ナギの決意
…遅いなぁ、お兄ちゃん。
ナギはナギの部屋でお兄ちゃんが来るのを待っていた。もう学校は終わっているはずなのに…
何かあったのかな?
キッチンからは、お母さんが食器を洗っているのであろう、水音が聞こえてくる。
こんなに長い間、お兄ちゃんと離れたのはいつぶりだろうか。…もしかしたら初めてかもしれない。
そうか。ナギは、寂しいんだ。お兄ちゃんがいないと、不安になる。
あ、風で分かる。遠いから、正確じゃないけど、この家に向かって一人歩いてくる。
…あれ?何で歩いているのだろう。お兄ちゃんなら、煙になってすぐに来るはずなのに。
…
え!?な、なんでカエデちゃんが来てるの!?お兄ちゃんはどこ!?
え、あれ?ええ?だ、だめだ。何もわからない。
うう、今は会いたくなかったけど、お兄ちゃんが何をしているのか、教えて貰おう。
ナギは部屋の扉を開け、お母さんのいるキッチンに向かう。
「あれ?ナギサ、もう立ち上がっても大丈夫なの?」
お母さんが心配そうに尋ねる。
「うん。それより、カエデちゃんが来るから、お出迎えしてあげて。」
「あら。分かったわ…コウキは、いなかったのね?」
ナギは頷いた。お兄ちゃんはどこで何をしているのかな。
ナギはそんなことを考えながらリビングの椅子に座った。いつもならお兄ちゃんが椅子を下げてくれるけど、今はいない。
「ん。これ、お見舞い。」
え!?あ、もうカエデちゃんが隣にいた。いけない。考え事は後にしないと。
「あ、ありがとう。カエデちゃん。」
ナギはカエデちゃんが差し出した、コンビニ袋を受け取った。ヨーグルトとスポーツ飲料だ。
嬉しい。会いたくないなんて言ったけど、嫌いになったわけじゃないの。
「ん。コウキ、いない?」
カエデちゃんはリビングを見渡すような動きをしてそう言った。…え!?
「カエデちゃんも、お兄ちゃんがどこに行ったのか、知らないの!?」
「ん、早退するって、消えた。登校して、すぐ。」
な、なんで!?何かあったのかな。
「急いでた、から、ナギサちゃんのとこ、行ったと、思った。けど…」
カエデちゃんの声がだんだんか細くなってきた。…カエデちゃんも、寂しいのかな。
「連絡しても、繋がらないし…」
カエデちゃんがスマホを示し、俯き始めた。ああ、カエデちゃんは落ち込むとこうなっちゃうの。
「お母さん、何か心当たり、ある?」
お母さんに聞いてみた。
「う~ん。あの子がナギサ以外に興味を持つなんて思えないのだけど…あ、でも、最近、何か変なのよねぇ。ずっと、どこかうわの空の様な…ごめんなさい。分からないわ。」
お母さんも分からないようだ。お兄ちゃんの様子が変なのと、何か関係があるのかな?
「まさか、浮気?」
カエデちゃんがとんでもないことを言う。
「何言ってるの!?お兄ちゃんはそんな人じゃない!」
ナギは思わず叫んでしまう。
「でも、コウキ、変。」
だって、それは、カエデちゃんの事が…
って、あれ?それなら、カエデちゃんを放ってどこかに行ったりなんてしないよね?
ということは、ナギとカエデちゃんを置いて、誰か知らない人と会っているの?
何、それ。いやだ。いやだいやだいやだ。考えたくない!
…でも、もしそれが本当だったら?お兄ちゃんがナギたちの知らない人と、知らない場所で付き合っていたら?
ナギは、どうなるの?…わからない。
…
知らなかった。『わからない』ことがこんなにも恐ろしいものなんて。
知らなかった。身近な人が変わってしまうのが、これほどまでに寂しく、切ないものなんだ。
ああ、ナギはこんなにも、どうしようもない程に、お兄ちゃんの事が好きなんだ。
もう離れたくない。ずっと傍にいて欲しい。でも、あなたは本当にそう思っているのかな?ナギのせいであなたの人生を奪ってもいいのかな?ナギがそう望むことで、あなたを傷つけてしまうんじゃないのかな?
