Chapter.77
潮をはらんだ風を受けながら、由上さんがこちらを向いた。その瞳に、“決意”を感じる。
「文化祭が終わったら全部ちゃんと、ハッキリさせるから……もう少しだけ、待っててほしい」
まっすぐで真剣な瞳は、すべてを吸い込んでしまいそうなくらい深い色をたたえていて……その言葉が真実なのだと語っている。
予感と期待が入り混じって、鼓動を高まらせた。でもすぐに息が苦しくなる。
由上さんのファンクラブの人たちや、美好さんの顔が頭に浮かんだから。
返事を待つ由上さんは、うかがうように私の顔をのぞきこんだ。
「……誰かに気ぃつかってるでしょ」
「……はい」
「……天椙さんが誰かを傷つけるって思ってるのと同じように、オレも、誰かを傷つけるよ。……津嶋、とかさ」
あ……。
言われて顔が浮かぶ。同時に、この間言われた言葉も。
由上さんは、津嶋くんが私を特別に想ってくれてるって、知ってるんだ……。
なんとなく気まずくなって、由上さんから視線を逸らすようにうつむいた。
由上さんは繋いだ手の力を少し強めて、私の手を握ってくれる。指先から微かに伝わる鼓動は、私と同じで、少し早い。
「誰でもそうだよ……っていうのは乱暴か」ふと、苦く笑って言葉を続ける。「ありがたいことに、学校では人気者、みたいになってるけど、オレもただの高校二年生の男子だからさ……大事な人しか大事にできないんだ」
自嘲気味の笑み。いつもの明るくて自信に満ちた表情とは違う、憂いを帯びた表情。
「周りの人とか、いろんな関係とか、それも全部、ちゃんとする。もう天椙さんに嫌な思いなんてさせない。だからいまは、天椙さんとオレだけの話……ってことで考えてもらいたいんだけど……」
繋いだ手が少し熱くなる。海鳥がミャーミャー鳴いている。すぐ横の道路を走る車の音。潮の風。永遠と続きそうな沈黙を、由上さんがそっと破った。
「もう少しだけ、待ってて、ください」
まっすぐなその瞳が、私を見つめた。
私と由上さん、二人のこと……そう考えたら、もう答えは決まっている。
「……はい」
「良かった……」
うなずいた私の返事を聞いて、由上さんは息を吐きながら相好を崩した。
「学校で誰かになんかされたらすぐに言って。助けるから」
「はい」
「あと、もう隠れて会うのやめよう。オレがコソコソしてるから、天椙さんがなんかされちゃうんだし」
「えっ、でも……」
「ダメ?」
「う、ウワサとか、されたら、困りませんか?」
「困りません。オレはね? 天椙さんに迷惑かかるならダメだけど」
「迷惑、では……」
「……天椙さんが迷惑じゃなくても、か。また同じことになったらイヤだもんね」
「そう、ですね」
思い出して苦笑した私の表情に気づいて、由上さんも同じ顔になる。
「……もっと早く気づいてればよかった。ホント、ごめん」
由上さんが頭をさげた。行動や言動に滲む後悔が見えて、慌てた私はあいている片手を振った。
「だ、大丈夫です、もう。その……誤解も、解けた? みたいですし」
「うん。あの二人も、もうしないんじゃないかな」
「そう、ですか」
思わずホッと、息を吐いてしまう。
とはいえ、嫌がらせはあの二人からだけじゃない。恵井さんと椎さんから、会長さんにも伝えてもらえるといいけど……。
「ほかの人たちからは? 大丈夫?」
「え、っと……大丈夫、です」
「ほんと?」
「はい」
本当は美好さんの顔と言葉が浮かんだけど、物理的になにかをされたわけじゃない。ただ……由上さんと私が“そういう仲”になったら、美好さんも……ほかの人たちも傷つくわけで……どうしてもそのことを考えずにはいられない。
また黙ってしまった私を、
「少し、歩こっか」
由上さんが優しくうながしてくれる。
「はい……」
ゆっくりと歩きだすと、止まっていた時間が動き出すような感覚を覚える。
「言えること、全部教えてほしいな。なにか解決の糸口を渡せるかもしれないし」
「はい」
「もしそれの原因がオレだとしてもね?」
「はい」
「一人で我慢しないでね?」
「はい」
一連の口調と内容がなんだかママみたいで、少し笑ってしまったら、わざとむくれた顔で由上さんが振り向いた。
「真剣なんだけど?」
「はい、すみません」
オトナなのにコドモみたいで、そのギャップにますます惹かれていく。離しているうちに、もう黙って離れようなんて選択肢は、なくなっていた。
「明日から、一緒に行く? 学校」
「それは心強いですけど……」
苦しかった学校生活が、また楽しくなる予感。でもまだ、きっと投げられる様々な視線に耐えられる気がしない。
「また今日みたいに待ち伏せすればいっか」
「えっ」
「いや、じょーだん」
由上さんが笑う。
「そ、そういえば、どうしてここが?」
「だから、待ち伏せしてたんだって、駅のホームで」
それは聞いたけど……。
「で、ベンチに座ったまま動かないなぁって心配してたら、また電車に乗っちゃったから、オレも慌てて乗ったの。で、隣の車両から見てた」
「そ、そうだったんですか……」
「うん。で、降りるのが見えたから、オレも降りたの」
「え、じゃあ、ホームに一緒にいたってことですか……?」
「そう」
ホームには数人しかいなかったし、見かけたらすぐにわかりそうなものなのに……。
「すぐ見つからないように、これかぶってたんだ」
言って、由上さんはフードを被った。
そういえば、ホームにいた人たちのなかに、フードの人がいたような……?
おぼろげな記憶はおぼろげなままで、確信は持てない。それでもいま、目の前に由上さんがいるから、それでいい。
「でー、改札出て天椙さん待って、あと着いてきたの。そしたらなんか、さっきの二人組にからまれたから……もっと早く声かければ良かったーって」
由上さんはそう言ってくれるけど、あのタイミングじゃなかったら、いまこの状況にはなってなかったと思う。だから、タイミング、良かったんじゃないかな。
なんてことをどうやって伝えようかなって考えていたら、由上さんが笑顔でこちらを向いた。
「今日はもう、このままサボっちゃおっか。せっかく海まで来たし、ちょっとリフレッシュ。ね」
「……はい。なんだかすみません」
「なんで?」
「由上さんまで、サボらせてしまって」
「いーよ、別に。今日の授業内容は、枚方に聞こう」
「そうですね」
笑みを浮かべて答えたら、由上さんも同じように笑った。
二人で入った海沿いのカフェ。オープンテラスで風に吹かれながら、いままでのことをぽつりぽつりと話した。
その間、由上さんがずっと手を握っていてくれていて、私の話をうなずきながら真剣に聞いてくれて……だからもう、心配しなくてもいいんだって、わかった。




