30話「グラキエス」
「ダメだよ詩遠くん。中途半端に諦めちゃ」
その声に、僕は反射的に目を開いた。
目の前に──紫雲さんが立っていた。
まるで霧が人の形をとったかのように、
その姿は静かで、それでいて確かに“そこ”にいた。
「紫雲さんっ……!」
霧を纏ったような雰囲気に包まれていても、彼の声は穏やかに届く。
「目は痛む?」
「……!いえっ…大丈夫です!」
ふっと笑った紫雲さんが、足元にわずかに重心をかけた。
「なら、よく視るんだ。俺が動くから、君が指示を」
──ゆら。
空気が揺れる音がした。
紫雲さんの輪郭が霧と混ざり合い、視界の中で揺らめくように消えた。
《スキル発動:幽霞刃》
一瞬のうちに、彼は霧そのものになった。
僕の“邪眼”は、すべてを視ている。
(まるで──舞っているみたいだ)
紫雲さんの剣筋には、一切の無駄がない。
熟練と、技と、戦場を読み切る目。
そして何よりも、刀に迷いがない。
「綺麗……」
まるで幻術に掛けられているみたいに
僕は──目が離せなかった。
──ゆら。
再び霧が揺れた。
その軌道の先に、グラキエスの肩装甲が裂けていた。
「っ……!」
(今だ!)
「紫雲さん、主核の外殻、右下──厚みが甘いです!」
声を飛ばすと、すぐに返事が来る。
「おーけい」
紫雲さんの双剣が正確に主核の継ぎ目へ滑り込む──
──ギィンッ!!
氷殻に亀裂が走った。
「すごい……」
僕は思わず呟いた。
でも、感動している暇はない。
この人が戦ってくれてるから、僕は“目の力”で全体をサポートできるんだ。
(紫雲さんが流れを切り拓いてくれるなら……僕はしっかり“視”ないと!)
紫雲さんの双剣が、まるで舞うように霧の中を滑る。
──ゆら。
空気がたわみ、淡く漂う霧の流れに剣の軌跡が溶け込んでいく。
霧の一振り一振りが、氷の巨獣グラキエスの装甲に、確かに“道”を刻んでいた。
僕の目は、敵の内部構造と魔力の動き、その一切を見通している。
(……主核を守る防御回路……今、交代の周期が来てる……!)
目に映る魔力の糸が、ゆるくほどけ始めた。
「紫雲さん!」
僕は叫んだ。
「主核の防御が切り替わって、一瞬だけ隙ができます!あと五秒──!」
「了解」
静かな返事とともに、紫雲さんの姿が再び霧と一体になる。
──ゆら。
残像のように剣閃が走る。
防御の切れ目を的確に狙って、紫雲さんの双剣がグラキエスの主核を包む氷殻を斬り裂いた。
──ギィィッ……パリッ
細かいひび割れが走り、主核が脈動する。
紫雲さんが軽やかに後ろへ跳んだ。
「よし……今だ、詩遠くん。そこは任せたよ」
(──今だ!!)
足元に転がっていた氷柱を拾い、僕は一気に距離を詰めた。
視穿で見た“魔力の中心”──その一点だけを狙って。
(ここしかない!)
「うおぉぉっ!!」
全力で跳び、氷柱を振りかぶって――
──ズガァン!!
主核の中心に、まっすぐ突き立てた。
──ギギギギィィィ……ッ!
砕ける音が、ダンジョン全体に響いた。
《ボスモンスター討伐完了》
《個人貢献度:85%》
《特別評価:A+》
《新スキル取得チャンス:解放》
目の前に、淡い光を帯びた文字が現れた。
《新スキル獲得》
《スキル名:氷鎧結界》
《等級:希少級スキル》
《属性:氷・防御系》
《説明:冷気による魔力膜を展開し、身体全体を覆うことで高い耐久性を発揮する。斬撃・衝撃・熱を軽減。継続使用で魔力消費大。》
(やった……!防御スキルだ!)
