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幻想水月物語  作者: 安良木 響花
【赤の章】
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第020話 熱気の向こうに

 水のオーラに包まれているとはいえ、洞窟の熱気は想像以上だった。少し歩いただけで額から汗が滴り落ちていく。


「うわ、これはあんまり長くは持たないかも……」


 蒸発していくオーラを何度もかけ直しながら、松明の揺れる光を頼りに奥へと進んでいく。


「オーグたちはよくこんなところ魔法なしで来たよね……」


 ふと三人の姿を思い出して呟いた、そのとき――脇の岩陰から何かが這い出す気配がする。反射的にそちらを向くと、現れたのは自分の脚ほどの大きさの蛇の影だった。


「ルゥ、わたしヘビ苦手だわ……!」

「わかった、ルナは中にいて」


 ルナをそっと胸元にしまい、あたりを警戒する。蛇は一匹だった。洞窟は狭く薄暗いため、蛇の動きを追うのは難しい。松明を置き、動きやすいように小型の刃を両手に生成した。

 ――次の瞬間、蛇が威嚇するような音を立てて襲いかかってくる。思った以上に動きが速く一瞬たじろいだが、ぎりぎりのところで牙を受け止めた。ポタリ、と目の前で垂れたのは黒く濁った液体だった。


「毒――!?」


 直感的に危険を悟り、すぐに飛び退いて距離を取る。


「危なかった……。あんまり近づきたくない相手だな……。それなら……水の弓(アーク・アイル)――!」


 手に弓を作り直す。じりじりと距離を詰めてくる蛇に向かって、深く息を吸い集中して狙いを定める。


「今だッ!」


 ――光を帯びた矢が勢いよく飛び出す。

 しかし素早く体を翻して避けられ、矢は地面に突き刺さった。そこからさらに速度を上げてくる。


「くっ……! もう一発っ!」


 次々と矢を放つが、なかなか当たらない。

 焦りを抑え、呼吸を整えて蛇の動きに全神経を注ぐ。


 落ち着け……落ち着いて……!


 その瞬間、蛇が跳ねるように飛びかかってくる。

 ――息を吐き、その頭を正確に捉え、渾身の一撃を放った。矢が頭部を突き破り、蛇は苦鳴を上げて煙となって消えていった。


「やったわね、ルゥ!」

「ふぅ……弓の使い方、シャルに教わっておけばよかったかな……」


 小さく息をついて、再び歩き出した。


 さらに進んだ先、奥の空間が突然広がった。

 小さな村がすっぽり入るほどの広さで、赤黒い岩肌に囲まれたその場所では、あちこちで溶岩がぐつぐつと煮えたぎっている。水のオーラの消費が急速に進み、肌に焼けつくような熱が迫ってきた。そして、その広大な空洞の奥に、巨大な何かが静かに鎮座していた。


「ルゥ……気配はあそこからするんだけど、あれってもしかして……」

「うん、そのもしかしてかも……」


 胸元からそっと顔を覗かせたルナが、恐る恐る洞窟の奥を見つめる。

 得体の知れない存在に対する緊張が高まる中、慎重に近づいていく。重厚な岩山のような体躯からビリビリとした圧が伝わってくる。その佇まいは威厳に満ち、ただそこにいるだけで周囲の空気が張り詰めていた。


「ねぇルゥ! あの像と一緒じゃない……!?」


 たしかに、見た目は街の広場で目にしたあの獅子の像と瓜二つだった。広げた前脚、うねるたてがみ、揺るぎない眼差し。

 ――だが、町にあったものとは違い、目の前の獅子は生きていた。地の底から漏れるような荒い息遣いが洞窟に響き渡る。全身を包む毛並みが風もないのに波打つように動き、体から禍々しい気配が立ち昇った。

 ルナはその様子を目にして、思わず胸元に身を潜めた。それでも恐れを抑え、一歩、また一歩と距離を詰めていく。

 

「――――――ッ!?」

 

 突如として洞窟全体が震えるほどの咆哮が響く。けたたましい重低音が頭の奥を貫いた。反射的に耳を塞いだが、それでも内側から揺さぶられるような感覚は収まらない。音ではなく、存在そのものが叫んでいる――そんな錯覚すら覚えた。


 ――レーヴィの子よ、よく来てくれた――


 心に直接語りかける声。


「さっきの声……!」

「この声、目の前の獅子からよ!」


 ルナが顔を出して震える手で指を差す。


 ――我は今、影に囚われている。どうかこの身を解き放ってほしい――


 その声には確かな苦しみが滲んでいた。獅子の身体には黒い煙のような影がまとわりつき、目は赤く染まっている。影はうごめくように獅子の体を侵食していた。


「ルゥ、どうするの!?」

「やるよッ、もちろん! ルナ、力を貸してくれるッ!?」


 ルナは覚悟を決めたように胸元から飛び出した。


「っもう! そう言うと思ったわ! 行くわよ! 月の加護(マイス・ルーナ)!」


 光を振りまきながらルナがふわりと舞い上がると、身体に金色の光が灯る。


水の大剣(アシュルク・アイル)――!」


 手元に巨大な水のつるぎを作り出す。不安を振り払うようにその柄をぎゅっと握りしめた。そして、獅子の姿をまっすぐに見据える。

 ほのかに輝く小さな背が、揺れる熱気の中で負けじとその巨体と対峙していた。


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