なんで?いつもはあなたの事も、何を考えているのかも、大体の見当はつくのに、今は何もわからない。
ねぇ。ナギは、どうしたらいいのかな…
その時、家の前の風が乱れた。何か暖かいものが渦巻くように。
…ナギはこれを知っている。いつも、お兄ちゃんがナギの傍に来るときにこうなるの。
そこにはお兄ちゃんがいた。なぜか頭を抱えてしゃがんでいるけど、すぐに立ち上がって家の玄関に向かってきた。
あ、あれ?どうしよう。いつもはどんな風に接していたっけ?今、ナギはちゃんと笑えているのかな。どんな顔でお兄ちゃんに会えばいいの?
「ただいま~。ナギサ、母さん?いるか?」
お兄ちゃんがリビングの扉を開ける。
え、えっ!?ちょ、ちょっと、待って!
「なんでカエデがいるんだ?」
「コウキ!あなた、何をしていたの?早退したって聞いたわよ?」
「コウキ、どこ、行ってた?」
えっと、えっと、何か言わなきゃ!え、でも、なんて言えば…
「あ~、説明は後だ。とりあえず、ナギサ。エリクサーが見つかったぞ?」
ひぇっ!?なになになに?お、お兄ちゃんに呼ばれた?ナギサって言った?な、なんで!?凄く、嬉しい。
「とりあえず、飲め。病気にも効くらしいから、大丈夫なはずだ。」
ひゃああああああ!ち、近いよ!?て、さっき何て!?聞き間違いかな?エリクサーって聞こえたような…
「ほら、口開けろ。ゆっくりでいい。少しずつ、飲むんだ。」
お兄ちゃんがナギの肩に腕を回し、耳元で囁く。ひゃあん!い、息が、お兄ちゃんの息が、ナギの耳に当たってるよ!?
待って待って!一人で飲めるから!いったん離れて~!
だめ。もう、声にならない。ああ、意識が…
口に何か不思議な味が広がる。それがすぐに体全体に染み渡るような感じがした。
…あれ?ナギは、何をしていたんだっけ?
「よし、もう一度だ。」
ナギのすぐ傍にはお兄ちゃんがナギの肩を支えるように腕を回し、一つの小瓶をナギに飲ませようとしていた。
お、思い出した!て、ひゃあああああ!だめ!恥ずかしすぎる!
今すぐ止めさせないと!
そう思って、口を開くと、小瓶の中身を流し込まれる。
ちょ、ま、まって!溺れちゃう!いろんな意味で溺れちゃうから!小瓶の容量はそこまでの量じゃないはずなのに。
「どうだ!?体は?変なところとか無いか?」
お兄ちゃんはそう気遣うように聞いてくる。…変なところ?別にいつも通りだけど、へ?熱が、無い?
「ん、あれ?熱が、無い。体も軽いよ。」
そう思ったら、口が勝手に動いていた。あ、そうだ。こう話すんだった。いつも、何をどう話すのか考えてなんかいなかった。話したいと思ったことを、そのまま話していただけなんだ。
そう思って、安心した。そしたら、頭に凄い痛みが走った。あれ?違う、これって…
「え?ッ!?い、痛っ!?」
「だ、大丈夫か!?どこだ!?どこが痛いんだ!?」
「ナギサ!?」
「大丈夫?」
皆が心配してくれる。でも、違うの。
「だ、だい、じょうぶ。」
ナギはなんとか言葉にすることができた。でも、涙が出て、止まらない。
「ナギサ、強がらなくてもいい。どこだ!?どこが痛いんだ!?」
お兄ちゃん。違うの。この涙は、嬉しいからなの。
「ち、違うの。目が、ちかちかするの。まぶしいの。光が、分かるの。みえるの。見えるのよぉ、お兄ちゃん。」
ナギはお兄ちゃんに抱き着く。いつもそうしていたように。
「そうか、見えるか。良かった。よかったなぁ、ナギサ。」
お兄ちゃんが涙声でそう言った。お兄ちゃんも泣いているのだろう。ナギの頭が湿っている。
ナギも、泣き続けた。
「ありがとう。ありがとうね。お兄ちゃん。」
そして、何度もお礼を言った。
嬉しかったの。お兄ちゃんが変わってしまったんじゃないかって。お兄ちゃんがナギから離れて行ってしまうんじゃないかって。
でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだった。何も変わっていなかった。ずっとナギの為に頑張ってくれていた、優しくて、頼もしいお兄ちゃんだった。
ごめんなさい。少しでも疑ってしまって。
…謝ろう。でも、もう、眠たいの。だから、起きてからでいいよね?
謝るのも、ナギの気持ちを、打ち明けるのも…