喜びが込み上げた瞬間──
「……っ」
ガクッ。
全身から力が抜けて、僕はその場に膝をついた。
「おっと」
すぐさま隣から伸びてきた手が、僕の肩をしっかりと支えてくれる。
「君、意外と実践で動くのもいけそうだね」
声の主は、紫雲さんだった。
あれだけの戦闘をこなした後だというのに、息一つ乱れていない。
肩で僕の体重を受けながら、涼しげな目で穏やかに微笑んでいた。
(さ、さすが……S級ギルドの……トップメンバー……)
僕は支えられながら、少し離れた岩陰に腰を下ろした。
脈打つ心臓を落ち着かせながら、肩で息をする。
……と、その時。
──ゴォオオオオッ。
赤い炎が遠くの氷を溶かしながら迫ってくるのが見えた。
その中心にいたのは――
「おーーい、お前ら無事かー?」
焔を揺らして登場したのは、龍炎さんだった。
「詩遠ーーー!怪我ないー?!」
後ろからは、薙さん、安良さんの姿も見える。
どうやら、みんな僕たちを追ってこの階層まで来てくれたらしい。
「皆さん!すみません、ご迷惑おかけしてしまって!」
僕が立ち上がり、頭を下げようとした瞬間──
「もぉおおお、心配したんだからぁ!」
勢いよく、薙さんが飛びかかってきた。
「紫雲が一緒だったから安心だったけど、目の前で落ちた時めっちゃ焦ったんだからね!」
「……本当に、助かりました。紫雲さん、1人でこの階層まで来るの、大変だったはずなのに……この階層のボスまで一緒に戦ってくれて……」
そう言って感謝を伝えた僕に、薙さんはきょとんとした顔を見せた。
「え?何言ってんのーもう!詩遠ちゃんが落ちた時、紫雲も一緒に落ちたでしょー!」
薙さんは僕の言葉を冗談と受け取り笑った。
「……え?」
僕は固まった。
(……たしかに、あの時、何か腕を掴んだ感触はあった……)
ゆっくりと、僕は振り返って紫雲さんの姿を探す。
龍炎さんと何かを話している紫雲さんの後ろ姿。
(じゃあなんで途中まで姿を現さなかったんだろう……)
この少しの時間紫雲さんと過ごしたけど、僕はまだ全然彼の事を理解出来ていなかったようだ。
一休みが終わる頃、薙さんが勢いよく立ち上がった。
「じゃ、詩遠が紫雲と一緒にボス仕留めたってことは──そろそろこのダンジョンも崩れ始める頃じゃない?」
その言葉に、僕はすぐに邪眼を開いて出口を探した。
──ジジ…
視界に広がる魔力の流れと構造を読み取る。
(……あそこだ。あの氷の奥が出口に繋がってる)
そう確信して足を向けようとしたその時──
「……ん?」
視界の端に浮かぶ、もうひとつの情報が目に留まった。
──《第4階層:入口》──
(え……第4階層!?)
読み終えるより早く、ダンジョン全体が低く唸るように揺れ出した。
「やばっ、来た!!崩れるぞ!!」
安良さんの声に、全員が即座に反応した。
「こっち!」
氷のゲートに向かって全員が走り出す。
僕はまだ状況を理解しきれていない中、紫雲さんに軽々と抱き上げられた。
「ちょ、紫雲さん!? 自分で──」
「黙って掴まってな、詩遠くん」
氷の床を駆ける足音、響く振動、砕け散る足元。
ギリギリで全員が光るゲートをくぐると、後ろの階層は氷に包まれて完全に閉ざされた。
「……ふー、焦った~~」
薙さんが大きく息を吐いた。
僕もほっとしかけて──思い出した。
「あ、皆さん……ちょっと、お伝えしておきたいことがあって」
「ん?」
僕は先ほど邪眼で見た情報をそのまま伝えた。
「この先……第4階層があるみたいです。そして、そこの階層にいるボスの名前が──」
──《氷華妃》──
S級モンスター、氷の女王と呼ばれる強大な支配者。
「氷の女王か……さっきの階層はまだ最深じゃなかったってこと?」
「そうみたいです。というより……皆さん、1階層と2階層の時って、それぞれの入口近くに大型の魔物いませんでしたか?」
僕の問いに、龍炎さんたちが顔を見合わせる。
安良さんが指をぽりぽりと掻く。
「うーん、なんかデカいのいたけど、俺ら急いでたし──」
「全部龍炎が燃やして進んじゃったよ?」
「それ……たぶん各階層のボスですね……」
僕は小さくため息をつきながら、引きつった笑みを浮かべた。
(このパーティ……心配要らなかったか……)
僕達は体制を整えて、4階層に進む事にした。




