、サザリーが檻に魔力を込めていた。


「サザリー! 何を……!?」

「あれは……“魔合《まごう》”。二人は完全に理性を失ったわ。私が隙を見て結界で閉じ込める他ない。たぶん二人はそれを見越しているし、望んでいる」

「そんな……」

「だけど、おかげでミルグレイアの檻を解除することができる」


 目の前の膜が消え、ミルグレイアが動けるようになった。

 ミルグレイアはすぐさまサザリーのもとへ駆け寄る。


「サザリー! こんなことしてもあなたの皇女は……!」

「いいのよ、ミルグレイア。あなたは早く元の世界へ帰って家族を安心させてあげて」


 ミルグレイアは涙を浮かべてサザリーの手を握った。


「行こう……! もう、二人は限界だよ――!」


 ミルグレイアの手を取り、広間の入口の方を示す。微かに震えるその手から、彼女の想いがじんと伝わってきた。



 ――そのとき、全身の毛が逆立つほどの冷たい気配に襲われた。


 振り返ると、獣の爪がミルグレイアの寸前まで迫っていた。


 レグリスとアルシェリアスは地面に伏し、立ち上がろうと身体を震わせていた。




 ――サザリーが、ミルグレイアの前へ出た。


 爪が、サザリーの身体を引き裂いた。


 黒い飛沫が弧を描き、時間が止まったように、目の前を跳ねた。




「サザリ――――――ッ!!!!」


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