第十一話 刀伊原フツオの丑三つ時
世の中、理不尽なんて山程ある。
そうである事に、理由なんてなくて
ただ「そういうもの」なのだろう。
それでも世界は続いていく。
代償を支払う「誰か」がいるから。
それが心の底から嫌だった。
それでも、それを「誰か」に押し付けるのはもっと嫌だから……。
だから――その「誰か」になりたかった。
――ナゼ……!?
唐突に響いた轟音と共に、眷属の一体が倒れ伏す。口からは血反吐を漏らし、胸腔には拳ほどの穴が開いている。
眷属が負った傷は、何と言ったか、村の連中が使う火を噴く筒のものに似ていた。だがその傷は比較にならぬ。
尋常の獣ならばいざ知らず、自身の眷属をここまで傷つける威力はなかった筈だ。
再び響いた轟音の直後、隣にいた眷属の顔面が弾け飛ぶ。
頭を失った身体がだらしなく地面に崩れ落ちた。
闇の中から奥社の境内へと進み出てきたその姿を見て、怪異は戦慄した。
――アイツトオナジ
いつだったか。ふらりと村を訪れ、贄を横取りに来た先代の「まれびと」をあっさりと殺してのけた恐ろしいモノがいた。
同じような火を噴く筒を使う。恐ろしいイヌの面を付けた男。
村の連中も死なず、挙句に贄になるはずだった娘を横から攫われたのだ。約定とは言えアレは気に入らなかった……。
背丈こそ違う、装束こそ違うがあの面は覚えている。
――イヌ……オソロシイ……イヌ……
やっと自由になれたのだ。しつこく縄張りを狙ってくる忌々しい西の峰の「まれびと」やその更に上位に位置する連中は、一人残らずその気配が途絶えた。
それどころか、この山々のすべてを支配するお方。決して逆らえぬ恐るべき主も、今はもうそのつながりを感じ無い。目ざわりこの上なかった連中が、どいつもこいつも煙のように消え去ったのだ。
――ヤット、ノゾミ、叶ウノニ……
もう何にも縛られない。幾久しく忘れていた嘲り以外の喜びをやっと思い出したと言うのに……。
眷属の一体がソレに襲い掛かる。まるで風に踊るノボリのようにその手を躱したソレは、先ほどの火筒を眷属の口に押し込んだ
閃光と轟音。下顎から上を無くした眷属が地面に蹴り倒される。
――ナノニ
ジャコ、と闇の中で音がする。直後に地面に何かが転がる音がした。
――ナンデ
「……嘲笑ったろ」
ソレが、手元の二つに折れた筒に慣れた手つきでもっと小さな筒を放り込み、その筒をもとに戻す。
―――ナニ?
そう問いかけようとした瞬間に目の前の筒が火を噴いた。立て続けに響いた二つの轟音は、先ほどから嫌と言うほど聞かされたものだ。
―――イタイ、イタイ、ナンデ、イタイ。
全身を貫く苦痛は想像以上のものだった。
どうして己がこんな目に合わなければならないのか理解できない。
「……お前、あの娘の事、嘲笑ったろ?」
目の前の何かが、くぐもった声音で呟く。
『オカシイモノ……ワラウ……アタリマエ』
嘲笑ったのがなんだと言うのだろうか。己は当たり前の事しかしていない。愚かな村人共が己の囁きに右往左往して思い悩む様を楽しんだだけだ。
「…………そうだな」
刹那、こぼれ落ちた呟きと共に、その背に焔が立ち上るのを怪異は確かに見た。
「…………お前たちは、《《そういうもの》》だよな」
鉢金と面の間から見えたその眼には、覚えがある。あの恐ろしい眼、アレと同じ恐ろしい眼。
――アノトキノ、イヌ!!
