卒業旅行日記(十三日目)一人モーリス湖へ!? 一人公園でオーストラリアを回想する
3月17日、朝9:00頃ベッドから出てシャワーを浴びた。天気は曇りだ。皆はビーチが気に入っていて、ビーチ、ビーチ!と騒いでいたが、自分はモーリス湖に行きたかった。最後に皆で一緒にいることも大切かな、とも考えて迷った。しかし、せっかく大金をかけて来たこの地で、自分がやりたかったことをやらずに帰るのは良くないと思った。自分が思ったことを思った通りに行動するということを、一日間丸々使って、異国の地でやってみたかった。
朝食をとった。10:00に浩圧と沖亜が隣の部屋から迎えに来た。その時僕は言った。「俺はモーリス湖に行く。」そう言ったが、皆怖い顔をして、「何言ってるんだよ!歩いて行ける距離じゃないだろ。とにかく車に乗れよ。ビーチに行こうぜ。レンタカーもせっかく借りるんだし。本気でモーリス湖に一人で行こうとしてんのかよ。」実は前日にモーリス湖に行くことを皆に言っていたのだが、地図上の距離で往復50~60キロはゆうにあり、一人で歩いていくのはとても困難な距離で、本気で考えていたのか、そう思ったのか、皆呆れるどころかお怒りである。とりあえずレンタカーを借りて、言われるままに乗った。「今からでも遅くないよ。ビーチに行こうぜ。ビーチビーチ。」「いや、モーリス湖に行くよ。」そう言った。少しして、「まぁ、せっかく来たんだから自分の好きにするがいいさ。途中まで送っていくよ。」ということになった。
さあ、ここらで降りよう。「ホテルに帰って来れなくてもおいて日本に帰るからな!!」「ああ。分かったよ。グッドラック。」
車を降りて歩き出した。ここからは一人で、気ままな散歩だ。しばらく歩いた。周りにはこぎれいな家ばかりが並ぶ。新しい家しかなく、家の数の割にとても静かだ。バス停にたった一人、バスを待つ老女がいた。モーリス湖へはどのように行けばいいのか尋ねてみた。しかし、地元の人ではないらしく、分からないらしい。ここらはどうやら別荘地のようで、地元の人はあまりいないようだ。ふらふらとぶらついてみたが、土地や家を売り出しているところばかりが目立った。更に進んで行くと、Neighbor looking.Keep out.などと書いてあり、入るな、とか、dangerなど書いてあった。ん?待てよ、もしかしたら現地人というのは、街から離れて住んでいるのでは。近くの店に入ったが、幾分街に比べ、物価も安い。居住区のようになっているところには、金網が張ってあって入ることができないようだ。
結局モーリス湖がどこにあるか分からないので、とりあえず緑を感じながら、田舎道の散歩をゆっくりと楽しんだ。小さな滝が見えて、それを写真に撮った。山を登るような道を行けば、一山越えればモーリス湖ではないか、そう思った。砂利道の坂道を発見し、ここでダメなら諦めようと思い、とりあえずひたすら登った。周りは林になっていたが、工事が入っているらしく、キャタピラの跡があった。道がなくなってしまった。ちょっと先で工事をやっている。もう引き返すくらいの時間が来てしまっている。もうだめだ。モーリス湖にはたどり着けないや。ただ、その場所からの眺めは良かった。高い位置からケアンズの街が見えて、海も見渡せた。写真に収めた。
さあ、折り返しだ。ケアンズに向けて出発。とりあえずケアンズに続くブルースハイウェイに出た。確かこっちがケアンズだったな。そう思って歩き始めた。しばらく歩いていると、エドモントンという文字がが見えた。エドモントン・・・・ん?エドモントン、確かケアンズ市街とは逆の方向だったような気がする。このまま進んでは大変だ。自転車に乗っている人に道を尋ねてみると、やはり逆だった。もう、ここの地点に至るまで、何度も何度も行き来を繰り返していたため、またか、と思いながらも、仕方ないと思う他なかった。
