第021話 炎の中へ
「こんなに大きな相手は初めてだ……どうやって戦えば……」
ゴクリと喉を鳴らし、巨大な獅子を見上げた。その大きさは森で見たクマの数倍――いや、家一軒ほどもあるかと思えるほどだった。体中から熱と威圧が立ちのぼっている。
あの声が頭に浮かんだ。助けを求めていた苦しげな声。
気持ちを奮い立たせ、つるぎを握り直して全力で駆け出す――。
「ルゥ! 左手の爪よ!」
獅子が前足を振り下ろしてくるのと同時にルナの声が響く。迫る爪を大剣でぎりぎりで受け止める。だが、その衝撃は体ごと吹き飛ばすほどのものだった。刃越しに伝わる重さに肘がきしみ、身体は宙を舞って地面に叩きつけられた。
「うぐっ……」
強く打った背中が焼けるように痛む。息がうまく吸えない。ルナがすぐ傍まで寄り、光を纏った手を差し伸べる。
「ルゥ! 大丈夫!?」
「うん、何とか……!」
身体の奥はまだ震えていたが、剣を支えにして立ち上がる。腰が抜けそうな感覚を歯を食いしばって堪え、再び目の前の獅子を見据えた。
獅子は動かず、まるでこちらの出方を窺っているようだった。
「動かない……もしかして、あの後ろに何かあるのかな……?」
「魔力を溜めてるわ! 気をつけて!」
――炎の大波――
ルナの警告が響いた直後、獅子の足元から何層もの炎の波が押し寄せてきた。熱気が一気に押し寄せ、逃げ場はどこにもない。
「――ッ!」
つるぎを前に構え、襲いかかる炎を振り払っては受け流す。だが、波を斬るたびに刃は蒸発してしまい、水の武器を何度も編み直さなければならなかった。
「こんなの……ずっと来たら、持ちこたえられない……!」
額から汗が滴る。腕は重くなり、呼吸も次第に乱れていく。
すると、再び獅子の重苦しい声が辺りに響く。
――大炎のゆりかご――
獅子はいなされていると見るや攻撃の手を変えてきた。今度は足元と頭の両脇に炎の玉を出現させる。それらを基点に三角の炎の壁が生じ、そこから無数の火球が矢のように撃ち出された。
「うわわっ!」
咄嗟に小型の水刃に切り替えて弾を受け流す。
しかし、その数は尽きることなく、どこまでかわしても際限が見えない。
「くっ……! 数が、多い……っ!」
刃は蒸発し、服が焦げ、火球が腕をかすめる。それでも身体を捻り、走り回って動き続けるしかない。
「このままだと、僕の力の方が先に尽きちゃうよ……!」
声に焦りが滲む中、ルナが飛び上がって獅子に向けて指を向けた。
「ルゥ! あの三角を作ってる火の玉よ! あれを壊せば止まるんじゃない!?」
「……なるほど、それなら! 水の弓!」
安全な場所まで大きく後退し、弓を呼び出す。距離はある、だがやるしかない。深く息を吸い、意識のすべてを狙いに乗せていく。張り詰めた弦がかすかに震え――一気に放つ。鋭く放たれた矢が空を裂き、獅子の頭上の玉を正確に貫いた。その直後、炎の壁が崩れ、襲い来る弾幕も同時に止んだ。
「よしっ!」
「やるじゃない! ルゥ!」
再び水の刃を持ち、息を切らせながら走り出す。だが――。
「ルゥ! また魔力を込めてる気配がするわ!」
――火炎のいざない――
次の瞬間――獅子の口から膨大な炎が吐き出された。空気ごと吹き飛ばすほどの勢いと熱が周囲を呑みこみながら迫ってくる。
「くっ……!」
とっさに後ろへ跳んだ。それでも逃げきれない。
轟音と共に全身が炎に包まれた。
「ルゥ!? ちょっと!」
――ルナの胸に焦りがこみ上げる中、炎の渦が収まり、ようやくあたりの様子が見えてきた。不安に包まれたルナの視線の先――炎の向こうに、ルィンの姿が現れた。水魔法を纏い、炎を耐え凌いでいた。その姿は傷だらけだったが確かに立っていた。腕や脚には焼け焦げた痕が残っている。
「はぁっ、はぁっ……!」
「い、今回復するわ!」
ルナが傍まで舞い寄り必死に回復魔法をかける。傷は癒えていくものの、体力もルナの力も限界が近い。荒い息を整えながら、もう一度獅子を見据える。
「攻撃できる距離まで全然近づけない……!」
ぎりぎりの状態で頭を働かせる。
――そのとき、森での戦いが頭をよぎった。オーグたちが連携して戦ったあのときのことが。
「そうだ、あの時みたいに――!」
弓を構え、矢を引きながら一直線に駆け出す。
「ちょっと! どうするの!?」
「任せて!」
狙いは獅子の額。息を止め、全身の感覚を一点に集めて――放つ。矢がまっすぐに空気を裂き、獅子の額へ突き刺さった。その鋭い一矢が獅子の動きを一瞬鈍らせた。
「今だ!」
迫る爪を紙一重でかわしながら勢いを乗せてその懐へと滑り込む。間近で見るその身体はまるで山のようだった。獅子はこちらの姿を捉えきれず、視界から消えたことで攻撃の手がわずかに緩んだ。
「今のうちに!」
獅子の胸元に他の部位よりも濃く渦巻く影が見えた。
「水の双刃! ――はぁあ!」
そこに力を集中させ、刃を振るう。影は粘りつくようにまとわりつき、刃が弾かれるような手応えが返ってくるが、何度も何度も斬りつけた。腕が重く、視界がにじんだ。それでも――刃を振るう手を止めなかった。
切っ先がついに影の奥を裂き、その内側に黒く濁った結晶が姿を現した。
「もしかしてこれが……!」
まるで鼓動するかのように揺れるそれに向かって、最後の力を込めて斬りつけた。触れた瞬間抵抗があった。だがそのまま、渾身の力で押し切って――。
黒い結晶は音もなく砕け散った。獅子が咆哮を上げる。怒りでも苦しみでもない、どこか解放を含んだ声だった。
その響きの余韻を受けながら、ルナと目の前の巨体の様子を見守った。