刹那、怪異の脳裏に蘇るのは、在りし日の屈辱。
贄を奪われ、あまつさえ久しく感じていなかった恐れを思い出させた存在への怒り。
だが、あの頃よりも己は強くなった。あの時、かすめ取られた贄すら結局は喰らってやったではないか。
あの筒は酷く痛かったが、死ぬほどではない。
眷属は殺せるかもしれないが、己は無理だ。
この痛みの仕返しはしなければならない。そのためには力が必要だ。
――ニエ
呆然とした顔で一部始終を見ていた贄の娘が見える。
ふと怪異は以前に喰らった女を思い出す。その女の妹の滑稽な姿。その無様な姿を想うと今でも笑いがこみあげてくる。
姉を思う気持ちとその立場への羨望、そして浅ましい自身への失望と苦悩。
挙句に狂って娘の前で醜態をさらしてるのだから、玩具としては良くできている。
こたびの贄もあれの血族だった筈だ。そう言えば己が惑わした女の身代わりにむざむざ喰われに来るところもそっくりだった。
贄の娘の首を掴んで持ち上げた瞬間、恐ろしいそれがピタリと動きを止めた。
人間など容易い。どれほど恐ろしく見えても付け入るスキなどいくらでもある。
『ウゴクナ……ムスメ……クウ』
ソレの構えた筒先が下がる。怪異はニタリと笑った。結局のところ、こうやって容易く付け込めるのだ。
『オロカナリ』
その瞬間、怪異はソレを張り飛ばした。人形のように宙を舞った体が、地面を跳ねて社殿の扉に突っ込んだ。
――イイキミ
「やめて!!」
虜となった娘の口から悲鳴が上がる。
恐怖と絶望の感情が心地よい。それでも気が収まらぬ。もっと嬲ってやらねば……。
あれを見た時に思い出しそうになった不快なモノ。はるか昔に忘れ去った筈の心持。
それを思い出させた罪は償わせなければならない。
かつて贄を攫った不快な存在。その連れ合いとなった贄の女が戻って来た愉悦は筆舌に尽くし難かった。ましてその肉の味たるや……。
己が惑わして村から逃げさせた愚かな女の代わりに舞い戻ってきた間抜けな女。その恐怖の表情、苦痛の何と心地よかったことか。
――アレハウマカッタ
よろよろと起き上がった人影を再び張り飛ばす。
――ココロヨシ
地面に打ち倒されて血反吐を吐くその無様に胸がすくような気がする。
怪異は嗤う。本当に人間とは容易い相手だ。
――しくじった。
己の迂闊さに反吐が出る。粉々になった社殿の扉の瓦礫の中、刀伊原フツオは口内にたまった血反吐を地面に吐き出した。さすがに長い間、約定の名のもとに力をため込んできただけの事はある。
怪異は約定に縛られるが、逆に言えばその中で得る力は強い。
「刀伊原君!?」
怪異に囚われた字久良紫音の口から、驚愕の声が漏れる。
「悪いけど、今説明してる暇ない!」
すぐさま立ち上がって、伸びてきた腕をとっさにかわす。
――通臂猿猴
古来に曰く、山神に連なる怪異は猿の異形を取り、その両腕は体内にて通じる。
「右が縮めば 左が伸びる」あの唄を聞いた時から、嫌な予感はしていた。
『ヨケルナ!』
「あう!」
境内の中央に立った怪異が苛立たし気に奇声を上げた。同時に、首を掴まれている字久良紫音が苦しげに悲鳴を漏らす。
これでは、迂闊に手が出せない。
「畜生――」
動きを止めた瞬間、斜め後ろから凄まじい衝撃が体を貫いた。雑木を迂回するように伸びてきた怪異の手。その毛むくじゃらの拳に吹っ飛ばされて、石灯籠にぶつかる。
肺から空気が叩き出される。態勢を立て直そうとしたフツオの体に鞭のような腕が打ち下ろされる。
「……いいよ! もう良いから逃げて!!」
字久良紫音が悲鳴のような声で叫ぶ。視界が揺れている。アバラも2、3本折れているだろう。
――正直、このままじゃ、まずい。なんにも出来ずにくたばってたまるか!!