ブルースハイウェイを真っ直ぐ行けばケアンズ市街に抜けるため、もう道を間違えることはない。てくてく歩いていくと、日本人らしき男性と女性の二人が自転車でこちらに向かってくる。ちらちらとこちらを向きながら来ているので、もしや、と思ったらやはりこう来た。「Excuse me」俺は日本人だぜベイビー。もしやとは思っていたが、そんなに日焼けしたかな、と思った。「Ja..Japa...、日本人ですか。」日本人か尋ねるのにジャパニーズはないよね。「はい、日本人です。日本人。」「BBTというガソリンスタンド知りませんか。住所はこれなんですけど。」「いえ、ちょっとわからないです。」「そうですか、どうも。」明日帰国というときに、いよいよ外国人と間違えられたか。これは帰ってから日焼けについては言われるな。
今日出発するときに持って行った水が、850~900ml位あったが、更に買って飲んだ水分は600mlになった。ここ、ケアンズ市街に戻ってくるまでに、実に1.5リットル位の水分を補給した。暑くて、体が要求したのだ。今公園のベンチで、日記を書いている。日記を書くのももうちょっとだな。もうちょっとゆっくりしてから歩くか。
今、エスプラネードという、海沿いの散歩コースで、ジョギングする人がいたりする、カップルのデートコースの定番であるところのベンチに腰をかけている。ここで、日記を読み返してみた。2週間あっという間だった。最初は長いと思っていたが、ここまで来ると短く感じる。短い期間なのに、いろいろな感動、別れがつらくなるほどの出会いがあった。いずれも貴重な経験であり、大切な国際交流だと私は思った。そんな中、日本人がいかに初めて出会った人と交流を深めるのが下手で、真の国際的な意思疎通の図り方の教育が遅れているかということを思い知った。マークがガイドだったラフティングの時に思ったことだが、スイスの人たちは英語のスピーキングが素晴らしい。最初にマークが、彼らにどこから来たか尋ねるまでは、現地の人達かと思ったほどだ。ラフティングが終わった後トイレで、一人のスイス人が沖亜に「英語話せるか。」と訊いて、「すこし。」と沖亜が答えると、「私は知っている。日本人はreadingだけ習うんだよね。」・・・これはとてもショックだった。以前から他の国に比べ、日本はコミュニケーション重視の外国語教育が遅れているということを知識では知っていたが、これだけギャップがあるのだな、と実感した。日本でも国際的どころか、まず、日本人同士であっても見知らぬ人とのコミュニケーションの図り方をもっと教育で取り入れるべきだと思った。
いやーっ、それにしても、旅行が始まったばかりの時は、朝・昼・晩と外食だったり、お土産もたくさん買ったりと、とても派手ですごい生活だったが、後半に入って貧乏で切り詰めた旅行になった。今日の朝は浩圧に、「こんな距離一人で歩くのに何かあってお金がなかったら大変だから、100ドル貸しておくよ。」と言われてしまった。僕と違って、浩圧はしっかりしている。今日出発の時、浩圧からお金を借りなければ、5ドル50セントしかなかった。
う~ん、日記がまとまってきたな。今、PM6:20である。そろそろ宿に戻ろうかな。明日の夜にはもう日本だ。まだ何か、こう、ふわふわした感じだ。2週間、特に帰りたいとも思わなかったが、日本で落ち着きたいというような気もする。
ホテルに戻った。皆はまだビーチから戻ってはいない。明日のために、できるだけ荷物を片付けた。少しして、皆が戻ってきた。
オーストラリア最後の夜だ。どのように過ごすか、話した。レンタカーがあるし、街までは簡単に出られる。浩圧と幸信はカジノに、俺と沖亜はディスコに行くことにした。車でまずディスコの前まで行き、そこで俺と沖亜は降りた。浩圧と幸信は、カジノからここ、ディスコに後で来ることにした。入り口では、怪しいところじゃないだろうな、と思ってちょっと緊張した。5ドル払うと、腕にハンコのようなものを押してくれた。お金を払った証拠だろう。中に入ると、踊っている人と、お酒を飲んでいる人がいる。ビールをピッチャーで頼んだ。沖亜と二人で飲んだ。このビールがとても安く、5ドルだった。いつになくすぐ酔った。「踊らないか。」沖亜に言われたが、俺はいつになく消極的になってしまい、踊らなかった。
浩圧と幸信も入ってきた。俺以外の3人は踊り始めた。今考えればしっかり踊っておくべきだったが、その時はなぜか踊る気にはなれなかった。
ホテルに戻り、また皆でビールを飲んだ。俺はまた、あまり飲めなかった。少しして、眠くなって、寝た。