「なんで、来てくれたのか分からない。あなたがなんでそんな格好なのかも分からないけど――」
震える足に力を込めて、砕けた石畳の上に立ち上がる。
「――もう良いよ! もう十分だから!! この村に来たくて来たんじゃないんでしょう!? あなたは外に出られるんでしょう!? 」
泣きじゃくりながら、字久良紫音が叫ぶ。
体中が悲鳴を上げている。息を吸うのも苦しいくらいだ。だからなんだ。それでも、倒れる訳にはいかない。
紫音の慟哭を聞いてか、それとも己の優位の為か、怪異が愉快そうに金切り声を上げた。
『怒りはな、人の足を支える最後の杖だ』
頭の中に蘇るのは、父親の言葉。
「私がここで
終わっても、ヒビキに明日があるなら、みんなが救われるなら私はそれでいいの――」
「――良くない!!」
とっさに怒鳴り返す。
「なんにも良くなんて無いんだ。明日があるから良いわけじゃない、今日を永らえても、君が居ないんじゃ、何も救われやしない!!」
もう一度、字久良紫音の顔を真っすぐに見つめて叫ぶ。
「――だから、ここに来たんだ。僕も、ヒビキさんも」
『あなたは、覚えててくれるんでしょう?』
別れ際にかわした言葉が蘇る。ああ、そうだ。彼女はこうやって理不尽を噛みしめて生きてきたのだ。
『……コッケイ……オマエモウマソウ』
ニタリと笑み顔を歪めた怪異が、フツオに向かって迫る。その掌に囚われた字久良紫音の顔が絶望に歪む。
怪異はますます愉快そうに顔を歪めた。
『オマエノチ……シッテル……アノオンナトオナジ』
――あの女と同じ……血?
言葉の意味を反芻する。
その瞬間、時間が止まった。
『ニエ、セッカクニゲタノニ、身代リニカエッテキタ』
怪異がゲタゲタと笑う。
母の死、字久良紫音に感じた懐かしさ、身代わりになった彼女の叔母、父親がこの村にフツオを連れてきた理由。
『我々はいつも間に合わなかった……だが、今回は違う』
フツオにとっては遠い記憶の中の人である母。でも父にとっては……。
こいつを下っ端にするような怪異を叩くとなったら、膨大な下準備がいる。愛するものを奪われたのに、手を出したくても出せない。そんな日々の苦さは想像するに余りある。
一体どんな思いで、今日と言う日が来るのを待ち続けていたのだろう……。
『――怒りを燃やせ』
『理不尽と言う闇の只中でも、その炎を決して絶やすな』
――どんな思いで、今この瞬間を自分に託したのだろう。
同時に、フツオはある事に気づいた。字久良紫音の叔母。フツオの母。約定によって逃れた贄。その存在こそが反撃の嚆矢となる事に……。
ザクリと砂利を踏みしめる。籠手につけた三鈷を外す。
「――我は外夷祓い。現世の外より来たる夷狄を祓う……」
刹那、手にした三鈷の爪が開く。
中央の刃が伸長するのに合わせて深紅の光が炎のように燃え立つ。その光が幅広の刃を形成していく。
「不動倶梨伽羅金剛剣」使用者の憤怒をその刃として怪異を焼き滅ぼす法具。
『ニ、ニエ……ミステルノカ』
その法具からあふれ出る焔の如き殺意を感じ取ったのか、怪異が僅かに後ずさる。字久良紫音を盾にするように突き出した。
字久良紫音はフツオの眼を見ると、月明かりの中で――柔らかく微笑んだ。
「いいよ……叔母さまみたいに、夢は見れたから」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥で何かに火がつくのをハッキリと感じた。
――魂を、燃やせ
手の中の刃に焔が宿る。そして一歩を踏み出した。怪異がたじろぎ彼女の首に手をかける。
だが、フツオは先ほどとは打って変わって落ち着いた様子で、怪異を真っすぐに見据えた。
「――オマエは嘘をついた」
その言葉に、今度は怪異が彫像のように固まった。
『……チガウ』
「オマエは約定を破った」
字久良紫音の叔母。フツオの母である女性は西ノ峯の"まれびと"を討った功で彼の父に下げ渡された。それが約定だったからだ。
「西ノ峯のまれびとは来ない、と言ったな」
『ウソツキ……チガウ』
山入様から贄を奪えるほどの西ノ峯の“まれびと”が、理由もなく来ないはずがない。
だから"まれびと"が「来ない」事には必ず理由がある筈だった。
そしてその答えをフツオはすでに知っている。自分でも相当に追い詰められていたのか、そんな基本的な事にすら気づかなかった。
『大本と《《その周囲の有力な連中》》は、こちらでほとんど始末した』
お山様が中堅どころの怪異であるなら、西ノ峯の"まれびと"はその上位に位置する怪異の筈だ。
「奴はすでに討たれた。にも関わらずオマエは【召し役】に手をかけた」
『……チガウ』
「――お前は約定を破った!!」
その言葉が、奥社の境内に沈んだ。
松明の火が一斉に低く揺れ、古びた社の柱が、ぎしりと軋んだ。
『チガウ!!』
そう言った瞬間、「山入様」が苦しみもがき始めた。贄を求める怪異は「約定」に縛られる代わりに莫大な力を得る。
ならばその逆もまたしかり、約定を破ったことを指摘されれば、その資格を失う。村人達は守り続けてきたのなら猶更だ。
「お前はもう終わりだ。」
『ダマレ』
怪異が叫んだ瞬間に、口から光がこぼれ落ちる。
その口から大量のヒト型の光が吐き出されていく。
正直、カマかけ半分だったが、上手くいったらしい。字久良紫音の母、字久良紫音、鶴内ヒビキ、そして村の人々が連綿と耐え続けてきた理不尽。そしてその理不尽の中であがき続けてきた忍耐は決して無駄ではなかった。
『ウソツキ、チガウ、チカラ、オレノチカラ』
怪異がもがき苦しんで字久良紫音を取り落す。
「―――倶梨伽羅不動の名において、憤怒よ、我が刃となれ」
言葉と共に大上段に刃を振り上げる。腹の底から煮えたぎる憤激が全身を満たす。身体より溢れ出した焔が刃となって収束する。
『チガウ……ウソ、チガウ……イヤダ』
天頂へと振り上げた刃が燃え立つ。視界を焼き尽くすのは、月灯りすらも褪せるほどの深紅の輝き。
怪異がその輝きに眼を焼かれた瞬間に地を蹴った。
『――シニタクナイ』
直後、正中線を唐竹割りに煌々と燃え立つ刃を降りぬいた。
断末魔の悲鳴と共に、真二つになった影が劫火に呑みこまれる。
深紅の光が消え去った後、奥社の境内に残されたのは、全身から湯気を立てる刀伊原フツオの姿だけだった。
怪異がいた場所は、灰と焼け焦げた土が、影のような跡を作っている。
しばらく、誰も声を出せなかった。
さっきまで境内を満たしていた嗤い声も、息遣いも、悪意も、嘘のように消えていた。
「……字久良さん」
フツオが駆け寄ると、力なく地面に崩れ落ちた字久良紫音がゆっくりと目を開けた。
「私……生きてる?」
「みたいだね」
フツオはそう言って、紫音の肩を支える。
そして、その傍らには――。
「……う、ん」
地面の上で、鶴内ヒビキが身じろぎをした。
怪異に捕まった時に付いたと思しき痕が痛々しいが、その胸は確かに上下している。
「ヒビキ!」
紫音が駆け寄り、ヒビキを抱きしめる。
ヒビキの指先が、弱々しく紫音の袖を握った。ヒビキは薄く目を開け、紫音とフツオを交互に見る。
「……紫音? フツオ、君……?」
彼女は彼の顔を見て、僅かに怪訝そうな顔をすると花の咲くような笑みを浮かべた。
「なんか、かっこ良いじゃん」
ヒビキの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「ごめんなさい……私……」
「ヒビキ、もう良いの、もう終わったから」
もう一度、紫音が彼女を思いっきり抱きしめると、彼女の体の力が抜けた。
「ヒビキ?」
「眠ったらしいね」
フツオは短くそう言って、彼女を背に負うと、重い体を引きずり、紫音を促して山を降り始めた。
「ねえ、どうして助けてくれたの?」
フツオの顔を横から覗き込むようにしながら、字久良紫音が尋ねた。
「……嘲笑ったから」
「え?」
「アイツはヒビキさんを、この村の人達を、そして君を嘲笑った」
フツオが答えると、字久良紫音はしばしぽかんとした顔をした。
「あなたって――バカなヒトね」
ちょうど、彼女の後ろから昇り始めた太陽が見える。
「――自分でもそう思うよ」
自嘲気味な答えを受けて、字久良紫音が穏やかに微笑む。その笑顔のせいだろうか。暁の空がさらに眩しく見えるようだった。




